勉強どころじゃない五月二十三日
「早|え~今日から中間試験の準備期間になるけど、赤点は取らないようにね」
そう言った先生は、教室を出て行った。
朝のホームルームが終わった教室は賑やかになり、
後一週間後には試験があるというのにいつもと同じように感じられた。
「統|………」
何の問題も無く、考える事も無いため、俺は安心してぼうっとしている。
…この平穏はいつまで続いてくれるんだろうか…
「拓|何をぼけっとしてるんだよ。暇なら話し相手にでもなってやろうか?」
「統|平和に呆けるのは、悪くないぞ?」
「美|国東君。暇そうだね、話し相手になってよ」
「要|何で私、此処に引き摺られているんですか…?」
長くは持たないだろうと思われる穏やかな時間を楽しんでいると、
拓巳、新城さん、御蔵さんがやって来た。
新城さんに引き摺られている御蔵さんは来たくて来たわけじゃないんだろうけど…
「統|とりあえず新城さん、御蔵さんを後ろに引き摺るのはやめようか?
首が絞まりそうに見えるし、制服が伸びるから…」
「美|あっ、そうだね。ごめんね要ちゃん」
「要|い、いえ、ありがとうございます国東君」
「統|にしても、皆暇なのか?もうすぐ中間試験なのに」
「拓|考えたくない事を言うなよ…今は忘れて楽しく話をしようぜ?」
「美|そうだよ。暗い気持ちで試験を受けたくないでしょ?」
確かに、そこに関しては俺も同じ気持ちだけど…
「統|万全の準備をして試験を受けるべきだと思うけど?
それと、拓巳は考えたくないって言う程成績は悪くないだろ…」
「要|えっ?」
「美|ええっ?榎本君って成績良いの?」
「統|全教科九十点台。学年内でも上位に入る成績なんだよ、大して勉強してないのに」
「美|うわあ…すごい意外…」
「拓|一夜漬けで頭に詰め込んでるだけなんだけどな」
馬鹿と天才は紙一重と言うけど、こいつは両方兼ね備えているんだと思う。
馬鹿な分、容量が多いんだろうな…
「美|羨ましいなあ…ところで、二人の成績はいいの?」
「統|いきなりこっちに直球で話を振ってこないでよ…」
「要|えっ、えっと…私は真ん中より少し上くらいでしょうか…」
「統|俺は大体クラスで中間くらいかな。平均点より少し上くらいだし」
「拓|ええっ?統次郎は本当の事を言ってるけど、御蔵さんは上位に入ってないか?
少なくともクラスだったら入ってたはず」
「統|へえ…でも、意外という程意外では無いな」
むしろイメージ通りだったし、さっきのは謙遜して言ったんだろう。
…自信が無いのは分かるけど、謙遜されると御蔵さんより下な俺の立場が無くなるんだけど…
「要|そう、ですか?それよりも、まだ聞いていない美尋さんの成績はどうなんですか?」
「美|ん?あたし?ふふん、皆は意外に思うだろうけど…」
溜めに溜めてから言おうとしているのか、新城さんは少し間を空けて。
「美|赤点はぎりぎり回避してるよ!」
と、堂々と胸をはって言った。
…うん、まあ思った通りだね。
「統|ああ、そうなんだ」
「拓|驚きは無いな」
「美|反応が普通!此処は空気を読んでえっ、意外。って言って欲しかった!」
「統|だって新城さんって頭が良いってイメージ無いし」
「拓|むしろ意外だと言われると思ってた事が意外だよな」
「要|正直に言えば…意外性は皆無だと…」
「美|頭悪いって思ってていいから、あたしに付き合って優しい嘘を吐いてよ!」
余程頭が悪いと思われていたのが不服なのか、新城さんはぎゃ~ぎゃ~と騒いでいる。
事実だからしょうがないと思うけどな…
「要|まあまあ…嘘は吐けませんけど、勉強をして試験で高い点数を取ればいいじゃないですか」
「美|むう~…あっ、じゃあ皆で勉強会しない?」
「拓|勉強会?この四人でやるのか?」
「美|そう!分からない所を教え合うの。試験前には丁度いいでしょ?」
唐突な新城さんの提案は至極真っ当なものだった。
だけどその提案は、俺と拓巳にとっては都合がいいとは言えないものでもあった。
「拓|悪いけど俺は行かない。行っても、意味もやる気も無いだろうからな」
「統|そう言うと思った…俺も参加しないから、やるなら二人でやればいいんじゃないかな?」
「要|あっ…国東君が行かないなら、私も…」
「美|要ちゃんは絶対に参加して!あたしが赤点取らないように勉強教えてよ~!」
「要|ええっ…あの…その…」
勉強会をして少しでも成績を上げたいのか、せめて御蔵さんだけでも参加させようとする新城さん。
その様子に断わりたいけど断わりづらくて、困った御蔵さんは俺に目で助けて欲しいと訴えかけてきた。
俺に助けを求められても…いや、助けるけどさ…
「統|新城さん。頼んでるんなら、せめてどうすれば勉強を教えてもらえるか聞くべきじゃないかな?」
「美|あ、そっか。じゃあどうすれば要ちゃんは来てくれる?」
「要|えっと…せめて国東君が来てくれるなら…」
「美|って言ってるけど、勉強会に参加してくれないんでしょ?」
「統|参加しないよ」
「美|理由は?要ちゃんに参加してもらうために説得してるんだから、
それなりの理由じゃなきゃ納得しないよ?」
最早御蔵さんに勉強を教えてもらうために勉強会をしようとしてる新城さんに、
赤点はぎりぎり回避出来て無いんじゃあ…と思ってしまう。
「統|俺は忙しいから無理なんだ。
勉強は暇になる合間にするようにしてるから、勉強会には行けないんだ」
「拓|ああまあ、統次郎が忙しいのは本当だな。家事とかしないといけないんだし」
「要|国東君は家事に追われているから勉強会には来れないんですね。
でも…前に繁華街に行った時はそんな事言ってませんよね…?」
「統|あの時は料理しなくて良かったから、他の家事を先に済ませたり後回しにしてたんだ。
でも勉強会をすると、他の家事を疎かにしないといけなくなるから…」
「美|う~ん…まあ、家の事をしている国東君に、無理に参加してとは言えないなあ…」
どうやら新城さんも納得する、それなりの理由ではあったらしい。
…でもそうなると御蔵さんがなあ…
「統|他にどうすれば勉強会に来てもいいか、二人で話し合ってみたらどうかな?
行けないかわりに、話は聞くからさ」
「要|それなら…国東君が参加しなくてもいいですけど…」
「美|じゃあ決まりだね!早速話し合ってみるよ!」
「要|今度は腕を掴んで引き摺られるんですか…?」
御蔵さんの腕を袋を担ぐように持ち、ずるずると引き摺っていく新城さんと、
こっちを向きながら上靴の底を磨り減らされている御蔵さんは新城さんの席へと向かっていった。
…御蔵さん泣きそうに見えたけど大丈夫かな…
「拓|良いのか、助けなくて?色々と後回しにすれば勉強会に行けただろ、
誰かに迷惑かけるわけじゃないし」
「統|無理して行くより、二人にした方がいいと思ったんだよ。
御蔵さんは嫌だろうけど、同姓の友達と一緒に勉強するのはいい事だろ?」
拓巳は俺の家に来た事があるから、俺が一人暮らしなのを知っている。
俺の家で勉強会をすれば、家事をしながら勉強出来ると思ってるんだろう。
「統|俺は御蔵さんに誰かと一緒に居る事に慣れて欲しいんだ。
それは俺意外には新城さんが出来る事だから」
「拓|いつも一人で居る事が多い御蔵さんのため、か…案外考えてるんだな」
「統|案外は余計だ」
失礼な事を言う拓巳にそう言いながら、これで御蔵さんの消極的な性格が変わってくれればな、と思う。
だが、そんな事を思う俺に平穏は急に別れを告げに来ていた…
「統|…このままでいいのかな…」
このところ、御蔵さんと二人だけで話をしていない気がする。
あまり面倒な事を増やしたくはないが、勉強会に参加しないにしても、
御蔵さんと何かするべきだったんじゃないかと思ってしまう。
二限目の授業の後の休み時間になって、廊下から窓の外を眺めながら今朝の事を考えている。
…平穏と言えば聞こえはいいが、別の言い方をすれば暇になるって事だ。
だからこんな事を考えるしか他にやる事が無い。
「統|本当に…このままでいいんだろうか…」
ここ最近、俺の噂をどうにかしようと奔走していた反動か、
やっと来た穏やかな時間が退屈に感じてしまっている。
…いや…新城さんに振り回されるよりはましだよ?
でもさ、何も無いっていうのはどうなのかなって思っちゃうんだよなあ…
せめて俺から御蔵さんに何かすべきなんじゃあ、と思いながら廊下を意味も無く歩いて考える。
「要|…いきなりこんな所に呼び出して…何の用なの…」
「あら?しばらくの間、何もしてなかったからってもう終わったと思ったの?」
「そんなわけないでしょ?勝手に終わらせないでくれない?」
気付けば人気の無い空き教室まで来ていた。
空き教室の中から聞こえる御蔵さんと、他二人の声にはっとして、
すぐに空き教室の中を覗いて盗み聞きを始めた。
「見た目を変えたようだけど…中身が変わって無いんじゃあねえ?」
「周りに注目されるようになったらいじめられないと思った?」
「要|っ…私は…そんなつもりじゃ…」
「馬鹿ね。見た目が変わったなら、今迄と違う事をさせるだけよ?
あんたが気に入らないのは見た目じゃないのよ」
「要|…馬鹿にしたいだけなら、教室に帰らせて…私も暇じゃないの…」
「何言ってるの。行かせるわけ無いでしょ」
御蔵さんが空き教室から出て行こうとしてまずいと思ったが、三人の内の一人が扉の前に立ち塞がり、
もう一人が御蔵さんの腕を掴み、教室から出て行くのを言葉で止めた。
…覗き見と盗み聞きをしていて分かったけど、
御蔵さんが話をしているのって御蔵さんをいじめている三人組だな…
ここ最近は何もしてないみたいだから、もういじめをしなくなったと思ってたが…考えが甘かったな…
「それにしても、国東がわたしの聞いてた通りの変態じゃなくて残念だわ。
あんたの純潔を奪ってくれると思ってたのに」
「要|…そんな事にならなくて、本当に良かった…」
ああ…そういう目的があったんだ…
御蔵さんに嘘の告白をさせた目論見を知って悲しくなる。
…あっ…涙が出てきた…
「ああ、そうだわ。あんた国東を誘惑しなさいよ」
「要|なっ…!そんな事、出来るわけが…!」
「やりなさいよ。出来ないって言ったらどうなるか、分かってるでしょ?」
「今のあんたなら出来るわよ。あんたの初めて…国東にあげればいいんだから…」
「要|そんなの…私は…!」
「いい顔してるじゃない、髪を上げてよく見えるわ。髪型を変えて唯一の良いところね」
「要|…貴女に…見せるためじゃない…」
「ふふっ…誘惑するのは明日からでいいわ。まともに出来なかったら意味が無いし。
さぁ、行くわよ。…じゃあね…?」
空き教室を出て行こうとしている三人分の足音を聞き、
俺は慌てながらも掃除用具があまり入っていないロッカーに隠れる。
そこからほんの少し隙間を空けて廊下の様子を窺う。
するとすぐに教室から三人出てきて、俺が何をしていたか気付かずに去っていった。
…ばれてはいないみたいだな…
そう思うも、御蔵さんが此処から去ってくれないと安心出来ない。
気付かれないように息を潜めるが、三人が出てきてそんなに経たずに御蔵さんは出てきた。
「要|ごめんなさい…国東君…国東君は私に何かするような不誠実な人じゃ無いのは分かっていますし…
本当は私だってやりたくはないんです…でも…傷付けられたく無いから…
自分のためにこんな事をする私を許してください…」
静かな廊下に響く独り言を言った御蔵さんは教室に向かっていった。
まるで懺悔のような独白を聞いた俺は、誰も居ない事を確認してロッカーから出た。
「統|…先生に見付からなくて良かった…」
特に豊中先生に見付かっていたら、指導と説教両方されるからな…
一番最初にこんな事を考えるのは、動揺しすぎているせいかもしれない。
…ちょっと落ち着こうか…
「統|…にしても…あんな所に都合良く居合わせるなんてな…」
運がいいのか悪いのか…だけど事前に知れたのは良かったかもしれない。
知らずに誘惑されたら、理性が保てるか分かったものじゃないからな…
だって男の子なんだし、可愛い女の子に誘惑されれば抗えないって。
「統|どうすればいいんだろ…」
いや、御蔵さんは嫌がっているから、俺は何があってもあの三人の思い通りにはしない。
…そうは思っているが、御蔵さんに誘惑されて耐えられるかは、自信が無い。
…御蔵さんの誘惑の仕方が下手なら、その限りでは無いけど。
「統|いやいや、弱気になってる場合じゃないだろ。
…あんなの聞いて、欲望に負ける事なんて出来るか」
そう言ってみるが、これは俺一人でどうにか出来そうには無い。
だからといって、新城さんに助けを求めるのは無理だろう。
…色々な意味でな…
「統|思いつく限りの事はやってみるか…」
何もしない、という手段こそ最もやってはいけない事だ。
なら、思いついた中で何をするか決めておくべきだろう。
それこそ、手段を選ばないものでもな…
選ぶにしても、それは最終手段にはなりそうだがな。
「統|そういえば…あの三人の内の一人が言ってた事…俺に何を期待してたんだか…」
純潔を奪ってくれるって言ってたけど、俺がどこまですると思ってたんだか…
この際俺の変態疑惑については何も言わないが、
今回の事はきっと、俺が御蔵さんに何もしなかったからこそああ言ったんだろう。
俺が三人の思った通りに動かなかったから、
今度は御蔵さんを使って思った通りにするつもりに違いない。
「統|でも…純潔って、何の事だろうか…」
初めてを俺にあげる、と言っていたから、
最低でもキス、最高だと…本やゲームだと伏字になっちゃうあれだろうな…
その単語を思い浮かべると、
あの三人が思ってるような変態になってる気がするから思い浮かべないけど…
「統|まあ何であろうと、自分の理性が簡単に負けない事を祈らないとな…」
俺が、誘惑されても動じない心を持っていればいいんだ。
そうすれば、御蔵さんに何かする事は無いからな。
自分の理性が強いとは全く思っていないが、せめて誘惑に負けないで欲しいと思いながら、
歓迎していない問題と向き合った。




