オスカー視点①
鏡のように磨かれた大理石の廊下に靴音が反響する。
壁に掛けられた燭台の明かりが二つの影を揺らす、静謐な世界。その中を、俺は目の前で進む少女についていく形で歩いていた。
少女をただの小さな子と侮る事なかれ、目の前の少女は何と魔王。そう、言わずとも知れた魔族を束ねるその人である……!!
いや、どういう事だよ。
おかしいよ、どう考えたって。
俺とかいう長生き以外に取柄もない普通の魔族が何をどう間違えたら魔王様と二人で歩くことになるんだよ。いやー、まじ意味わかんないっす。
何故か押し付けられた魔王軍参謀という立場に立って相当な歳月が経っているが、馴染む気配は一向にない。てか慣れるなんて無理です。
だってさ、あれだよ?俺の周りの人は皆腕っ節が強かったり頭が良いかのどっちかだけど、そんな中俺一人だけ一般ピープル。しかも何の間違いか上の立場。
……傍から見られば、大した能力もないのに上座でふんぞり返っている奴だ。
弁明しようにも、違うんです、こんな役職になりたいわけじゃなかったんです、とか言ったら「は?舐めてんじゃねぇぞ?」って更に顰蹙買いそうですし、何も出来ていない現状、さらに勘違いが深まってるような気がするんすよね。いや、ほんと悪い意味で。
こんな役職を押し付けてきた魔王様、マジの鬼畜で俺社畜。
ああ、胃が痛い。キリキリと捩じれ切れそうだ。
普段から常に胃痛は感じているワケだけど、今日は特に酷い。この先の事を考えれば無理もないが。
俺を圧倒するように目の前に鎮座する鉄製の巨大な扉。
扉の脇にはこの場所を守護する衛兵が居て、こちらに気付いて背筋を伸ばし敬礼をして来る。それをさも当然の様に受け取った魔王様は、悠々と扉の前で足を停めて、俺もそれに従う。
魔王様の意を酌んだ衛兵が扉を押すと、重厚な音を立てて地獄の扉がゆったりと開いていった。
視界に飛び込んで来るのは大勢の魔族の姿。一様に膝を着き、到来する主人への敬意を示しているようで、その圧迫感に思わず足が後ろに引く。
魔王軍にとって重要な行事である集会。俺の胃の痛みが普段より増している理由が、これだ。
けど躊躇する時間はない。なにせ魔王様が入って行ったからね。遅れたら斬首ものですよ、斬首もの。
……行きたくねー。
恐怖から顔を俯けて進んでいく。顔を伏せているのにピリピリとした意識が向けられていることがわかる。予想していた通り、やはり俺がこの立場にいることが不満なんだろう。吐きそう。
てか魔王様歩くの遅すぎな。なんでそんなゆっくりなん。はよ歩けよ。メンタル持たんし他の奴らも絶対あの態勢疲れるって。
やっと王座まで辿りついた魔王様が腰を下ろすのに合わせ、俺も逃れるようにそそくさと魔王様の斜め後ろに逃げる。違和感ない立ち位置でありながら、その実角度により他の者からのヘイトが向かれにくいベストポジションなのである。ここを見つけるのは結構苦労した。
ここからはいつも通りだ。
魔王様の簡潔で短い初めの挨拶と、続いて長ったるい論功行賞。ここまで来れば俺への敵意も流石に薄れて来て、大してやる事もない置物状態の俺は(何も考えないで良いように)ただお腹空いた、みたいな感じでぼーっとするだけで時間は過ぎる。
……過ぎる、筈なんだけど。
なんですかねぇ、この険悪な雰囲気は。
論功行賞も終わり、やっと帰れると思った矢先だ。何か魔王様が口にしたと思ったら、皆ピリピリしだしたでござる。
オスカーどうしてこうなったかわからないでち。ぶっちゃけ気を抜いて話を聞いてなかったでち。
てか笑ってるあの肌に鱗みたいなのつけた爺さん誰だよ。よくこんな状況で笑えるなぁ、年老いて脳味噌まで腐っちまったんか?ん?
一旦落ち着いて辺りを見渡せば、笑みのまますっげー威圧感を出す魔王様に、固唾を呑む他の魔族、微笑のままのじじい。……おい、最後。
……まあ、えと、うん。
一つ言っていいすか?
逃げてもいい?
いや、仕方ねーじゃん。
この一発触発の空気の中だよ?何かの間違いで間違いで戦闘でも起こったりすれば、俺は流れ弾が飛んでくるだけで死んじゃう自信がある。自信しかない。
え、そんな簡単に戦いが起こるわけない……?
馬鹿言うなよ、あの魔王様の幼い見た目だよ?子どもみたいに直ぐキレて手を出しそうだよね。
周り今誰も喋ってないし、もしやこの場を抜け出すチャンスなのでは?
何故かわからないが行ける気がする。
「魔王様」
「……何だ」
少し間が開いた後に、魔王様がこちらを見て先を促す。心なしかその声音は硬く、目を普段よりも開いて瞬きしている姿はこちらを吟味しているよう。
(見た目)少女にビビる千歳児の図がここにあった。
けど、男には逃げられない時があるんだ。逃げてるけど。
「用があるので、少しお時間を頂けたらと」
じっと魔王様がこちらを見詰めてくる。
重要な行事の筈なのに退席を申し出る俺は普通に不敬だった。
「構わん、好きにするが良い」
……俺は見てない。僅かに魔王様の口角が吊り上がるのを。何かあくどいことを考えてる笑みを。
見てないったら見てない。
「ありがたき幸せ」
オスカー逃げる。
◇◇◇◇◇
「(しまったぁぁぁぁああああッッ!)」
玉座の間を抜けた俺は、早速頭を抱えていた。
あの時はこの場所から離れるっていう思考に囚われて深く考えていなかったが、よくよく考えれば自分で自分の首を絞めていたのだ。
魔王様のアルカイックスマイルにもようやく納得が行った。
「用があるので――――」とはつまり、何か重要な用事があるから抜けます、って言っているようなもの。これで何もありませーんなんて口にすれば、魔王様の笑顔とセットで簡単に首と胴体が泣き別れの状態になるだろう。
抜けるくらいならまだ大丈夫、だなんて考えはあの一言でダメになったわけだ。本当にただの馬鹿でしかなかった。
え、どうすんのいやまじで。
「(……魔王城出て逃げるか!)」
こうなりゃ最終手段、魔王城から脱出じゃい!その後の事は今度考えよ!
そうと決まれば後は早い。早速この城を抜け出して、自由を掴むんだ!
「……ん?」
出口に向かう途中、ふと視界の隅に映る人影に気付いて視線を向ける。
廊下の隅で蹲って何かごそごそしている男の姿。後ろ姿で何をしているのかはさっぱりだ。
……、何をしているんだろうか、気になる。
偶然にも俺の部屋へ向かう道だから、部屋に向かってるふりしてこっそりと覗いてみるのもありか。
そっと忍び足で距離を縮めている途中、男が足元に無造作に置いていた物に気付く。あの黒光りする物体。もしかしてだけど、
「爆弾……?」
そこまで声量はなかったが、静寂に包まれた廊下にはよく響いた。
しまったと、口を覆ってもすでに遅い。こちらに気付いたらしい男がはっと顔を上げ、視線を向けてくる。
そしてわずかに衝撃を受けた顔をしたかと思えば、男は参ったとでもいうように両手を上げた。
「おいおい、まさかの参謀様かよ……降参だ。はぁ、成功するわけないって言ったんだがねぇ……」
しみじみとした口調で独り呟く男。
……いや、何言ってんだこいつ。
内容の意味が理解できず首を傾げていると、不意に背後で鳴った靴音に気付いて反射的に振り返る。
背後から近付いて来たのは、銀縁の丸眼鏡に白髪白髭の、皺の一つもない燕尾服を身に纏ったおじさんだった。見覚えがある、確か、魔王城に仕える使用人を纏め上げる家令だったか?
もしかしてのもしかしてだけど、魔王様に命令されて俺を連れ戻しに……?
ビクビクする俺を他所に、生真面目な性格を現しているかのような居住まいのおじさんは、恭しく一礼して何かを差し出してくる。
「……これは」
「必要と判断いたしましたので」
にこりと柔和の笑みのまま、おじさんが差し出したのは縄だった。
どこからどう見ても、何かを縛るために使う、正真正銘の縄だった。
「……?」
困惑する俺が見守る中、おじさんは手慣れた様子で男を縛っていく。男も抵抗する事なく受け入れており、難なく男は両手を後ろ手にきっちりと縛られた。
「……??」
縄で結ぶのに慣れた様子の真面目そうな執事――――それもちょーお偉いさん――――に、抵抗する様子のない年若い男。
普通の光景ではない。普通の光景では、ない。
……。
ま、まさかですけど、そういう(えすえむ)趣味がおありで……?
しかも男同士で露出プレイとか、ちょっと業が深すぎやしないかと、思うわけなんですけど。そこんとこどうなのよ。
「では玉座の間に参ってください、オスカー様」
参ってください?一瞬その言葉に引っかかるが、それよりもだ。
ま、まさか、玉座の間で公開プレイを……?
戦慄に仰け反る俺に、おじさんは澄まし顔で縄の持ち手の部分を手渡してきた。
「……???」
再度困惑する俺に、おじさんはにこりと。
「私にも仕事がありますので、後は任せました」
……。えっと、参ってくださいって、つまりは。
見返す俺に微笑みのままおじさんは去ってく。
お前の趣味に他人を巻き込むんじゃねぇよ!てかこれで玉座の間に行ったら『用事って……そういう……』って勘違いされんじゃん!ざっけんな!
行っちゃったおじさんを見送って、助けを求めるように視線を男に向ければ、やれやれというように肩をすくめた。おい、張本人。
行かなきゃ、ダメなんですかねぇ……。
◇◇◇◇◇
はい、こちら玉座の間の前に着きましたオスカーでございます。
いやー、どういう事だろ。衛兵に通されて玉座の間に入ってみれば、さっそくさっきのじじいが馬鹿みたいに大笑いしているし。ドMもそうだけど肌に鱗付けてるやつって皆頭おかしいんですかねぇ。いや肌に鱗つけてる時点でおかしいか。違いない。
こちらに気付いたらしい、魔王様がこちらを見据える。。
そりゃ気付きますよねー、玉座に座ってたら位置的に入り口が開いた事なんてすぐ。
「ただいま戻りました、魔王様」
断頭台に上る罪人の気持ちで歩を進め、一礼する。
魔王様はそれを受け、何かを口にすることもなく一瞥だけすると、横のじじいに視線を向けた。
じじいは笑いを止めたかと思えば、こっちを見て口を酸素を求める魚みたいにぱくぱくさせていた。……いや、変顔ゲームでもしてるんかコイツ。
どうやら、魔王様とじじいとの間で何かあったらしい。
言い合い、っていうか一方的に魔王様が詰ってる感じ。反論の一つも出来ないじじいは体プルプルさせてるし、血管が今にも切れそうだ。何かちょっと可哀想に思えてきた。
まあこれで魔王様が鬱憤晴らしてくれたら万々歳なんだけど。意識が俺に向かないためにも、憐れだが生贄になってくれ。
内心でサムズアップしていれば、プルプルしてたじじいが急にカッと目を見開いて叫んだ。
「愚か者と笑うならば笑え。だが、その愚か者でも出来る事はあるッッ!」
「(う、うるせぇぇぇえええッッ!!)」
よぼよぼのじじいが発したとは思えない大音量である。耳を塞ぐのも間に合わず、大声は直接脳を揺さぶる。堪らずたたらを踏めば、足に何かが絡みつく感触と共に不意に浮遊感。
「……は?」
何が起こったのか瞬時に判断が付かずに足元を見れば、縄の手綱の部分が右足に嵌っていた。
多分、大声に驚いて気付かない内に手綱を落としていたんだろう。そしてたたらを踏んでいる内に足にすっぽり嵌っていたと。
けど、それだけじゃ倒れない筈。
何が、と視線を向ければ、縛られていた男は後ろを向いてこの場から離れようとしている。幾らドMでも流石に人の目があるまるこの高度なプレイは堪えたか。
いや違う、そうじゃない。
問題は俺の右足に手綱が嵌っている事と、その手綱が縛られている男が動いたことによって後ろに引っ張られたことだ。
当然右足は後ろに引っ張られ、体は連られて前に傾く。
だが残念、俺はそんな事では倒れんよ!
倒れるときにすぽっと足から手綱が抜けたのだから、後はこちらのもんだ。何とかバランスを取ろうと片足で数歩進み、丁度目の前に「何か」があったのでそれに手をついて体勢を整える。
ん?「何か」……。
壁とは違う感触。そもそも玉座の中央なのだから、壁なんてあるワケない。
なら、何があるというのか。
恐怖から閉じていた瞳を薄っすらと開いてみれば。視界に飛び込んだのは、ドアップされたじじいの顔だった。幽鬼のような顔が眼前に。軽くホラーである。
……、
一泊の間。
「(ほぎゃああああああ!!)」
脳が状況を次第に呑み込み、内心で絶叫する。
反射的にじじいの横っ面を叩いてしまったのはしょうがないと思います。
家令=おじさん
じじい=じじい
爆弾の事なんて忘れるくらいに衝撃を受けたらしいオスカー君。