介護 ②
お祖母ちゃんは食卓までは来れないので、お母さんに介助されながらベッドで食事をとり、私達はそれが終わってから三人で食卓を囲んだ。魚の煮つけに野菜の炊き合わせ、そしておかゆ。味が薄いのは、お祖母ちゃんに合わせているんだろうけど、正直私には物足りない。お祖母ちゃんはいいけれど、毎日これじゃぁお母さんとお父さんは身体、持たないんじゃないだろうか。やっぱり、お祖母ちゃんが少しの間入院した方が良いんじゃないか、なんて思う私は恩知らずな孫なんだろうか。
お風呂を出ると、お母さんが一人台所でお茶を呑んでいた。時間は、10時をようやく過ぎた所だ。
「お祖母ちゃん、眠ったの? 」
「ええ、千夏が来て楽しかったみたい」
「……そう。良かった」
「ねぇ、週に何日かだけでも入院できないの? 」
「……」
「毎日これじゃぁ、お母さん辛くない? 」
「骨はね、もう付いているからねぇ。後はリハビリ。入院して、リハビリ室に行った時だけするよりも家にいた方が筋肉はつくの」
「……」
理屈は、わかる。わかるが、支える側にも余裕があってこそ出来る事じゃないのかと思ってしまう。
「千夏も、もう寝なさい」
私が眠らないと、お母さんも眠れない。
「お休みなさい」
「お休み」
暗い部屋に浮かんでくるのは、とりとめもなく話続けるお祖母ちゃんの嬉しそうな顔に、お母さんの疲れた顔。そして、正樹の背中。
「千夏! 千夏! 」
階段の下からお父さんが叫んでいる。なに?
飛び起きて居間に向かうと、お母さんが床でうずくまっている。髪の毛の隙間から見える横顔は、土のような色をしていた。
私、何をしに来たんだっけ?
「お母さん? どうしたの? 」
「平気よ、ちょっとクラっとしただけだから」
ちょっとクラっと、が危ないの。お祖母ちゃんを支えていてクラっと来たら、二人で倒れちゃうじゃない。
「お母さんも、病院へ行こう。一度見てもらった方がいいよ」
「少し休めばよくなるから、大丈夫」
青白い顔が、へにゃりと笑う。小さなころから何度も見てきた、具合の悪い時の笑顔。私は、お母さんが自分から具合が悪いといって寝ていたところを、見たことがない。
「お母さんの、布団どこ? 」
お母さんの腕を取って無理に立たせたのは……。
「正樹? 」
「布団、あっち? 」
いつもと同じ笑顔で、しっかりとお母さんを支えて介護用ベッドの下に敷かれた布団まで運んでいった正樹に、私もお父さんも声も出ない。
「千夏、体温計ある? お母さん熱あるかも」
「あ、ある」
そこから先は、正樹のペース。38度を超える熱を出していたお母さんを病院まで連れて行き、お祖母ちゃんの話し相手をし、近所のお蕎麦屋さんで交渉しておかゆの出前まで取った。呆気にとられながら正樹に言われるままに動く私に、お父さんは若干不満気だったけど一言も文句は言わなかった。
「ねぇ、千夏。お祖母ちゃんお団子食べたいって言うんだけど、お店どこにあるの? 」
「団子? ええと、初詣に行った神社の側の……」
昔からある小さな団子屋さん。本当に小さなお店になるので、説明が難しい。ええと、と繰り返す私を面白そうに眺める正樹。これは……。
「一緒に、行こうか? 」
「うん」
車を借りて行こうとしたのに、歩いて行くと言ってきかない正樹。お母さん具合悪いんだからね、と睨んでやっても全く気にかけてくれる気配もない。
「千夏、なんかピリピリしている。そんな人が側にいても良くならないって」
それは……。
正直、自分の役立たずぶりに凹んではいる。無理言って仕事を休ませてもらったくせに、やったのは掃除に洗濯、買い物。お祖母ちゃんの話相手。結局お母さんが倒れることになって、その時も私は何も出来ずにオロオロとするばかり。本当は、正樹みたいにしたかった。突然やってきて私よりも数段てきぱきとこなす正樹に嫉妬している自分が、嫌になる。
「頼りに、なるでしょう? 」
嬉しそうに笑う正樹に、素直に『はい』なんて言いたくはない。それでも。
「……ありがとう」
来てくれて、助けてくれて、何よりも、笑ってくれてありがとう。
「どういたしまして。最初っからちゃんと相談してくれたら、黙って来ることもなかったのになぁ」
ヘラヘラと笑う姿に、不貞腐れていた意味を知った。そういえば、簡単な報告しかしていない。
『相談』はしなかったなぁ。
「ごめん。正樹、仕事は? 」
「徹に押し付けた」
「いつ、こっちに来たの? 」
お母さんが倒れたのは8時前。始発の新幹線に乗っても絶対に間に合わない。昨日から、いた?
「昨日。定時で終わらせて、そのまま。遅い時間だったから駅前にあるビジネスホテルに泊まった」
得意げに話す正樹には、もう敵わない。
「頼りになる彼氏で、幸せです」
小さな頃から通ったお団子屋さん。店先にあるベンチでは、ご近所さんなのだろう年配の女性達が井戸端会議に花を咲かせていた。ちょっと、苦手な空気。
「お姉さん、平井さんのお孫さんかい? 」
「……はい」
「やっぱりねぇ。小さい頃に何度か朝市に来た事あったしょ? おばちゃん、覚えてないかい? 」
朝市は、確かに何度連れて行ってもらったことがある。その中でお祖母ちゃんの友達だという人に挨拶をした記憶はあるが……。
「すみません……」
誰かなんて、わかるわけがない。
「いいの、いいの。小さかったから、覚えてないさねぇ。平井さん、自転車で転んで怪我したって? なんともないかい?」
『なんとも』ないわけはない。でも、あんまり言いたくない気がする。なんて言おうか、一瞬迷った。
「食欲もありますし、お元気でしたよ」
ニコニコとしながら、正樹が引き継いでくれた。そして……。
「平井さん、孫は女の子だけじゃなかったっけか? 」
「時期に、孫になる予定です」
一瞬で、お祖母ちゃんから私達に興味が移ったのがわかる。目を輝かせた人達に向って会釈をして私の手を取って歩き出した。ちょっと、正樹……。
「しばらく、お団子買いに行くのは正樹だからね」
「はぁい」
楽しそうに笑いながら前を歩く私よりも少し小さな背中が、たくましい。
「おかえりなさい」
玄関を開けると、お母さんが半纏を着こんで出迎えてくれた。
「起きていて、大丈夫なの? 」
「午前中寝かせていただいたから、だいぶ良くなったの」
病院の診断は、過労。半日休んだくらいで回復なんてするはずがないのに。
「お茶をいれるね。正樹君もお団子食べれるんでしょう? 」
「はい」
ほら、いつもヘラヘラしている正樹まで、心配そうな顔をしている。それでも、入れてもらったお茶とお団子でおやつの時間。怪我をしてからずっとベッドで食事をとっていたお祖母ちゃんも、正樹に支えられて食卓についた。ベッドの方が楽なんじゃないかと思ったけど、自分の席で、皆で食べれることが嬉しいと心から喜んでいるのが伝わる。でも、お父さんとお母さんでは、毎食ここまで連れてくることは難しいだろう。
「車、お借りしてもいいですか? 」
お祖母ちゃんをベッドに寝かせ、正樹がお父さんに話しかける。お父さんには、ちゃんと敬語なんだなぁなんてことは、後でからかってもいいだろうか。
「君が運転して事故を起こしたら保険がおりないから、貸せない」
「じゃぁ、運転してもらえませんか? 」
……敬語は使っているけど、敬っている感はない。正樹だなぁ。
私が運転してもいいけど、と出かけた言葉は、お母さんに止められる。なぜ?
「……わかった」
お父さんが、渋々と頷き、男二人で出ていった。
「どこに行ったのかなぁ」
「夕食の買い出しじゃない? 今夜は、正樹君が夕食準備してくれるんですって」
「は? 」
いや、食材は昨日結構買い込んだけど? しかも、正樹も私といい勝負で料理できないよ?
ニコニコとしているお母さんには悪いけど、お昼みたいに出前でも取った方が良いんじゃないかと思ってしまう。
「お母さん、休ませてもらうわね。お祖母ちゃんがトイレに行きたがったら連れて行ってあげて欲しいけど、難しかったら起こして。無理してお祖母ちゃんが傷つかないようにね」
「はい」
私が下手に頑張って失敗したら、私じゃなくてお祖母ちゃんが傷つく。そう言われたら、無理はできない。何かあった時にお母さんを起こす目覚まし代わりでも、居ないよりはマシだろうと自分に言い聞かせ、眠っているお祖母ちゃんの側で介護雑誌を読み始めた。
「ただいまぁ」
いつの間にか眠ってしまったらしく、元気な声が玄関から響いた時にはすっかり暗くなっていた。やばい、カーテンすら閉めていない。
「おかえり」
慌てて玄関に向かうと、上機嫌のお父さんの手にはビール。正樹の手には大量の食材。だから、昨日買ったってば。
「昨日色々買ったよ? 」
「いいの、これは今日と明日の分。千夏が買ったのは冷凍庫に入れちゃおう?」
本当に、この人は……。
「何作るの? 」
そもそも正樹だって、人に出す料理は作れないのに……。
「武人に簡単料理レシピ送ってもらった」
なるほど……。
夕食は、すき焼きだった。年寄りの家ですき焼き? と思ったけど、そう言えば、年末は必ずすき焼きをしている。
「いいお肉使うと、柔らかいから食べやすいんだって。あんまり味を濃くしなければ問題ないって、病院でも聞いてきたから。バランス考えて、明日は湯豆腐の予定」
なるほど。まぁ、私はありがたい。
運転手に任命されたときには、不機嫌だったお父さんも、久しぶりのお肉にビールでご機嫌になっている。今夜は正樹がいるから、お父さんが酔っても力仕事に困ることはない。
「今日は、楽しかったわぁ。千夏ちゃんは、良い男を捕まえたねぇ」
ベッドに入ったお祖母ちゃんが、本当に嬉しそうに呟く。正樹を誉めてもらうと嬉しいのは、どうしてなんだろう。今夜は、お母さんの代わりに正樹と私がお祖母ちゃんのベッドの下に布団を敷いた。
「本当に、ありがとうね。助かったわぁ」
「いえ、また来ます」
日曜日の昼過ぎ、少しだけ顔色の戻ったお母さんに見送られて実家を出る。今から帰って、明日から仕事。
「ごめんね。疲れたでしょう? 」
「うん、疲れた。でも一人で家で待っているよりいい」
……。
正樹は、いつも思った事をそのまま口にする。疲れた事も、一人で置いて行かれたくない事も隠さない。だから、深読みなんてする必要なんかない。わかっているのに。
「千夏、駅弁買おう? 新幹線で駅弁! 」
「あんまり時間ないから、早く選んでよね」
嬉しそうに駅弁だのお土産のお菓子だのを選ぶ後ろ姿が滲まないように必死だったこと、正樹は気づいただろうか。