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介護①

「お姉ちゃん、帰ってきて」

 ついこの間、子供ができたと嬉しそうに笑っていた妹から、泣きながら電話が来た。

「どうしたの菜都ナツ? 何があったの? お母さんには、話した? 」

 てっきりお腹の子供か旦那に何かあったのだと思えば、違うと言って泣きじゃくる。子供は無事なのか。せめてそれは良かった。

「じゃぁ、何があったの? 」

「お祖母ちゃんが、骨折して、入院して」

 知っている。自転車で朝市に行って、転んで入院したって。お見舞いに行くと言ったら、お正月には自宅に帰っているはずだからその時でいいとお父さんに断られた。

「お祖母ちゃん、病院が嫌だって言って家に帰ってきちゃって」

 骨折した年寄りが、自宅療養? それは無理じゃない? 

「あの家古いでしょう? 家の中歩くのも、トイレもお風呂も、お祖母ちゃん一人じゃ全然動けないの」

 そうだろうなぁ。お父さんが産まれた時にはすでにあの家だったと聞いたことがある。今後、家が駄目になったらマンションにでも引っ越すからとか言って、リフォームもしていないし。

「お母さんも、体調崩しちゃって……」

 なんで、そんな無理するかなぁ。

「昨日は手伝いに行ったんだけど、私今お祖母ちゃん支える事できないから」

 ああ、はいはい。わかった、わかりました。


 電話を切ったのは、水曜日の午後9時過ぎ。この時間に、仕事の電話は申し訳ないけれど、緊急事態だし。ごめんなさい、と心で呟いて直属の上司にことの経緯ととりあえず木、金の休暇申請、お願いしたい仕事の件まで連絡をした。

「わかった。とりあえず明後日までだな。仕事の事はとりあえず引き受けたけど、明日わからない事があったら連絡する。事情が事情だから、何度もかける事はしないし、急がなくてもいいけど、必ず折り返しはしてほしい」

 普段はヘラヘラしている上司の、冷静な対処に頭が下がる。

「はい」

「なるべくこっちで何とかするけれど、駄目な時は、頼むな」

「もちろんです。急にすみませんでした」

 本当、こんな時間に仕事の話で申し訳ない。頭を下げながら電話を切ると、じっと見つめている正樹と目が合った。ええと、電話の話、聞こえていたかな?


「聞いていた、よね? 明日ちょっと実家に行ってくるね。夕方までに一回連絡いれるけど、日曜まで帰って来ないと思ってて」

 週末は一人でゆっくりしてて、と笑って見せればあっという間に不機嫌全開。いや、これ以上気遣いしたくないから。

 不機嫌を隠そうとしない正樹は無視して、朝一の新幹線の時間と、家をでる時間を調べ始めた。朝一に乗るには、6時前には出なくちゃいけない。起きれるかな……。

 荷物をまとめ終わる頃には、すっかり不貞腐れた正樹が先にベットに入っている。別に、好きで週末いないわけじゃないのに……。


「行ってきます」

 独り言のように呟き、寝室のドアを閉める。

 眠ってなんかいないのに、背中を向けたまま返事もしない正樹。休みの日に忙しいことも、数日家を空ける事もあるが、こんなにあからさまに嫌そうにされたことはない。まして今回は、理由も理由だし。

 もう少し、気を使ってくれてもいいんじゃないの?


 こんな時、『やっぱり年下だからなぁ』なんて思っていること正樹は気づくこともないんだろうな。


 冷たい空気に灰色の空。寒さのせいか正樹のせいか、目の前が滲んでくる。週末いないからって、何だって言うんだ。毎日一緒にいるじゃん。親が倒れた時に、知らんふりしても一緒にいる様な女が好きなの? 

ぶつけられなかった恨み言が、頭の中でグルグルと回る。



 新幹線から普通電車に乗り換えた頃には、通勤時間はとうに過ぎていて車内はガラガラ。窓の外には収穫を終えた田んぼが広がっている。小さい頃は、祖母の家に向かうこの風景を見ると胸が躍ったのに。



 玄関のチャイムを押したが、家の中は静まりかえっている。病院にでも行っているのか、人の気配がない一軒家はひどく寂しい。植木鉢の下に隠された鍵を使って、勝手に家に上がり込む。小さな頃には当たり前だったこの行為に、ひどく悪い事をしているような気がするのは、私の帰る家じゃないと思っているからだろうか。


 帰った時にいつも使わせてもらっている部屋に荷物を置き、台所でお茶を入れる。茶筒に入っているお茶はすでに香りが消えており、居間には介護ベッドが置かれていた。


「誰か、いるの?」

 玄関の引戸を開ける音と共に、不審げな声が響いた。誰かって……。

「私。居なかったから勝手に上がっていた」

 返事と一緒に玄関まで出迎えると、母が一人で立ち尽くしていた。その顔は、疲れとか驚きとか色々なものが入り混じって、正月に見た時よりも何年分も年を重ねてたようだ。

「千夏? どうしたの? 何かあった? 」

 一瞬、脅えの色が見えた気がした。

「どうしたって、菜都が……」

 アイツ、お母さんに何も言っていないな……。

 まぁお母さんに連絡するのをすっかり忘れていた私も悪いけど、でも、帰ってきてって言われて帰るんだから、連絡ぐらいはされているものだと思うでしょう?

 この様子では、私を呼んだのは菜都の独断。お母さんは何も知らなかったのか。

 私が来た理由を知ったら、きっと自分を責めるだろう。今更ながら、面倒ごとは全て私に放り投げる菜都の性格を思い出した。

 ……あの子は、本当に。

「菜都は、本当にねぇ……」

 菜都の名前を出したことで、わかってもらえた。さすが、母。


「悪かったわねぇ、わざわざ。仕事も忙しいんでしょう? 」

「数日ぐらいなら大丈夫。日曜には戻るから、それまでは何でも言って」

「ありがとう」

「お祖母ちゃんは? 」

「お父さんが、病院に連れて行っている」

「そう。大丈夫なの?骨が折れているんでしょう? 」

「大丈夫なわけじゃないんだけど、病院を嫌がるしねぇ。病院でずっと寝ていると筋力も落ちちゃうし」

 私の入れたお茶を飲みながら、身体中の毒を出すように大きく息をついた。


「じゃぁ、とりあえず掃除と洗濯は引き受ける。お父さんが帰ってきたら車を借りて、買い物も。他にいつもしていることある? 」

 この家で暮らしたことの無い私は、とりあえず出来る事から動き出した。窓を開け放ち、外の澄んだ空気を家の中に入れる。風水じゃないけれど、空気を入れ替えるだけでも気分がよくなる。お母さんの疲れた心も少し晴れてくれたらいいのだけど。

 

 几帳面なお母さんがため込んでいた洗濯物も、散らかった部屋も、事の重大さを表しているようで、家事をしながら胸が痛くなってきた。

 私、何も知らなかった……。 


 

「ただいまぁ」

 大きな声をあげて玄関を開けたのは、お父さん。杖を突いたお祖母ちゃんを支えながら、家の中からお母さんが出てくるのを待っている。何をしているのだろう、早く家に入ればいいのに、とみていれば小走りに玄関に向かったお母さんがお祖母ちゃんを支える役を代わり、お父さんが靴を脱がせ、ゆっくりと家に上がった。昔ながらの高い段差を持った狭い玄関には、踏み台を設置することも出来ず、こうして毎日二人でお祖母ちゃんを支えているのか。

 私の方が、力があるけれど介護なんてしたこともない。どうしたら役に立てるのかわからずに、邪魔にならないように部屋の隅に立ち尽くすことしかできなかった。

「千夏ちゃん? 来ていたの? 」

 ようやく私に気付いたお祖母ちゃんが、乾いた手で頬に触れる。その冷たさに、背筋が寒くなった。

「お祖母ちゃん、手冷たいよ。早く部屋に入って暖まった方がいいんじゃない? 」

「ごめんねぇ」

 慌てた様子で手を引いたお祖母ちゃんに、申し訳なさが募った。ゆっくりと居間に向かう二人を見送る事しかできない。ああ、これは菜都が心配したのもわかる。


「千夏? お前も早く中に入りなさい」

 私の背を押すお父さんは、お正月に見たよりも二回りは小さくなっている気がした。事態は、思ったよりも深刻かも。



「何か、手伝う? 」

 食材やら生活用品やらを買い込んで帰ってくると、お母さんは台所で夕食を作っていた。苦手分野ではあるが、一応声をかけてみれば、呆れたような返事が返ってきた。

「出来るの? 」

「……できません」

「本当に、ねぇ。正樹君に申し訳ないわねぇ」

「いいのよ、何とかしているから」

 そう、形とか色とか、ついでに味もあんまり気にしなければ、なんとかなる。していると言えば笑われた。

「ここはいいから、お祖母ちゃんの所で、話し相手をしてきて」

「はぁい」

 

「お祖母ちゃん、具合どう? 」

「ああ、千夏ちゃん」

 おいでおいでと手招きをされ、ベットの側にあるソファーに座り込んだ。

「正樹君は、連れてこなかったの? 」

「うん、仕事だから」

 そう、と残念そうにしているお祖母ちゃんは、正樹がお気に入りだ。都内に実家を持つ正樹は、田舎が珍しいと言ってお正月は必ずここに顔を出す。

「早く、結婚したらいいのにねぇ」

「そのうちにね」

 お父さんが不機嫌そうに聞き耳を立てているのにも気づかずに、正樹君はいいコだ、と繰り返す。

 普段なら、私の好きな人をおおばちゃんに誉めてもらって、嬉しいはずなんだけど……。

 あいまいに笑う私に気が付いてくれたのか、話題はお祖母ちゃんの事へ。骨折してから、外に出れずにつまらないとか、病院の先生はいいが、看護師さんに嫌いな人がいるとか。

 これは、大変かもしれない。



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