可愛い後輩
正樹と千夏の出会い
高校生から千夏一筋の正樹、です
希望の大学に入学して、初めての一人暮らし。祖母の住む町で進学して欲しい、という親の希望に沿わずに選んだ進学先。親から出された条件は、『祖母の住む町で国立に行ったのと同じ程度の費用しか出せない』。『出さない』じゃなくて『出せない』それは、よく分かっている。だから、一人暮らしの初期費用は高校時代のバイト代から、学費の足りない分は奨学金。生活費は、バイトの掛け持ちで賄う。ここまでして、私はこの大学じゃなきゃいけなかったんだろうか、なんて事は絶対に考えない。少しでも、考えてしまったら、崩れる自信がある。
祖母の住む町にある大学ではメディアテクノロジーを専攻することなんてできなかったし、たとえ大学があったとしてもその後の選択肢は多くはない。何度も考えて、納得して選んだ道。
バイト代をお小遣いとして楽しく過ごしている友達を見ると少し切なかったけど、人は人。自宅近くの居酒屋と学校近くのコンビニのアルバイトを掛け持ちして、賄いで食費を浮かして、服はリサイクルショップ。働くのは嫌いじゃないしバイトを増やせばお金を使う暇もない、もともと落ち着いた服を好むこともあって、特に不便は感じなかった。
1年もする頃にはバイトの時給も上がって、要領も良くなり、それなりに楽しく生活できるようになってきた。
2年めに突入した居酒屋でのアルバイト。すっかりベテランになり、新人が入れば必ず教育係に任命された。別に教育係が嫌なわけじゃない。自分だって新人の頃には先輩方に面倒見てもらったし、迷惑もかけた。だから、順番だとも思っているんだけどね。でも、今回の後輩君は……。
「正樹君、高校生なの? 」
「はい、免許が欲しくて」
緊張とかは、無いんだろうなぁ。明るすぎない栗色の少し長めの髪に、インドア派なのだろう白く綺麗な肌。低めの身長と細い腕が中性的な印象を強めている。お店の制服に着替えた自分を鏡に写して嬉しそうにしている、最近の高校生。話、聞く気あるのかなぁ。溜息が漏れないように気を付けながら、彼が鏡の中の自分に飽きるのを待っていると、鏡越しに目が合った。
「千夏さん、モデルみたいですねぇ。羨ましいなぁ」
大きくて、悪かったなぁ。
へらへら笑いながら私の横に並んで自分と私の身長と比べている。悪い子じゃないんだろうけど、なんだか、好きにはなれない。
「……制服、キツイとかゆるいとかない? なければそのまま仕事の説明初めてもいいかな? 」
自分でも驚くぐらいに冷たい声がでた。やっちゃった、と思ったのに新人君は平然としている。
「よろしくお願いします」
にっこり笑って頭を下げてくれた新人くん。あんまりこだわらない性格なのかもしれない。
「よろしくね。しばらくはシフトも一緒なはずだから、なんでも聞いて」
精一杯の笑顔を見せたつもりだったけど、ひきつらなかった自信はない。
「はい」
元気な返事と明るい笑顔に心底ほっとしたのは、今でも内緒。
第一印象と違い、仕事はいたって真面目だった。きちんと挨拶も出来るし、話しも素直に聞く。
いつもシフトの時間よりも早く来て、今日のお勧めを覚えたり、他の子が商品を勧めるのを見て参考にしたりと、努力もしている。要領がいいこともあって、同じ時期に入った他のバイトよりもかなり早く研修期間は終了し、あっという間に時給もあがった。
これまでの私の努力は?と思う一方で、彼なら当然かな? なんて思いもあった。人よりも多くの仕事をこなしているのに、いつも笑っていて、誰かがミスをしてもサボっても全く気にするそぶりは見せない。本当に高校生なのかと疑いたくなるくらいに人間ができている。
一緒に働く身として尊敬すらできるのに、見た目の可愛らしさにその努力は陰に隠れてしまう。
人の事を気にしないのが、馬鹿にしているように映るのか、同じ時期に入った男子大学生のバイト仲間には、見事なくらいに嫌われていた。
「大して仕事出来るわけじゃないのに、高校生ってだけですごく出来るように見えるだけだろ? 」
「10時までしか働けないって使えなくねぇ? なんで居酒屋で働いてんの? 」
男のやっかみは女のそれよりもあからさまで、そんな陰口を聞くのは一度や二度ではなかった。彼の耳にも当然入っているのに、それでも彼はヘラヘラと笑っていた。
「俺、見た目が可愛いし、出来がいいからよくやっかまれるんです。気にしていたら生きていけません」
そうですか、そういうことサラッと言っちゃうところは、悪いと思うよ。
でも、『陰で言うぐらい、させてあげましょう』と笑う彼が心底頼もしくて、羨ましかった。
彼を妬んでいた人たちはあっという間に辞めてしまって、長く働いていたバイト仲間も少しずつ就職活動だの、サークルだので早い時間のシフトに入れる日が減っていった。必然的に、彼と私は一緒に仕事をすることが増えていく。
「ねぇ、毎日こんな遅くまでバイトしてて学校大丈夫なの? 」
「平気ですよ。俺こう見えても体力あるし、意外に朝強いんです」
相変わらずヘラヘラと笑っているが、週4で22時までのアルバイト。家に着くころには23時近いだろう。
「勉強、出来てる? 」
高校3年、もうすぐ受験なんじゃないのかな。
「それなりに」
珍しく少しイラっとしたような声。踏み込み過ぎたのだろうか。免許が欲しいって言っていたぐらいだから、就職組なのかもしれない。
「気に障ったなら、ごめんね」
「いえ、全然」
慌てたような顔にホッとして、機嫌が直ったことよりも、感情を出してくれたことが嬉しかった。
それなのに、次の出勤から私をさけ始めた。ヘラヘラと笑う彼からは想像もつかないぐらいにあからさまに。
「千夏の気のせいじゃない? あの正樹クンが人を避けるところ想像つかないんだけど」
「一緒のシフトなのに、出勤時も退勤時も事務所で会わないのも、気のせい? 私、事務所にいる時間長いし、今までは結構事務所で喋ってたんだよ? 」
「忙しい、とか? 」
「私よりも、早く事務所に来てはいるの。私が来る時間には、空いてる個室使って勉強してるみたいだけど」
「受験生だし、勉強は必要、かなぁ」
「仕事中も、敬語になっているし」
「それは、避けられたね……。正樹クンでもそんなことするんだねぇ。なんか、対人関係は全部サラッと流してそうなのに」
困った顔で考え込む様子を見せるバイト仲間のヒロ。彼女も早番が多いので、仕事が終わった後はよく三人でお喋りをしていた。彼女への態度は、変わらない。
「流せないほど、嫌な事言った覚えはないんだけどなぁ」
彼を心配して口をついた言葉だが、それがそんなに嫌だったのだろうか。高校生なら、心配されることが嫌な年ごろなのかもしれない。
「まぁ、しっかりしていても高校生って事じゃない? 機嫌がなおるまで、気にせず待てば? 」
それしか、無いよね。謝る事でもないし……。
彼の笑顔がないと、寂しいんだよね……。
「千夏さん、おはようございます」
仕事以外の場所では会わなくなって1カ月近く。一緒のシフトはきつくなってきたので、来月からは遅番メインで希望を出そうと思った頃、急に元気に話しかけられた。何なの、このコ……。
「……おはよう。機嫌なおったの? 」
「機嫌? 」
キョトン、と首をかしげる姿に、避けられていたわけではなかった事に気づく。それなら、どうして?
「仕事以外で、私と顔合わせなかったでしょう? 」
「……勉強、してましたよ。聞いていませんでした? 」
個室使って勉強しているのは、聞いていた。それでも、急にそんなこと信じられない。これまで、そんなことしていなかったのに。おそらく納得いかない顔をしていたであろう私に、彼は嬉しそうにカバンを探る。
「おかげで、学年4位です! 」
カバンから出てきたテストは文句なしに高得点。数学97点って、なんなのこのコ……。
「千夏さんに心配かけないように、頑張ってみました。来年、千夏さんの後輩になる予定ですから」
「は? 」
「千夏さんの大学、受けるんです」
いや、待って。私の学校、それなりに偏差値高いよ? 週4でバイトしながら受験なんて……。
「大丈夫ですよ。俺、出来るコなんで」
ニコニコと笑う姿に頭を抱えたくなった。私の悩んだ1カ月を、返してくれ。
「千夏さん、寂しかったんですか? 」
そのままの笑顔で私の顔を覗き込む。ああ、生意気だけど、可愛い。
「寂しかったというか、そんなに悪いこと言ったかなぁって、気になっていた」
小さな声で呟けば、さらに笑われた。
「子供扱いするからですよぉ」
子供扱い……。それが気に食わなかったのか。でも、それが悔しくて学年4位とれちゃったんだから、良しとするか。
なんだか可愛くなって、くしゃくしゃと頭を撫でると、嬉しそうにしている。子供扱いが嫌だと言っていたのに、おかしなコだ。
「千夏さん、俺が同じ大学に入ったら、付き合ってくれますか? 」
突然、ロケット花火のような爆弾が飛んできた。安心しきっていた私にかわす事なんてできるはずもなく、完全にパニック。落ち着け、落ち着け。相手は高校生。
「……なに言っているの? 」
「だから、同じ大学生だったら、付き合ってくれますか? 」
迷いなく繰り返された言葉と嬉しそうな笑顔に、出てきた言葉はたった一言。
「……無理」
「どうして? 自分でいうのもなんですが、俺、お買い得品ですよ。成績優秀、真面目で将来有望、連れて歩いても可愛いでしょう? 」
ヘラヘラと笑う姿に、怒りがこみ上げる。
「私よりも背の低い男も、年下もあり得ない」
ああ、また避けられるかも、なんて事が頭をよぎったけど口から飛び出した言葉はもう戻す事なんてできない。
「俺は気にしませんけど? 」
「私は、気にする……」
自分でも、情けないと思うけど。私のコンプレックスは、絶対このコにはわからない。
「じゃぁ、千夏さんの気が変わるまで待ちますよ」
ゆっくりでいいですからねぇ、と笑いながら店に出ていく姿を黙って見送った。どこまで、本気なんだろう。
「千夏さん、合格しました! 春から大学でも後輩です」
彼に惹かれている自分よりも、隣に並ぶ勇気を持てない自分の方が、まだ強い。