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スローペースの恋

修さんの可愛い恋です。

「ねぇ、いつになったら香さんを『彼女』って言うの? 」

「……」

 うるさい……。

 自分だって、いつまで徹を幼なじみだと言っていたんだよ。徹の気持ちは知っていたくせに。自分がちょっと上手くいったからと言って、その上から目線はどうかと思うぞ。

「香さん、待っているのに。意外に修さんって女々しい所あるんだねぇ」

 これ、怒っていいのか? お前にだけは言われたくないって、言っていいのか? 

 でも、そんなこと言ったら……。

 徹の、馬鹿にしたような顔が目に浮かぶ。絶対言えない。代わりに口をついてでてきたのは、自分でもあきれるぐらいの情けない言葉。

「……待っていなかったら、どうするんだよ」

「……はい? 」


 しまった、と思った時にはすでに遅い。

「待っていないと、思えるところがすごいよ」

 興味本位だった視線は、軽蔑を含んだ呆れたものに変わった。でも、逆にどうしたら待っていると思えるのか教えて欲しい。そもそも、待つぐらいなら向こうから来てくれてもいいんじゃないか、なんて思うのは由夏の言う通り俺が女々しいからなんだろう。



 香とは、出会いからして情けない。


 自分のミスでの残業。武人や徹が手伝うと言ってくれたが、自分のミスを手伝われることほど嫌な物はない。今日中に出来なければ頼むからと言って、意地になって一人で終わらせた。会社を出た時にはすでに11時を回っていて、ぐったりと疲れてはいたのにどうしてもそのまま帰る気になれなくて、家の側にある小さな居酒屋に入った。ビール飲んで、酔っぱらって、早く寝たい。そう思ったのに、カウンターから聞き覚えのある声が……

「修? おーい。こっちこっち」

 テーブル席で俺に手招きをしているのは、千夏。うわ。やっちまった。違う店に行けばよかった。

 失敗した、とは思ったけど今更見なかったことにはできない。観念して招かれるままに千夏がいるテーブルに向った。

「久しぶり、元気だった? 」

「ああ」

「残業? 」

「ああ」

 喋りたくない、を前面に出す俺をものともしないこのテンポは、さすが正樹と長く付き合っていけるだけあると感心すらする。自分で言うのもなんだが、俺は正樹みたいな可愛らしい見た目はしていない。身体も大きいので、不機嫌を前面に出せば怖がられてもいいぐらいなのに。

「こちら私の同期の香チャン。この近くに住んでいるの。香、こいつ正樹の友達で、修」

「……どうも」

「よろしく」

 千夏の友達だけあって、不機嫌な俺を気にも留めない。カパカパとビールを空けて、ケラケラと笑って、明日も仕事だからと帰ろうとした。不機嫌につき合わせたし、と伝票を持った俺に香が笑った。

「不機嫌クン。お姉さん達が奢ってあげるから、いつまでもそんな顔でいないの。みっともないよ」

「……」

 初対面で『みっともない』とか言うか? 

 気が強くて、デリカシーのない、感じの悪いオンナ。香の第一印象は、最悪だった。




『若い女性をナイフで脅し暴行。同様の被害が1週間以内に3件。同一犯とみて捜査中』


 朝のニュースに映ったのは、家の近所の公園だった。駅の側とは言え、池があるくらいの大きな公園は夜ともなれば物騒だろう。1週間で3件かぁ。それで、最近パトカーがうろうろしているのか。

 迷惑な話だとは思ったが、しょせんは関係のない話。すぐに忘れてしまった。それが。


「おーい、修」

 10時近くにやっと仕事が終わって駅に向かう途中。聞き覚えのある声に振り向くと、ブンブンと手を振る千夏。この間会った、友達も一緒にいる。千夏の会社と俺達の会社は、同じ駅。酒が入っている様子はないから、二人もこの時間まで仕事をしていたんだろう。忙しいんだろうに、この間は悪かった、かな。


「修も今帰り? 」

「ああ」

「ねぇ、この間会った場所って、修の家の近くなの? 」

「近く、だな。あの居酒屋から歩いて10分ぐらい」

「香も、あの辺なんだよ」

 そういやそんなこと言っていたなあ。

「あの辺、最近物騒らしいぞ」

「そうみたいだよね? 」

 千夏の『わかっているよね? 』と言いたげな視線を、無視することはできない。

「家まで、送るよ」

 偉い偉い、と笑う千夏に正樹が重なる。カップルって、だんだん似てくるのかな……。


「家、どっち? 」

 改札を出て振り返ると、香は笑って南口を指さした。南口、かぁ。公園あるの、そっちじゃん。

「一人で大丈夫だから。おつかれ」

「は? 」

 じゃあね、と手を振って歩き出した香を慌てて追いかけた。何なんだ、こいつは……。

「いや、送るって」

「不機嫌クンに送ってもらわなくてもいいよ。昨日も大丈夫だったし、今日も平気」

「……」

 なんだ、コイツ。腹はたったけど、暗い中スタスタと歩いていく姿をそのままにも出来ない。

「だから、いいって。千夏には送ってもらったって言っておくから。やっと仕事終わったのに、嫌そうに送られたら余計に疲れる。好きで仕事して残業になってんだから、送ってもらわなくても大丈夫」

 カラカラと笑っているのに、泣いているように見えるのは俺の気のせいなんだろうか。

「別に、嫌なわけじゃ……。そう見えたんなら、悪かったよ。暗いから、送る」

 逃げるな、という意味を込めて腕を掴むと、『ごめん』と小さな声がした。そのまま黙って暗い道を歩いた。俺の住む駅の北側には居酒屋やら24時間営業のスーパーやらが立ち並んで賑やかだが、南側は全然違う。閑静な住宅街といえば聞こえはいいが、8時を過ぎると開いている店はほとんどなく街灯も少ない。これは、変なヤツもでるかもな。


「毎日、こんなに遅いのか? 」

「今、少し忙しいからね」

「一人暮らし? 」

「うん」

「彼氏、は? 」

「……いない」

「綺麗な顔してんのに、勿体ねぇなぁ」

 思ったことをそのまま呟けば、一瞬ポカンとして、すぐに盛大に笑いだした。あ、失敗した。

「不機嫌クンも、そういう事言うんだねぇ」

 俺の名前は、不機嫌クンで決定ですか。いや、顔だけだぞ誉めたのは。性格は、そりゃ彼氏なんていないよなぁって納得するよ。


「私の家ここ。送ってくれてありがとうね。帰り道、わかる? 」

「わかる」

「そう、じゃぁお休み。あ、男とは言え物騒だから、家に着いたら連絡もらってもいい? 」

 連絡先を聞いてきたのは、純粋に心配から。香から見たら、俺は不機嫌を隠すこともできない子供なんだろうな。

「わかった」

 

 翌日から、毎日香の家まで送った。初めて会った居酒屋で待ち合わせて、少しだけ一緒に呑んで、香の家まで歩く。週末は、店が閉まるまで一緒に呑んだ。いつの間にか、毎日会うことが当たり前になっていた。



「部署、移動になったんだ。しばらく残業は無いと思うから、送ってもらわなくても大丈夫。ありがとうね」

「……そうか」

『送らなくていい』がショックで、そんな急に部署移動があるのかとか、定時なら送らなくても大丈夫なのかとか、全く頭が回らない。『心配』よりも『寂しい』が大きかった俺は、やっぱり子供なのだろう。



ー修、元気?ー

 千夏が実家に帰ってから数日。深夜2時に届いたラインに目が覚めた。お前は今忙しいんじゃないのか? こんな時間に何やっているんだよ。

ー元気だよ。寝てたよ! そっちは大丈夫なのか?ー

ー起こしたの! こっちは大丈夫。ねぇ、それよりー


 香の部署移動は、定時に帰れる部署への移動ではなかった。むしろ、これまでよりも長い残業に、新しい部署での付き合い。帰りが終電間際になるのも珍しくはないという。なんだ、それ。

ーあまりにも遅くなるから、修待たせるの悪いと思ったんじゃない? 修とは平気だったみたいだけど、あのコ人見知りするんだよねぇ。それもあって、残業も付き合いも上手く断れないみたいー


 なんだ、それ。初めて会った時のように、腹が立つ。


「おかえり」

 翌日、駅の改札で待っていた俺に香は心底驚いていた。自分でも、ストーカーみたいだと思うよ。わかっているよ。でも……。

「遅かったな。残業ないんじゃなかったのか? 」

「……週末だもん、ちょっと友達とご飯食べてたの」

 そんな、疲れた顔で? 

「送る」

 そのまま、黙っていつもの帰り道を歩いた。言いたいことは一杯あるのに、疲れた顔を見たら何も言えない。

「ありがとう」

「ちょっと、寄っていいか? 」

「……」

「いや、変な意味じゃなくて、その」

 話がしたい。居酒屋とかじゃなくて、二人で。

「まぁいいか。いつまでも不機嫌クンでも困るしね」

 その名前は、忘れてくれないんだな。



「ビール、梅酒、ハイボール、アセロラチューハイ、どれがいい? 」

 女の一人暮らしで、冷蔵庫の中身それってどうなんだ……。

 俺の感想なんて無視して、ローテーブルにアルコールの缶が並ぶ。俺の家より飲み物充実してる? 

「目に付くと呑みたくなって買っちゃうんだけど、呑み切れないからたまるの。いっぱいあるのは呑めない証拠」

 そう来たか。いつも通りにカラカラと笑う香に、少しホッとした。


「仕事、忙しいんだって? 」

「千夏め……。大した事ないの。まだ慣れてないだけ」

「なんで、嘘ついた? 」

「嘘っていうか、さぁ。修さんだって、忙しいでしょ? 」

「別に……」

 どうせ不機嫌クンなんて名前がついたんだから、と怒りを抑えることもしないでいると困ったように俺の頭を撫で始めた。おい、それはいくら何でも……。

「心配してくれてありがとうね。でも、私も好きで仕事しているんだよ。修さんもでしょう? だから、大丈夫なのさ」

 諭すように優しく、初めて送った時と同じ言葉を口にする。それは、自分にも言い聞かせるように。

「好きで仕事しているからって、帰りも大丈夫だとは限らない」

 どうしたら、わかってもらえるんだろう。別に仕事が遅い事に文句があるわけじゃない。移動したばかりで遅くなることが多いのは仕方がない。新しい人間関係になれなくて疲れるのも仕方がない。香が言う通り、好きな仕事だと本人が納得しているなら、今後のキャリアに必要な時期なんだろう。

 でも、俺を遠ざけるのは納得がいかない。

 やっぱり、子供の我儘にすぎないんだろうか。

 このまま抱きしめたら、俺の立ち位置は少し変わるだろうか。

 

 並べられたアルコールを片っ端から開けてしまった頭に浮かぶのは、情けないほどの子供の欲望。でも、残念な事にそれをかなえられないぐらいの理性は残っている。千夏の友達だぞ、と頭の中で正樹が笑う。


「ごめん。帰る」

 玄関を出ようとする俺を、香の言葉が追いかけるが何も考えられない。そのまま逃げるように家に帰った。

 情けない……。 

 何一つ、思っていることを伝えられなかった。

 本当は、ただ会いたかった。寂しかった。それだけだったのに。



ー今日から少し早く帰れるようにした。また、一緒に帰ってくれる?ー

 月曜の昼、香からのラインに目を疑った。なんで?

ー店で待ってるー


「お疲れ!」

 いつもと変わらない香の姿がそこにある。カラカラと笑いビールを空ける。明日も仕事だから、と一杯だけ一緒に呑んで店をでて、並んで歩く。

「やっぱり、誰かと帰るっていいね」

 前を歩く背中が嬉しそうに跳ねる。

 それが俺と同じ気持ちなのかはわからないが、このままの位置で、もう少し側にいたい。



「純愛だねぇ。修さん、あの仲間といるのにそんなに純情だったんだ」

「……お前にだけは、言われたくない」



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