ずっと、わたしのものでいて
この物語を、全世界の百合好きの皆様へと捧げます。
放課後。人気の無い教室で、わたしはぼんやりと窓の外を眺めていた。
眩しい西日が目を刺す。手庇をつくり、少し目を細める。眼下に見えるのは、オレンジ色に染められたグラウンドを溌剌と駆け回る運動部員たち。
わたしは半身になって振り返る。電気は点いておらず、夕日だけが照らす教室の風景。つい先ほどまで騒がしかったこの部屋も、今ではたった一人の生徒を中に残すのみ。
たった一人、わたしだけ。
「……あ」
チャイムが鳴った。
何百何千と聞いたその音色に、わたしの意識は現実に引き戻される。
「わたしも、帰ろ」
自分の荷物を掴み、無人の教室を後にする。
コツ、コツと、わたしの靴音だけが響く。この廊下にも、人の気配は無い。長く続く白い道に、橙色の光が等間隔に差し込んでいる。
なんだか、わたし一人だけ、ここに取り残されてしまったかのよう。
ふと思うわたしの耳に、ホイッスルの鋭い音が、遠くグラウンドのほうから聞こえた。
昇降口に着くと、そこには下駄箱に背を預けた一人の女子生徒がいた。逆光のせいで、その顔には濃い陰が落ちている。けれど、わたしにはそれが誰なのか、一目で分かる。
自然と、声が弾む。
「ルイちゃん、今日も待っててくれたんだね」
彼女の下に歩み寄ると、ようやくその顔を覗き込むことができた。
ルイちゃんは目をパチパチとさせ、わたしから顔を背けてしまう。照れたときの顔だ。
「そ、そりゃ、まぁ……」
「ふふふっ」
ルイちゃんの反応が可愛くて、ついつい笑みをこぼす。それを見てか、ルイちゃんは今度はムスっとした顔になった。
「ほら、さっさと帰るよ」
「あっ、待ってよぉ」
わたしに背中を向けて歩き去ろうとするルイちゃん。その背中に遅れないよう、わたしは少し早足になる。
靴を履き替え、昇降口を出ようとするわたしたち。その二人の間を、ふっと暖かな風が一つ、吹き抜けた。
グラウンドの脇を通り越し、学校を後にしたわたしたちは、立ち並ぶ家々の合間を並んで歩く。
ルイちゃんとこうして並んで帰る。それが、毎日の風景の一つ。幼馴染でご近所のわたしたちは、幼稚園の頃からずっと一緒だった。だから、こうしてルイちゃんの隣にいると、心が落ち着く。
そっと、横目でルイちゃんの横顔を盗み見る。夕日に照らされた、凛とした横顔。それを見て、わたしは小さく、ため息を漏らす。
ルイちゃんはわたしより頭一つ分背が高い。だから、こうして並んで歩くと、先輩と後輩か、あるいは姉と妹のように思われるかもしれない。だからわたしは、ルイちゃんの身長が少しだけ羨ましい。
そこでふと、わたしは思い出した。
「ねぇ、ルイちゃん」
「……なに?」
彼女は顔をこちらに向けることなく返事を返す。
「今日のこと、ありがとね。男子にからかわれてたところを、助けてくれて」
今日の昼頃のことだった、一人の男子が、わたしのことをちんちくりんだと言ってからかったのだ。それを見たルイちゃんが、その男子を追い払ってくれた。
ルイちゃんがわたしを助けてくれたのは、今日だけじゃない。いつからだったか、ルイちゃんはわたしが困っていたら、いつでも駆けつけてくれた。
「いつもありがとう、ルイちゃん」
再びお礼を言うと、ルイちゃんはそっぽを向いてしまう。恥ずかしかったのか、それを紛らわすように少し大きめの声で言う。
「当たり前でしょ? だって、あたしは学級委員長なんだから」
その反応が可愛くて、わたしは今度は声を抑えて笑った。
短い帰り道。夕日を背中に受けるわたしたちは、もうその半分に差し掛かる。
「ねぇ、サキ」
ルイちゃんが、わたしの名前を呼んだ。
「ん? なあに?」
「サキは、友達とか作らないの?」
唐突な質問。わたしは少しだけ、戸惑った。
ルイちゃんは友達が多い。なんたってクラス委員なんだから。それに対し、わたしは対極。クラスにはルイちゃん以外に友達はいない。他の子とは、必要最低限の会話しか交わさない。学校では、大抵一人だ。
そんなわたしのことを心配してくれているんだろう。ありがとう、ルイちゃん。でも、
「わたしは……そういうの、いいかな」
「……そう」
「だって、ルイちゃんがいてくれるから」
「……」
こっそり横目で見上げれば、ルイちゃんの顔は夕日の赤より赤く染まり、若干俯き気味になっていた。
「もう、サキったら、ヘンなこと言わないでよ」
「ふふふっ」
その可愛い顔を覗き込む。すると、ルイちゃんはふっと眉尻を下げ、少しだけ歩みのテンポを遅らせた。
もうすぐ、わたしの家だ。
「ルイちゃん」
悲しみを浮かべるその横顔に、わたしは呼びかける。
「今日も、わたしの部屋、来る?」
すると、それを聞くなり、ルイちゃんの顔にぱぁっと笑顔が咲いた。
「うん! 行く!」
夕日の中でも眩しく輝くその笑顔に、わたしもつられて目を細めた。
「さぁ、上がって」
「お邪魔、します」
わたしの部屋に着いたわたしたち。カーテンの閉じられた窓からは、あの目を刺すような西日は入ってこない。パチンと電気を点ければ、それまで薄暗かった部屋が一瞬のうちに照らされる。
「んんっ」
わたしはベッドの縁に腰掛けて、上に伸びをする。今日も、なんだか疲れた。
ほっと息をつくわたしとは対照的に、ルイちゃんは部屋に入ってからずっとソワソワしてる。これまで数え切れないほど入ったことがあるはずなのに。
「どうしたの? ルイちゃん」
「あぁ、えっと……」
歯切れの悪い返事。
「ここなら、わたし以外誰もいないから、大丈夫だよ」
「うぅ……」
優しく声を掛けるけど、ルイちゃんはまだドアの側で立ったまま、手をもじもじとさせている。
きっと、躊躇ってるんだ。
わたしは自分の太ももをぽんぽんとたたく。
「おいで、ルイちゃん。膝枕、してあげる」
「……ッ」
聞いた瞬間、ルイちゃんはぱっと笑顔を浮かべ、次には俯いて目を逸らし、けれど最後には、気恥ずかしそうに顔を背けながらわたしの下へと歩み寄った。
何も言わないまま、ルイちゃんはベッドに体を横たえ、わたしの太ももに頭を乗せる。
「もう、最初から素直になればいいのに」
「……」
ルイちゃんは何か言おうと口を開いたけれど、結局何も言わずに閉じた。
そっと、ルイちゃんの髪を撫でる。肩まで伸びた、絹のようにさらさらな黒髪。くせっ毛なわたしは、この子の素直な髪が少しだけ羨ましい。
「んぅ……」
指で優しく髪を梳くと、ルイちゃんは小さく吐息を漏らした。
あぁ、昔を思い出す。
わたしたちが幼稚園に通っていた頃、身長はまだわたしのほうが高くて、ルイちゃんはいつも、わたしにベッタリだった。
外で遊ぶのも、お昼ご飯を食べるのも、お勉強をするのも、いつもわたしと一緒だった。今とは本当に真逆。今でこそ友達の多いルイちゃんだけど、あの頃は人見知りが激しくって、他の子に話しかけられれば、いつもわたしの陰に隠れていた。
でも、今は違う。学校では、わたしたちは別々。こうしてこの子に甘えてもらえるのも、二人でいるときだけ。それが少し、悲しい。
「学校でも、こんな風に甘えていいのに……」
独り言のように、ぽつりと呟く。
ルイちゃんは薄く瞳を開いて、小さく唇を動かす。
「そんなこと……できるわけないよ」
「……」
そう、できるはずがない。だから、この子のこの姿を見られるのは、世界中でたった一人、わたしだけ。
心の奥底に温かさが満ちるのを感じながら、ルイちゃんの髪を優しく撫でる。いつしか、ルイちゃんは安らかに寝息を立てていた。
「んぅ……サキちゃん……」
小さく身をよじり、寝言を漏らす。その姿は、とっても愛らしい。
「ふふっ……ほんと、可愛い子」
わたしの温もりに抱かれて眠る間は、この子は他の誰のものでもない。わたしだけの、ルイちゃん。
「おやすみなさい、ルイちゃん。良い夢を、見るのよ」
呟き、無防備なその頬に、そっと手を添えた。
夕日は地平の彼方へ沈み、夜の帳が降り始める。
わたしに膝の上では、いまだにルイちゃんがすやすやと眠っている。
安らかなその寝顔を見て、わたしは思う。
「こんな時間が、いつまでも続けばいいのに……」
きっと明日も、明後日も、そのまた先だって、こんな日々は続いていくだろう。わたしたちが一緒にいられる限り、この時間は失われることはない。
でももし、二人が離れ離れになることがあったら?
わたしは怖い。この子を失うことが。この子がわたしの手元から離れ、わたし以外の、誰かのものになってしまうことが。これまでわたしを頼りに生きてきたこの子が、他の誰かに縋って生きるようになることが。
もしそのときが来たら、わたしはそれに耐えられるだろうか。
ねぇ、ルイ。あなたはどう? わたしと離れ離れになったとき、あたなは自分の未来を嘆いてくれる? わたしの為に、涙を流してくれる?
「……」
外は既に暗く、辺りの街灯が道を照らし始める。
夜のしんとした冷たさが、窓を越してわたしの背中に届いてくるかのよう。
「……サキちゃん……すき、だよ……」
「……ッ」
わたしの膝の上で、また寝言を漏らした。その言葉に、わたしははっとなる。
きっと、耐えられない。この子のいない毎日なんて、拷問にも等しいわ。だって、わたしにとって、ルイちゃんだけが全てだから。
「だから、お願い、ルイ。これからもずっと、ずぅっと、わたしのものでいてね? あなたさえいてくれれば、他には何も、いらないから」