第三話 かくれんぼ
僕は白の中を飛んでいた。
いや、正確には飛んでいるという表現は間違っているかもしれない。
なぜなら、ここにはには上も下もありはしないのだから……
僕は進み続ける。何もないこの場所を、何処までも……
(ああ、なんて心地がいいのだろう)
重力に捕らわれず、暑くも、寒くもない。
ああ、なんて心地がいいのだろう。
……
どれくらいの時が流れたのだろうか。それすらも分からないほど、この場所は何も変わることなく存在し続けてている。
僕はその中をなおも飛び続ける。はたから見れば、いい加減に飽きてくると思う者があるかもしれない。しかし実際にはそんなことはなく、むしろいつまででもここに居られるような気さえしてくる。
だが、その心地の良い時間は突然終わりを告げた。
周りの様子が刻々と時を刻むように移り変わりを始めた。
白一色だった世界が色を持ち始める。緑、茶、青、赤、黄……それぞれの色が世界ににじみ、混ざり合って色を変える。それと同時に今まで感じなかった『感覚』が芽生えた。世界に流れ始めた時という要素が全身を支配したのだ。
……その単調で無機質な色だけの世界もすぐに終わりを迎えた。それまでただの色でしかなかったものが形を持ち始めた。
このとき世界に景色と呼べるものが生まれた。
天と地を分かつ境界ができ、草木が生え、上を見れば途方もなく大きな月が、静寂を持って空に浮かんでいる。
世界に命が吹き込まれた。
ここまではあっという間に出来上がった世界の進みが、突如として遅くなりだした。しかし世界の流れは進み続ける。その進みの遅くなるほどに世界の厚みが増してゆく…………………
「い……で……り…じゃ」
長いトンネルの先で、誰かが何か喋っているようなくぐもった声が響く。
「お……まで寝……る…り…ゃ」
段々とその声が明瞭になり、ハッキリとその声が聞こえたかと思えば、脳天に重い一撃が入る。
「いつまで寝ているつもりなのかと聞いておるのじゃ!」
『ベシッ』
「痛い!!何するんだよ!」
直後反射的に飛び起きて頭をさする。
「あー痛い……まったく頭が割れたかと思った。モーニングコールでこんなに激しく起こされたのは生まれて初めてだ。まったくあいつは加減というものを知らないのかよ。それになにより……」
と、寝起きも相まってか彼女に対する不平不満が頭の中を縦横無尽に駆け廻り、次から次へと口からあふれる。その言葉のの数たるや、昨日初めて彼女の顔を見たばかりだということが嘘なのではと思えるくらいだ。
「よく口が回るようじゃな……そもそもこんな時間まで寝ているおぬしが悪いのではないか」
彼女もまた別の意味で頭をさすると困ったようにそう言った。
「こんな時間っていったい何時だよ……」
「もう昼前じゃ、そこで体たらくしている暇があれば早く起きて今日の稽古の支度をせんか」
(まじか!それは確かに寝すぎ……それよりこんな時間までずっと起こし続けてくれていたのかぁ)
驚愕の事実に思わず空を見上げて日の位置を見る。なるほど確かに太陽はほとんど真上にあるじゃないか。……こうなると彼女の努力に対して申し訳ない気がしてきた。
しかしどうにも素直にありがとうとかは言えないんだよな、まったく。
そのせいなのか、
「はいはい今すぐに」
そう言ってやる気がないように誤魔化している。
僕は体を起こして自分がいままで寝ていた場所を見た。
(どう見てもただ落ち葉を集めただけだよな……)
僕はこんなところで寝ていたのか……という驚きと、それを全く不快に思わなかった自分に対する自賛が同時に感じられた。そんな中で、僕は改めて自分がもはや人間ではなく、妖怪であるということがシミジミと全身に染みてゆく。
まだこの姿になってから一日しか経っていないというのに、自分だ人間として生きていた頃がにわかに懐かしく感じられてきた。
そして一言、
「どうしてこうなったんだろうな」
と呟かずにはいられないのであった。
「なにか言ったかの?」
「……何でもないよ」
この思いはたとえ口にしたとしても理解してはもらえないだろう。だからあえて口にすることもないし、そもそも僕の事情を話したところでややことくなるだけだ。
「そうかの、何か言っていたような気がしたのじゃが」
なんだか妙に疑り深いな。そこはあまり深く聞くことじゃないんじゃないか?
「何でもないって」
もう一度、同じことを言う。どうしてだか、ふてくされたような口調になってしまった。
「まあよい、それで稽古の準備はできたのかの」
「……うん」
聞いてくる割には案外あっけなく次の話題に移るじゃないか……
やはり彼女には少しマイペースな節があるのではないだろうか。
僕がそう考えていると唐突に、「よろしい、それではおぬしに五分間やる」と彼女が言ってくるのが聞こえてきた。
「えっ」
一体何の話だ?あれ、もしかして話の重要なところ聞き逃したか?
唐突すぎる発言に脳の理解が追いつかず、前置きの発言が何かあったのではないかという懸念に至った。しかしそれも僕が質問をする前に彼女が話を進めた。
「――その間に僮おぬしがここなら決して見つからないだろうというところに隠れるのじゃ」
良かった、聞き逃してはいないようだ。だけど、
「つまりそれって……」
「かくれんぼじゃな」
(ですよねー)
でもどうして急にかくれんぼなんてするのだろうか。
う~ん……わからない。まあでも昨日の稽古に比べれば楽でいいかも!!と、淡い期待を寄せつつ、きっきょくは昨日のようになんだか訳のわからない
とはいえ、はたしてこれが後悔の種になるのかどうかは今はまだ分からない。
「よし、それでは今回の稽古の決まりを教える。一つ、妖術の使用はかまわない、思う存分使ってよい……二つ、持ち時間はは日暮れまで、日暮れすぎには速やかにこの場所へ戻ってくること……三つ、それまでに僮に見つかった場合には捕まらない限りはまた隠れてもよい、じゃ」
「わかった……それでもし逃げ切れなかっ」
「はじめっ!」
「えぁっ」
(やっぱり容赦ないなー)
質問する間も与えないとは……まあ、らしいといえばらしい……のか?
さて、まずは隠れる場所を探さなければならないな。えぇと、確か妖術を使っても良かったはずだな。しかし今使える妖術といってもこういった状況で使えるようなものは知らないし……どうしようか……
そんなことを考えていると僕の脳裏に一つの名案が浮かんできた。
能力使えば、いいんじゃね?
おおー、いいじゃんいいじゃん、能力を使ったら駄目だとは言われてないし、それに能力のほうが自分の意思で制御しやすい!…気がする(笑)
我ながらなんていい考えなんだ!と、自画自賛して騒ぎたい気持ちは胸の内に留め置き、冷静に具体的な案を考える。
さて、僕の能力は出し入れを操る。そこから考えよう。直観的に考えれば、何の使い勝手もないものだ。しかし発想を転換すればもう少し……いや、どこまででも応用が利くと思う。妖力のときもそうだったけれど、ほんの少しでも『出し入れ』に係わっていれば、どんなことでもできるという破格そのもの。
やろうと思えば、姿を消すことだって……つまり、僕の存在を相手の認識の外に出してやれば、どこにいても気づかれないはずだ……そう、だよな?
まあいいや。
じゃあ早速やってみますか!
……
……
……
(できたかな)
そろそろ五分経つか……もういつ来てもおかしくない頃合いだろう。
思いの外時間がかかってしまったと思いつつ、ふと気になったことがある。
彼女は一体全体どうして急にこんなことをするという発想に至ったのだろうか……かくれんぼなど、どう考えても子供の遊びだ。それ以前に近くに人間がいるかすら怪しいこの場所で、どうやってそんな遊びを知ったのだろうか……
まてよ……と、昨日の一日で彼女が言った内容を思い出した。
たしか昨日「妖怪は人間の恐怖から生まれる」みたいなこと言っていた気がする。それは果たして生まれるときだけに必要なのだろうか?もしかしたら存在していること自体がそれに頼っているのではないか?
だとしたら必ず、何処か遠くない場所に人間がいるはずだ。となればそこでたまたま覚えたのかもしれない。
うん、真相は分からないがきっとそうに違いない。
しかし、彼女もまさかこんな近くにいるとは思われないだろうなぁ、フハハ!
『ッサ』
ん?今何か聞こえたよう『カサッ』……やっぱり聞こえる。近くにいるのか?
『カサッ…カサッ…』
何処だ……
……
……
……
……
『ガサッ!』
!!
「おかしいのぉ~、確かにこのあたりから気配がするのじゃが、どこにおるんじゃ」
『カサッ…』
『カサッ…』
『カサッ…』
……
……
(居なくなった…のか?)
……ふあぁ、危なかったー。
自信がなかった分けではないし、できるかどうか不安に思わなかった分けでもない。――しかし、いくら存在を認識の外に出しているとはいっても気配までは隠せないのか……いやぁ怖い、まだ心臓がドクドク脈打ってるのが分かる。
とりあえず今回は間一髪で何とかなったけれど……普段はあまりこの方法を当てにしないほうがいいかもしれないな。とりあえず、気配まで隠すことができるようになるまで……あるいは、どうしようもなく必要になるまでは。
ふむ、今ここに留まっていたら多分次にきたときには確実に見つかるだろうからここはいっそ動き回っていたほうがいいかもな。
話は変わるけど僕のこの服装は一体……ベースになっているのは狩衣で間違いはないと思うのだけど、全体的に甚平や作務衣なんかみたいな簡単な作りになってる気がする。多分これは僕が鼯鼠の妖怪だから空気抵抗が少なくなるように必要最低限まで簡素化された造りになっているのだと思う。毛皮に関してはもちろん鼯鼠の飛膜の代わりだろう。しかし昨日の稽古の時に気づいたのだけど、空を飛ぶときにこの毛皮があっても特に意味がないような気がする。
ただなびいてるだけだったし。
そういえば、今思い出したのだけれど鼯鼠っていうのはかなり長い距離を滑空できるらしいという事を以前何かの番組で見たような気がする。その番組によると鼯鼠の滑空は100mを軽く超えるらしいから上手くやればかなり使えるかもしれない。その番組によると鼯鼠の滑空は100mを軽く超えるらしいから上手くやればかなり使えるかもしれない。
だからもし、うまく使えば、鼯鼠らしく滑空するときには使えるかもしれない。
そうだ!空にいたら気配を気づかれずに済むかもしれない!と、またしても名案?が頭の中をよぎった。空を飛ぶ練習を兼ねてちょっと飛んでみるか!!
そう自分を鼓舞し、次なる目的に向かって空を仰ぐ。
よし、そうと決まればまずは高いところに行ってみるとするか。――なぜって、それはそのほうが長い間飛べるだろうからね。と、心の中でウィンクをする。
それに、なんだか今なら何処まででも飛んでいけそうな気がするし。
高いところか~、このあたりだと木の上とかかなぁ。でも山だからどこでも高いっちゃぁ高いんだけどね(笑)
そんなこんなで、僕は高い木のある所を目指して歩き出した。
「それにしても張り切ってるのぉ・・・」