第二十八話 口伝神話
「この戦い、一騎打ちともなれば、なおさら私の勝ちは揺らがないぞ……」
「……その言葉、そっくりそのまま返させてもらおうか」
そう言いながら、二柱の神が握手を交わしてこの戦いは始まった。
片や、鏡のごとく鋭く研がれた鉄製の輪を一つ、宙空に浮かべた幼き土着の神。
金色の短髪に目玉付きの帽子を被り、青や白の色を特徴とした丈の長い服に身を包んでいる。
名を、洩矢諏訪子という。
そして対するや、藤蔓の巻かれた四本の御柱を一挙に操る大和の武神。
波打って紫がかった青髪と、体の造形が見映える赤い輪郭の服に身を包んでいる。
名を、八坂神奈子という。
秋の眩い日差しを浴びた彼女らの様子は、誰の目にも凛として、神々しく映っていた。
一騎打ちのその舞台は、洩矢の湖を一望する岬から、湖を挟んで向かいに微かに見える台地までの空中と決められた。
先に相手を水に濡れさせたほうが勝ち……なんとも分かりやすい約束のもとで行われるこの戦いは、洩矢の地の進退を案じるその民は勿論のこと、大和の名だたる神々が一同に集い見上げていた。
もっとも、人間ごときが見てよいものではないのだがな……
(まさかあれは天照大御神か!)
あまりにも要人が過ぎる神の姿を目の当たりにしたナズーリンは、忍びで偵察をしている身にもかかわらず思わず身を引いて目を見張った。
『パキッ』
小枝の折れる、そんな音。
誰の耳にも届くはずはなかったその小さな音は、ただ一人……いや、一匹の鼯鼠によって聞き当てられた。
「やあどうも、初めまして……かな?」
何処からともなく掛けられた声に、ナズーリンはその丸く大きな耳を立てて樹上に飛び上がった。
見下ろせば、これまで何度も子鼠たちを使って偵察させていた妖怪の姿がそこにあった。
「僕は套逸だからよろしく!」
遠くの相手に呼びかけるように声を張りながらも、彼は手を庇のように掲げてこちらに視線を合わせないようにしている。
「一体何をしてるんだい……?」
その奇怪な行動に、私は思わず声をかけていた。
「いやね、スカートの女子を見上げる訳にはいかないから」
そう言った彼は、音もなく地を蹴って飛び上がると、私の立っている木の枝に座って足をブラブラとさせていた。
そのあまりにも無駄のない動作に咄嗟の反射すら起きなかった私は、そのまま彼を見据えて立ち尽くした。
私がそうして呆然としていると、彼のほうから口を開いた。
「……ところで、いつも僕を見張っていたのは君でしょ?」
――バレていたか
はなから子鼠たちが気づかれずに潜入できるとも思っていなかったし、今更驚くようなことではなかった。
それでも、尻尾の先に掛けた籠の中では子鼠たちが震えていた。
何をそんなに怯えているのか、おおかた後で私が説教をするとでも考えているのだろうが、事実は少し違っていた。
単刀直入に話を切りだした彼は、言葉こそ穏やかだったが、その裏で私を含む周囲に不可視の結界を張り巡らせていたのだ。
それに気が付いた私は子鼠たちの震えに納得していた。
(私の失態か……)
子鼠たちはとうに気づいていたというのに、私は彼の物珍しさに気を惹かれて気づけなかった。
逃げ場をなくした私は仕方なしに彼の質問に答えた。
「……お察しの通り、私は君を見張っていた。だが勘違いしないで欲しいのだが、私は散支夜叉様の命を受けた身だ。あの方のことは君も知っているだろう?ああそうだ、私の名前はナズーリンだ。よろしく頼む」
少し早口に、自分の立ち位置を語ったナズーリンは、黒く長いスカートを揺らしながら興味深そうに套逸のことを見つめていた。
生粋のトレジャーハンターである彼女は、日ごろから珍しいもには目がないというのは知る人ぞ知る話である。
そんな彼女の興味の対象は、何もモノだけにとどまらない。彼女は珍しければなんだって興味を持たずにはいられないのだ。
とはいえ、套逸はというと、そんなことを知っているはずもなく、興味深げに見つめる視線に、筋違いな納得をしているのだった。
(また尻尾に抱き着かれても、驚かないようにしないとな)
僕はL字に曲がった不思議な形のロッドを両手に掲げた少女の視線に、そんなことを考えていた。
僕の尻尾にどんな魔力があるにせよ、少女たちが突然枕代わりに飛びついてくるのはもはやテンプレといってもいい。
それはさておき、僕は彼女の正体が何者であるかは初めからうすうす感づいていた。
割と頻繁に、小さな妖怪の気配がしていたし、何よりそれと同じ気配を、この前穂弦に会った時にも感じていたからだ。
一人で納得して頷いていると、当然の疑問が頭をよぎって思わず口にだしていた。
「あれ?でも今日は僕の見張りってわけじゃなさそうだったけど……」
わざわざ口に出すまでもない程に明白な疑問だったが、思わず口走ってしまったものは仕方がなかった。
僕は誤魔化すように言葉を続けた。
「まあ、やっぱり神様同士の決闘なんて、普通見られるものじゃないもんね」
問いかけて、勝手に自分で納得している妖怪の姿に、妙な人間臭さを感じ取ったナズーリンは彼の隣に腰を下ろした。
二匹の妖怪の背丈は座ってしまえばほとんど変わらない。
同じ視線を共有して見上げる空では、二柱の神が互いに距離を取り、秋風に髪をはためかせながら向かい合っていた。
「……ああそうだ、散支夜叉の所に行く用があれば、礼を言っておいてくれないかな」
ぶらぶらと、下駄を揺らしていた套逸は、出し抜けにそういうとナズーリンの方に向きなおって満面の笑みで言った。
「お陰様でこっちは元気ですってね!」
空での戦いは、だれの目に見ても明らかに洩矢諏訪子の側が不利だというのに、その妖怪は笑っていた。
まるで自分たちの価値を確信して揺らがないように、彼の態度はあっけらかんしてすがすがしいほどだった。
(まったく馬鹿な奴だ……)
そんなことを考えながら、私は黙って頷いた。
気づけば、私を取り囲んでいた結界も消えてなくなっていたが、今更何処へ行こうという気も起きなかった。
彼の言ったように、私が来たのはこの戦いを見届け、結果を報告するためだ。
この場所からでも十分に空の戦いを見ることはできるし、何より彼に正体を知られた以上、わざわざ隠れる必要もないからだ。
今回ばかりは、この大役を子鼠たちに任せるわけにはいかなかった。この鼯鼠の妖怪を見張るだけなら、ついうっかり……なんて事があっても構わないが、さすが一国の進退を見届けるともなれば荷が重すぎる。
(あわよくば、首尾よく近づけるかもしれないしな)
「始まったな……」
套逸はそう言うと、つい先ほどの態度からは想像もできないほどに真剣な眼差しで空を見上げていた。
それぞれがそれぞれの思惑をもって見つめるその先では、今まさに戦いの火ぶたが切って落とされた。
――すました表情の神奈子は、まるで大軍を指揮する戦頭ように腕を振り下ろし、四本の御柱の内一本を諏訪子へ向けて打ち込んだ。
躱すだけなら容易い。だが、諏訪子はまるでその攻撃を受けるかの如くその場から微動たりともせず鉄輪を前方に掲げた。
諏訪子の手から放たれた鉄輪は、おおよそ鉄と木がぶつかっただけとは思えないような轟音とともに、高速で回転しながら御柱に食い込んだ。
そのまま勢いを殺して完全に防ぎきる……というのが理想だろうが、さすがの質量差の前では、どたい無理な相談だった。
案の定、御柱は鉄輪もろとも押しのけて諏訪子のもとに……
「……っな!」
思わず声を上げたナズーリンは、即座に眼前で起こった現象の考察を始めた。
御柱は確実に、諏訪子の胸を貫く軌道で進んでいた。回避行動をとらなかった彼女が、それをかわせるだけの余裕はないはずだった。
しかし、御柱が衝突したはずのその瞬間、どういうわけか諏訪子は神奈子の背後をとり、灼熱の鉄を連想させる光球をその背中へめがけて打ち込んでいた。
瞬く間とか、そういう話では無い。移動の軌道すらも残像に残らないそれは瞬間移動のようにも感じられた。
間一髪、それを躱した神奈子だったが、光球を掠めた服が黒く炭化していた。
当たる先を見失った光球はそのまま湖に着弾し、凄まじい破裂音とともに、周囲の大木など余裕で追い越すような高さの水柱が立ち昇った。
灼熱の球を水中に打ち込んだことで、水が一気に蒸発して爆発が起こったのだ。
(まるで噴火だな……)
二柱は、その水柱を避けるため、さらに上空へ飛び上がり、豆粒ほどの大きさにしか見えなくなってしまった。
そして、休む隙を与えず連撃の体制に入った諏訪子であったが、神奈子の放った三本の御柱の攻撃にやむなくそれを中断し、後ろ飛びに距離をとった。
……その光景と、遅れて漂ってくる湿った熱気に、その場にいた誰しもが息をのんだ。
人知を超えた戦いを目の当たりにしたナズーリンは、一度でも自分がこの戦いを軽視したことを反省した。
そしてそれは、なにもナズーリンだけには留まらなかった。
この戦いを酒の余興程度にしか考えていなかったであろう大和の神々の表情に陰りが見え始める。
先ほどよりもいっそう、張り詰めたように緊張した空気の中、目を凝らしてよく見れば、諏訪子は手綱を引き寄せるように腕を引き、鉄輪を自分の手元に持ち直していた。
手に持っている鉄輪は初めの輝きもなく、どういうわけだか錆びているように思える。
それをもって初めて、この戦いは本当の意味で始まったのであった。
諏訪子は、どんなもんだい!とでもいうように腰に手をあて、胸を張った。
その光景だけを切り取れば、年相応の子供のようにみえる。
質量があるからか、大廻りの軌道を描いて、御柱が神奈子のもとへと続々帰ってくる。
そのうち一本は、藤蔓ともろとも、中腹まで縦に切れ込みが入り、諏訪子の攻撃が有効打であったことをありありと示していた。
これで両者、またにらみ合う状況になったが、初めと違うのは神奈子の表情が本気のものとなったことだろうか。
誰もが予想しなかった展開。
しかし、この状況をはじめから疑わなかったものが一人だけいる。
(套逸……)
彼と諏訪子の間にどういった信頼が築かれているか、これまでさんざん見張ってきたナズーリンは知っていた。
その信頼に応えるように、空の上の諏訪子は先手を取ることに成功した。
――私は、それをちっぽけな感情論だとは思わなかった。
神奈子の思惑を跳ねのけたように、妖怪と神という異色のコンビは、今や離れていようと通じ合っていた。
神奈子にはないその繋がりが、必然の結果となって現れたのだ。
上空では、膠着状態が続いていた。
調子のいい諏訪子が初弾よりは小さな光線を神奈子に向けてばら撒いていたが、精度も甘く、ひょいひょいと軽い動きだけで躱されていた。
とはいえ、諏訪子の周囲の弾幕密度は高く、加奈子の接近を防ぐ上では大いに役立っていた。
鉄輪は錆びてしまったためか使われていない。
そもそも、光弾を使った攻撃などこれまで一度も聞いたことがない。
威力については初弾のことがあるし、数については今がそれだ。
外れた光弾は空中で霧散するように消えているせいで大きさによる威力低下があるかは不明だが、避けられる攻撃に自分から当たりに行く必要もない。
神奈子の御柱は主人の後ろで待機するばかりでこちらも動きがない。
――避ける神奈子の周りに、色違いの光弾が数個出現した。
諏訪子の新しい攻撃かと思ったが、この光弾は諏訪子に向かって一直線に、精密な軌道を描き引き放たれる。
驚愕に目を見開いた諏訪子は攻撃を一時中断し、急降下と旋回でそれを回避した。
(まさかこの短時間で相手の技を盗むとは)
流石は武術に精通する神というだけのことはある。
こと、戦闘において油断のならない相手であることを、諏訪子もきっと思い出したに違いない。
下に降りた諏訪子を追撃する形で、御柱が放たれた。
そのあとに続くようにして色違い光弾がばらまかれ、逃げ道を狭める。
ここにきて、急速に展開が加速していた。
腕を振るい御柱を指揮しながら光弾で進路を阻害する。
早速相手の隠し技を使いこなした神奈子は、ほとんど一方的に諏訪子へ攻撃を繰り広げていた。
上方から畳みかけるような攻撃……この戦いのルールにおいて、上をとるということがどれだけ優位なことか、誰しもが理解していた。
このまま神奈子が上を取り続ければ、いずれジリ貧になった諏訪子は敗北する。
(さて、どう出る……?)
未だ反撃の意図を見せない諏訪子に、注目の視線が集まる。
そろそろ起死回生の動きを見せなければ勝ちへの道は無くなってしまうが……
……
……
そのころ、上空の太陽の中から何かが二柱へめがけて落下していた。
神奈子の頬をかすめたそれに続くように、無数の光弾が雨のように降り注ぐ。
今度目を見開いたのは、振り仰いだ神奈子のほうだった。
避けるためには、下に行かなければならない……
上をとった自分が、諏訪子の傘のようになりその攻撃を防ぐという状況。
光弾が自分の近くにしか出現させられないとは、誰も言っていないのであった。
こればかりは原案者の経験に分があったというわけだ。
どちらが上をとるかという単純な話から、雨のように降り注ぐ光弾を避けるために下へ降りなければならない制約が加算された。
それだけで、事態はより複雑に、高機動になっていた。
光弾は、やはり途中で霧散している。
それ以上下に行けば、直接撃たれる心配はなくなるものの、一歩間違えれば水を被るくらいには低い位置だった。
そのギリギリな安地に近いのは、ついさっきまで加奈子に追い詰められていたかに見えた諏訪子のほうだった。
御柱を駆使し、光弾の回避に専念しながら高度を下げるので手一杯な加奈子をよそに、諏訪子は早々に辿り着いた安地で神奈子を待ち構えるべく鉄輪を掲げた。
神奈子も、それを分かっていた。
しかしかといって有効打を持ち合わせている訳でもなかった。
このまま諏訪子がとどめの一撃を食らわせるのか……
誰もがそう思っていた状況で、加奈子は御柱の一本を何とかといった様子で操作すると、諏訪子に向けて打ち下ろした。
しかし、その見え見えの攻撃は当たるともなく、ひょいと横に飼わしただけで回避されてしまった。
――それは、武神としての素質がそうさせたのかもしれない。
回避された御柱は、速度を緩め主の護衛に戻るものかと思っていた。
しかし、それはどんどんと速度を上げ、やがて湖面に打ち付けるようにして着水した。
四方に、波のような飛沫が飛ぶ。
相手を水に濡らすとこが勝利条件。そんな戦いにおいて、直接攻撃ばかりを意識していた諏訪子と違い、加奈子は初めから、回避される前提の攻撃で水しぶきを武器とした。
その散弾のような攻撃を回避するためには、直ちに直上へ昇らなければならない……
雨のように降り続けた光弾が、たちどころに消えてなくなった。
諏訪子は上空へ急上昇し、あわせて加奈子も身を翻し、空を蹴るようにして上空へ昇って行った。
またしても、膠着が始まるかと思った。
しかし、様子がおかしい。
諏訪子が、ふらふらと、安定しない挙動で飛行してる。
そして、ふっ……と脱力するように身を倒し、湖に向かって一直線に落ちていった。
……まさか神力が切れて気を失ったとでもいうのか!
あれだけの数で弾幕を張ったのだ。ありえない話ではなかった。
神奈子は警戒心からか一度止まったが、これ程の好機を逃すような愚行はしなかった。
正確に狙いを定め、腕を振り下ろすと、四本の御柱が一斉に諏訪子めがけてものすごい速さで降下していった。
このままいけば、諏訪子は逃れる隙もなく湖に叩きつけられることだろう。
そうでなくとも、御柱が湖面を打った水しぶきを浴びるだけで負けは決まる。
誰しもが、神奈子の勝利を確信した。
またしても立ち昇る水しぶき。
それは、勝負が決したことを雄弁に物語っていた。
神奈子は、納得いかないといった表情でその光景を見下ろし、御柱を回収するため腕を持ち上げた。
一本目、二本目、三本目……と水から引き上げられていく。
しかし、四本目が一向に上がってこない。
水底に引っかかったというのか、それとも……
神奈子の周りに戻った三本の御柱を見つめていたナズーリンは気づいた。
(上がってきていないのは、諏訪子が傷をつけたあの一本か)
中腹まで二つに割れたあの御柱は、着水の衝撃でとうとう完全に割れてしまったということだろう。
しかし、それも勝敗がついてからでは今更なことだった。
……何か、胸騒ぎがする。
これだけでは終わらないと、胸の奥の何者かが告げている。
……!!
立ち込める水煙の中から、何かが神奈子めがけて一直線に飛び出した。
それは、見まごうことなく、諏訪子の鉄輪をだった。白く光を放ち、高速で回転しながら神奈子へ迫るそれは、当たれば確実に死を招く。
神奈子はそうするより他になく、御柱すべてを盾にするべく操った。
鉄輪は、御柱全てを叩き切り、最後、藤蔓一本を前にしてボロボロに砕け散った。
(そういえば聞いたことがある。八坂の神が操る植物は、たちどころに鉄をも錆びさせる……と)
そのこと思い出したナズーリンは、初めの一撃で鉄輪が錆ていた理由にも合点がいった。
しかしそんなことは後回しでもよかった。
今は砕けた鉄輪だが、その操り手は、いったい何処にいるというのか。
いまだ水煙が引き切らない中、視線を回してその姿を探す。
そして、突然吹いた突風に霧が流されたそこに、すぶ濡れになった諏訪子の姿があった。
ここに改めて、勝敗は決した。
誰が見ても、洩矢諏訪子は水に濡れていた。
頭を痛そうに抑え、けれど、その表情はどこか勝ち誇ったようで、彼女が見つめる視線の先、八坂神奈子を見れば……
……袖の先が、微かに水が滴っていた。
この展開を誰が予想したであろうか。
引き分け……とは言い難いが、両者はほぼ同時に、相手を濡らしてせしめた。
初めは負け戦と思われていた戦いを、あと一歩のところまで追い込んだ。
その土着の神に対する称賛の拍手が、大和の神々から送られていた。
その渦中、一番不服な顔をしていたのは神奈子であったが、それでも天照大御神の手前、その内心を口にすることはなかった。
洩矢の民は、この状況をどう捉えるべきか視線を交わし、複雑な表情をしていた。
彼らからすれば、自分の信じる神が負けたのだ。ただ黙って受け入れるというのは難しいだろう。
そんな時に套逸はというと、ほっと胸をなでおろしていた。
諏訪子の戦いぶりを内心ハラハラしながら見つめていた僕は、この結末にひとまず安堵の息を漏らしたのであった。
八坂神奈子という神がどういう存在なのか知っていた僕は、一騎打ちといえどそのままやり合えば諏訪子に勝ち目がないであろうことを知っていた。
一騎打ちは確かに、数による戦力差を無いことにできる利点があるが、信仰心が物を言う神様の世界では、それも一口に対等とは言えない。
それこそ、RPGゲームでいうバフみたいなもんだ。
直接戦闘に参加しなくとも後衛としてサポートする立場がいるかどうかが戦闘に大きく影響する。
侵略的な方法で勢力を拡大している大和の神である八坂神奈子と土着の神である諏訪子では、どうしてもその点で優劣がついてしまう。
加えて、今、洩矢の国は変革期の真っただ中だ。
古い、祟りの恐怖による押し付けの信仰から、お互い融和の道へ進もうとしている。
それも、僕が言い出したことだ。
だから、この戦いは諏訪子や、国の民にとってというだけでなく、何より言い出しっぺの僕にとっても重要なもので負けられないものだった。負けてしまったら、これまで何とか少しずつ変えてきたものがあっさりと崩れ去ってしまう。
それでも、状況は諏訪子不利のなのだった。
ここ数日の特訓では、僕は妖怪らしく、相手を欺く立ち回りを中心に教えていた。
押してダメなら引いてみろ……力で直接叩き落すことができないのなら、相手の攻撃をいかに受け流せるか、そして、それで自滅を誘えるかで勝負をするのだ。
諏訪子は、僕のその提案に初めはひどく嫌な顔をして反対した。彼女からしたら、そんな戦いは姑息で卑怯なものだというのだ。
だけど、僕が実際に諏訪子の一撃をいなしてみせると、しぶしぶといった様子で僕の提案を受け入れた。
その特訓の成果もあって、湖での戦闘にはだいぶ慣れた様子ではあったが、それでも、成果は流石に付け焼刃なところが否めない程度だった。
僕は戦いのさなか、気が気ではない思いで見つめていた。
初めの攻撃を躱したのは、僕の教えたとおりの技で、できばえも満点だった。光弾を使った弾幕は、僕が御札を応用した攻撃方法を見せていたときに、諏訪子が興味津々で食いついてきた技だ。
僕は妖力力的に御札に頼らなければ弾幕を張るなんてことはできないが、諏訪子は流石神様というだけあって、一発で僕以上の出来栄えを完成させてしまった。
実践でも大いに役立ったようでうれしい。
――そのあと、八坂の神に速攻でパクられたのは、モチベが下がるというか、頭を抱えたくなる思いだったが……
ともかく、ひとまずそこで一呼吸、安心することはできた。
それでも、一筋縄ではいかないのがこの戦いだった。
諏訪子がふわふわと漂い墜落したとき、僕は「しまった!」と思わず声を上げていた。
能力を使い、諏訪子の神力をモニターしていた僕だが、自分のことは自分で分かるだろうし、まさかゼロになるまで打ち尽くすとは考えてもいなかった。
しかし、そういえば彼女に神力や総量、燃費といった考え方を教えたことが一度もないということを思い出した僕は、自分が初めて意識を失った時の状況を思い出して、彼女にも忠告するべきだったと後悔した。
(しかしまぁ、それも不意打ちにつながったわけだ)
諏訪子は健闘した。これ以上ないくらいの成果をのこして……
僕は、胸を張る諏訪子の姿が、誇らしく見えた。
(僕の知らないところで、立派に成長したんだなぁ)
それでもやはり、子供らしさが抜けない彼女は、いつまでもそのままでいてほしいと思った。
そんな感傷に浸っていたが、ハッとして我に返ると、ナズーリンと名乗った少女が気持ち悪いものを見るような目でこちらを見下していた。
さてはて、そんな視線を向けられるようなことを、僕はしただろうか?
(思い当たることといえば……)
「……もしかして、僕、独り言いってた?」
「ああ、だいぶ気持ち悪かった」
「ひどッ!そんなに!?」
いつまでたっても治らない独り言の癖は、早く変わってほしいかな。
套逸たちのいる場所から対岸の、神々や洩矢の民がいる平地には、そのころちょうど、二柱の神が降り立った。
妙なのは、勝ったはずの神が不服そうな表情をしているのにも関わらず、負けたほうの神が生き生きとしていることだった。
洩矢の民は不安げな表情で互いに視線を交換していたが、それでも言葉を発する者はいなかった。
大和の神々の間から、一柱の女神が歩み出て言った。
「両名、見事であった。加奈子よ、後で宮に参れ。さて、土着の神よ、おぬしはこの戦いに勝ったと、そう思うか?」
そう問いかける彼女は、よほどの権威を持つ神なのだろう。
大和の神々の居住まいがねこれまでになくしゃんとしている。
それに対して、土着の神と呼ばれた方は、ふんっ、と鼻を鳴らした。
「あんた、誰さ?あと、私には洩矢諏訪子って名前があるの!そういう呼び方しないで」
その相手を見ない態度に、一帯の空気が凍り付いた。
しかし、それをよそに、女神は静かな口調で言った。
「これは、失礼したな。儂は天照大御神。これでも大和の神々の主神であるのだがなぁ」
いやはは……というように軽く笑うその瞳の奥で、只者ではない威圧感が放たれていた。
「ふーん、まあ、覚えとくよ」
その空気感を読んでかどうかは知らないが、諏訪子はそう言いながら指にクルクルと短い髪を巻いていた。
「ホホホホホ」
「ハハハハハ」
乾いた笑いが巻き起こる。
そこへ、
「なに笑ってんのー?」
と、場違いに割り込んでくる妖怪がいた。
「あっ!とーいちー!!」
そう嬉しそうに無邪気な声をあげた諏訪子は、僕の方へとまっしぐらに走ってきた。そのまま突っ込まれてはたまったものではないので、尻尾を緩衝材代わりに体の前に回すと、彼女はそれを見越していたかのように尻尾に全身を埋もれさせてしまった。
毛の中に隠れてカエルみたいな帽子以外ほとんど見えない洩矢諏訪子をよそに、僕は唖然として見つめる群衆の方へと向き直った。
(そう見つめられると照れてくるなぁ)
頭を掻きながら、そんなことを思った僕は、諏訪子がさっきまで話していた神に視線を向け、軽く会釈をしてから言った。
「お初にお目にかかります。僕は套逸といって、諏訪子の、その、お目付け役みたいなもんです」
僕の言葉に「うむうむ」と微笑ましげに頷く彼女は、母親のようなおおらかさを身にまとっていた。
なんとなく、見ているだけで背筋がシャンとするひとだ。
(母親かぁ……)
その姿に、穂弦のことを重ねて思い出した。
これが終わったらまた会いに行こうとそう決めると、僕は彼女の後ろにいる八坂の神を見て思った。
(いい母を持っても、子がそうなるとは限らないわけか)
その点、サキはよく子供を育てたもんだ。
――なんだか、しんみりとしてしまった。
涙が出る前に、僕はあらためて天照に向かい直った。
「今回の戦い、諏訪子の努力も認めてもらうことはできませんかね」
親しげに提案するトーンで言ったつもりが、アルバイトが先輩にへつらうみたいになってしまった。
彼女に『年上感』みたいなものを感じ取ったのだろうか。
人生?妖生?経験は長いはずなのに、こういう子供っぽい感じが抜けないのは、なぜなんだろうか。
精神年齢に比例すると聞く妖怪であるのに、僕がいつまでたっても高校生くらいの見た目から変わっていないのも、なぜなんだろうか。
そんな悩みが僕の中に浮上しつつあったが、天照は狐みたいに目を細めると、さっと取り出した扇子で口元を隠しながら言った。
「では、負けを認めるということだな」
彼女のその言葉に、ピクッと尻尾の中で諏訪子が動いた。
まあ、諏訪子にしてみればあれが会心の一撃だったわけで、素直に負けを認めるというのはしたくないのだろう。
とはいえ、あの状況で勝ったと言い張るだけの自信もまたないのだろう。
そうでなければ、彼女が何も突っかからないはずがないからだ。
僕はポンポンとその頭を軽くたたきながら、天照に言った。
「ふぅむ、負けと言われると釈然としないけど、まあでも、せめてはじめに言ってた無条件降伏ってのを無かったことにはできないかなって……」
少し尻すぼみになりながらも、僕はそう提案した。
言いながら、なんだか虫のいい話だなぁと、そう思ってしまったのだ。
僕って、どっちの味方なんだろう。
諏訪子にも、尻尾の毛を強く握られている気がする。
いや、もちろん僕は諏訪子の味方なのだが、なんだか急に冷めてしまった。
天照は僕の申し出に扇子をパタパタとさせるだけで何も言わない。
僕が言葉を重ねるのを待っているのか……?
それとも……
諏訪子のことを見ながら、僕は少し考えた。
「ねえ諏訪子……」
そう言うと、彼女は尻尾に埋めていた顔を持ち上げて首を傾げた。
そんな彼女に目線を合わせるように、僕は腰をかがめて聞いた。
「諏訪子はどうしたい?」
彼女は、一瞬考えるように視線を下げたがが、すぐに僕の目を見つめなおして、そして、天照を振り返った。
「私は、套逸と一緒なら、それでいい」
はっきりと力強く言い放たれたその言葉に、僕は思わず言葉を失った。
なんというか、うれしかった。
振り返った彼女と見つめあい、僕はただ微笑みかけた。
「ふむ、よかろう。この洩矢の国の独立統治を認よう。ただし、こちらからは加奈子を置いていく。戻る必要はないぞ」
天照はそう言いながら、スタンと扇子をたたんで手のひらを打った。
その言葉の最後の一節は、僕らではなく後ろにいる八坂の神に対してのものに思えた。
これまで一言も発さずに、額にしわを寄せた険しい表情をしていた彼女だったが、
「はい……」
とだけ不承不承に呟くと、一刻も早く濡れた袖を乾かそうとするかのように握りしめていた。
_________
%〈少女片付中〉%
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
大和の神々は割とあっさりと帰って行ってしまった。
もちろん、八坂の神は置いてけぼりだ。
洩矢の民は、一人ずつ諏訪子に深々と頭を下げたのち、あるものはチラリと套逸や、八坂の神を見て、またあるものは泣き崩れたりといろいろだった。
套逸がそれをなだめ、やがて残ったのは洩矢諏訪子、套逸、八坂神奈子の三人だけになった。
そうなると、言わずもがな、二柱の間はバチバチの空気感になるのだが……
「んー、とりあえず、社に戻ろうか」
僕は二人の間に割って入ると両手にそれぞれ御札を構えて牽制した。
それは、僕が以前、八坂の神の策略によって怒りに我を忘れた諏訪子を助けるために力を吸わせたものだ。初めは白かったそれは赤黒く変色していた。
両者とも、その御札の詳細は知らないまでも、視線はそれに向いてた。
「さて、行こうか」
懐にそれをしまいながら、僕は二人を先導するように歩き出した。
『ボフッ』
後ろから、諏訪子が尻尾に飛びついてきた。
なんとなく、気配がしていたので驚きもしなかったが、ついさっきあんなことを言われた手前、反応に困るというものだ。
さらにその後ろを少し離れて、八坂の神もついてきていた。
僕はまだ彼女を許してはいない。諏訪子や継萌に対しての行いは、戦いに決着がついたからといって終わるものでもない。
とはいえ、今、彼女は武装も無く、万全の体制の僕の相手ではない。
それに、天照といえば日本神話の主神とされている神だ。その命令には逆らえないだろう。
(うぅ、寒い)
秋風がマントをはためかせる。
その風に乗って、あの鼠の妖怪の気配が漂ってきていた。




