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東方鼯鼠転空記  作者: 平成の野衾(ノブ)
諏訪の地に根付く神
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第二十七話 決意

「よし!とりあえず僕はここで見てるから初めていいよー」


 僕と諏訪子は、今山の麓のでかい池……というか湖の上を飛んでいた。

 何をしているのかというと、いよいよ明日に決戦を控えた諏訪子の特訓なのである。




 ……諏訪子が継萌と打ち解けたそのすぐ次の朝、継萌は突如としてその姿をくらませた。起き抜けに異変に気がついたのは諏訪子だった。「やっぱり八坂の神の下僕なんて、信用しちゃいけなかったんだ!」と布団から跳ね起き、今にも大地震で辺り一帯を平地に(なら)しそうな勢いだったが、危機を察した僕が、「きっと事情があるんだよ!」と、何度も彼女を諭していくうちに、とりあえず大地震の危機だけは回避できるまでに落ち着いた。


 口では諏訪子をなだめる僕であったが、今、何が起きているのか、全く理解できていなかった。今さら八坂の神に寝返るとは考えづらいし、むしろ疑うべきは何か此処を離れなければ身の危険にされされるような、そういうことに巻き込まれた可能性だろう。人の良すぎる彼女なら、自分のためだけでなく、一度仲良くなった僕や諏訪子をかばっているということも考えられる。


 せめてなんでもいいから手がかりを……


 そう思い、先程からずっと不審な妖力や神気がないかと探っているのに、それらしいものは見つからなかった。『命を読む程度の能力』も使って周辺の生き物たちの動向を探ってもみたが、それも結局空振りに終わった。

 どう考えても自分から、ここを出ていったとしか考えられない。また分析布を出して検証するのもいいが、それも結局空振りに終わる気がする。


 手をこまねいて、その場に腰を下ろしてあぐらをかいた。いつの間にやら僕の尻尾にしがみついていた諏訪子が引っ張られるように転び、僕の背中に倒れ掛かった。僕は、「ごめんごめん」と彼女を膝に抱え頭を撫でていたが、自分自身心ここにあらずといったころだった。


 そこに突如、背中へ障子越しに、外から矢筋のように鋭い敵意が駆け抜けた。

 遅れて諏訪子もそのことを察知したのだろう。『クッ』と身を固め、いつでも飛び出せるように警戒を高めている。

 次の瞬間には、僕は諏訪子を抱えて横っ飛びに倒れ込んだ。無理な姿勢で体を動かしたせいで、足の付根の筋が()ったが、それでも、ズレた頭の位置をかすめて飛びぬけた矢に射抜かれるよりはマシだった。その矢は部屋をほぼ水平に横切り、隣の部屋とを仕切っている障子を貫いて見えなくなった。


 痛む脚を引きずりながら、けれど諏訪子を絶対に離さないようにして、俺は柱の陰に移動した。

 自分の位置をあやふやにする結界を張り、ひとまずのセーフゾーンを確保した俺は、諏訪子を柱に寄せて座らせると脚を伸ばして筋肉を揉んだ。

 なされるがまま、身がすくんだように柱い背を預けた諏訪子だったが、僕のそんな様子を見て、悪いことをしたと申し訳無さそうに、


「大丈夫?」


 と僕を心配してくれた。

 そんな彼女を安心させるように、僕は、「へーきへーき」と微笑んでみせたが、その声も表情も、少し痛みに負けて震えていた。

 そんな僕の様子に何を思ったのか、諏訪子は一度、目をギュッと閉じ、パンパンと両手で頬を叩いた。次に目を開けたときには、その目を警戒心に細め、いつでもかかってこいといった様子になっていた。今朝方、短絡的な衝動に任せて動こうとはしていた人物と同じとは、到底思えない変貌だった。

 その様子を見て、僕は少し肩の力を抜いて状況の分析を始めた。もちろん能力も駆使して警戒を続けているが、探知圏内に敵らしき気配を見出すことはできなかった。よほどうまく殺気を隠しているのか、先程の一撃を射損じてすぐ逃げ去ったのか、どちらにせよ、相手は只者ではないだろう。

 ただ、相手が尋常でないと分かるからこそ、これ以上の追撃はしてこないように思えた。というのも、ほとんど直感といえるものだが、僕が殺気を感じてから矢が放たれるまで、わずかながらタイムラグがあった。

 矢の飛翔速度を考慮すれば隠れてしまいそうなほど短い時間だったが、その時間がなければ僕は今頃無事では済まなかっただろう。


 誰かに試されているような、そんな感じがする。


 ……


「あれは……」


 やや時間があいて、僕は小さな違和感に気がついた。

 矢の貫いた障子にできた穴が、やけに派手な破け方をしたいたのだ。

 ほとんど『点』の矢が薄い紙を貫いただけなら、破れ方は屋のあたった点を中心に放射状に破けるはずだ。だが、この障子の破れ方はどちらかというと『面』で何かがぶつかって出来たようにみえる。例えるなら、石を投げつけたような感じだ。

 だからどうしたと言えなくもないが、気になった僕は柱の陰に隠れるようにしながら移動すると、きょろきょろと辺りを覗い、動こうかどうしょうか迷っている様子の諏訪子に、『ついてきて』と手で合図をして部屋を移動した。

 障子を開けてすぐ目に入ったのは反対側の壁に突き刺さった矢と、その矢にくくりつけられた短冊のようなものだった。


(矢文ってやつか……?)


 大河ドラマや時代劇なんかでよく目にするアレとは少し違うが、おそらく、用途としては同じようなものだ。

 部屋を移動し、いくらか気分的にゆとりができたのか、諏訪子は矢のあるところまで先に歩いて行き、文を解いて読み始めた。

 みるみるうちにイライラとした表情になっていく彼女を見ていて、読み終わる頃には爆発してしまうのではないかと警戒する僕であったが、文の中ほどを過ぎるとそれも段々と落ち着いていった。

 一通り読み終わると彼女はクシャッとそれを丸めて捨ててしまった。怒ってはいないようだが、貧乏ゆすりをして、完璧に冷静というわけでもなさそうだ。今は自分の中で情報を消化するように不機嫌な顔で天井を見つめている。


 彼女がそうしている間にも、僕は最大限の警戒で追撃に備えたが、敵はもう本当に姿をくらませてしまったようだった。

 矢文をよこすことが目的だったのならば、もう警戒する必要もないのかもしれない。


 数歩歩き、壁に刺さったままの矢を引き抜き懐に収めると、僕は諏訪子が捨てた文を拾い上げた。

 まあこの時代の文字が読める自信はないのだが、どうにも妖怪として生きていると勉強なんかを全くしていないのに、その土地独特の、方言や文字なんかが、なんとなくでわかることがある。

 記憶の中で一番古いその経験は…………玄武さんに連れられていったあの都でのことか……


 心の奥で、実の親とは思えずとも、慕っていた人物に裏切られたときの記憶が蘇り、言わんとも表し難い感情が駆け抜けた。

 ……とはいうものの、それもすぐ、他人事のように過ぎ去っていった。時間の流れが、そうさせたのか、それともはなから僕は、この世界に生まれて以来、ずっとこんな調子だったのか、それすらもよくわからない。




 閑話休題




 ダメ元で文を広げて目を向ければ、それは文というより、油染みで薄汚れてクシャクシャなだけの白紙だった。

 裏返してみたり光に透かしてみたりもしたが、どうにも何か書いてある様子はない。

 しかしこれを諏訪子は苦もなく読んでいたのだから、なにもないということは無いはずなのだが……


 納得のいかないまま、眉間にシワを寄せてそれを凝視していると、脳裏に単語が一つ、なんの前触れもなく横切った。

 それを皮切りに、様々な単語が脳内を洪水のように駆け抜ける。一つ一つを追いかければ到底取りきれないほどの語彙の数々、それらが強制的にインプットされているような感覚に今にも頭がパンクしそうだった。

 もはやそれはある種の映像のようにさえ感じられた。

 視界は正常に洩矢神社を捉えているのに、脳が全く違う景色を見ている。気を抜けば、いま足を動かした先で、どちらの景色に転がるのか分からなくなりそうだ。


 全てが終わったとき、それが一つの記憶だったのだと気がついた。

 それが誰の記憶であるのかは、考えるよりも明白だった。




(継萌……)




 その記憶は、彼女の決意と共に、彼女が心から僕らの味方であることを、真に表し続けていた。


 僕が肌身で感じていたよりもよっぽど優しすぎた彼女の記憶は、まず自分の身を案じることより先に、たった一日、共に過ごしただけの相手のことを考えていた。






 私は、此処に居るわけにはいかない……

 套逸さんと、諏訪子様が同じ布団で寝ている姿を見て、私はこの場所に、自分の居場所がないことを悟った。

 私がここにいる限り、彼らは私のことを本心から歓待し続けてくれるだろう。昼間のやり取りを見ていれば、日々を笑い合って過ごせる、そんな日常を想像することだって難しくない。

 

 諏訪子様も、ちょっと気難しいところがある方だけれど、それも八坂様から聞かされていた、「民を苦しめる悪鬼邪神の類」だなんていう話は、とても信じることのほうが難しい。

 むしろ、裏切りや騙し討ちの話題に対する怒りの感情は、彼女が、これまでどれほどの苦労を背負ってきたのかを感じさせられた。

 八坂様は、それを初めから知っていて、それなのに、言葉で裏切りをほのめかして、套逸さんと仲間割れをさせようとするだなんて、そんな卑怯な手を、尊敬していたあの方に、してほしくはなかった。

 それなのに、彼女はまだ、私を離してはくれない。簡単に決別できるなら、それがどれほど私の気を休めことか……


 だから私は、此処を離れなければいけない。

 自分から盲目になり、知らないふりをしていることはできない。


 暗闇のなか、見えづらい足元に気を張って、私は套逸さんたちの眠る社を後にした……


 ゆく宛は……一つしかなかった。


 ――矢の飛ぶような速さでいくつもの山を飛び越え、風を受ける翼をはためかせて私は進んだ。

 こんな時でも、空はやはり気持ちのいいものだった。

 遮るものもなく、冷え切った風が頬をすり抜けていくのも嫌なことを忘れさせてくれる。特に、山や谷を超えるようなときには、急に向きを変える気流を読んだり、霧や雨に霞んだ視界を五感の余すところなくふんだんに使って進んだりしなければならず、余計なことを考える余裕がないのもまた、好きなところだった。

 空は、心を洗ってくれる。


 目的地に付き、ファサと翼で一つ空気をはたくと、石畳の境内に降り立った。

 幾重もの結界で隠され、たどり着くにはその道筋を知らねばならない秘境の地。


 大和の神々の総本山たる高天原(たかまがはら)の舞台の目前に自分がいること、それ自体に私はしばし立ち尽くした。

 目の前を一筋の川が流れている。細石(さざれ)を流れる細く、どこまでもこの長い川は、ここ高天原のすぐ上にある天界より始まり、浮世を通り黄泉(よみ)へと終わりなく続く流れそのもの……つまり永久(とこしえ)の理が形になったものだと、以前、八坂様につれられてきたとき話を聞かされた。

 ――その時はまだ、この川の手前で、八坂様の用事を待っていただけだったから、実際渡ったことはない。

 そして、この川は見るものによってその在り様を変えるものだそうで、浮世ばかりに生きる者は、渡ることがかなわないほどの奔流に流され、浮世へ、ひいては黄泉まで送り返されるのだという。


 そんな小川を一またぎで渡ると、途端に空気の性質(たち)が変わったことに気が付かないはずはなかった。空間そのものにたゆたう神気には穢れもなく、私のような妖怪が長く留まればその身が危ぶまれると、本能が全身にピリピリとした痺れで警戒を促している。

 そんな中でも、私が今こうしていられるのは、今も続く八坂様の使役があるからに他ならないだろう。


 ……


 私が腕を擦りながら一の鳥居をくぐると、何処からともなく声が降りかかった。


「そこにおるのは何奴じゃ?」


 頭を抜けて響く凛とした声の主は、この地を統べる御柱の一柱、『宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)』とみて間違いないだろう。

 彼女は豊穣の神として、今まさに方々へと勢力を拡大している勢のある神で、主神『天照大御神(アマテラスオオカミ)』の食事を司る神として顔が利く。

 私はその場にかしづいて最大限の敬意を表し、自分の身を明かした。


(わたくし)は八坂の神に遣える継萌と申すものです。宇迦之御魂(ウカノミタマ)様には初めてお目にかかります」


 一度言葉を切り、相手の反応を待ったが、一拍おいても反応がないのでそのまま言葉を続けた。


「この度は訳あって建御名方(タケミナカタ)様に直接お伺い立てしたく参った次第にございます」


 これだけ言えば、恐らくおおよその事情は伝わることだろう。

 私が此処に来たわけも、そして、その結果次第では、そのまま一生を終えることになるかもしれないということも……


 と、いうのも、主神天照大御神(アマテラスオオカミミ)様の御子神(みこがみ)にあたる建御名方(タケミナカタ)様は八坂様に意見を通せる数少ない神の一柱であると同時に、宇迦之御魂(ウカノミタマ)様の祖父に当たる御柱でもあるからだ。

 そんなわけで宇迦之御魂(ウカノミタマ)様もきっと事情に精通していることだろうし、彼女は野暮な説明や時間の浪費を嫌う方とも聞いている。




 声だけの神は一つ考え込むようにうなると、小さな声で何事かつぶやいて、大社からその姿を表した。

 絹織物の雅な着物に身を包んだ彼女は思いの外若く、整った顔立ちは二十歳か、あるいは少し下くらにさえ見える。


 彼女は少し歩いて大木の前へ移動すると、その木に手を当てて、恍惚とした表情で言った。


「この木はのう、儂と同じ年に植えられたのじゃ。だからか、何かと縁を感じることがあってのぉ……」


 木のウロの縁を指でなぞりながら、彼女は私のことを窺っていたけれど、おもむろにその手を止めてまだ散っていない木の葉を見上げた。つられて私も見上げた直後、背中の方から吹いた風にあおられ、何枚かの葉が散っていった。その一枚を目で追って、それが地面に落ちるのを見届けていたが、すぐに、ハッとして彼女の方へと向き直った。するといつの間にか私に視線を向けていた彼女は、「うむ」と頷き、


「よし、特別に儂が案内しようぞ」


 と、特に何も聞くことなく私を招き寄せたのだった。




 ――彼女について社へ上がると、そこは予想に反して『こざっぱり』とした印象を受ける場所だった。

 渡り廊下や中庭を抜けて奥へと進んでいくと、そこで通ったいずれの場所も手入れが行き届いていた。私がこれまでに入ったことのある、八坂様の社とも、諏訪子様の社とも違い、非のあるところを探すことのほうが難しいくらいだった。

 振り返り、私が身を硬くしていることに気がついた宇迦之御魂(ウカノミタマ)様は、浮かない空気を振り払うように手を振って、


「まあ、そう気圧されることもない……天照(アマテラス)の奴がまた岩戸にこもらぬよう、手をかけているだけじゃて」


 と(おっしゃ)った。己が主神を『奴』と呼び捨てる畏れ知らずもそうなのだけれど、宇迦之御魂(ウカノミタマ)様は評判通り、人間にも気取らない態度で接し、統べる民からの信頼も厚いお方なのだろうと察しが付く。


……


「……宇迦(ウカ)でよいわ」


 また少し、社を進み歩いていると、先をゆく宇迦之御(ウカノミタマ)様が前触れもなくそう声を上げた。


「えっと……」


 反応に困り、言葉をつまらせると、彼女は少し面倒くさそうに続けた。


「儂は崇拝というものが嫌いでな、気安く宇迦とでもべばよい」


 そこまで聞いて、ようやく何を言われたのか合点がいって頷いたものの、はて、私はいつ彼女の名前を呼んだのだろうか……?


「お主の考えくらい、目をつむってでも言い当てられるわ」


 そんな彼女の言葉を聞いて、


(ああ、神様っていうのは、やっぱり人を導くものなんだなぁ)


 と、そう思ったのでした。


「はい!宇迦様」




 ……




 ――私は宇迦様に連れられて建御名方様のいるという、高台の離れにある小さな小屋にやってきた。

 他の施設から距離をおいたこの小屋の周囲は、まるで時が遅くなったかのようにさえ感じられる。鹿威しの音がたまに響いていなければ、本当に時間を感じることができないことだろう。

 此処に来るまでに途中何度か神様とすれ違ったけれど、どの方も宇迦様とは違った神々しさを纏っていた。


 宇迦様は部屋の障子の前に立つと咳払い一つして建御名方様を呼んだ。


「儂じゃ、建御名方殿これから這入るがよいかの」

「宇迦之御魂か。うむ、入れ……連れも共にな」


 見透かしたように私の存在に気がいた様子の建御名方様の言葉に私は思わず眉を吊り上げたが、神様達の間ではこれが普通のやり取りなのだろうか、宇迦様は特に気にした様子もなく私に目配せだけして部屋に入った。

 髪撫でつけ表情を繕ってから、彼女のあとに続いて部屋に入ると、部屋は中程で段になっており、低いこちら側とを隔てる衝立(ついたて)の奥に、建御名方様の、その影だけがうかがえた。


 位の高い神は直接その姿を人前に晒さないとは聞いていたが、はたして、相手の顔も見えない状況で、真摯(まとも)に話を聞いてもらえるのか、一抹の不安が頭をよぎった。


「何を入り口で立ちつしておるのじゃ、はよ座れい」


 自分の右後ろに置かれた座布団を指し示しながら、宇迦様はいつの間に沸かしたのやら、湯気の立つお茶で口を湿してた。

 言われるがまま座布団に正座して腰を落ち着けたものの、私はとてもお茶をすする気分にはなれそうになかった。


 なんといっても、すぐ目の前にいるのはこの高天原の事実上の統治者、建御名方命(タケミナカタノミコト)その方なのだから、ほんの少しの不作法も許されない。衝立越しとはいえ、部屋に入る前の(くだり)もある。おまけに自分のこれからがかかっているともなれば、緊張しないことのほうが難しい。


 しかし、沈黙はそう長くは続かなかった。建御名方様が話を切り出したからだ。


「さて、我は忙しい身であるから、簡潔に説明せよ」


 そう言われて、私は思わず宇迦様に視線で助け舟を求めた。しかし、彼女はどこ吹く風といった様子で、こんどは衝立に描かれた花の数を数えている。


 ……儂は案内すると言っただけじゃ……


 そんな言葉が、ありありと聞こえてくるようだった。


 膝の上で指先が震えている。


 気づけば、喉がすごく乾いていた。


 私は、八坂様の行った暴虐と、その渦中で理不尽に巻き込まれた少年のこと、そして、その裏に潜む危険について、回らない舌で話し続けた。


 時の流れと縁遠いこの場所で、時間に迫られ、それでも私は諏訪子様に套逸さん、この二人が大和の神々の敵になるはずがないと、もっと温厚に、事を運ぶことができるのではないかと、冷や汗を流しながら語りきった。






「……つまり儂は我の命で動く加奈子を止めればよということだな」


 ごく日常的なやり取りをするように、建御名方様は言った。

 素直に受け取れば肯定にも聞こえるその言葉でも、それはむしろこの場において一番ありえないことだった。

 この言葉の意味は、「我に意見するというのか」という警告だ。

 それでも、私は唇を噛み、硬い意志で答えた。


「はい」


 それは、宣戦布告とも取れる発言に違いない。

 しかし、ここで身を引けば、それが足かせとなり、どんな譲歩も利かなくなることだろう。

 私は、縋るあてもなく、頼るべき神を相手にするという重圧がどれほどのものか、今その洗礼を受けたような気がした。


 生唾を飲み、額を流れる汗が外気に触れて冷やされて頬を伝い落ちていく。そんな感覚が気持ち悪いほどにはっきりと感じられた。




 とても長い時間が経ち……いや、実際にはほんの少ししか経っていないのだろうけれど、建御名方様が静寂を破った。


「よし!貴様のその意気は気に入った。だが、今更その要望を呑むことはできん……既に方々に知れ渡っておるからな」


 予想外の好反応に胸をなでおろすのと同時に、結局私の力では状況を変えることができないのだと肌で感じ、落胆する思いもあった。


 言葉にならない想いが胸の中でこだまし、虚構的な感情が視界の色を奪っていった。

 そこに色を差したのは、それまで我関せずの姿勢を貫いてきた宇迦様だった。

 彼女は立て膝で前へ出ると、満を持して言った。


「……しかし、戦そのものを止めるには至らずも、その形式を変えることなら、できるやも知れぬぞ」




 ……




「……どうじゃ?」


 宇迦様が示した提案に、私は表情をほころばせて頷いた。


「それならきっと上手くいきます!……私に、やらせてください」

「だ、そうじゃ、あとは建御名方殿、そち次第じゃぞ」


 衝立の向こうにいる建御名方様に向けて、彼女は視線を投げかけた。

 その先でどんな思案がなされているのかは私には分からないが、一拍おいて、建御名方様は低い声で言った。


「責任は、儂が持つ」


 それは、事実上の肯定で……


「必ず、成功させて見せます」


 私は深々と頭を下げてお礼をした。








 ……行きと同じ道を逆に辿り社の中を歩きながら、私は宇迦様に質問した。


「それにしても、八坂様の名前で一騎討の果たし状を()()()送って相手の承諾を得てしまえば、八坂様もそこから引くに引けなくなるだなんて妙案、よく思いつかれましたね」


 宇迦様の言ったことは、要は既成事実だけ先に作ってしまうというもの。成功すれば、両者納得のいく折り合いをつけられるかもしれない。

 それをした私は只では済まないだろうが、もちろん覚悟の上である。


「なぁに、儂も建御名方も期を図りかねていたところでな、()()()()()()()()というだけじゃ」


 あっけらかんとした調子でそういう彼女だけれど、期を図りかねていたということは、前々から考えていたということなのだろうか?

 なんにせよ、彼女のおかげで何もかもが上手くいっているのだから、本当に、感謝の言葉以外出てこない。


「……とは言え、善は急げじゃ。あの場での会話も何が何処で聞いているやも分からんからの」

「えっ……そんなに壁薄いんですか」


 私がそういうと、宇迦様はクスッと笑った。すぐに自分はなんて素っ頓狂なことを聞いているのかと気づき、顔が赤面していくのを感じた。


「……たわけが……」




 閑話休題


 宇迦様の仰った通り、時期を逃したら成功はあり得ない。今の私は、成功しても失敗しても八坂様のものには戻れないだろう。

 ――あの優しかった八坂様の表情を想い浮かべても、それはすぐに険しいものへと変わってしまう。


 私は、宇迦様に尽力してもらい用意した手紙を(たずさ)え、素早く、ひっそりと、諏訪子様の居る神社に向かった。

 もし途中で食い止められても手紙の内容を知られないように、諏訪子様と套逸さんの二人にだけ分かるようにしてある。もちろん宇迦様の力を借りてだ。

 そして、套逸さんにだけ、私の記憶も一緒に預けることにした。そのために必要とはいえ、直接套逸さんを狙って矢を放つのは気が引ける。彼なら、きっと状況を理解してくれるだろうと信じてはいるものの、呪術の類で記憶を受け渡すのはできればやりたくなかった。しかし、宇迦様や建御名方様と話をして分かったことがある。神様たちは容易に相手の思考が読めるのだ。手紙を送った後も、私の考えていることが筒抜けになってしまっては策に支障をきたすかもしれない。そう考えると、やはり自分の記憶を套逸さんに預け、自分の中には何も残すべきではないということになるのだ。

 私の記憶を套逸さんに渡して以降は、宇迦様が天岩戸(あまのいわと)に匿ってくれることになっている。


 はたしてうまくいくのか、それすらもまだ分からない。




 ……




 彼女の意思は、確かに僕に受け継がれた。

 それを今すぐにでも伝えたいが、残念ながら僕の実力では継萌を追いかけることはできない。

 彼女の記憶の中で見た高天原(たかまがはら)の景色はどれも絵に描いたように美しいものだったが、僕には儚いもののようにも思えた。

 そこに至る道筋を知らない僕は、今後も直にその景色を見ることができない。


(あれが宇迦之御魂(ウカノミタマ)か……)


 言わずもがな僕のいた時代でも有名な稲荷神社の神様の姿を、僕は間接的にではあるが見てしまったということだよなぁ……

 稲荷といえばキツネの狐のイメージしかなかったが、神様は狐でも何でもないんだな。とはいうものの、妖狐だというのに人に化け続けている物好きもいたことだし、一概に否定もできないか。


 ――なんとなく、僕は継萌からの手紙を見直した。初めは何も書かれていなかったが、今見るとそこにはありありと文字が書かれていた。どこまでも非科学続きだが、正直今更驚くこともない。むしろ、僕にも作れるんじゃないかと少しワクワクしながらその方法を模索し始めているくらいだ。

 内容は……やはり不思議と読めてしまうのだが、まあ三日後に直接対決を申し込むというものだった。承諾する場合はこの手紙を青い炎で燃やし、破棄する場合は赤い炎で燃やせば良いらしい。そこに何の違いがあるのかは分からないが、継萌の記憶を見た今、はなから選択肢はないようなものだ。


「ねえ諏訪子ぉー青い炎ってどうやって出すのか分かる……?」


 何気なくそう聞いたのだが、諏訪子は不機嫌そうな顔をして眉間に皺を寄ている。


「そんな即答じゃなくて、もっと考えてからさぁ……」


 即答……というのがピンと来ないが、考えてもみれば僕は継萌の記憶を見ていただけで、実際には殆ど時間もたっていなかったのだから、僕と諏訪子では感覚が違うのは当然だった。


「ごめん、待つよ……」


 そんなことがあって、僕らは湖の上で特訓をするということになったのだった。

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