第二十六話 言葉と声
女の朝は早い。
朝日の前に目を覚まし、朝食の支度から家族の荷造りまで、その仕事は数え始めればきりがない。
それもこれも家庭があってこそのものなのかもしれないけど、この継萌はいつか来るであろうその時のため、日々早起をする習慣をつけているのである。
……藪から棒にいったい何を言い出したのかといえば、今日、そんな乙女のささやかな習慣が、こともあろうにある一人の男の手によって無に帰されようとしていたのであった。
「あっ、おはよう。よく眠れた?もうすぐ朝ご飯もできるから」
そう、この男、何を隠そう套逸は私よりも早くに起きて、そしてあろうことか今は朝食の支度までしているというではないか。
これでは今まで私がしてきた努力が何だったのか、それもわからなくなってしまうというもので……
「えっと、何か私に手伝えることは!」
まあ、つまるところ私も必死だったのだ。
何か悪い夢を見ていたよな息苦しい感覚とともに目を覚ませば、私は柔らかい布団の中で仰向けに天井を眺めていた。
じばらくしても胸を圧迫されているような感覚が止まず、気分を切り替えようと身体を起こすと、『ゴロン』と何かが私の上から転がり落ちていった。
なるほど道理で苦しかったわけだと納得して、いったい何が乗っていたのかと伸びをしながら横を見れば、
「ちょッ!!」
昨日の今日で忘れるはずもない神の姿が、服をはだけさせたあられもない姿で大胆無防備に寝息をかいていた。
よく転がされても起きないなぁ……とかそんなことはどうでもよくて、ともかく女子がそんな恰好をしているなんて、それだけでこっちが赤面してしまいそうだった。
それに今、この場所には彼がいるはずだった。慌てて部屋の中を見回す限り、同じ部屋に寝ているということはないようだし、まさかあの真面目腐った性格の彼がそんな間違いを犯すはずはないと思うけれど……いや、かえってああいう性格のほうが無頓着に踏み込んでくるということも……
(あり得る……!)
私は彼女を起こすため、慌てて手を伸ばした。
ただ、その手が彼女に触れるかどうかというところで、私はピタリと動きを止めた。寝起き直後で噴火とばかりに頭を振るい起こしたかと思えば、今度は降りしきる灰が音を飲み込んでしまったかのように、それは力強く打ち付けていた鼓動の音が冷めやらぬまま起きた急激な落着きだった。
少し気にかかることが思い付き、急に冷静へとひき戻される感覚。
私はこの瞬間まで昨日のことはもう片が付いたものだと思っていたけれど、果たしてそれはどうなのだろうか。彼女は今こうしておとなしく眠っているとはいえ、それも昨日彼が何か八坂様ですら意表を突かれるような手を打ったからに他ならない。
もしかしたら、まだ事態は収束していないのかもしれない――そんな考えが私の心を引き締めた。
伸ばしかけた手で彼女の服を丁寧に着せなおし、そっと立ち上がると翼を伸ばした。
心なしか疲れが抜けない気もするものの、八坂様からの使役がいまだ続いていることを実感して知らず表情が険しくなる。
私は人に危害を加えないことを誓う代わりに、八坂様からその力の一部を使役されている。私も所詮は妖怪で、どれほど意志が固くとも存在を保つためには人間の畏怖か、それに代わる力が必要だった。
八坂様のことは、正直よくわからなくなってしまった。今も続く使役の力は、手を差し伸べてくれたあの優しさからくるものなのか、それとも私に対する忠告なのか……世界を一つの国にまとめ上げる。そして平和な世界を作る。いつだったか八坂様が言っていたこと。最近まで、私が信じていたこと……この迷う気持ちの刻限はきっと、あの大戦のその時までだろう。
肩にかかるくらいに揃えて切った髪を撫でつけた手は、寝癖も直さず空を切っていた。
部屋を出て朝の空気を吸うと、何処からかいい香りが漂ってきた。深呼吸をして、誘われるように社の裏手に歩いて行けば、彼が優しく声をかけてきた……
彼女は今、僕の代わりに朝ご飯を作ってくれている。
はじめのうちは僕も自分でやるからと断っていたものの、結局彼女から溢れる謎の熱意に根負けして手伝ってもらうことにした。とはいっても、ほとんど作るものは作り終わった後だったし、これと言って任せられるようなものも無く、困った僕はとりあえず野菜を切ってくれるようにとお願いした。
簡単すぎるかもしれないと少し気にかかったが、彼女はうれしそうな表情で引き受けてくれた。いつになく真剣な表情で野菜を手に取り、野菜が一つ一つ丁寧に乱切りにされていく様子を見て、一人、ほっと息をついて社の柱に寄り掛かった。正直僕は内心穏やかではない。諏訪子のこともあるし、無策に継萌を引き入れてしまったことなど、いろいろ考えると昨晩はほとんど眠れなかった。仕方なしに動物の姿になって山の中を散策しようかとも思ったのだが、今不用意にこの場を離れるのも得策じゃないと考え直し、ならばテキトーに朝ごはんの支度でもしようと思い立ったのである。
幸い?この神社には供物がたくさんあるから食べるものには困らない。それはきっと諏訪子に対する信仰心はまだ恐怖の感情が先立っているからだろうと思うと複雑な気持ちだが、今はまだこれでいい。……正直に白状すればもっと仲良くはできないものかと思っていてるが、本人に無理強いすることはできないし、僕がどうこう言ってうまくいくとも思えない。それに下手をすれば信仰の基盤を崩されかねないので、ことさら今のような情勢では辛いものがある。
ふぅむ、この調子だとしばらくは眠れそうにないな……
すでに寝不足気味なせいか、どっと疲れが押し寄せてくる。
「さて!どんな調子かなぁ?」
ひょいと弾みをつけて彼女の隣に並べば、ちょうど用意した分の野菜が切り終わったところだった。
(これで味噌があればなぁ……)
保存もきくし、あってもいいとは思うものの、作り方知らないし、麓に降りても全くないし……そもそも味噌って何処が発祥地なんだろう?
まあ、いいか。
「えっと、だめでしたか?」
僕が厳しい表情でもしてたのか、彼女が不安げに訪ねてきた。
「うん?……あぁ、大丈夫ばっちりだよ!」
考えてることが表に出てしまう癖は昔に比べてだいぶマシになったとは思うけど、それでも油断をするとこれだから駄目だ。これだけ長い時を生きてきたのに、内面が何も変わっていないんじゃないかと時折年甲斐もなく不安になってしまうのはそのせいだろうか。
いや、内面ばかりでなく外見すらもほとんど変わっていないんじゃないだろうか。現に身長だけを比べても彼女に負けてるし……いや、それでも諏訪子よりはまだ背も高いからいいものの……?
「ああそうだ、ちょっと悪いんだけど切った野菜をゆでといてくれる?僕はちょっと諏訪子のところに行ってくるから」
「まかせてちょぅだい!」
彼女は待ってましたと言わんばかりに肩を回してノリノリだった。
彼女の気合が空回りしないか心配だけど、まあ野菜を茹でるだけで何が起きるということもないはずだ。大丈夫さ、きっと。
……いまの、フラグ?
ともあれ、一抹の不安はあるものの僕は諏訪子のもとへと向かった。
彼女……諏訪子の心を読んだとき……いや、そうしようとした僕と彼女の意識の境が消えたとき、悲嘆に怒り狂う嵐の中から僕は彼女の身の内に潜む孤独を感じ取った。なぜそんなことが起こったのかわからない。過度な精神負荷が能力で繋げたパイプを逆流したのか、あいるいは僕のまだ知らない秘密が眠っているのか……なんにせよ、あの時僕は彼女だった。掻き乱れた意識を思い出すことは困難で、判然とした記憶は何もない。ただ漠然と、僕は彼女助けたいとそう願った。それだけは考えるよりも明白な事実だった。
きっとその思いは彼女に届いたに違いない。
でも、僕は自信がない。だからちゃんと確かめて、そして彼女の肩の上で、これまでのように笑いながら話をしたい。
そのためにも、僕は彼女が目を覚ますときにそばにいなければいけない。
そう、思ったのだが……
「あ……起きてる」
「なにさ私が起きてちゃいけない理由でもあるの?」
「いや、まったく……」
具合悪そうに頭を押さえている彼女は立ち上がろうとしてふらついた。
「おっと!ほら無理しないで」
そんな彼女に駆け寄り肩を支えた僕は、「昨日のことを聞かせてくれるかい?」と、彼女を布団に寝かせながら聞いていた。つい気が急いてしまい彼女のことを気にかける言葉もなく本題に踏み込んでいることにはすぐ気付いたが、乗り掛かった舟と、僕は一息に続けた。
「まったく、薄情なんだから」
そんな彼女の言葉にはいつものような余裕を感じるが、どこか掠れたような、疲れた調子に僕は思えた。
「私には套逸が分からないよ」
そう揺らぐその声音は、行く当てを見失った十字路の只中に取り残されたかのように天を仰いでいた。
わからないのは僕だって同じだよ……
そんな思いは胸に秘め、僕は一呼吸の間を感じていた。
「あそこにいたのは大和の神々の一人だよね?いったい何を言われたのさ」
僕の知っていることといえばせいぜいあの女が悪役だっていうことくらいだ。
「套逸……あんた本当に何も知らないの?」
「うん……とはいえ、僕がよほどの悪役に見えるよう誑し込まれたことは分かるけど」
昨日、あの女と対峙して確信したことがある。それはこのまま大和の神々を放置し続ければ確実に日本は彼女らのものとなるだろうということ。内部から不安をあおり、自然崩壊させることで事実上の支配をする。そういうやり口は気に食わないが確実だ。
――それだけならまだいいのだが、今回の件で一番気に食わないのは直接親玉をそそのかしに来たってことだ。普通、こういう手段で神を堕とすとなれば真っ先に信者たちの信仰心から崩すはず。そうして神の力が弱まったところで要となる相手に全ての矛先を集中させる。それに主犯が乗り込んでくるなんてまず考えられない話しだ。よほど自信があったのか、何かしらの手段で情報を得ていたのか……多分後者だろうが……
「なんかもう套逸の調子がいつも通り過ぎて疑う気が失せるよ」
そんなことを言う彼女はため息とともに肩の力を抜いて布団に沈み込んだ。
「そりゃどうも」
彼女の目にどう映っているのかは知らないが、少なくとも悪い印象にならないだけよしとしよう。
「それで、何があった?」
僕は薄情と言われたその質問をもう一度繰り返した。
彼女は苦笑いで何か納得したようにうなずくと、
「あの女が初めて来たのは套逸が出て行ってすぐのことだったかな……」
苦い記憶を辿るように重く噛みしめながら、彼女は話し始めた。
「突然やってきて、そしてなんの前触れもなく国を引き渡せと言ってきた。対等性も道理も何もない。もちろん私はすぐに跳ね除けたよ。そしたら今度は急に話のわかるような口ぶりになって、「大和の神々の傘下に無条件で加われば土地と民を保証しよう。さもなくば敵対したものとみなす」なんて言い始めた。はなから分かり会える相手ではないと思っていた。そもそも対等として扱う気が微塵もないってことも、そうやって挑発してきてるということも分かっていた。だけど私は一国の神で、この国は私だけのものじゃない。ここで負けるわけにはいかなかった……それで……」
「売り言葉に買い言葉と、そういうわけか……でもそれならなおさら何があったっていうんだ?」
「それは…………」
彼女は言葉に詰まり、言おうか言うまいか、悩んでいるようだった。ことはどうであれ、諏訪子にあれだけの憎悪を煮えたぎらせ、いまも口に出すことをためらわせる程の口車とはどんなものなのか、いくらか興味も沸いたきた。いっそのことあの女が神という名の邪神で、視界に入るだけで気が狂うというのならもっと単純だったかもしれないのにと、あきらめ気味の考察をしているところに、「套逸が人喰いのために私に近づいてきたんだって……!」と、彼女は早口に言った。
……
「……え?そんなこと信じたわけ?」
「だって!ときどきいなくなるし、今回だって帰ってきたかと思ったらすぐにどっか行っちゃうし、入れ替わりにあの女が来てもっともらしいことを言うんだもん!」
僕に限って人喰いだなんて、絶対にありえない。なんたって元人間なんだからそんなこと気持ち悪くてできやしない。
あまりにも素っ頓狂な答えに噴出しそうなのを必死にこらえ、びっくりするくらい真剣な様子の彼女の姿にまた吹き出しそうになる。
「オーケーOK……もうあらかたの事情は分かったから……とりあえず、休もう」
息切れ気味で彼女の話を遮ると、僕は、
「大丈夫、僕は絶対に人を傷つけないから!……誓うよ」
と、真剣な彼女には申し訳ないがもうシリアスなんてどこ吹く風といった僕なのであった。
まったく、どこからそんな話が飛び出してくるのか分かったもんじゃないなと……
「あっ!」
僕は今、一つ思い出した。
「今度は何!?」
と、彼女は辛抱たまらず飛び起きて叫んだ。
「いやあのね、こうしてこの国に流れ着く前に、そういえば、『た~べ~ちゃ~う~ぞ~』なんて、山に入ってきた子供をけしかけてたような気が……」
今の今まですっかり忘れていたが、案外そういうのが猛烈に印象付いて廻ってきたということも……まあ、ないよな?
「これだから套逸は……」
「えっ、何そのあきれ顔!」
彼女はやれやれと言わんばかりに布団へ大の字になって倒れこんだ。
「――套逸さーん!ご飯、できましたよー!」
そうこうしているうちに継萌が裏から呼んできた。
「おっといけない!彼女のこと忘れてた!」
「……套逸、今のは?」
そう訝しげに聞かれてはっとした。考えてみれば諏訪子の中で彼女は大和の神と一緒にいた敵という記憶しかない訳だから、そんな相手の声が聞こえて警戒しないはずもない。そのことをすっかり失念していた。
「あぁ……話すと長くなるからまたあとでね。とりあえずは命の恩人……かな?大丈夫、いい子だから心配はいららいよ。で、ご飯できたみたいだけど諏訪子はどうする?」
何を焦っているのか早口に言い切って微妙に呂律が回っていないことはさておき、諏訪子の反応が気になるところだ。また頭に血が上るようなことにならなければいいんだが。
「ふーん。ま、いいんじゃない?私はご飯いらないから二刻くらいしたら起こして」
思いのほか冷めた態度に安心していいのかどうか判断に困る。……ん?
「今、二刻って言った?」
「……」
ざっと一時間、この態度が続くのだろうか?
「それじゃあ、お休み」
寝る子は育つというけれど、まあ、子供じゃないし……たぶん?
僕はそれだけ言うと継萌のところへ向かった。
(しかしまあ考えてみれば諏訪子がいくつなのかこれまで気にしたこともなかった。ふぅむ、直接聞くのはNGだよな……まっ、知らなくて問題もないしね、ほっとこ)
「あっ、あの、套逸さん?あの子は……その、どうでしたか」
継萌は僕が一人で戻ってきたのをみて不安げにそう聞いた。
一人でいるうちに思うところがあったのだろう。そんな彼女の言葉に僕は思わず笑みをこぼした。
「ふっ……やっぱり子供に見えるよな」
「え?」
「いや、こっちの話。まあだいぶ落ち着いてるし大丈夫だよ。心配してくれたんだね」
「は、はぁ……そうですか……あれだけのことがあったんですから、当然心配しますよ」
ああ、やはり彼女はいい人だ。そりゃそうだよね僕を助けた命の恩人に悪い人はいるまい!
僕がなぜ笑っているのかわからない彼女は不思議そうに自分の服を見つめたりして首をかしげている。
そんな様子をほほえましく見つめながら、僕はちらりと彼女の背後に目をやった。彼女が作ってくれた料理を見ようと思ったのだ。とはいえほとんどは僕が仕込みをしておいたわけだし、どんのものがあるのか知っているわけだが……まあ、それでも気にはなるよね。
(ん――……まあ、いいじゃんか)
この角度だと鍋の中までは見えなかったが、他はおおむね普通ではなかろうか。僕の下ごしらえの意図をくみ取ってくれた彼女はちゃっかり盛り付けまで済ませてしまっていた。多少華やかさには欠けるが、そもそも僕の準備しておいた材料が地味な色合いのものばかりだったのでやむ無しだろう。
切った野菜を茹でてもらうだけのつもりが、うれしい誤算だ。
残すはなべの中身だけで、予定では豚汁(といっても豚ではなく猪だが)にするつもりだった。机にその肉が残っていないところを見るに期待していいのかな?
「それじゃあありがたく飯にしよう!」
「はい!」
他人の手料理なんていったい何年振りか……
こんな状況が巡ってきたことに感謝しながら、僕は両手を合わせて、
「いただきます!」
と、箸を取った。
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%〈鼯鼠食事中〉%
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「……ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様でした」
ざっと三十分、ゆっくりと食べた朝食の感想は最後に飲んだ猪汁の味にすべて持っていかれてしまった。
おぼろげな記憶では、美味しかったと思うが、ともかく今は水が飲みたい……
まあ、置いておいて、
「なんか、僕が勝手に連れてきちゃった感じだけど、ホントのところ嫌じゃない?」
少し……唐突に話を切り出した。
この後どうするか、それを決めるタイミングは今しかないと、そう思った。
彼女は、「んー、そうねぇ……」とどこか頬を赤らめた様子で、
「まだ、分かりませんね」
と笑った。
そんな彼女にドキッとして思わず目を離してしまったが、ハッと気づいて何かを探すふりをしながら頬を掻く。
「それなら、まあ、しばらくはゆっくりしていくといいよ」
いい歳して子供みたいに照れ隠しの強がりをする。僕はまだ、そんな妖怪です。
フフフと面白そうに笑う彼女の手料理は、多分もう、二度と食べないだろうが……
閑話休題
あれからは特にお互い話すこともなく、皿やなべの片づけを黙々とこなした。その際に皿を一枚割ってしまったのは痛手だったが、おかげで気持ちがすっと引き締まったような気がする。そのための出費だと思えばまあ、トントンくらいにはなるだろう。それよりなにより手水屋から黙って汲んできた水で皿を洗ったのは大丈夫だったのか?
いつもなら諏訪子に聞いて了承をもらうのだが、あいにく今日は寝ているのだ。たいていはいちいち汲みだして使う僕に、「直接そこで洗ったっていいのに」と面倒くさそうに言ってくるのだが、いくら持ち主が許可しても、神社の手水屋で直接野菜や食器を洗うわけにはいくまい。前世の記憶にあるようなぽろっちい神の居るかも分からない神社でさえはばかられるのだ。日本人として、それはやってはいけないコトだろう。
「あぁ……えっと、諏訪子を起こしに行かないといけないから、適当に散歩でもして時間をつぶしてて」
諏訪子のことが頭に浮かんだついでに、もう二刻をとっくに過ぎていることに気が付いた。こうしてはいられないとセカセカとした足取りで社の表へ廻っていく最中、ふと誰かの視線を感じて振り向けば、柱なの陰からジーッとこちらを見つめる黄色い目がみえた。
「いや、はは……起きてたんならそう言ってくれればいいのに……」
見ているばかりで近づいてこようとしない彼女の方にかけよりながらそういった僕は、彼女が不機嫌そうな様子をしていることに首を傾げた。
ふぅむ、僕が起こすのを忘れていたことがそんなに嫌だったのだろうか?
「……仲、良さそうじゃん」
「え?」
いつもより低い声で、より一層不機嫌さを増した彼女の姿に、僕はただ理由がわからず首を傾げた。
「あの女、套逸とどういう関係なのさ」
「どうって、そんなの……」
ただの友だち……そう答えようとして引きとどまった。下手な答えをすれば即刻祟られそうな、ものすごく危うい状況に立たされているような気が気がするのだ。
いやな空気感が辺り一帯に漂い、僕はのどの渇きに生唾をのむ思いで立ち尽くした。
追い打ちをかけるように、「そんなの……何?」と聞き返してくる彼女の剣幕は風格を強め、僕の心持はいよいよ風前の灯だった。
何をしても状況が好転する気がしない。
何が地雷で何が落とし穴かもわからないような状況で、僕はようやく彼女の怒りの……いや、疑心の正体に気が付いた。
彼女がそれほど僕を慕っていたとは予想外で、同時にうれしく、
「なぁーんだそんなことか!」
と、思わず声を上げて頷いていた。
が、これがどうにも導火線に火をつけたらしく、見る見るうちに血の気がまして赤くなる彼女の顔は今にも決壊寸前だった。
「あー、えっと落ち着い「套逸のバカ!!」ええぇ……」
逃げるように去っていく彼女の背中を置き去りにされた手がむなしく追いかけながら、
(やっぱり女心は分からない)
それもまた、僕なのである。
って、違う!早いとこ諏訪子を追いかけないと一体何をしでかすかわかったもんじゃない!また地震からの生贄騒動なんてのはゴメンだからな!!
そうやって一人漫才をしている間に諏訪子の姿は何処へやら、すっかり見失ってしまった。
とはいえまだ焦るには早い。長いこと一緒に暮らしてきたのだから、諏訪子が逃げ込みそうな所くらい大体察しはつく。彼女の生活圏はもっぱらこの神社の境内だけ。他の場所はたとえ自分の国といえどほとんど知らないだろう。となれば必然、彼女のいる場所は……
「やっぱり此処にいた」
本社の裏にある小さな小屋の中、祭事のための道具が納められているその奥で彼女は膝を抱えて小さく体を揺らしていた。
僕が声をかけると彼女はビクッとして肩を強張らせたまま、ジリジリと物陰の奥に隠れていく。
「まったく、そうやって拗ねてないでこっちに出てきなよ」
これまで数年間、喧嘩することもなく過ごしてきた僕らだったが、この数日でその反動かと思うくらいにすれ違っている。こんな時にどうしたらいいのか僕はいろんな記憶に検索をかけているが、検索エンジンがオンボロなのか今のところヒットするものはない。
僕がなんと声をかけても出てきてくれそうにない彼女だが、さてはてどうしたものか……
「ああもう、どうしてほしいのさ……」
そんなボヤキも知ったことか、自分で考えろと言っているような風体で彼女は背中を向け続ける。その頭の上、斜めにかぶられた帽子の目玉?が恨めしそうに睨んでくるのは果たして気のせいだろうか……?
このままではらちが明かないと思った僕は、入口のほうへ向き直って一言、
「……しっぽ触らせてあげ『モゾッ』」
言い切る前に彼女が飛びついてきた。尻尾に顔をうずめてその表情は覗えなかったが、小さな声で、「鼯鼠になったら許してあげる」と子供のように上から目線でお願いしてきた。まったくそれでいいのかよと思う反面、つくづく女子はモフモフ好きだなぁと他人事のように、かわいいらしい神様を見ながら僕はヒョイと地面を蹴って姿を変えた。
(ほらほら、ご所望の鼯鼠ですよー)
彼女に抱えられるがまま、僕はこんな時間が続けばいいのに……と、別の神のことを考えながら人知れず瞳を閉じた。
「套逸さん、戻られたん……あっ、諏訪子様、申し訳ありません勝手に場所をお借りしてしまって……ところでその肩の上に乗せられている生き物は?」
諏訪子の肩に乗りながら、僕は継萌のもとに戻ってきた。
彼女は鼯鼠の姿になった僕を一度社で見ているはずなのだが、あの時はそれどころじゃなかったせいか気づいていない。
こんなに面白い状況めったにないので、僕は尻尾で諏訪子の背中をたたいて『ほらほら』と合図を送る。てっきり僕が相手をすると思っていた彼女は困惑したようにコッチを見てきたが、僕も知らん振りで対抗する。
僕があてにならないことを察した彼女は、オドオドと引くか進むか迷っているようだった。そんな様子を見かねてか、先に地区を開いたのは継萌だった。
「あの……私少し考えていたんです。このまま此処にいてもいいのかなって……きっと私がいると不安で、迷惑だと思うんです。何の役にも立てないかもしれません。でも、套逸さんが私を信じて連れてきてくれた。だったらそれに応える努力ができるまで、此処にいて、きっちり恩を返したいって、そう思ったんです。そんなの私の身勝手で、きっと嫌がられるって分かってるんです……でも、恩を仇で返すのはもっと嫌なんです!だから……」
「……じゃない」
「えっと……なんて?」
「嫌じゃ、ない……ここにいても」
「諏訪子様……」
なんだかいい糞に気でまとまってきたところで、
「ほらね?いい人だったでしょ」
と僕は満を持して声を出した。
「……うん」
と頷く諏訪子に笑いかけ、彼女の肩を飛び降りながら変身を解除した。
いきなり動物が喋りはじめたことに目を皿のように丸くして言葉を失っていた継萌だったが、僕が人の姿に戻ったことでどうやら言葉を取り戻したらしく、
「と、套逸、さん?」
と、なぜか疑問形で尋ねながら何度も目をこすっていた。
「なにもそんなに疑わなくたって、僕はしっかり野衾 だから!」
「は、はぁ……」
どうにも腑に落ちないことがある様子の彼女だったが、僕としては誤解も解け、丸く収まったから全てよし!と、終わったつもりで手を払った。
「ところでお昼は何食べたい?」
片や、「またか」とあきれた様子で、片や、「えっとね」と期待する様子で、二人の少女に相反する視線を向けられながら、一日の朝が、ようやく始まったようだった。
どうも皆様、作者のノブです。長らくお持たせしました実に半年ぶりですかね?
この間何をしていたのかというと、特に何もしていませんでした……
最近なかなか創作意欲がわかなくてずっとほったらかしていました。
反省するところではありますが、月一投稿はちょっと厳しいかもです……苦笑
ともあれ、納得のいく完結までは続けます。
それでは次話をお楽しみに!!




