第二十三話 前後不覚
「なあ、先生はあの妖怪のこと、どう思う?」
「套逸か?……なら、噂以上だとしか言えないな」
「そうか、私も同胞かどうか直接確かめたかったのだが……先生がそう仰るほどなら、尚の事あってみたいものだ」
「君ならその『お仲間』達を使って事情を知ることもできるだろうに」
「ははは、子鼠たちはまだ未熟でね、どうにもことの詳細を何処かへ置いてきてしまうのだ」
「そういうものか……」
「ああ、今回の件だって、慌ててかけてきたかと思えば、『グルグルして消えちゃったの!!』だよ……なんのことだがさっぱりさ」
「はは!十分的を射ているじゃないか!」
「主語を付けるようにと、いつも言い聞かせているのだがね……」
「まあ、気長に続けるとよい……さて、ナズーリン……
……君に頼みがある」
彼女に周りを見るようにと、そう投げかけられて、僕はキョトンとした表情をもってそれに応じたと思う。彼女の表情が想像していたものと違って穏やかで、そしてその瞳が忘れていたことを思い出したように晴れやかだったからだ。
彼女に言われたとおり周囲を見渡してみると、なるほど確かに切迫した様子ではないようだったし、それどころかこの境内はこれまで通り淡い日差しに木陰が揺れる、閑静な趣そのままだった。国のほうがどうなっているかまでは分からないが、本陣であるこの神社がなんともないならなんともないんだろう。
ふぅ……と吐息がもれると同時に、どうにも取り越し苦労だったのではないかという懸念が浮かぶ。そういえば、散支夜叉(なんかちょっと硬い名前だから次に合うまでにあだ名を考えておこうっと)は僕に対して執拗なまでに歩いていくとこを強制していたようなきがするが、その意図は何だったのだろう。
単に時間的な余裕があったから……ということはないんだろうなぁ。
いざ、自分がしてきたことに疑問を感じると、その行いを否定していた意見のことが鮮明に思い起こされる。人は失敗から学ぶ生き物だとよく言うが、果たしてそれは妖怪にもいえることだろうか。
なにかあると執拗に伝えながら、けれどそれが何なのかは伝えない。話せない理由があるのだと思う。
彼の不憫な待遇については僕の関わるところではないとして、本当にどうしようもない先祖愛だと思う。毘沙門天……それが故人であったならまだ無視してもいいじゃないかと言いたくもなるか、恐らくはまだまだ健在だろう。それどころかこれから目先四、五百年はその存在が世に知れるところだしなぁ……
本当に不憫だと思う。
「気になることだけ増えてくし……」
「?」
そんな僕のつぶやきに目ざとく気づいた彼女は興味有り気な表情でこちらを覗き込んできたが、僕は苦笑いでそれを誤魔化し、「ところで」と話題を転換する。
「僕が聞いた話だと、なんか此処が戦場で!大変だってことだったんだけど、そこんとこ、どうなの!?」
いざ口に出して言ってみるとどうにも放置していい問題ではないような気がして段々と早口に……
「う~んと、何か凄い心配してくれてるってことは分かるんだけど、それ以上にまず落ち着いたら?」
鼻息荒くまくしたてる僕に対して、「ドウドウ」と馬を鎮めるような手振りでいなす彼女。
……何か引っかかるようなものを覚えて首をかしげる。
いや、彼女の仕草や容姿には何ら感じ入るものはないのだが、僕自身になんとも言いしれぬ感覚が蔓延った。彼女を見てもこれと言っておかしな現象に気づいた様子はなく、至って平常運行だ。
くらりと目が回る感覚。今度こそはっきりと感じた異常に僕は身を固め、警戒の姿勢を取る。そしてすぐ、その正体を発見した。
目眩がするほど濃い瘴気。何処からともなく流れ込んできたそれは僕の周りへ広がり、ゆっくりと世界を黒い靄で包んみこんでゆく。
(一体これは……?)
彼女は依然としてその気配に気づく様子がない。それどころか突然に表情を変えた僕を見て心配げに瞳を揺らす。彼女は、このどす黒く僕のことを取り巻く瘴気の渦を見てはいなかった。僕を覗き込む彼女の瞳には確かにそれが映っているというのに、それが僕と彼女の間に割って入って視界を妨げていることに何の反応を示すそぶりもない。それはまるで彼女には何も見えていないのではないかと思わせるほどに……
(一体これは……?)
それ以上この状況について考えることができない。そうしている間にも僕の周りはどんどんと瘴気の渦に飲まれて、今や視界を埋め尽くすその奔流はこの世界のあらゆる事象から僕を隔離していく。
何がどうなっているのか全くわからなかった。束縛されるでもなく、いたぶられるでもなく、覗かれるでもなく、ただそこにあるだけの空間に放り出されている感覚。
体を動かすことができるということは、なんとなくそう思う。もしかしたら声も出せるもしれない。
そこには確かな自由が与えられていた。その気になれば何だってできるだろう。
ただ、何をしたらいいというのだろう。あらゆることへの自由を与えられた世界で、何をしたらいいのか、僕は全く分からなかった。
何をすることもできる、何を考えることもできる。けれど、それをすることの意味を見いだせない……僕はただの『個』だった。
ふと、一滴の雨粒が頬を弾いたように疑問が浮かんできた。
(何をしていたんだっけ?)
それはこの瘴気の渦にのまれてからのことだろうか。それとも僕が洩矢に来てからのことだろうか。
?
何かが、頭の隅に引っかかった。その引っ掛かりがまた他の引っ掛かりを生み、そしてそれがまた別の引っ掛かりを……
そうして鼠算式に頭の中を引っ掛かりが埋めていく。
(なんなんだ……)
この引っ掛かりの正体に僕はまだ気づけていない。それは何が重要な歯車が一つ入っていないような、あと一押しが足りていないような、そんな気がして、僕はどうにもやきもきした気持ちで、それを感じる。
それは単なる小さな感情であったかもしれない。ただそれは、この世界にとって大きな波だった。
長く苦しい時間が続いた。
寂寥感に苛まれるように何かがこみあげてきたかと思えば、激しい葛藤の末に感じるような疲労だったり、戦場に駆り出された時のような不安だったり……どれも僕の心の底から何かを引き上げようとやってくる。
それを僕はただ眺めているしかなかった。どうしたらその努力に応えられるのか、その術は、どうやって思い出せばいいのだろう。
長く苦しい時間が続いた。
……そして今感じているこの気持ちは何だろう。これまでと同じように伸ばされた手は、指先ほどの距離だけ届かない。けれど、なにか、違う気がした。背中に何か熱いものを当てられているような強い力で押されているような、僕を動かそうとする何かの力だった。
『あゝもう、手を取ればいいだろうに……?』
ふと、声が出た……と思う。僕にはそれが本当に声だったのかも分からなかった。それでも、確かにそれは耳に届いた。
体が……何かを思い出したかのように神経を伝って命令を待っているのがわかる。
眼が……漆黒の闇に光を見つけ出そうとするように瞳孔を開いているのがわかる。
心が……確かな決意を秘めて先へと歩みだすための早鐘を打っているのがわかる。
それは普段、無意識に行われている、生き物が生き物であるための所作だった。ことさらに僕がそれを意識しているわけではない。ただ、あるべ物がそこに収まったというだけのようで、僕はついさっきまでの自分は生き物としての最低限を怠っていたのだということに気が付いた。
それは恐ろしいことだった。おもむろに現れた闇は、あっという間もなく巧みに僕を取り込みその存在をおぼろげにさせた。
抗うという概念から、そもそも浮かんでこないように……
だが、今の僕は違う。手が動く、足が動く、声が出る、目が動く……僕は僕を取り返した。ならば、僕はこの闇を払い戻ることができる。
『ただ、願うだけでよい』
今度こそそれを聞き逃さなかった。それはいくらか高いが確かに僕の声であり、けれど僕でないものの意思が出した声。
とても不思議でならないが、僕にはそれが、所謂『御霊』というものであるということが何の苦も無く理解できた。
そして僕は、自分の声に従った……
眩いばかりの赤い光が、闇に慣れ切った眼を焼くように浴びせられた。反射的に庇を作っていなければ真に目を焼くことになっていただろう。
間一髪で役に立つ反射神経には感謝をしないとな。と、心の中でつぶやき、目を閉じる。
チラチラと、赤く瞼をすけて見える光が点滅する。残像として残った日彼の軌跡が、眼球の動きとともに移ろう。
頭の痛くなるような光撃の最中、僕は自分の中にそれまではなかった何者かが、背を丸め、それでいて双眸は薄く、こちらを伺っているかのような感覚を覚えた。
それが何なのかを、僕は知っている。ただ、仮にその正体を僕が知らなかったとしても、それを補って余りあるほど確かな感覚として、それは確実に伝えてきたことだろう。
ふぅ――……と、その性質の悪さに天を仰いで長いため息をつきたくなるような思いがする。きっと謀をして僕のことを見定める気でいるに違いないと、僕は幾らか飛躍した思考でそれを評価する。しかし実のところ僕がそれについて悪い印象を抱いているのかというと、とりわけそんなことはない。むしろ最後の最後では何をするべきか道を記してくれているし、これは直観なのだが、きっと「彼女」はたやすく僕のことを乗っ取りきることだってできたのではないだろうか。
――彼女、という単語が自然と浮かんできたのも、なんというか言葉では表しずらいものだが、そう、なんというか自己表現のような、どこか自分の存在を確かなものにしておきたいという意思が働いているようで、それまで彼女を身に宿しながら、自分の今の状況を深く考えてこなかったがために見落としていた僕への当てつけのようにも感じる。
もっとも、こんなことを考えていると彼女に告げたら、何やら機嫌を損ねられそうなところまで想像できてしまうのは何故だろうか(笑)しかしまあ、僕の思考などとうに彼女へ筒抜けなのかもしれないが、それもまたそれで知っていながらアクションを起こしてない彼女にはそれだけの配慮があるとわかるものだ。
それに……心を読まれる感覚には、どうにも心当たりがある。それが他人に漏れる可能来がないものだと分かっているなら、むしろあの読心化け狐よりからかいがいがなくてつまらない。
閑話休題
光の残像も消えたところで、恐る恐る目を開けて、僕は日の傾きを観た。そしてその様子から、だいぶ長い時間あの空間にいたのだと気づいた。
さてはて、諏訪子は一体何処に行ってしまったのだろうか。僕のことを置いて行くとは、何だかちょっと寂しいし……
まあ、僕の都合で彼女に余計な気を遣わせるよりはましだけど、それでもなんというかねちょっとは心配しててほしかったなって思ったり、思わなかったり?
いやいやそうじゃなくて……と、自分の脱線癖をたしなめると僕は何か彼女の痕跡になるようなものはないかと調べ始める。
そも、彼女が前後不覚となった僕をほったらかして居なくなるということがあるのかどうか。……自分のことを過大評価するつもりはないし、彼女のことを知ったように語るのもどうかと思わないでもない。ただ、彼女は本質的に困っている相手を放っておくことなんてできないような心の持ち主だとは言い切れる。何があってあんなに恐れられるような神になったのか、ぼくはその表層しか知らないけれど、それでも彼女と過ごした日々の中で、僕は彼女のことを恐ろしいと感じたことはなかった。
だぶん、ただ知らないだけなんだと思う。
誰に対してではなく、そんなことを感じてきた。
知らないから……できなかったことがある。逃した機会がある。そんなことではだめだと分かっているつもりでも、変革を恐れて心を閉ざす。
そんなことを考えながら手探りで何か不審な気配などが残っていないか探り出す。
そして彼女がいた場所を調べだしたとき、僕は思考を中断して眉をひそめた。そこに巧妙に隠遁された術の痕跡を見つけたからだ。僕がそれに気付けたのも単なる偶然によるものだった。その場所を調べようと思ったときに、諏訪子が手に持っていた御札のことを思い出して、どうせならそのことも調べてみようと、その空間へ妖力を幾重にも編み込んで作り出した即席の分析布を広げたことから発覚したのだ。
この分析布は細く引き伸ばした妖力の糸を束ね編んで布状にしたもので、とても高い延性を持っている。それを広げて観察すると、たとえ目に見えないものであっても、複雑に隠されたものであっても、いや、むしろそういうものであればあるだけ何かしらの痕跡が残るものだ。すこしでもそういった何かがあれば、それに合わせてこの布は伸び広がり形を変える。僕は何かあの御札の痕跡が残っていればそこから術の式製でも分析してみようと思っていたのだけれど、これは思わぬ収穫だ。
さて、解いてみたらどんな術が出てくることやら……と、早速解析に取り掛かる。巧妙に隠された割には構造が簡単で、特に見せ場もなくバラすことができた。
そして露わになったその本質を見て、何やら面白いことが起こりそうな予感がすると、僕はニヤリと口端を釣り上げた。
になせ、それは僕がそれを見つけると確信したうえで挑発にも似た文言を書き残し、そしてご丁寧に自分の素性まで明かしているんだから、本当に面白い。
さて、僕もいろいろ聞きたいことがあるし、いっちょ挑発に乗ってみますか!
僕が見つけたあの痕跡は、もとより判っていたことではあったが、人ならざる者の手によって残されたものだった。加えていえば、妖怪によるものでもなかった。それは諏訪子と同じ『神』によって残された『祟り』だった。いや、同じというには無理があるかもしれない。なぜなら、ただ戯れに呪詛のような祟りを残していき、道理の説明もないままに関わった相手を呪詛のように絞めていく類のものだったから……曲がりなりにも道理の通った諏訪子とは、断じて同じものではなかった。
悪意のこもった呪詛を消し去り、僕はそれを仕掛けた八坂という神に立ち合いを申し込むため歩き出した……
……記されていた祟りを一身に引き受け、一切の禍根を切り捨てるように……
……そこに書かれた内容がほかの誰にも触れぬように……
「しかし、あれでよかったのか?あれではこちらにとって動きにくい土壌を作ったにすぎないのでは……」
「まあ、確かに我々のこれからを思えば愚策だったかもしれん。だが、それでも今こうしておくことが穂弦姉のためになるやもしれん」
「……また、直観というやつかい?」
「そうかもしれんし、ただ、あの少年に未来を感じただけかもしれん。あれはまだ若葉だが、ちょっと小突いてやれば大いに化けるかもしれん」
「まったく、先生は人が良すぎる」
「その心配する君は、私よりよほど人がいいのではないか?」
「……」
「ああ、実際に見て、彼のことをどう思ったか、まだ聞いていなかったな」
「……そうだな、套逸といったか、あれは随分と稀有な才能を持ち合わせているようだ」
「ナズーリン、率直な感想はどうだった?」
「素直に羨ましいよ、まったく」
「そんなに楽しそうな顔ができるほど、套逸は珍しかったか」
「ふん、レア度が高いからといって、なにも表情は変えないさ」
「ならば、何故?」
「ただ、久しく不機嫌だった小鼠たちが楽しそうだったしな、連れられて来た甲斐もあったというだけだ」
「そう、か……ならばそういうことにしておこう。しかし、君の遣える子鼠は、たしか人喰……」
「私か何を使役しようと、それに口を挟まれるのは、たとえ先生であっても看過できるものではない毘沙門天様もお許しになられたことだ」
「まあまあ、そうカッカするなナズーリンよ。君らしくもない」
「……すまない、少し席を外させてくれ」
「ああ、そうするといい」
「……すまない」
……
きっと、これはすべて仕組まれた偶然の結果だったのだと思う……
僕は贈られる賛辞の言葉の数々に目を廻していた。
この状況をどう捉えたらいいのか、そもそも、僕はなぜ褒め称えられているのか、それが全く分からなかった。
僕はその行為に値するようなことはないもしていないし、そも、見ず知らずの相手が知ったのように声をかけてくるこの状況は、明らかに「異常」だった。
そう、異常なのだった。
僕は俯き加減に歩みを進めた。ここで足を止めてはいけないと、本能が訴えている。たとえどんな理由であっても、それをしたが最後、命の保証はない。そんな類のものだった。
これの正体に心当たりがあるとすれば、無論あの祟だろう。あれは一種の人よけのそれだったと思っているが、僕はそれをあの場から消してきた。その本質が見えていたわけではなかったが、それでも僕を挑発するように残されたそれを放っておくことはできなかった。
雑音をかき消すように打ち鳴らされた下駄の音が響く。
きっと僕は正しいことをしたのだと思いたい。
なおも続く鬱陶しい声、にこやかな表情、差し出される手、それがもし何者かを救済するための天啓なのだとしたら、きっと僕は間違ったことをしていて、すぐにでもこの異質に応えるべきなのだろう。
ただ、たとえ僕の行いが間違っているとしたら、僕はその責任を取る必要があるだろう。けれど、何かをするということはそれを簡単に曲げないということでもあると、僕は信じている。
だから、今、僕が心を揺すぶられることはない。この先には答えがあり、この場所にはなにもないと知っているから。
……ふとした拍子に足がもつれた。
早足になっていたこともあって、あわや頭から岩地に伏す寸前のところまで倒れこんだが、先に出た左腕がなんとかそれを回避した。
危ないところだったと右手で額の汗を拭い、起き上がろうと片膝を立て、空いていた左手で上体を支えるように手をつくと、まったく不可思議な感覚を覚えた。ついているはずの手がまるでそこに無いかのように感覚がない。体重をかけて体を支えているのだからそこにそれがあるのは確実なのに、どうしてだかその実感がわかない。
訝し気に左の手を眼前にかざして見ると、
突っかかった地面を支点に加速された勢いをもろに受けることになった左の掌は見るも無残に赤く紅く朱い血を滴らせ、一帯を小さな水たまりほどの広さに渡って染め上げていた。
ああ、頭から落ちなくてよかったなぁ……と、片腕の惨状など微塵も気にかけていない台詞が他人事のように浮かんでくる。
自然と目線は左腕から離れていた。分かりやすい現実逃避だ。
逸らした目線の先、僕はなぜ自分が倒れたのか、その元凶を目にした。右脚の、足首から先に、麻紐ほどに細い鎖が巻き付いていたのだ。……しかも悪質なことにその一つ一つが刃物のように薄く鋭く磨かれている。足が切れ落ちていないことが奇跡といってもいい。
先ほどの血だまりの源流の殆どがこの足からきていることは目に見て明らかだった。
そしてこの金属加工のそれには見覚えがあった。
それ間間違いなく諏訪子の得意とするところだった。思えば、この状況自体侵入者一人で準備できるものではなかったのではないだろうか。はなから諏訪子がこれに加担していたと考えれば、今この状況に少しは納得がいく。
しかしなぜ……その先を考えるより前に、視界が減滅し始めた。おそらく、失血による意識障害といったところだろう。このままではこれが死因となるのは確実だ。しかし、もうそれでも……
「答えられないのなら、行っても無駄だろう」
来る前に言われた言葉が反芻する。
この問いに、僕はなんて答えたんだっけ……?
「もし、本気でそう思うのなら、歩いていけ……空は絶対に使うな!」
この言葉の意味は何だったのか……
僕は薄れゆく意識とともに仰向けに地に倒れた。
いつの間にか賛辞の声は消え、度が過ぎるほどの静寂の中、空には一番星が瞬き始めていた。
どうせなら、夜空の下で往きたかった……
空を、とても大きな鴉が横切った。あるいは、単に目の機能がおかしくなってきたというだけのことかもしれない。
それもまた、どうでもいいことだった。
また、鴉が横切った。しかし今度は完全に視界から消えることはなく、空中で静止して、どうにもこちらを窺っているようだった。
瞳を動かすことができなくなった。
その視界がピントを忘れたころ、接近する黒い影を最後に、僕は世界が闇に飲まれるのを感じた。
それと入れ替わるようにそれまで遮蔽されていた痛覚が通い始めたようだった。手傷を追っているのは手足だけのはずなのに、全身が重く、太い杭でめった刺しにされていると錯覚するような痛みの嵐。それは一瞬にして僕のもつリソースのすべてを埋めつくした。
最後、痛みが遠のいたころ。僕は確かに声を聴いた。
「汝その天命を全うせんとするなら我にその意を示せ」
その言霊は、僕の中で不思議なほどはっきりと響いた。
それは薄れゆく僕の意識を鼓舞するように強く打ちつけられた。
僕は夢とも現ともつかない中で、あの時の問への答えを思い出していた。
「……僕は、助けたい……」
自分ではなく、他の誰かを……
この時の記憶は、これが最後だった。
光の中に、人影を見た。忙しなく動き回るその影が通れば光に色が差し、立ち止まれば闇ができる。
光と闇の軌跡がじわりと滲み出し、闇へくすんだ光をもたらした。くすみの広がるところは地となり、光の広がるところは天となり、闇の広がるところは深淵となっておぼろげな境界を形成した。
ふと……人影が出来たての大地に立ち止まった。けれどそこへ闇が広がることはなく、その人影は安堵するように肩を落ち着けた。そして恐る恐る一歩を踏み出したその影……いや、さんさんと降り注ぐ陽光を浴びている少女は、次の一歩、そのまた次の一歩と歩速を早め、嬉しがるように天の原を駆け廻った。
……嬉々として走り回った彼女は、疲れたのかおもむろに足を止めると、腕を大の字に広げて仰向けに倒れた。数枚の草の葉が宙へ舞い、ヒラヒラと少女の上へ降り立った。いつの間にか人の姿で歩き出したそれは、ひとりでに何処かへ歩き去って行った。
最古の神が生まれた瞬間を目撃したところで、僕は現実へ立ち返り、宮造りの天井を眺めていた。




