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東方鼯鼠転空記  作者: 平成の野衾(ノブ)
和の国を見出して
24/30

第二十二話 過程の続き

 話し合いは着々と、滞りなく進んでいる。


「それじゃあそういうことで、後は任せてもいい?」

「はい?」


 ……少なくともこのタイミングまではそうだった。


 僕は唐突に話の腰を折るようにして立ち上がると、ホコリを払うようにしながらそう言った。

 これまでの話し合いで彼女の提案はどれも的確に的を射ていて、とても心強いものだった。それに比べて僕の提案したものは、やはりどこか楽天的でその場の気分で根底が変わってしまいそうな脆いもので、さしずめ激ヤワのシフォンケーキのようにふにふにしたもののように思えた。

 たしかに、僕の思考はいつも楽な方へと流される癖がついているけれど、それでも存亡の危機となるかもしれないときくらいは真面目なことも言ってみたかった。

 しかし、さっきも慣れないことをして諭されたばかりなのだし、ここは自制していつものようにするのがいいと、そう考え直して気を紛らわす。

 僕がいそいそと身体をほぐしていると、


「どうしてまた急に……」


 彼女が不満げにそう口にした。

 僕は肩をすくめて、『あっちを見てみ』と目配せをした。彼女は何かに集中しているときは周りが見えなくなるというようなタチなのだと思う。今朝の太極拳で彼女が最後まで僕の視線に気が付かなかったことがいい証拠だ。

 今回も、


「あっ!」


 という驚きの声を上げて事情を察するまでのタイムラグは緊張状態が解けるまでの時間と等しかった。

 彼女は僕の示した方へ目をやると、腕を組み、安坐とも体育座りともつかない格好で座って、こちらを窺う男の鬼が一人いた。見た目は渋い中年風で、そっち系の強い女子なら卒倒するかもしれない。

 サキがその存在に気付くと、


「あぁ、やっと気づいた……穂弦姉、話したいことが」


 小さく小言を漏らした後、彼は腰に携えた太刀を軽快にならしてサキに駆け寄っていった。

 僕らの話を聞いていたということはなかったと思うけれど、進みざまチラリと僕の方を見たような気がしたのが少し気にかかる。


「だからその呼び方しないでくださいって!何度言ったら……」


 一方のサキは自分の呼ばれ方に不服なようだった。

 僕は何気ないふうに、


「僕はいいと思うな、穂弦姉!」


 ちょっとからかってみた。こういうセンスは僕には無いからたまにやってみたくなる。(笑)


「おお!そう思うか!?」


 彼は僕が便乗したことに、彼は我が意を得たりと笑っている。

 そりに対してサキはとんでもないといわんばかりに手を振っている。


「ちょっと、套逸まで便乗しないで!このひとは調子に乗ると収集がつかなくなるんだから!」

「ひどい言いがかりだな……」

「事実です!」

「……」


 サキが断固としてその呼び方は認めないと、両腕を振り下ろしてそう宣言すると、その気迫に流されるように話は決着した。

 なんだろう……と、僕はこのやり取りにどことなく違和感を覚えた。

 漠然と彼女が後も感情を顕にしていること以外に、何かがおかしい、いつもと違うと直感が訴えている。


「……今後は止めてくださいね」

「あ〜、はいはいたぶんたぶん」


 ふぅむ、どうしたものか、なにか引っかかる。なんだろう……

 判然としないまま、その違和感をその場において、僕は、「ところで」と前置きをして話題を切り替える。


「君は、誰?」


 話の内容を聞かれたらまずいということはないのだが、それでもまだ煮詰まってもいない話からあらぬ噂を拡げられるのは困る。

 それにわざわざ話の腰を折るようなことをしたのだから何かしら聞いておくのが筋というものだろう。


 あれ?なんだかサキが気づかわしげな顔で僕とこの鬼を交互に見ているのだが、それは……


「套逸、その言葉遣いは……ちょっと」


 言葉遣い……サキがそう口にしたことで、先程感じたもやもやの正体が何だか分かった。

 そうか、言葉遣いか……しかし、彼女がこれほど態度を変えるとは、いったい何者なんだろうか。

 僕が興味津々で彼を見つめると、目が合った。何も悟れず、かえって心の奥を覗かれるような心地がしてドキッとした。


「まあまあ気にするな、自然体でいい……聞いていた通りだな」


 僕が固まっていると彼はそう言って目を合わせたまま優しく肩をたたいた。瞬きをすると、彼はサキのほうを向いていた。

 その後ろからサキのことを見ると、僕の視線に気づいた彼女は、仕方ないかというように肩をすくめてみせた。


「あの……」

「ん?どうした」


 その何気ないやり取り節々に只者ではない雰囲気をまとわせた彼を前に、自然体でと言われていたにも関わらず、どうにも委縮してしまう。


「えっと、僕は套逸……鼯鼠の妖怪です。あなたは?」

「これは失敬、我は散支夜叉(さんしやしゃ)、八大夜叉大将が一人にして鬼子母神こと穂弦の夫だ」


 慣れたように自己紹介を終わらせた彼であったが、僕には訳のわからない単語の連続だった。唯一分かったものがあるとすれば、最後の……


「ちょっと?」


 サキの鋭い声がし走る。


「ああ、いゃ……()夫だ」


 その声を聞くやいなや、散支夜叉と名乗った鬼はたどたどしく前言を撤回した。

 なるほど確かにそういう事情ならサキがああいう態度をとったのも納得できる。元夫婦、普通なら険悪な雰囲気になっててもおかしくはない状況だが、うん、悪くない関係を保っているんだなぁ。

 もっとも、未だ未練があるのは散支のような気もするが……

 そんなことを他人事のように考えていた。


「きっといい夫婦だったんだね!」


 茶化すように口にすると、


「いゃぁ」


 と照れる散支と、


「大変なだけよ」


 と思いだしたようにため息をつくサキは、いい塩梅のコントラストだと思った。

 この会話からも、二人の夫婦生活が窺えるようで、微笑ましくも愚痴っぽい間柄を、羨ましいと思った。


「さて!」


 散支夜叉はそう区切りをつけるように声を張ってから話し始めた。


「その様子だと儂がどういうものか、よく分かっていないようだ。……儂は毘沙門天の命を受け、もうずっと昔にこの地へ参上した。八大夜叉大将の一人……というのは先程話したか。毘沙門天の眷属として、その御心のままに――」


 散支は意味ありげな含みを持たせてそういうと、僕に向けた目を細めて続きを述べた。


「儂はこれまで多くの土地を巡ってきたが、そのいずれの場所でもお前のような半神半妖こものがいるという話は聞いたことがない」

「どういうこと?」


 僕は彼の話す言葉の意味が理解できない。彼の言い方だとそれはまるで……


「僕が半分神様みたいじゃん!!」


 曲がりなりにも一端の妖怪としてやってきた自信はある。それがどうしたものか、半分神とは理解不能だと僕がと両手を挙げると、


「まあ、概ねそのとおりだ」


 と、強情にも彼は僕の言葉を肯定する。

 こうもハッキリとそれを言われてしまうと、笑って流すということはできなそうだ。

 すこし、真剣に考えてみようと思考を傾けると、それはあっさりと答えを導いた。


「確認のために聞きたいんだけど、そう判断する根拠は?」


 僕は、チラリとサキの方へと目を向け、ゆったりと懐へと手を差し込むと、ほんの数枚の紙切れを掴んだ。

 

 そんな僕をよそに彼は、「もっとも」と前置きし、語調を強めて、


「儂が此処に来た理由は、それとは関係がないのだがな」


 そう投げ捨てた。


 話の腰を折るということもできそうな話題振りに、僕は意表を突かれたように立ち尽くす。懐に手を入れたままの姿勢でまじまじと彼を見た。

 はっと、我に返り、「いやいや」と前置きすると、


「それはまあどうでもいいけど、ともかく僕が半分神だという勘違いはこれをもって正させてもらう!」


 と、満を持して御札を掲げる。諏訪子の神力をたっぶり染み込ませたこの御札を僕が持っていれば、さしずめサキがそうであったように半神半妖という勘違いもできるというものだろう。


「ほう……」


 僕の掲げたそれを見て、彼は驚きつつ、思案にふけるような声を漏らした。

 そして、しばらく瞑目したあと、


「それでサキは誤魔化せても、儂には通用せんぞ。それに、神力は間違えようもなくお前自身から出ているものだ。それは他に何を出して上書きしようとも揺らがぬ」


 そういう彼の目は、油断なく僕のことを覗っていた。


「……」


「もっとも、お前がそれを自覚していないという点は考えていなかったが」

「自覚、していない……」


 悪い冗談ならやめてほしいと、そう思った。


「ねぇ、それってどういうこと?」


 僕の心中を察してか、それとも思わず出てしまった言葉か、サキは険呑な顔をして散支夜叉を睨んだ。彼が何を言いたいのか分からないのは僕も同じだというのに……

 その一端がちらりとこちらへ向けられたとき、彼女の表情に困惑の色が浮かんでいたのが気になった。


「その力は、この地域で神と崇められるものの纏うものだ。それがこの套逸という妖怪から感じ取れるのなら、つまりはそういうことだろう」


 散支夜叉は初めて僕のことを「お前」ではなく「套逸」と呼んだ。そのことが、事の真剣さを暗に語っているような気がして、身が引き締まる思いがした。


「儂はこれと同質の力をいくつか知っている。いや、正確には間接的に知識を得たというべきか。儂はこれまで直接的にこの神と呼ばれる存在に相対することを避けてきた。儂の存在が日の目を浴びることは、毘沙門天様の御意(おぼしめし)に反する」


 何やら狂信的なまでの先祖愛を語られたような気がして苦笑する。そうでなくとも今聞かされた内容は果たしてこう易々と僕のような部外者に話していいことなのだろうか。


 ……彼の言葉は一見して大したことは含まれていないようにも感じるが、よくよく噛み砕いていくと多くのことが見え隠れしている。毘沙門天というのは仏教の神様のことだったと思う。七福神の一人でもあるか……その眷属ってことはすごい地位なんだろうけど、なんかこううやうやしく接する気にはなれはいんだよなぁ。父親みたいというかなんというか……それはいいとして、御意と彼が言ったこと、直接ではなく、間接的に日本の神を監視していること、隠れるように行動しなければならないこと……

 まるで敵の拠点に潜入するときみたいな手口だな。と、かつて遊んだゲームの一幕のようで懐かしさを感じる。

 しかしその郷愁の念も今この状況を差し置いて浸れるほどの余裕はない。

 それはこの国を手中に収めようと画策していることに他ならないのだから……


「その為に僕に会いに来たっていうならお門違いにも程があるよ」


 瞳に警戒の色をたたえて彼を見据える。僕を見る彼の目はなにかひどい勘違いをしている相手を見るように笑っていた。


「だから最初に言っただろう?此処に来たのはそれとは無関係だと」

「あっ……」


 そういえば確かに彼が僕のことを神様だと勘違いしているなら、そも僕の前に現れること自体おかしいことになる。


 でも、


「何か意図があって来たんでしょ?」


 それを別れた妻が名残惜しくて帰ってきたと言う理屈が通るほど女々しい男ではない。

 僕の言葉にサキは眉をひそめて訝しげに元夫のことを見つめる。

 双方の視線を受けた彼は、しばらく目を伏せ何事か考え込んだ後、さて、やむなしと僕の推測を肯定した。


「ふむ……たしかにその通りだ。儂は少なからず意図があって此処に来た」

「じゃあ」


 と、話の根幹に近づいたようで気持ちをはやらせる僕に対して、サキはその双眸に最大限の警戒の色を宿していた。

 夫婦であったものにしか分からない何かがあるのか、僕にはわからない何かに対して彼女は眼を細くした。


「まあ穂弦よ、そんな顔をされるのは胸が痛む……」

「いつまでそんなことを言っているつもりなのよ」

「儂はまだ納得はしていない」

「……」


 なんとなく彼女達の事情が伺えるような気がした。僕は、「あー……」と声を上げて、人がいるいないに関わらず展開されそうなメロドラマを始まる目前に遮断する。

 二人はハッとしたように目を瞬かせ、居心地が悪そうに視線を外した。


「その、すまない……」


 散支夜叉は、だれに対してそう溢した。そしてサッと表情を変えると、これからの話が重要なものであると誰にも分かるような空気感が辺りを漂った。

 空気の流れが変わったことに自然、緊張が体中の毛を撫でつけるような感覚が落ち着いた。


「儂が此処に来た理由は話せない。ただ、一つ言えることがある」


 この期に及んで何を躊躇うのか、彼はここでも何かを隠したがる。しかしまあ彼の隠匿壁は別にもう何か言うだけ無駄な気がする。わざわざ空気感を変えるようなことをした彼の意図が読めなかった。まあ、後半の言葉に期待することにしよう。


「何か落胆の色が見えるようだが、すまないがこれは譲れない。お前が自分の立場を自覚した今ならなおのこと……」

「いやいや、自覚してないしさせようとしたのはあなたでしょうが」


 僕としてはもう少し覇気のある返事をしてほしいのに、ズルズルと本題を先延ばしにしている様子が気に入らない。

 そんなことを考えていたのが顔に出たのか、彼は、「単刀直入に言う」と語調を強めて、


「お前のそれと同じ力を、以前にも感じたことがある。疑いようもなく全く同じ力を、別の場所で……」




 ――彼の言う『同じ力』とはどういうことだろうか。

 神力を感じたというだけなら、それこそ各地へ仲間を飛ばしてその知識を蓄えているのだから特に不思議に思うところもないのではないだろうか。

 仮に、妖力のそれと同じように、神力にも個性のようなものがあるとしたら、たしかに違う相手から同じ力が感じとれたときなにか裏があるのではと勘ぐるのは当然のことかもしれない。でも、この理屈を成り立たせるには、少し言いすぎかもしれないが彼が面と向かってその神と相対したことがなければお話にならないはずだ。聞き入れた知識だけでその判断ができるとは到底思えなかった。

 その揚げ足取りをしてほしいわけではないと思うが……


「それから……張り詰めたような戦いの気配が、そこにはあった……」


 それが彼の口から伝えられる限界なのだろう。制約の中で出来得る限り最大限の抜け道を探して相手に伝える。彼の顔からは、そんなことが見て取れた。

 言葉を尽くして伝えたいのに、それかできないことに歯噛みする顔、悔しそうな顔、不甲斐ない自分への怒りの顔……

 そんなものが一緒くたになった彼の顔は、ただただ苦しそうだった。


 彼の努力に報いなくてはならないと、心のなかで何かがささやく。その声と言うにはあまりにも頼りないものに導かれるまま、僕は思考の海に沈んだ。





 結論が出たとき、僕は背筋がゾッとするような感覚を覚えた。

 想定が甘かったと言わざるを得ない。噂を聞いて、できるだけ直ぐにあの場所を出てきたはずなのに、まさかこの数日の間にこんなことになるとは思っていなかった。いや、そもそも全く懸念していなかった。大和の神々とやらが、真っ先に土着神の祀られる国に矛先を向けるとは、そんなことはあり得ないと、真っ先に思考から排除していた。そんなことよりも僕が懸念していたのは、妖怪の立場が今よりも一層危ぶまれること。自分たちの、いや、僕自身の居場所を狭められること。口では人のためとか善人ぶったことを言っていても、結局は自分のために何かをしているだけで、僕はそれを自分の口で自分の心からひた隠してきたのだけなのだろう。

 毘沙門天というフレーズが頭に響く。仏教の神であるその名は、洩矢諏訪子という神を知っている僕にとって、簡単にその存在を、そして言葉を否定できない。彼の言葉の一つ一つが重くのしかかるようで、僕は恐る恐る声を出す。


「散支さん……その国の名前は……」



 過程を省いて結論に達した僕の問いかけに、彼はなんの疑問も持たず頷く。そこに僕が立てた推論が正しいと記されているような気がして、固唾をのみ、言葉を待つ。

 彼が口を開いてから声を発するまで、長い時間が空いていた。いや、その答えを先延ばしにしたい僕の心がそう感じでいるだけなのかもしれない。


「……洩矢の国といったはずだ」


 その言葉を聞くや否や、僕は唇を噛み、電光石火のごとく走り出した。

 その突然の行いにサキが驚きに目を見開いていることなど全く気づくこともできなかった。


 此処から洩矢神社までは徒歩で休まず行けば4日、空を飛べば半日とかからずつくだろうが、そんなに飛ばして体力が持つかどうか分からない。


 周囲のことを置いてけぼりにして思考が加速する。


 ――しかしそれでもゆっくりしていられる場合じゃない!駆けて駆けて飛び上がり、一心に諏訪子のところへ向う。そうしなければ、また後悔をすることに……


 荒っぽい男の手が僕の肩を掴み、無理やり後ろを振り向かせる。


「いいかよく聞け!」


 散支夜叉は怒鳴りつけるようにそういうと、今すぐにでも彼を振り切って行きたい僕を両手でがっつりと押さえ逃げられないようにした。


「お前とその神はなんの関係がある」

「そんなの……」


 拍子抜けするほど落ち着い声でそう問われ、僕は金縛りにあったように体が動かなくなるのを感じた。

 答えようと思った声がそれ以上先へと進まない。


「そん、なの……だって……」


 考えなくとも、答えは分かっていたはずだった。でも、僕に問われているのは、そんなことではないように思えて、そうすると途端に何と答えていいの解らなくなった。


「答えられないのなら、行っても無駄だろう」


 その言葉を聞いて、無性に腹立たしくなった。

 言われたくないことを言われて、なぜそんなことを言うのか僕には理解できなかった。沸々と苛立ちがつのり僕の内から身を焼くように息苦しさをうむ。僕が何に対してそんな感情を持っているのか全く分からなかった。ただ無性に、嫌なものを押し付けられた子供のような、言い表す術のない感情が沸き立ってくる。


「僕は……僕は友達を、助けたい。助けたいだけなんだ……」


 絞りだした言葉に、僕はただうなだれた。そんなことはただの僕の願望で、そんなことを口にしてもどうにかできるわけでもないし、虚しく心を抉られるような感覚が残るだけだ。


 僕の肩をつかんだ手が緩むのを感じた。


「ならば一つ助言をしよう」


 散支はたいして大きくもないのに一言一言に重みのある声でそういうと、皺の多い額にいっそう皴を重ねて僕の目を睨む。


「もし、本気でそう思うのなら、歩いていけ……空は絶対に使うな!」

「でも!それだと間に合わなく!!」

「歩け!そうすれば、分かる……」


 僕の焦燥を無視して、彼はひたすらに時間がかかる方法をわざわざ提示してきた。

 僕はなぜそんなことをしなければならないのか、僕にはわからなかった。しかし、悔しいが僕には彼の言うことを否定できる程の何かがあるわけではない。

 しかしそれでも、僕はこれ以上一時の無駄もしていられない。

 僕は唇を噛み、何かを振り切るように腕を大の字に広げると、頭の中をただ一つの考えで埋め尽くす。


(絶対に、彼女を助ける!!)


 身体中の妖力、能力、あらゆる力を解き放つ。

 懐から複雑な紋様の描かれた御札が十、二十……数えきれないほど飛び出し、渦を巻き、竜巻のように空間に漂うあらゆる種類の力を吸い上げてゆく。

 僕は能力を最大限に使い、僕の周囲に萃められた力全てを取り込み、一つの術の行使に全神経を集中する。


 拒絶反応……


 能力暴走……


 そんな言葉が頭をよぎる。


 「目標は、洩矢神社、境内、神域の中」


 しかしそんなものに構っている時間はないと、すべてを無視して術の行使にすべてを集中する。

 僕の周囲に着々と不可侵結界が形成されていく。内側からも外側からも、誰一人として手出しをすることができない特殊な結界。その内側に、自分を閉じ込めていく。


「何だ!!」


 散支夜叉が状況を飲み込めずに驚嘆の声を漏らしている間も、僕は構わず術の行使にのみ力を集中する。

 ちらりと何かの光景が脳裏をよぎった。それは、どこか儚げな少女のもので、その少女をおいて発つ事に心が揺さぶられる。彼女をどうにか……手を伸ばそうとして、止めた。今は彼女よりも困っている人がいる。それを思い出したとき、僕の中で意思が固まった――



 ……結界に完全に包み込まれたその瞬間、莫大な力の奔流をその身に宿した僕は体を捻り、その場で回転する。この結界を飛び出し、洩矢神社の境内に飛び入るイメージを固め、








 転移術式を発動した。








 _________

 %〈鼯鼠移動中〉%

  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄








 僕は全身の力が抜けていく感覚に片膝をついた。

 五臓六腑がじわじわと熱をもち、心臓がバンバンと太鼓を打ち鳴らすように激しい動悸を訴える。目を開けると天地がひっくり返ったかと思うほどの目眩を覚え、目を閉じても、流れの激しい渓流を小舟で下るような感覚に吐き気を覚える。


 気持ち悪い……

 

 もはや上下の区別もつかなくなった僕は、その場にうずくまり、悪寒に身を震わせていた。

 恐れていた事態が起こったのだった。見境なくあらゆる力を身の内に取り込んだため、身の程に合わない莫大な力が、抑えを利かず暴れまわる。

 抑えようという気力も起きなかった……。




 ○




 僕は朦朧とした意識の中で、誰かの手が僕の背中をさすっていることに気がついた。

 いつからそうされていたのかは分からないが、優しく、ゆったりと一定のリズムでされるそれは、何かを包み、鎮めるような寛容さがあった。

 やおら後ろを振り仰ぐと、洩矢諏訪子は蒼白な顔で、何か紙切れのようなものを握りしめ、気遣わしげな目でこちらを窺っていた。


 じ~んとするような感覚で世界に音が戻ってくると、僕は自分が大量の汗をかいていることに気がついた。

 そして同時に、なぜその程度で済んだのか、疑問が頭をよぎった。

 確実な意識はなかったとしても、あのときの僕が尋常でない状況であったこと、とても汗や悪寒だけで済むようなレベルのものではなかったこと、束の間、死を覚悟したこと……そういったことは、ハッキリとしている。


 僕は彼女に助けられたのである。どうやって助けてくれたのか、その方法は判らなかったけれど、彼女が僕の為に力を尽くしてくれたことが嬉しかった。


「まったく、いきなり何が来たのかと思ったら……」


 ボーっと放心気味に彼女を見ている僕に対して、彼女は腰に手を当て、むくれた顔をしてそう言った。

 そういえば今、彼女は戦を前にしているのだった。と、先のショックで雲散霧消していた記憶が、これまた「もやもや」と呼び起こされる。

 そんな状態の彼女はきっと並みの精神状態ではないだろう。


 緊張も


 不安も


 恐怖も


 なにもかも尋常に(・・・)ということはないだろう。

 そんな彼女からしたら、突如として未知の力が国の中心に現れたのだから、きっと敵が先制攻撃を仕掛けてきたように感じただろう。結果としては僕が無謀にも転移術なんかを使ったものだから、制御が利かなくなって死にかけただけだった。という結末に終わって、彼女も胸をなでおろすと同時にいくらかのいら立ちを覚えたことだろう。

 僕に出会ってまだ日が浅い彼女がそこまでを察しているのかは分からないけれど、彼女の彼女の顔からはそんなことが窺えた。


 ぼんやりとそんなことを考えている僕は、もうすっかり落ち着いているのだろうけど、どうにも毒気を抜かれて、なにもかも他人事のように熱がのらない。あるいは、まだ全く最悪の事態に至っていないという事実に安堵して、慌てて何かをする必要がなくなったという事なのかもしれない。

 自分のことでありながら、いまいち読み切れない思考に、僕はなんだか納得がいかない思いがした。自分のことであれば、手に取るように解ってしかるべきだと僕は思うのだけれど、きっとこんなことを気にしているのは、人でも妖怪でもひいては神様であっても、僕のほかにはいないのではないのではないだろうか。


「ただいま」


 なんとなくそう言うのが正解な気がして、僕はニタっと笑って見せた。


「ところでそれは?」


 と、僕は彼女が手に持っている紙切れのようなものを指差してそういった。

 のようなもの(・・・・・・)という中途半端な表現をしたのは、彼女が後生大事にそれを握りしめているからである。一見して役にも立たなそうな紙切れを、捨てることもせずそうしているのだから、なにか意味があると考えるのが道理というものだろう。


「まったく……人の心配を知りもせずに……はぁ、まあいいよ。これが何かってことだよね?」


 彼女はその紙切れをヒラヒラ揺らしながら愚痴をつくようにそういった。僕が「そうそれ」と頷くと、勿体ぶるように、「あんたならわかると思うけどなぁ」と答えを教えてくれない。

 しかめっ面でその紙切れを覗き込むと、断続的に度し難く混ざりあった力が漏れ出てきていた。その余波の感触には見覚えがあり、つい先程まで自分を蝕んでいたそれと合致する。

 そして、


「パクられた……けど、助かった……」


 と、内心複雑な思いでその事実を受け入れる。そもそもの問題、僕の開発した御札システムも未来知識からのパクリではないかという指摘がどこからともなく聞こえてきたような気もするそれに、この世界においてこれを一番初めに作ったのが僕であるという事実は変えられないと反論しておく。


 なにはともあれ、


「助けに来たよ」


 と、この状況で締まるはずもない事実を告げる。

 まったく……と肩を落として言う彼女は、勘違いも甚だしい一匹の鼯鼠をホッとしたように見つめている。


「もう少し周りを見てみなよ」


 そう、投げかけられた。






 私はこのひどくお人好しで義理人情を大切にする妖怪に対して、少なからず好感を寄せていた。

 現に、自分の危険を顧みずやってくるその志は尊敬に値すると思っているし、羨ましくも思う。ただ、向こう見ずともいえる今回のこれは、流石に驚き、そして呆れずにはいられない。『助けに』というのだからきっとあの女のことをどこかで聞いて飛んできたのだろうけれど、それで逆に助けられたとあっては元も子もない。どんな話を聞かされて此処に来たのかは全くわからないけど、ともかく今はそんな心配は要らないわけで、何より心配させられていい迷惑だ。

 それほどまでに他人に尽くせる根気をどこから引き出してくるのか本当に謎だ。人好きな妖怪で、世話焼きのお人好しでもある彼は、人間以上に人間らしいのでなないだろうか。

 ――少し、気になることがあるとすれば、それは彼がここに飛んできたときに纏っていた強い力のことだろうか。きっと彼はその力をどうにかしてここまで飛んできたのだろうけれど、それでも結果としてそれが彼を食い潰さんと暴れていたことは間違いない。

 その力は神力のようで、けれどどこか違くて、もっと荒っぽくて、主の抑制を失った猛犬のように暴れていた。

 何か、その力に思い当たる節がないかと記憶を遡っていくと、そういえばつい数日前、これに似た力を漂わせた鼠の妖怪(あれは旧鼠だっただろうか)を見かけたような気がする。その時受けた印象というのはあまり多くないけど、その中でもこの波長の力には心当たりがある。

 しかし、その時感じたものは、套逸を蝕んでいたものよりもっと穏やかで、確固として、主を守護せんとす忠犬のようだったと思う。不確かな記憶を辿りたどり着いた答えがこれでは情報として頼りないの一言に尽きる。これもその時、大した驚異ともみなさず放置していたツケなのか、関係のない彼をこの戦に巻き込む原因になったのに、私はどこか、ホッとしていた。

 ひとり意地を張って交渉の選択肢を除外した私なのに、いざその場に立つと心の支えが欲しくなる。そんな弱くて意固地な私は、果たして良い先導者になれているだろうか。

 きっと今も身を粉にして働いているであろう民たちのことを想いながらそんなことを考えていた。

 洩矢の国が一度踏み外した地盤を固めるため、彼らは、会合、集会、長老会……呼び方は何でもいいけれど、日夜、今後のあり方を模索してくれている。私も古いやり方を捨てて、新しい統治の仕方を模索しているところだった。

 この不安定になった状況を見越してか、あの女はやってきた。この事はまだ民には知らせていない。知らせようにも、套逸がいない状況でどう伝えたらいいのか分からなかったともいえる。

 こんな状況でどうやって国を率いていくのかと問われたら、私はなんと答えればよいのだろう。


 ――しかし今此処には套逸がいる。どこからかそんな囁きが聴こえてきた。

 それは、希望を見出したと喜ぶ良心なのか、ただ彼を救いと捉える信頼なのか、すべてを怠惰のまま終わらせようとする傲慢さなのか、あるいは……何がそう囁いたのか分からなかったし、そんなことは重要ではないのではないかと思う。

 ただ、それは套逸に頼るという強い誘惑を落としていった。それ以上のことは、何であれどうであれ関係ないのではないかと、そう感じた。

 そして……


「一人で、やらないと」


 そして出た答えに、私は胸に確かな意志の灯火が宿るのを感じた。


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