第十八話 昔々
とある神社の裏手で、一人の少年が広く抜けた空を眺めている。そして時折視線を落としては、当時ではまだ珍しい白い紙に向かって、ぶつくさと何か呟いている。
表の騒がしさとは打って変わって荘厳な雰囲気のこの場所で、一体何をしているというのだろうか。そしてまた、そんな彼を遠目で睨んでいる少女は一体誰なのだろうか……
今一度この境内をぐるり廻ってみたところで、とてもじゃないが神様には出会えそうにない。
この社には神がいるということは、この場に来てはっきりと判っていた。『此処には何か人ならざる者が居る』そう漠然とした気配があった。それに加えて先程からは嫌な気配も感じる。身の内側から覗かれているような気味の悪い感覚だ。
これらは今までの神社では感じられなかったものだ。
是非ともこの気配の正体にあってみたいものだと思いつつ、短冊状に切られた紙に向かって霊魂を込める。
これはいわゆる御札というもので、予め力を紙なり板なりに封じ込めて、通常では扱えないような莫大なコストのかかる術の行使に使うというものだ。まだ先の時代の、陰陽師の使うものから発案して、僕の能力によってそれっぽいものを作り上げているのであるが、能力に依存しているという時点で根底から全くの別物といえる。
概要は、紙を器としてみれば能力でそこに何かしらのものを『入れる』ことができる。さらに!……っとと、テンション違うな。えぇと、そう、器の大きさ次第で中に入れられるものが変わるんだ。――一人でいる時間が長かったせいか脳内独り言が若干迷走気味だ。
この大きさというのは何も見た目の話じゃない。許容量の問題だ。これを超えると器にされたものは形を保てなくなる。ただし、いくつか術を行使して何べんも鍛錬すれば、それに応じた分だけ許容量を増やすこともできる。
僕はあまり表立った闘いは得意ではない。もとより動くより考えろな脳みそは瞬間的な判断力にかける。そうなってくれば戦い方は自然と策略的なものになる。……陥れる、という言い方は語弊があるが、まあそんなような感じになってしまう。
それでだ、そんな事ばかりしていられないような状況もあるだろう。ということで、日頃から御札という予備策を用意しているわけだ。
(どうせ暇だしね)
閑話休題
さて、この神社で祀られている神というのは、どうにも土着神と云われているものらしく、その地方では強い力を持つが、一歩信仰のない場所に行けば、全く力を持たなくなるようである。
そのせいでなかなか情報が入ってこなかったんだよなぁ。
しかしながら、此処はそんな神に信仰を寄せている場所だ。つまりこの場所で下手な事をすると……考えるのも怖ろしい。
そうこうしているうちに左手に紅い陽がのっと落ちていく。長い影が、二つ東に伸びている。
僕ははたと横を向き、眉を釣り上げる。そして眉に唾つけながら、怪訝な顔で尋ねる。
「君は誰だい」
おかしな目玉が二つも付いた帽子を目深に被った少女は、背中からの夕陽を受けて黒く陰っている。
その中で、帽子でない方の目が濃い黄金色にボウっと光を放ってこちらを見据えている。
そんな彼女が、小さく口を動かした……ような気がすると、落ち着き払った深い声で、
「ミシャグジを統べる神に対する態度がそれとは、随分と位が高いようだな」
という声が聞こえた。それと同時に地面が小さく揺らいだような気がした。
――嫌な揺れだ。たいした大きさでもないのにうっかりすると足を掬われそうになる。大地震が起こる前兆のような気がするいけ好かない揺れだ。
そんな彼女が一歩詰め寄る。
先程よりほ彼女の顔が鮮明にみえるようになった。幼い顔で睨みを利かせてまた口を動かした。
「やはり、人ではないな。妖怪……とも違うようだ。一体何者だ」
はじめの部分は独り言のようであったが最後の一言には凄みのようなものが乗っていた。
しかしそれをものともせず、いつもの調子でこう答えた。
「えぇ?妖怪なんだけど……」
この反応には流石の彼女も意表を突かれたようである。睨んでいた顔がゆるみ、自然体の顔が露わになる。
だが、すぐにそれもまたもとの睨み顔(しかも最初より険しいものになっているし!)へ戻った。
「そんな顔してると勿体ないよ」
僕が率直な感想を述べると、彼女は自分の威風を馬鹿にされたと思ったのか、
「黙れこの妖怪めが!」
と吐き捨てる。
まったく、だからそんなに怒ってたら勿体ないっての。
……そもそもの原因を作っているのは僕なのかもしれないけれど。
妖怪というものは、やはり人間の敵であるから、その人間の信仰によって体裁を保っている神様からしても妖怪は敵なのである。それを知らないでここに乗り込んできたわけではない。さらにはたんに正体を暴露したわけでもない。
ただ神様がいるなら会ってみたいものだという好奇心で近寄って来ただけであるし、隠し事をして話がややこしくなるのなら、いっそ打ち明けてしまったほうがいいと思っただけだ。(神様に対して嘘がつけなかったとも……)
「さぁて、ミシャグジさまって云ったっけ?それって何なの?」
率直な感想を述べると、彼女は呆れたように肩を落とした。
「……はぁ、あんた本当に死にたいみたいだね」
何それ怖い。
口調こそ落ち着いたけれど話している内容はさして変わらない。そこが何か怖さを引き立てているような気がする。
「まあまあそんなこと言わずに……ところでその帽子は何か意味があるのかい?」
お構いなしに世間話から始めようとするものっけから潰される。
「命乞いくらいしたらどうなのかねぇ」
それこそ邪魔くさい虫けらを踏み潰すかのような目で一歩ずつ詰め寄る。
「だって、結果次第ではもう聞けないかもしれないじゃん」
「ふん、まるで自分にも勝機があるような言い方じゃないか」
時が経つにつれて彼女の瞳のシャドーが際立っていく。
しかし不思議なものだ。はじめはあれほど怖いと思っていたのに、もうちっとも怖くない。
そしてどういうつもりか、僕は次の瞬間にはこう口走っていた。
「勝つつもりはないよ。ただ、君も僕を殺すつもりは無いだろう?」
「どうしてそう言い切れる?」
「だって怖くないもん」
あっけらかんとした表情になった彼女は、
「(えっ……本当に怖くないの……こんなに神様が脅してるのに……?私の尊厳って無いの?)」
と、あまりの衝撃に口ぶりが子供っぽくなる。というより施行がダダ洩れ……
「まあ、やりあっても両者得なしってことなら……」
「だめっ!」
「なんで!」
どうしてそこまで頑なにするんだよ!もう少しフランクに例外を認めようよ!
「だめなものはだめなの!」
「いいじゃないか!」
「だめ!」
「いいってば!」
ああもう、これじゃあ子供の喧嘩じゃないか……頭じゃわかっていても口に拍車がかかると止まらなくなる。
くだらない言い争いがしばらく続くかと思えば、彼女が
「ええい、やめろー!」
と言って地団駄を踏んだ。
するとどうしたものやら、突如として地面がグラグラっときて、次の瞬間には、「ぴょええぇぇ・・・・・・」と、情けない声を出しながら空へと舞い上がった。
空気圧で肺から空気が押し出され、笛みたいになった僕は、体重が軽い分そのままゆっくりと落ち……と言う訳にもいかず、あの飛ぶために必須であり同時に最も飛びづらい要因であるあのマントが全身に覆い被さり、大きな毛皮の塊となって勢いよく堕ちていった。
(なぁんか矛盾してるよなぁー)
と、後どれくらいで地面につくかわからないこの状況で呑気に考えている自分がいる。危ないときほど呑気になるのが僕の本分なのだろうか。死を覚悟してボーっとしていると、急に肌で風を感じた。
(おお!マントが取れたか!)
よしよし、これなら十分に体勢を立て直せるぞ。
急ぎ飛行体制に移行しようとしたのだが……なんか、いつもと違うんだよな。こう、何というか、身体が小さくなったような、手足が引っ張られているような気がするというか、滑空しているというか……もしや?
「なんとまあ……」
視界に能力を使い別角度から見た自分の姿を移し出すと、そこにいたのは尻尾でバランスを取り、被膜を広げて滑空している生き物の姿であった。
まさか、このタイミングでねぇ。丁度いいといえば丁度いいし、意外といえば意外だし。
そもそもこれまで幾度となく試してできなかったことが、今頃になってどうしてできたのか。
僕は今、人生?で初めて動物の妖怪として動物の姿になったのである。
(これじゃあ聞いていた話と真逆じゃないか)
僕が始めて妖怪というものをまじまじと見たあの時、動物の妖怪において、普通は長年生きた、力のある者だけが人の姿をとることができると聞かされたうえで、なぜ僕が人の姿をとるとっているのかに首を傾げられた。
僕自身は、もとが人間だったからではないかと決めつけたけれど、ふとした拍子に動物の姿になろうとしてみたりもしたが、結局変わるることはできないでいた。
それが今になって、どういうわけだかできるようになった。
これは大きな進歩だと思う。自慢ではないけれど、僕だって長いこと生きているしそれなりの力はある方だ。
そんな僕でさえできなかったことが唐突に、そして自然にできるようになったのだ。
それを進歩といわずして何というのか。
そしてそのことから新たな仮説が浮上してくる。
妖怪が己の姿を偽るためには、単に力の大小だけでなく、必要を迫られる状況が生まれなければならないのかもしれない。
妖怪からして、人の姿になれるということはより人に近づくことができるということになる。そうすれば自然なながれで必要性が生じてくる。そのため普通の妖怪たちの間では、必要性という概念がすっぽりと頭から抜けてしまっている。
それに引き換え僕はというと、興味本位という以上にはなったことが無かった。
決定的な要素が一つ欠落していたのである。
そして今日、初めてそれが必要になった。その結果がこの姿というわけだ。
しかし不思議なもんだなぁ。
初めてのことのはずなのに、なぜだかとても慣れ親しんだかのように心地よい。
スイー、と滑って僕は姿そのまま彼女の隣に降り立った。
「あーあー、テス、聞こえてる?」
「何やってるのさ」
この姿のままでも声が届くことを確認できてホッとするとともに、訳も分からず吹き飛ばしてくれた彼女に一言物申すという口調で言い寄る。
「聞こえてるみたいだな。それで、さっきのあれは何さ」
僕のとがった口調にまたも彼女の表情は険しくなるが、先の件を自分でも気にしているのか視点が定まらずこちらを見ようとしない。それでもボソッと、
「ちょっと気が立っただけ」
そして付け加えるように、
「神の怒りに触れることをしたあんたが悪い」
と言った。
あまりにもぶっきらぼうないい様にたまらず、
「へぇ、人々の先に立ち導く存在がそんな態度とはねぇ」
と、挑発的な睨みを利かせながら言ってしまった。
ただ、僕にも情状酌量の余地はあるはずだ。僕は彼女のことを怖くないと言っただけであってそれ以上のことは何も……
――まあ、その前に彼女の境内で長いこと勝手に暇つぶしをしていたけれど、それくらいは許されるだろう。(きっと彼女は寛大だしね)
……何だか寒気がしてきた。
「ねえ……」
今までよりも深く冷え切った声で話し始めた彼女に甘い期待は打ち砕かれる。
「よっと」
一か八か……と、咄嗟に跳びあがり彼女の肩にしがみつく。
「おおー、これはなかなかの心地」
そして、ぐてー、っとだらしなく彼女の肩に乗っていると、竿に干された洗濯物のように伸びてしまいそうだが、それがまた気持ちいい。
次の瞬間、すべてが真っ逆さまになる。彼女に尻尾を捕まれ逆さにつられたのだ。
(あ……頭に血が上って……いや下ってか……?)
「始めまして?僕は鼯鼠の妖怪の套逸だ……」
「変なやつ」
『ドサッ』
明るいトーンで自己紹介をした僕を、彼女は古びた雑巾を捨てるように落とした。
うぅん……小さい子供はこういうものが好きなんじゃないのか……
恥を覚悟でかましたウケのポイントを、見事に切り捨てられた。ウケを切ったらただの恥じゃないか。
ああ、頭が痛い。
「なあ、自己紹介をされたらそれを返すのが常識だろう?」
いつだったか聞かされたようなセリフを言ってみる。すると帰ってきた言葉は、
「じゃあ教えてあげる。私の名前は『洩矢諏訪子』これでも、一応神様なんだからね」
と、言葉の一つ一つにトゲがある。しかしこの反応は予想通り。ならば……なら、ば…………なんだろう。何か考えてからいうセリフだな、これ。
相変わらずし迷走気味な僕の脳みそが、ばらくの思慮の末、導き出した答えは、
「本当に、かみさまっていたんだなぁ……」
であった。
それと同時に姿を元に戻す。
時間をかけて考えた割にはあっけらかんとしすぎているかもしれない。けれど、考えれば考えるほどその言葉しか出てこなくなる。「今更何を」と言われそうだし、アホの子を見るような目で見られるかもしれない。
さて、話題は変わるけれど彼女から見て今の僕はとんな顔なんだろう。きっと弾けんばかりの笑顔なんじゃあなかろうか。僕の心臓はいまドクドクと早く脈打っている。そしてさやかな興奮が内側から身を焦がしている。
こんなに楽しいのは何十年ぶり……いや、それ以上に久しぶりだ。
自分がこの幻想はびこる世界に産まれて初めて感じたあの時の感覚と似ている。
にわかには信じられないないのだが、同時に面白いという高揚感を覚えるあの感覚。すでに齢千はとうに超えたかというこの僕だが……こんな感覚はまだ片手で数えられる程しか、ない。
今日を除いて一番近くでこの感覚を味わったのは……そうだなぁ、あの弥生の小さな女王と出会ったときかな。
はぁ、こう考えると、もう随分と長いこと生きたんだなぁ。
の、わりには身長だって一ミリも伸びないし、見た目に関する成長は一切なし。見た目で歳が判らない、年齢不詳第一位とは僕のことだい!……何つって(笑)
「君はその、どれくらいこの辺りを統べてるの?」
「?」
自分の見た目のことを考えていたら彼女も意外と千年くらい生きていたりして……なんて思ったり思わなかったり。
「で、どうなの」
「……まあ、そんなに聞くなら教えてあげても……」
いや、一度しか聞いてないと思うけど。
「驚くなかれ……」
ホントに驚かしてくれるのか?
「ええっと、どれくらいだっけ……?」
『ズコー』
おいおい、そりゃないって……それは、確かに驚いたけどさぁ……それ以上に拍子抜けするよ。
まあ僕だって詳細までは覚えてたりしないけど(笑)
それでも、「なぁにが覚えてないだ。実際からかってるだけでしょ」と、こちらもからかい気味に言う。
おまけに意地の悪いニヤケ顔で、
「からかってるのはどっちだよってね」
自分で自分にツッコミをいれる。
「まあ歳はいくつでもいいや。それよりしばらくここにいようと思うのだけど、別に構わないよね?」
「まったく、どこをどうとったらそういうことになるんだか……まあ、いいよ、もう」
彼女はどこか諦めたような口調でそう言った。でもそんなことはあまり気にしていない僕がいた。
なぜなら、あのワクワクがまだ胸に残っているからだ。僕がこんなに楽しいと思っているんだ。それだけで結構。
――それに面白いことを思いついた。
「よっし、これでしばらく安泰っと」
「何か策があるんでょ」
途端に気を緩めた僕に彼女は鋭く洞察を利かせる。「当然」と答えた僕はまた違った意味でニヤけていた。
「(やっぱり楽しいっていいなぁ)」
「なにか言った?」
「なぁんにも」
別に彼女に僕の気持ちを知ってもらわなくてもいい。
「何その態度。許可取り消しかな」
「ちょっとそれはないでしょー」
彼女とのこの会話も、やっぱり楽しい。
「じゃあ、口答えしない」
「ほーい」
何もなく過ごすより、こうして彼女と一緒にどうしようもなく体たらくな会話をできれば、今はそれが一番大事だ。
すっかり暗くなった空には、星が眩く輝いていた。神社の本社裏から見た星空を表現できる言葉を、僕はまだ知らない。
処変わってとある村落……
この場所では、夕暮れに起きた地震を怪しがる長年の老人や、そんな地震のことなどつゆ知らず、家の寝床でぐっすり眠っている児がいた。
そしてその傍ら、熱心に古より続く信仰を守らんとするものは、この地震を神の怒りととらえ、ひとしきりの手はずを済ませようとしている者もいた。
声を潜めて始まったこの会合は、表にさらされることは無いが、この村の者なら誰しもその内容を知っている。
なぜなら…………神の思し召しだから。
「……それで、今回は誰を出す……」
秘密の会合の空気はいつも重々しい。その空気には決死隊を送り出す人たちを思い起こさせるものがある。それでも、今日の会合はいつもよりも暗い。
「前回からまだ、ほとんど期間が空いていないだろう?」
「そうだ。今までならあと三年は大丈夫なはずだ」
この会合は、本来四年に一度の重要な行事のために招集される。忌々しい習慣であり、多くの村人を守るために必要なことだ。誰だって歓迎したいものではないが、それでも、自分たちが平穏無事に生活することを考えれば仕方がないものだ。
つまりは、八年に一度、この地を治める祟り神様のご機嫌を取るために、生きた生贄を捧げる。
いつから続いている儀式なのかはわからない。その本質は穢れた者を、そしてその一族のみならず家畜へさえも下り続けるという恐ろしい祟を鎮めるために、もっとも穢れのないとされる娘を神の元へ遣わし、自らの身の潔白を証明する。
「しかし……」
今までこんなことは無かった。誰しもが感じている不吉な予兆に、神経過敏になっている。だから、此処にいる者は気付いていない。
この地震の根源は、そもそもこの村の如何に関わらず、自然に解決してそして、もう生贄なんてものを立てなくてもよくなるかもしれないということには……
この地で信仰されている神はその名を洩矢神といい、ミシャグジ様を統べる土着神としてその勢力を日ごとに拡大していった。この土着神の祟りは一族にも及ぶといわれ、多くの者の恐怖を苗床に深く深くその根を伸ばしている。
この神を信仰する地域は複数あるが、そのいずれの処でも、始まりはこういうものだと言い伝えられている一つの謂れがある……
「昔、ある処に一つの国があった。其処では、さらに遠く異国の地から伝来される鉄を打つ秘術が伝えられていた。鉄というものの何たるかを知るものがまだ此処以外他の地でいたという話は聞かない。鉄器を使うその国は大変に栄えていた。誰しもが明日の発展を確信していた。
この国には幾つかの戒めがあった。守らぬ者は即打首に処すというものだ。その戒めの中の一節に、「我ガ国ニ属サラザルハ穢ナリ」というものがあり、この国で子供が一番に習う教えであった。国民はこれを従順に守り他所の国へ攻め入り制圧しては、己の力の強さに自惚れていた。その国の者たちは力以外の味方を知らなかった。
そしてこの時も、また一つの国を滅ぼさんと攻め入るところであった。
この様子を見ていた神は大いに哀れみ、たった一人我が娘を使として送った。せめてもの導き手となるように。
夜空の彼方から歩いてくる娘の姿を見た国民たちは、すぐさま騒ぎを起こした。大声で叫び周り国の守り人を呼び起こし、そしてその守り人は迷うことなく天より参る娘の胸へと弓矢を射った。それは見事に命中した。真っ逆さまで地上へ堕ちていった娘は、それから動くことはなかった。神は激昂した。するとたちどころに大地に轟くような大地震が辺り一体を襲った。
一夜にして繁栄の都はその姿を消していた。のこされた人々も次々と病で倒れてゆく。そんな人々の前に神が現れた。もう誰にも抵抗する力は残っていなかった。そして神はこう告げた。「其方たちはその穢で自らの首を絞めていよう。もしこの祟に救済を求めるというのであれば、自らの手で汚れを拭い、証明してみせよ。さすればこの祟も収まるであろう」冷酷な、突き落とすような口調であった。
そしてそれから、人々は自らの過ちに気付き、天の怒りを鎮めるために、神の子と同じ歳の生贄を捧げ、構成へと続く罪を、深く、その心に刻みこんだのであった」
「と、こんな話があるんだけど」
そう、洩矢諏訪子は言った。
「なんだか恐ろしいなぁ。でもなぜこの話を?」
僕は本殿へと入った彼女の肩の上でこの話を聞いていた。一度はもとの姿に戻ったもののなんだか初めての興奮がまだ冷めず、また動物の姿へと変身している。案外心地も良い。体は軽いし何より堂々と楽ができる。(こうして彼女に近づくことで密かに神力を集めていることは内緒)
「なぜって、これで私の力が分かったでしょ」
(なんだ、そんなことのためにわざわざ長ったらしい昔々を聞かせてくれたわけか)
「とっくに分かってるよ」
そもそも一瞬のうちに空の彼方に飛ばされたのだから気づかないはずがない。あの時は肝を冷やした。だがおかげでこんなにうれしい副作用があったのだから何もおそれるものはないし、むしろ感謝したいくらいだ。
「わかっているならそこから降りなさい」
「ちぇー」
もう少しだらけていたかったけれど必要以上に地震だのなんだのを起こしてほしくもないので素直に彼女の肩を飛び降りる。
降り際に声の大きい独り言をつぶやく。
「もう少し長年の妖怪を敬ったらどうなんだろうか」
すると彼女は眉をひそめてこう言った。
「何が長年だって?どんなに長くとも精々百年とかでしょ」
懐疑的な目で見てくるその姿にいつかの幼馴染の姿を思い出して少し目を伏せる。
それを悟られまいとすぐに目を上げて、戯れっぽく事実を告げる。
「意外とその十倍とかあったりするんだよ」
気丈に振る舞おうとしたつもりだったが、なかなか本心は隠し切れたかったようで、
「……何かあった?」
と、勘ぐらるしまつ。簡単な隠し事もできないとは、これじゃあ妖怪としての名が廃れるな。
「なんでもないよ。ただチィっと疲れただけ」
詰め込み型教育の波に乗れない人は世間が考えているより多いものだ。彼女もその一人だった。僕の幼馴染で、暗い部屋から出られないでいた。そして僕は彼女にその日起きた面白い出来事を、冗談混じりに彼女に伝えるのが日課だった。
なんだかんだ上手くいっていた。彼女もほんの少しだけ、前を向いてきていた。
「はぁ……」
複雑なため息が出る。
「やっぱり何かあったでしょ」
いまここで眉唾ものを見るような彼女が幾ら何を聞こうとも、このことだけは喋るつもりはない。
そのために、「能力」で機密事項の漏えい防止という要項を作り、それでその情報が出ていきそうになったら適当に内容が改変されてから出ていくというものだ。(実際はもう少し複雑な行程がいくつもあるのだけれど、これも機密事項として設定)
少し難しくなってしまったけれど、要約すると勝手に辻褄のあった嘘をついてくれる機能ということだ。そもそも他人の心をいとも容易く読んでくるような奴らがいる中で、怪しまれずに秘密を守ろうとした結果の集大成なのだから多少難しくなってしまうのも仕方がない。
閑話休題
「それじゃ、神様? ちょっと質問をしてもいいかな」
「何よ」
少し、重い話になってしまうけれど致し方ない。
「その生贄を捧げる儀式ってのは今も続いてるってことでいいんだよね」
元はといえば彼女から振られた話だからきっと答えてくれるだろう。
「……まあ、続いているけれど」
予想通り。
「それじゃあ、今の状況はまずいんじゃない?きっとすぐにでも生贄を……とかになってるよ」
「だったらどうなの」
「?」
この反応は予想外かもしれない。
「そんなこと、勝手にやらせておけばいいじゃん」
光の失せた目で無機質な返事をする。その声音には、嫌気が差して目を逸らしているという後ろめたさが含まれていた。
まあ、それでいいなら別にいいんだけどさぁ。
(なんか、気にかかるんだよな)
これが後にいろいろと厄介なことに繋がりそうな、早めに手をうっておかなければいけないような、いやな予感が。
「ところで、何か策があるっていう話だったけど、それって結局何なの?」
僕が要領を得ない顔をしているところで、彼女は話題を変えた。一瞬何のことかと考え込んだが、すぐに思い出して頷く。
「そうだ、どうせ話しておかないといけないことだしね」
ここで一息いれてあからさまな間を作る。そして意地の悪い微笑を浮かべながら、
「……君がより確固な権力を手に入れつつ、僕が堂々と道を歩けるようにするための秘策は」
そこはかとない高揚感に包まれながら僕はその策を話し始めるのであった。




