第十七話 泣きたくなったら泣けばいい
朝、太陽光に打たれてあかくなった世界に飛び込むことを苦と思わなくなったのは、いつの頃からであったか。まあ、もう忘れてしまったな。
しかしそんなことはどうでもいいのだ。なんだって今は何処までも続く世界を辿って行くことに忙しいのだから。
夢に名残惜しさはないといわんばかりにそそくさと起き上がった僕は、真っ先に伸びをした。
(やはり敷布団くらいは欲しいよな)
ここまでを一連の流れとして僕の一日は始まるのである。
さて、目下の課題は彼女をどうするかだ。放っておくか、探しに行くか……此処と邪馬台国とはさほどの距離はない。たとえただの人であっても帰れなくはない距離だ。
まあ土地勘があればの話だけれど。
ここでちらりと昨日見た箱入り娘の立ち振る舞いを思い出す。
「放っておいたたら結果は明白だな」
僕に彼女を助ける道理はない。このままでいれば簡単に事は片付く。自身への利害を考えたならばそのほうがいいものかもしれない。そもそもこうなることを望んだのは他ならぬ彼女自身なのだ。本人とて何も言わないだろうさ。
理屈では彼女を放っておいても僕にとって何の問題もないことになる。なるのだが……しかし、と考えずにはいられない。これは彼女が望んでやったとかもしれない。しかし、こうなるきっかけを作ったのは僕なのだ。僕がもう少し冷静になってことを運んでいればこうはならなかったはずである。
(しっかたないなぁ)
近くに生き物の気配はなかった。どうやら昨日張った結界が効いているようだ。しかしそれは近くに彼女が居ないということでもあった。
速やかに結界を解くと地を蹴り木々を超え上空から生き物の気配を探り始めた。あのとき手に入れた『命を視る程度の能力』はまだ完璧には使いこなせていない。せいぜいが直接触れずとも命があるかどうかがわかる程度だ。個体を特定などできるはずもない。おまけに有効範囲も狭い。
こんなものでは彼女を見つけることはできないだろう。しかし生き物たちの様子を見れば直接探すよりも容易に彼女のもとへとたどり着くことができる。彼らは人とは違った感覚を持っている。獲物を狩るため、獲物にならないためのその感覚を逆手に取ればいい。強いものの命が集まる場所、そのどれかに彼女は居る。
あとは彼女が頑張っていてくれていると信じるだけだ。
(ん?あれは……)
飛び上がってすぐ三時の方向から禍々しい何かを感じた。これは能力の範疇ではない。僕の根底に妖として持ち合わせた感覚がそれを感じ取った。
急ぎマントをなびかせその方へと進む。
あれはただ者の気配ではない。無論人のものではないし、かといって妖のものでもない。初めて感じるものだ。何であれ友好的な感じはしない。普通のものならよもやあの場に行くとも思われないが彼女の場合そうとも言い切れないところが恐ろしい。一度好奇心を持ったら彼女は迷わず何処へでも行ってしまいそうだ。
別に心配という訳ではないのだがどうにも放っておけず、ただ彼女は無事だろうかとそこまで考えた時には、既にその禍々しさの真上に来ていた。
「いつの間に」
と、多少びっくりしながらももう時すでに遅し、止めようにも戦闘態勢で飛行を解いた僕は自由落下でその中心部に足をついた。ゴツゴツと硬いものに下駄を滑らせバランスを崩した。
ふぅむ、逃げられないな。
案外あっさりと覚悟を決めたときに限って何も起きないものである。
何の上に着地したのかと思い下を見ると見事に立派な木の根がツルに巻かれて地面から出ている所であった。
全身の粟立つような気配に若干気圧されつつも、先の件で肩の力が抜が抜けたのは嬉しい誤算だった。程よく脱力した僕の感覚はこの場所に彼女の命を視た。これで彼女が此処にいて、少なくとも生きてはいることが分かった。
ただ、安堵の息を漏らすにはまだ早い。
どうすれば……
こんなにも近くに来ているのに肝心の気配の正体が見当たらないのではどうしようもない。寒気がして、今すぐにでもこの場を離れたいような感覚に取らわれているばかりである。ぐるりと見回しても卑弥呼はおろか、一切の怪しいものの姿は見受けられない。この場所から只ならぬ気配を感じることができるのは確かなはずである。となれば何処かに姿を隠しているのであろうか?
(しかし何だか嫌な感じだなぁ、誰かに監視されているような気がするよ)
それからおかしなことがもう一つ。この場には彼女の命しか視ることができないこと。
これについては単なる力不足か、相手が能力を回避する術を持っているのか、はたまた『そもそもこの場にいないのか……』何であれいい気はしない。
最大限の警戒をしながら「誰かいるなら出てきたらどうだ」と言い放つ。
……
はなから期待していた訳ではなかったが、さっ……と、嫌な感じは引いていった。
「昨日の……」
と聞こえてきた声は、何処かで聞いたことがあるようなあどけないもので、
「卑弥呼…様?」
彼女のものに違いなかった。
「(良かった……生きてた)」
安堵の吐息とともに洩れたその言葉が彼女に聞こえたのかは分からない。ただ「付いて来るとは予想外」と小さく呟いて、走ってきた。
「そんなに走ると転ぶよー」
「大、丈夫だっ、て♪」
そんなにつまずいているのに、その自信はどこから来るんだか……
『スサッ……』
彼女は走る足そのまま僕の脇をすり抜けていった。
(あれ?)
「何処に」
寸の間首をかしげていると、
「のわっ!」
何かが尻尾に飛びついてきた。堪らず振るい落とそうとすると、「やぁあぁめぇえぇぇ!!」と叫びながら尻尾の毛を思いっきり掴まれる。もうこれはたまったものではなく、僕もがむしゃらに彼女を振り払う。
彼女も離れまいとさらに強く毛を握り締める。
「ええい!離れろー!」
「えっ……」
驚いたその言葉が高速で遠ざかってゆく。
「はぁ、はぁ、はぁ……ちっとやりすぎたかも」
……落ちる前に彼女をつかまえくちゃ。
そうは思いつつも僕の思考は次へと進んでいた。飛び上がり彼女を回収するその動作には妥協もない。……尻尾が見当たらないということを除けば。
上昇をやめて落下し始めた彼女を滑り込んで掴まえ、チラりと先程まで自分がいた場所を見ようとしてみた。しかし、それが何処であったのかは皆目検討もつかなくなっていた。元々あの気配を頼りに辿り着いた場所だったから特徴を覚えていないことは認める。問題なのは僕が彼女を見つけた途端、その気配が嘘のように消えていったことだ。そしてその気配が何処へ消えたのか今尚つかめない。
気を入れて隠れているのか、それともそもそも初めからあの場所にいなかったのか。
……気になるが今は僕の手の中で縮こまっている彼女を地上に降ろさないと。
『スタッ……』
「よっと、ほら、地面だよ、震えてないで」
「…あ……え……な、な、何してくれんのよ!」
今まで驚きのあまり言葉を失っていたのか、一度話し出したら湯水のごとく溢れる言葉を止められないでいるようだ。息継ぎなしでよく喋る。まあ今はいろいろ混ざって何言ってるのか分からないけど。
ん?あの手は何を表しているんだ?
喉を指してして……?口を指して……?頭パッパラパー?…………なんじゃそりゃ(笑)そんなことよりも、ずっとあんな状態息?できているのだろうか?
「お~い、大丈夫かぁ?」
声をかけてみる。が、
(あれ、やばくないか?)
よく見てみればあれは何か喋っているのではなくて、喋りすぎて過呼吸になっているんじゃないか?
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%<鼯鼠処置中>%
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「ははは、そんなに怖かったか?」
「だっ、だってぇ……」
気恥ずかし気に指を突き合わせながらそう言った彼女の目は、あいも変わらず僕の獣耳を触りたそうにしている。
「だめだからね」
「べっ別にいいし」
いいと思ってないことが顔に出てるよ。
「そらっ」
隠していた尻尾を出してわかりやすく振ってみる。途端に彼女の眼の色が変わった。しかし前のように飛びついては来ない。先の飛行が余程怖かったのだろう。触りたそうにせわしなく指を動かしながらも全身でその気持ちを抑え込もうとしているようである。
なんだかとても苦しそうだ。
(なぜだろうか、感じる道理もないはずの罪悪感を受ける)
しかし!それに屈するようではあの時の二の舞だ。思い出したまえ、彼女の容赦ない弄び方を!……やはりあれは許容しがたい。
「ほい」
僕が尻尾を右に振れば、それを追いかけるように彼女の眼も右を向く。
「よっ」
僕が尻尾を左に振れば、それを追いかけるように彼女の眼も左を向く。
これ面白いな。
「ほい、さっ、そら、よっ、とう、やっ……」
癒しだなぁー……だんだんと早くなっていく尻尾を子猫のように追いかける彼女はただ単に可愛かった。
「はわわわわ……」
「おっ、とやりすぎた」
ついに目を廻した彼女を見て僕は我に返った。
サッと尻尾を隠すと彼女に近づき、肩を支える。
「大丈夫かい」
「ふぁいじょう、うぷ」
「ごめん、ちょっとやりすぎた……吐くか?」
「ふえぇ?!」
ふぅむ、とりあえず反応できるだけマシか。
彼女の背中をさすりながらひとしきりの質問は済ませた。これで心置きなくあの場所の考察ができる。
さて、彼女はどうしてあのおかしな気配の場所に居座っていたのだろうか。あの並々ならぬ気配は鈍感な人間であっても気付くはずだ。しかし彼女は依然としてその場を動かなかった。大丈夫だと思ったのか、それとも怖くて動けなかったのか。
そもそもあの場に命が一つしかなかったことも気になる。僕が自身の能力を完全に掌握できていないことも確かだが、それでも一般に融通されているものとはかけ離れたものであるこの力はジャマーをくらうことも少ないはずだ。単にあの場所の気配が少ないというだけならば簡単に納得できる。ただ、あの場所からは彼女のほかに、どんなに小さい虫の命さえ視ることはできなかったのである。それはつまりそれ程までにあの気配が尋常ではなかったということを体現している訳で、そんなものが器用に自分の命を隠すことができるというのが納得できない。
「なあ、もう話せるか?」
彼女はふらふらと頭を回しながらもしっかりと聞き取れる返事をした。
「う……うん」
「まあ、それは良かったな」
「……それ、心こもってない」
「そんなことないさー」
「やっぱりこもってない」
まあまあ、そう冷たいこと言わないの。
「単刀直入に聞くけど、あの場所で何かおかしなものを見なかったか?」
「おかしなもの?」
小首をかしげて反復してくる彼女に僕はあの場所で感じた怪しい気配のことを話した。
僕が一晩彼女のことを無視して呑気に寝ていたことに彼女はたいそう腹を立てたようであったけれど文句は言ってこなかった。話が進んで僕が彼女の気配を感じ取ったという件までくると、彼女は、なんだか怯えているような、嫌がっているような、なんとも言い表し難い表情をして話を聞いていた。それでも僕の話を制することはしなかった。
「……と、こういう事情で今に至るわけさ」
「……」
彼女は頭を伏せて黙っている。
「どうした?何か引っかかるか?」
僕がそう聞いても首を横に振るばかりだった。
何か気に障るようなことでも言ったかな?ふぅむ、女心は分からない。
「あの……」
「ん?」
「ぁ……その……ごめんなさい……!!」
そう言い残すと彼女は立ち上がり森の奥へ走っていった。
「あれは……」
僕は走り去る彼女の背中を寸の間呆然と眺めていた。そして彼女の姿が見えなくなると一人、「なるほどな」と、ニヤリ笑ってから彼女を追いかけていった。
考えてみれば案外単純なことだったのかな。彼女に関して未来の文献に残っていること。その一節は鮮やかに僕の記憶をかすめて抜けていっていた。彼女の無邪気の裏に何かあるという考えに至らなかった。
この少女、見かけ以上に侮れない。
たかが人間の足に追いつくことは容易かった。あっという間にこの女の前に立ち、道を塞いだ。
「どいてよ!」
尖った言葉が突き刺さる。気を緩めたら今にも倒れしまいそうだ。
「どかない。それよりも君のことを話してくれないか」
「えっ……」
予想外の言葉だったのか、彼女を包む邪気の中に驚きという正気が混じった。
優しく微笑みながら話を継ぐ。
「君がこうやって外に出たがった理由を教えてほしいんだ」
笑顔が更に深くなる。
「僕は君のことが知りたい。君がその力をもつようになった謂れを」
彼女はまた走り出そうとはしていなかった。しかし、今すぐにでも此処から離れたいという気持ちが刻々と強くなっているように見える。
「なあ、教えてくれな…」
「ほっといてよ!」
しゃがみ込み、腕に顔を埋めてすすり泣く。相当我慢してきたのだろう。次第に嗚咽が混じり、終いには声を荒げて泣きじゃくった。
そんな彼女を僕は静かに毛皮で包み込んだ。片割れであるこの毛皮は生半可に預けられるような物ではない。と、母さんが言っていたのは随分と昔の話だ。その時、こんなことも云っていた――これには力がある。使いどきというものを考えるのじゃよ――きっと今がその「使いどき」というものなのではないだろうか。
……嗚咽が収まってきた彼女の背中に手を置き、
「すっきりしたかい」
と聞くと、彼女は素直に頷いた。
一つ、彼女について分かったことがある。彼女は、まだ卑弥呼としての彼女ではなかった。
名前こそ「卑弥呼」と呼ばれているが、それこそが彼女をこんなにも押し込んでしまったのではないだろうか。
「卑弥呼様……」「卑弥呼様……」「卑弥呼様……」
何度も繰り返されたその言葉に相応しい物であるために相当な無理をしてきたのではないのだろうか。
だから、これからは彼女のことを鬼道使いの「卑弥呼様」ではなく、未熟者の「少女卑弥呼」として接していくこととする。
「さて、行くとするか」
「……何処に?」
「何処って、決まってるじゃないか」
期待に胸を膨らませているといった面持ちの彼女の手を、僕は引いてゆく。
……そのとき、彼女の足取りが重くなった。
「此処って……」
彼女の声が暗い。
「どうして……」
またあの気配が強くなってくる。僕は足を止め、おもむろに懐へ手を入れると、
「ほら、プレゼントだ」
と言って、一見すると何の変哲もないような石っころを差し出した。「何よこれ」と、馬鹿にされて怒っているような彼女に、「まあまあ」と言いながらその石っころを押し付ける。
しぶしぶ、といった面持ちで彼女が石を受け取ると、たちどころに石の色が変わっていった。先程までただの石だと思っていた物の変わりように、茫然と立ち尽くしている彼女の肩から、僕はさっと毛皮を取り返しねあるべき場所へ戻した。その最中に、
「それは君の心の内にある気持ちだ。……あんまり溜め込むから石がそうなるんだ」
と、諭すように言った。
彼女は目を伏せって、
「でも、どうしたら……」
不満を口にした。
「そうやって口に出せばいい」
彼女は目を上げた。
「泣きたくなったら泣けばいい」
胸の内にあるものが彼女の眼から滴り落ちる。
「辛くなったら逃げればいい」
また目を伏せった彼女の肩が、静かに揺れている。彼女はそれでもまだ耐え続ける。
なぜ彼女がそこまでするのか、僕には分からない。
腕を伸ばし、彼女を抱きよせた。伝わってくる震えにそっと手を添え、やさしく撫でる。すると、彼女はどこかじゃれるように、ポカポカと僕の背中を叩いてきた。
「ほらね」
改めて彼女に向き合い笑ってみせる。彼女は泣き笑いのような表情でそれに応えた。
本当に、どこまでも強いよ、君は。でも、
「頑張りすぎるのはダメだからね」
「うん」
そう返事をした時には、既に彼は居なくなっていた。ほんの一瞬、目を閉じていただけだったのに、何処へ消えたのだろう。
ふと、掌に暖かいものを感じた。目をやってみるも、そこにはなんの変哲もないただの石が握られているだけだった。
「これが今の気持ち、か……ずっとこうならいいのにな」
どうしたことやら。退屈で、狭くて、嫌だった 、あの場所に、今なら戻っていきたいような気がする。
一人りでいたいと思っていた。何もかも鬱陶しいと思っていた。どうしてこんな場所にいるんだろうて思ってた。
でも、一晩だけ、それだけだったけれど本当に独りになってみて気付いた。あの嫌なものを投げ出しMてみた結果、周りが自分を押し込めているように感じていたものは、実際には周りを遠ざけようとして自分から殻にこもって縮こまっていただけだったのかもしれないということに。
――これから自分は変われるだろうか。あの国の水平線を、見をつぶらずくまなく見られるだろうか。また前と同じにしまうのではないだろうか。
もしそうなったら、彼は今度のように助けに来てくれるだろうか。……きっと、もう来ないと思う。
手の上にあるものは相変わらずだ。それを袂に落とし込むと、あの場所へ向かって歩き始めた。
(あとで勾玉にでもしようかしら)
(上の方って意外と誰も見ないんだよね)
僕は木の枝に腰掛けながら彼女の様子を覗っていた。彼女はきっともう大丈夫だろう。
ただ、一晩外で夜を過ごしたんだ。きっとしばらくは身動きが取れなくなるんじゃないかな。ただごとでなく騒がしくしている処へ、話題の中心人物ともいえる人がひょっこり戻ってくるんだもの。何もなしという方がおかしな話だ。
さて、なんだかあらぬ方向へ脱線してしまったせいで本題を忘れかけていたが――実際忘れてただろと言われそうなことは気にするまい――力の方はどうなったかな?
と、いってもあれを敢行して以来、時々刻々と畏れが集まって来ていることは、常々感じていた。
大した規模の場所ではなかったが、それでも妖怪にとっては数の多さより信じられる度合いのほうが重要だったりする。僕が初めて妖怪の生業というものを母さんから聞いた時、人間の恐怖の上に妖怪が成り立っていると、かなり恐ろしげなことを聞いた。そのせいか今でもそのことははっきりと覚えている。元人間の僕からしたら苦笑いで流しておかないと、物騒でものも言えない内容だった。この事が変えようのない事実であることは後で出会った妖怪たちの言動からも窺えた。
今でもあまりいいものだとは思えない。そんな僕だからか、この恐怖の上に、という以外の条件を見いだせたのかもしれない。
それは、畏れだ。これは、怖いものに対して使われるだけの言葉ではない。若干の尊敬の意味も含まれている。
そこがミソだ。単に人間に恐怖を植え付けるだけでは、意外と呆気ないことで情勢が一変することがある。例えば、本当はなんの意味もない紙切れを袋に入れてお守りとし、妖怪によく効くなどという噂を流したら、これを買って安心した人々は妖怪を恐れなくなるかもしれない。しかし、怖いという内に、何をやっても叶わないと思わせるものがあったら、たかがお守りが役に立ちものかと訝しげな態度を取るのではないだろうか。それだけでなく、後世に語り継がれる様にもなるのではないだろうか。……そしてもしかしたら人間と妖怪の共生できる世界も創れるかもしれない……たとえ高すぎる希望でも、これからも長い妖怪生活の中で挑戦してみるのみだ。
……一つ心残りがあるとすれば、彼女が僕のことを「安心安全人畜無害の守り神」とかなんとかしてしまいそうなことだ。でもそれはそれで……いや、ないな。もしそんなことになったらそもそも妖怪の生業が変わってしまう。
そんな心配をよそに、彼女の意志とは逆の、妖怪討伐の動きが活発化していった。国で策を練る以外の選択肢がなかった連中からしたら、女王が無事に生還したことよりも、自分たちを辱めた妖怪を何としてでも討伐したいという思いのほうが勝っていたようである。あるいは、女王はあの者にありもしないでたらめを吹き込まれたのだと決め込んだのかもしれない。
何にせよこちらにとっては好都合だ。
それから幾年……いや、数百年の時が流れた。
各地で大規模な開拓が行われ、文化や思想の流入が激しくなる中、妖怪はその勢力を着々と伸ばしていった。ただし片や人間といったら、未だ妖怪に対してできることは少なく、鉄器を使って集団で襲い掛かるか、あるいは一部呪いの類に精通する(とされている)ものがどうにかするといった段階であった。この程度ならある程度年を食った妖怪からしたら片手で対処できるくらいだ。つまり、うまいこと妖怪だけが有利になる情勢が形成されているのである。
そんな中で恐怖の権化を演じる妖怪もいれば、放任的で人間にあえて自分から接触しようとしないものもいる。大部分はまたとない機会と、気の向くくままに小国を滅ぼしたりしている。
僕はというと……まあ、いわずもがな適当に人間との距離を取りつつ楽しませてもらっている。最近の楽しみは各地に点在している神社を廻ることだ。
しかしだ、これまで人目を避けていくつもの神社を見てきたが、どこの神社も容ばかりで、実際に神様なんて居やぁしなかった。これじゃあなんだか味気ない。そこでだ、今日は人波に交じってかなり名のある大社に赴くことにしてみた。
「いやはや、なんとも窮屈だ」
これ程人が多い場所に来るのは、えらく久しぶりだな。これまでも退屈はしていなかったがねこういう場所はまた違ったものがある。久しぶりに胸が高鳴るのを心地よく受け入れながら一歩ずつ踏み込んでいく。
姿気配はうまく誤魔化せているはずだから、そこは気にせず気ままに歩きたいところなのだけど……この人だかりだと自由に動き回るということもできなそうだ。
今回は期待できそうだと思ったにこれでは神様がいても分からなそうだと頭を掻く。
さて、社の裏にでも回って人が引くまで時間を潰すとするか。結局こうなるのかと思いながら、人波の流れとはずれた方向へ足を運ぶと、前方で一人の少女が誰かを手招きをしているようであった。とても自分対してしているものだとは思えなかったので、意にも介さず横を通り過ぎようとする。すると、落胆したように肩を落とし、歩き去ろうとしている姿が目の端に映った。その雰囲気が自分近いものを感じて足を止め、振り返り彼女をもう一度見ようとしたが、何処にも彼女の姿は見当たらなかった。
きっとこの人混みで見失っただけだろうと思い、この時は気に留めなかったが、後で思い返せばこれが神様との初遭遇だったわけである。
祟り神として恐れられているという噂だったから、まさかあのような童女の姿とは思ってもみなかったのだからいたしかたない。
それでも、この神社とはこれから長い付き合いになるかもしれないと、この時からうっすら感じ始めていた。




