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東方鼯鼠転空記  作者: 平成の野衾(ノブ)
和の国を見出して
18/30

第十六話 鬼道使い

 穏やかに流れる川の横で二匹の妖がその川を眺めて佇んでいる。

 何を話すとでもなく、ただ横に並んで川を見つめている二匹の他には夏だというのにいっさいの生き物の気配が感じられない。

 不思議なほど静かなその場所では川の流れる音だけが時の流れを感じさせた。


 そのとき片方の妖が口を開いた。


「過去を思い返すのは構わんが、もう少し今をみたらどうじゃ」


 呆れて、というより何かを諭すような口調で言葉を放った主は、巷では人好き大妖怪と名高い華飛天という名の野衾というあやかし で、套逸の母親である。


「わかってるよ」


 そうぶっきらぼうな返事をしているのが套逸だ。これはこの套逸のお話……






(そんなこと、自分自身が一番よく分かっている……)


 誰だってぐうの音も出ない正論をいわれたら返事も雑になるもんだ。

 母さんは僕の物言いに少し怪訝な表情をしているようであった。


(あのことに関しては僕よりも母さんのほうが気にしているのか)


 そんな彼女をよそに僕は足をかえた。下駄が砂利に沈んでゆく静かな音を聞きながら、彼女のほうへ向き直り、


「みんなには伝えないでほしいんだけど……」


 と、いつにも増して真剣な口調で話し始めた。ここ最近、一人で悩みに悩んでいたことの結論が出たのだ。


「僕は旅に出ようかと思うんだ」


 いつだったか、同じようなことを言っていたような気がする。ただ、今回は前と違って幾つかさらに言葉を足さなければならない。

 そのことが、次に云うべきはずの言葉を喉につかえさせてどうしても出てこなくなる。

 正直なところ自分でも何がそうさせるのか分からない。一度は覚悟したはずのことのはずなのにどういうわけか胸に込み上げるものがある。

 あのときは何の苦も無く言えたのにどうしてだろう。


 そんな僕を見て彼女は何も言わなかった。

 ただ、黙って僕の言葉の続きを待っていた。

 そこに急かすような色はなく、本当に、ただ、僕が気持ちの整理をつけることを待っているだけだった。

 時間を置くことで、幾らかのどにつかえるものも薄れていった。

 僕は静かに一言、


「それから……もう此処には戻らないと思う……」


 短くそう云った。そうするとまた、熱いものが込み上げてくる。

 彼女は黙ったまま頷いた。何も言わない優しさが身に染みた。


「それじゃあ戻ろうか」


 彼女の優しさに負けじと僕も感情を押し込んで明るく振舞った。

 初めから母さんは分かっていたのかもしれない。


「儂に任せておれ、此処のことは守り通してくれるわ」


 彼女の言葉には一分の揺らぎもなかった。


「それじゃあ、またの」


 本当に、これっぽっちの未練もなく言葉を告げる。


「え?」


 僕が疑問を呈していると焦れったいようにまた言葉を告げる。



「しまらない奴じゃのう、そんなことでは人間に取り入られるぞ」


(なにを言って……)


「世間はそんなに甘くないのじゃ」


(だから、一体……)


「達者でな」


 判ってやってるだろ……


「はぁ、まあ、いいか」


 いつだって母さんの言葉はあっさりしたものだった。

 なんだか吹っ切れた。

 よし!もう後戻りは出来ないぞぉ!


「さぁて、行ってきます!」

「うむ……」


 後ろに感じる母さんの気配に背を押されて歩みだした。懐に収めたモノが今にも溢れてきそうだった。

 僕はそれを溢さないように急ぎ足でその場を離れた。誰も留める者はいない。


 さてと、それじゃあどうしようか。


 振り返ってもあの川原は見えないろころまで来たところだ。

 行くあてもなく飛び出すのはこれで二回目か……ふっ、面白くなってきた。

 これだけ時間が経ったんだし、集落の一つや二つ、しばらく歩けば何処かに見つかるだろう。


 考えが甘いところは初めと変わらない、か……

 まあいいんじゃないかな。その方が気楽に行ける。


 そんな横着者のような台詞が自分を代言しているのかという、どうしようもない悩みが一つ増えたのは云うまでもない。


 ……


 ……


 ……


 ……何も変わらない景色が続く。


 ……


 ……


 ……


 ……しばらく歩いていくと、何処か遠くから鴉に似たガ――という鳴き声が聞こえてきた。(カラスにしては少し澄んだ声だなぁ)と考えながらまっすぐにその声のする方へと足を進めて行く。

 久しぶりに聞いた生き物の声に、僕の心臓は普段より早い鼓動を刻み、心なしか足も速くなってゆく。


 言葉に置き換えようもない感情がフツフツと胸の奥で沸き立ち、空を飛んでいるような軽さを身に纏って僕は翔けていった。 




 少しして僕は唐突に足を止めることとなった。念願のもの、人の声が聞こえたのだ。


「……向こうに回り込め、俺が仕留める」

「わかった」


 どうやら二人組のようだ。狩りでもしているのだろうか?

 僕は気配を消し、軽く地を蹴り上空へと飛びあかった。もちろん姿は隠している。

 ――あのころからであったか、僕は多少妖力が減ったところで気絶したりとかはなくなった。僕がこの世界にいる理由を悟ったあの時から……

 不思議だった。ただ、それが当たり前のように感じれた。それもまた不思議だった。

 ただし僕が今此処にいることに比べたら、そんなものも大したことではないかもしれない。人間の居ない中どうしてここまでやってこれたのか。


 僕は辺りがくまなく見渡せるような高さまで来て空中に駐まった。


 ……もしも母さんのような大妖怪であればしばらくの間は大丈夫かもしれない。ただ、それにだって限度はある。この時間はいくら何でも長すぎる。それに僕よりも弱い連中だって未だ健在だ。

 ここからは僕の勝手な予想なのだけど、あそこは立地的にかなり特殊な場所であって――所謂霊山といったところかな?――それ故にあの時の僕のように弱小妖怪が人間に頼ることなくやってこれたのではないだろうか。あの結界騒動といい、その結界が「月人(つ・き・び・と)」の仕掛けた爆雷に耐るほどまでに強力になった事といい、あの場所の霊力と僕ら妖怪の妖力の親和性は只物ではなかった。

 単純に妖の力を強めるだけならば満月のときが一番なのだが、それは一過性のものなのであまりこういう場面では当てにできない。やはり謎は多いがあの親和性が僕らの存在をこの世に留め続けたのだろう。


 僕は先程人の声がした方へ静かに進んで行く。次第に水が流れる音が耳に入ってくるようになった。


(また川か……)


 ……しかしあの山の力で存在できるのもせいぜいあと百年が限度だろう。ここ最近になってその山から感じられる霊力が急激に弱まってきていたことからして間違いはないと思う。

 この事実は瞬く間に妖怪たちの間で広がっていった。「何とかして人を見つけて自分たちと対峙させなければ」そんな焦燥が弱い者たちを中心に広がっていった。それも僕がここにいる理由だ。

 誰にも言わないようにと言っておいたのは、彼等が付いてくると言い出すとわかっていたからだ。

 ただでさえ弱い身だあそこから出たら途端に霧消してしまうだろう。外に出ることが即ち死に直結するその感覚は、生まれた時からあそこの霊力にあたってきた者たちには分からないものであった。

 まあ、それはそれで彼等のさがなのかもしれないけれど。


 僕がその場所へつくと、やはり二人の人間が河原に羽を伸ばしている一匹のさぎを矛を持ち、両(サイド)から挟むようにしてジリジリ詰め寄り今まさに狩ろうとしているところであった。


(これは使える)


 直観的にそう感じた僕は静かに地上へと降り立ち、事を始めた。










 晴天の空の彼方から、『ゴロゴロ』という雷の音が微かに聞こえる。鷺が何かを察したようにその首を挙げ、その両眼で睨みを利かせた。


(間が悪い……このままでは逃げられるじゃないか)


 手に持った矛を脇に避け、姿勢を低くして気配を殺した。

 鷺の脚の隙間から向こう側でも同じように姿勢を低くして、もう少し機を伺おうと訴える顔があった。


 身振りで、「次にヤツが横を向いたら仕掛ける」そう伝えると、頷き、静かに体制を変えた。


 ……それからしばらく時間がたった。


(まだなのか……)


 奴はあれから一向に動こうとしない。普通の鷺がそんなことをするのだろうか?いや、俺はそんなものに出会ったことはない。


 おのずと表情が険しいものになっていく。


 一体あいつは何なんだ?俺らのことが分かっているのか?いや、だとしたらとっくに飛び去っているはずだ。

 何故あそこから動かない?……俺等のことを観察しているとでもいうのか?そんな馬鹿な。奴等にそんな能はない……しかしあいつは……いや、まさか……


 額を暑さからではない汗が伝う。


 遠くでまた雷がなる。どういう訳か先程よりもそれが気になる。

 あたりが急に暗くなった。空を見上げると、


『ピチャン』


 と雨粒が頬を濡らした。


(これは、嵐がくる)


 そう感じた。けれどあの鳥は全く動じない。それどころか雨を身に纏い妖しく光っているようにさえ見える。


(いよいよおかしくなってきた……)


 雨足が一層激しくなる。もう暑さはない。もう諦めて引き上げようとした。しかし、身体が強張り思うように動かない。

 初めは雨のせいかと思った。だが今は夏、雨が降ったくらいでどうということはないはずだった。

 ふと、足下を見てみれば、すぐに四肢がいうことを利かないのは雨のせいではないのだとわかった。


(震えている?俺が?)


 信じられなかった。信じたくなかった。

 何を俺は怖かっているんだ……怖い?俺が?そんな事があっていいはず……


 俺はもう一度あの鳥を見た。その両眼が真っ直ぐに俺の心臓を貫いていた。


 そのとき、鷺が一声、鶴に似た高い声で鳴いた。

 俺には、「人間ごときが妖怪であるこの私に何ができる」そう言っているように聴こえた。


 何かに押されるような感覚にとらわれ、俺は尻餅をついて倒れ込んだ。

 ガクン!と頭が揺れて目を閉じて、何も考えられなかった。


「……おい!大丈夫か!おい!」

「っは!」


 肩をたたかれ、ハッとしたときには、雨もやみ、その鷺も、雲も雷も全て跡形もなく消えていた。


「おい!奴は!奴はどうした!」

「おいおい勘弁してくれよ……奴ってのはなんだ?」


 こいつ、何言ってやがる……


「お前だって見てただろ?」

「何を?」

「お前本当に分からないのか?」

「だから何……」


 なんでこいつは濡れていないんだ。

 あれだけの雨であったのだ、そう簡単に乾くはずはない。


(一体どうして……あれは、すべて夢だったのか?)

 

 自分の服を見てみた。やはりそれも濡れてはいなかった。

 しかし思い出すだけで身の毛がよだつようなあの感じは……とても夢とは思えない。「妖怪」確かにそう聞こえたあれも夢だったのか?

 自分でもにわかには信じがたい。しかしどうしてもあれを夢だとは思えない。これが妖怪というものなのか……


「ったく訳わかんねぇ!なんだよなんなんだ!」


 そう吐き捨てるほかなかった。











 よし!志佳にみっちり仕込まれた幻術が役に立った。

 さあて、導入はうまくいった。あとは追い込みをするだけだ。

 

 そう心の中でつぶやいた僕は彼らのあとを追っていった。


 さて、どんな生活をしているのだろうか……まあ見てみればわかるか。ついでに今が何時代かくらいかも分かるだろ。

 しっかし、面白かったなぁ。いやね、自分でやったんだけどさ、あんなにカチカチになって心が乱れている様子を見るのは中々に面白いものだったよ。全身がガタガタブルブルで、口までワナワナ震わせて、そのくせ耳元で仲間に大声で叫ばれでも全く動じないんだもの。


「さてさて、それじゃあ僕を君たちの住処に案内してくれや」


 半ば強制的に連行されているあの人間を横目で見ながら僕は上空からあとをつけていくのであった。




 _________

 %<鼯鼠追跡中>%

  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄




「ははは、こりゃいいや!」


 彼らをつけて行くと、僕は一つの村(にしてはでかい)にたどり着いた。

 用水路を用いた大規模な田に高床式の蔵、それから竪穴住居に者の侵入を防ぐための塀に堀、その中で稲作をしている人々の光景を見て僕は無意識にそう口にしていた。


 つまりは弥生時代というわけだ。


 ようやくか……ここにきて初めて僕の知っている日本の時代が登場したわけだ。となればこれは国になるのかな。


 縄文時代?なにそれ知らない(笑)


 さあて、やっぱり基本は情報収集だ。このまま隠れていては味がないし、第一に能力に頼りすぎるのは好きじゃない。しかしこんな格好じゃ怪しまれるだけなんじゃないだろうか……まあいいか、ここはあえて強行突破して妖怪に対する敵対心をを煽ったほうが記憶に残っていいかもしれない。


(そんじゃま、いっちょやりますか!)


 自分に喝を入れた僕は村の入り口と思しき門の近くへと飛んでいき、誰にも見られていないことを確認した後に姿をあらわした。今回は目的が目的なので耳なども隠さずにいく。


 わざと下駄の音をしっかりと聞き取れるよう、ゆっくりと、一定のリズムで足を運んだ。多少のの幻術も使ってその音に奥行きをもたせ、方向を掴めなくするような小細工もしてみた。

 その音を聞きつけた門番が静かに外へと歩み出て異音の出処を探り始めた。僕はその盲点をつくような動きで着々と近づいていった。


 いよいよ目前へと迫ったところで漸く、「だれだ!」と門番が騒ぎ始めたので、僕はこれみよがしに、「妖怪さ」と答えて彼の意識を深い闇へといざなった。

 白昼堂々と人が一人倒されたことに誰も気が付かない。

 

 まあ、まだこれは序の口だ。


 左右に広がる畑の周りで、女たちがせこせこと草刈りをしたり田に引き入れる水の調整をしていたりと、忙しなく働いている中を、僕は悠々と心の中で鼻歌を歌いながら足を進めていった。もしかしたら少しくらい外に漏れていたかもしれないがそんなことを気にするよりも手先の仕事のほうが重要だったのだろう、あえて顔を上げて確認しようというものはいなかった。

 目指す場所はもちろん此処の統治者がいる場所。直接会って、いくらか積もる話をするつもりだ。

 どうして場所が判るのかというと、まあこれがとても簡単な話で、出来るだけ中心部に位置していて男の姿が多い場所に行けばいいのだ。この国の場合は分かりやすく、第一の門をまっすぐ進むと今度は第二の門に第二の塀と、あからさまに区分分けされた場所があるのでそこに向かえばいいだけ。そしたら王様とご対面。なんとも単純明快な作りで助かるよ。


「おい!」


 僕が第二の門をくぐり先へ進もうとすると後ろから呼び止められた。それと同時に殺意を感じた僕は瞬時に軽く横跳びをして構わず歩き続ける。先程まで僕がいた場所を、一本の矛が貫いた。声音とこの行動からしてかなり焦っていることが想像できる。

 まあ当然だろう。なにせ自分が見張っている筈の門を正面から通過されたのだから門番として最大の屈辱。しかもこの先に王がいるときたもんだ。これは攻撃をしないはずはない。


 僕が第一撃を躱したことで一瞬拍子抜けして弱まった殺気がまた強くなる。僕は足を自然に右へ流して「とぅりゃ!」という声と共に突き出された矛を躱す。

 僕はなおも振り返らずに歩き続ける。背後の気配に明らかな困惑と焦りが混じり始めた。


「とまれ!」


 直接静止を求められたので素直に足を止める。


「そのまま、後ろを向け!」


 くるりと向きを変え、僕は門番の男と向き合った。相手はひどく驚いた様子で、


「おまえ……子供か?」


 と、もはや殺気を忘れて問いかけてきた。


「はあ、一言目がそれとは、人間はもっとほかのことを気にしないのかね?」


 とくにこの尻尾なんて他の何よりも目立つと思うのだけれど……


 そんなことを考えながら僕は自分が思う妖怪のイメージを体現するしゃべり方で答える。僕の中での妖怪といえばこう、人間を下に見て、上から目線で話をする印象が強い。まあ、この世界でいざ自分が妖怪の側に立ってみると、すべてがすべてそういう訳ではないとすぐに分かったのだが、それでも全体を見れば概ね人間に敵対して見下しているものが多い。特に生まれて間もない妖怪ほどその特徴が顕著に表れているように思う。いや、所謂大妖怪というものが例外すぎるのかもしれないが僕の周りにはそういう物が多いので何とも言えない。

 さて、そんなどうでもいい話は置いておくとして、今は彼と対峙する時だ。


「おまえは、何だ?」

「そうだな、君らが考える最も恐ろしいものの化身…とでもいったところか」

「……」


 言葉の意味を素直に理解していないのか彼は何もせず、ただ僕を睨むだけであった。見た目こそ睨んではいるがその眼にはこれっぼっちの感情も含んでおらず、それはただ呆然と僕を見つめているだけのようでもあった。


「まあ君らの王に謁見しに来たんだ」


 呆れた顔で丁寧に説明してみるもやはりピンとこないようであった。


「それは……」


 と言ったものの次の言葉が浮かんでこないまま唸っていると、『パッ』と何処からともなく鳴った手を打つ音にハッとしてあたりを見回すも、そこにはあの子供の姿はなく、地面に突き刺さった自身の矛が、ただ不可解さを残して直立しているのであった。

 この状況に頭を抱えながらも考えを巡らせてみる。


「……我らの王……最も恐ろしい……ッハ、まさか!」


 ことの重大さに気が付き、四方を見回したときにはもうすでに遅かったのだと悟った。あちらこちらから人々が騒ぐ声が聞こえる。、ある男は大声であたりかまわず罵り廻り、またある女はすすり泣き、皆口々にこの国の行く末を声を大にして言い争っている。

 静かに矛を地から抜き、荒ぶる鼓動を押さえつけながら一の門へと足を進めていった……理由は幾つかある。まず今見える範囲で一番騒がしくなっている場所がそこだった。人の多いところに行けば何かしらの情報が分かると思ったのだ。それから……上の連中に会いたくなかった。そもそも女王の身に何かあったのならまずその責任を一番に問われるのは境界線を警護する門番だ。今この状況で中心部へ向かうことは明らかな自殺行為。もう少し事のほとぼりが冷めるのを待ってすら向かえばいい。


 門の周りでは大勢の人々がわが同胞を取り巻き、熱心にその話を聞いていた。隣ではどうも狩りに出ていたと思われる風体の男がしきりに相槌を打っている。

 その場所へ近づくにつれて人々の口からある単語が頻繁に聞こえるようになっていた。


「そのヨウカイってのは……」

「ヨウカイ……聞いたことないねぇ」


 ヨウカイとは何なんだ?


 人々がいかにも怪しげにに囁くその言葉に不覚にも、恐ろしいという感情を抱くようになっていた。

 自分を持て遊んだあれもヨウカイだったのか?あんな得体も知れないものに対して何ができるというのだろうか?あれは人のかたちをした化け物なのではないだろうか?そもそもそんなものが本当にいたのだろうか?…………


 無尽蔵に浮かんでくるヨウカイという物への予想、想像、不安、恐怖……たった一日にしてこの国はヨウカイという本当に居るのかどうかも分からないものの話題で包まれたのであった。










(まさか本当にいたとはな)


「うわあっ!何これ本物?!超モフモフなんだけど♪」


『ムンズ…』


「痛い!ちょっと、やめてくっりゃは!えっ、あ、逆撫で、逆撫ではぁっ!」


 本当に、女子というものは……「かわいい」だの「モフモフ」だのといったことで、ここまでも豹変する生き物だったのか。

 ――恐ろしい限りだ。自分自身この姿になるまで逆撫でというものの恐ろしさを知らなかった。思い出すだけで寒気が……


 いや、違う僕の言いたかったのはそれじゃない。


「卑弥呼さん、それをやめてくれないか……」

「えーいいじゃん!(面白いし)」

「だめだって」

「もー!」


 そう言って彼女は名残惜しそうに僕のしっぽから手を離した。内心いっそ気絶させてしまおうかと思っていた頃合いだったので彼女が素直に引いてくれたことにも、「ようやくか」という独り言を吐きそうになってしまう。

 さて、これからどうしたものか。ああ、何も考えていなかった。

 ……そもそも彼女があそこにいたことが想定外なのだ。おかげでするつもりもなかった人攫いをすることになってしまった。

 卑弥呼が本当にいたことも驚きなのだが、それ以上にあの国での彼女の待遇が想像以上に物凄くてこんなことになってしまった。

 僕の知っているものだと、卑弥呼は争いを鎮めるるために立てられた王で、鬼道というものを使い人々に助言をしていた、所謂占い師のような立ち位置だったはずだ……例え女王といえど鬼道という如何にも恐ろし気な技を使うのだから自身の身は自分で守るとでも言っていそうな気丈な娘かと勝手に思い込んでいたのだが……実際はあまたの箱で隠された箱入り娘だったのだ。


(知っていたとてどうしようもなかったのだけれど)


 この予想外の箱入りが僕の計画を正面から破綻してくれた。誰だって何の用で来たかもわからないものにいきなり刃を向けてくるとは思わないだろう?いや、切りかかってくるであろうこと自体はある程度想像していた。門番があれなのだから少しくらいは考えないでもない。しかし驚いたのはその行動よりも数であった。先程さっき、ああまたの箱で隠されてといったのもそういう理由わけだ。

 想像では高慢ちきな国王様が国民の問いかけに有難いお答えを返しているものかと思っていたのだ。そうであればこれまでやってきたように多少の幻術で妖怪を信じてもらい、同時にいくばかの恐怖を味わってもらって僕の力とするつもりだった。

 だが蓋を開けてみたらどうだろうか。なんとも多くの精鋭達に囲まれてその姿すら見えないではないか。これは困ったものだと考えている間もなく四方を取り囲まれた。そして一斉に手に持った矛を振るった。

 きっと僕の人ならざる様相を見て一切の問答もしないことにしたのだろう。こうなってしまってはもう後には引けない。僕はそれを容易く躱して奥へと這入った。流石に国王がいる横で矛を振うことはないと踏んだのだ。

 そして出会ってしまったのだった。今となってはそこで新しく見つけた遊び道具(僕のマント)を弄んでいるただの小娘に。


(まあこれくらいはいいか)


 あの時の彼女はどうにも怯えた様子もなく、どこか不思議な感じがする少女であった。

 しかし相手が何であろうとひるんでいる暇はなかった。一飛びで彼女の彼女の後ろに廻り込んだ僕は幻で作り出した小太刀をその喉へあてがった。

 時が固まったかのように何一つとしてその場を動くものはなかった。あまりのことに悲鳴の出し方を忘れたかと思わせるように女の顔は引きつり、張り付いたように君主の喉にあてられた刃を見詰めている。唇がワナワナと震えだし、そして次の瞬間、


「ギャァァァァ!」


 と、金切り声で叫んだのを皮切りに男衆もいきり立ち、一間もせずにその場が暴風吹き荒れる嵐の中にいるように煩くなった。しかしいくら煩くなれど誰一人として侵入者に切りかかろうとする者は居ない。

 未知数の相手に怯んでいるのと自らの手が誤ることを恐れている気持ちが空気を伝播してくる。


(ふう、これで少しくらいは安心かな)


 そう思っていると、ふと小さな、よく利く妖の耳でないと聞き取れないような声で、「ねえちょっと私を攫ってくれない?」という少女の声が聞こえた。

 驚いて下を見ればあの少女は自分を襲った相手を見つめて何やら面白いことでもあったかのように笑っていた。


「なに……」


 ここで気が緩んだことが悟られたのだろう。彼女に聞き返そうとするやいなや辺りの気配が攻撃的なものとなり刹那のうちに矛が突き立てられた。

 僕の着物をつかんで離さない彼女を抱え、間一髪でそれを回避した僕はそのまま一時撤退を余儀なくされた。







 かくして森林へ飛び込んだ(・・・・・)僕らはそこで初めて面と向き合ってお互いの姿を見ることとなった。そのとき僕はそっと地面へ目を落とした。彼女の怪訝がる様子が伝わってくる。

 着物の襟を持ち軽く引っ張ると、少し間が開いて彼女の恥ずかし気な「あっ///」という声がした。僕は頬を赤らめながら彼女に背を向け、しばらくカサカサと布が擦れる音を聞いていた。

「コホン」という咳払いを合図に振り向き、今度こそしっかりと向き合った。


 僕が名乗ると彼女は卑弥呼だと名乗った……






 とまあ、これが事の次第というわけだ。

 そして彼女が僕に、「攫ってほしい」などと言った動機だが……それはまだ分からない。聞く前に彼女が僕の事を弄び初めてもはやそれどころではなかった。


(まったく、無遠慮にも程があるってものだよ)


 今だって僕の後ろでマントをいじって……


 ここで彼女の方を振り返ると……って居ないじゃないか!


「何処行ったー!」


 ったく、さっきまで散々ちょっかい出してきておいて今度はかくれんぼですか?


 ……いや、でも待てよ、このまま放っておいたら自由な時間が戻って来るんじゃないか?さっきからジワジワと力が強まっているしきっと今頃あそこでは僕の……いや、妖怪の噂で持ちきりなんじゃあないだろうか。それなら暫く休んでも大丈夫だろう。


「ふぁぁ、疲れた」


 気が抜けたら一気に眠気が……


(あと一時間もすれば日も落ちるだろうし、今日は軽く結界でも張って眠るとしよう)

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