第十三・五話 感傷に浸る間もなくて
結局志佳を連れて帰ってきたのはその日哨戒を担当していた猫又だった。なんでも、ちょっと木の上でうたた寝をしていたら、突然誰かが何かを叫んでいるのが聞こえたのだとかなんとか……
僕の出る間もなく解決したのはいいのだけど、かといって僕に職務怠慢だとか食って掛かってきたのは少し納得できない。その名が最も適しているのは、それこそ哨戒任務があるにも関わらず、それを怠って昼寝をするような輩が居るんじゃないのか!
そう言ってやったが、彼女が云うには、
「私を助けた人なんだから、そんなのは些細なことでしょ」
とのことだった。
なんとも身勝手なご都合主義……僕は心底そう思ったが、そんな志佳が後ろ盾になっている猫又の少女が、それ見たことかと、「にゃはは!」と笑っているのを見て口にするのはやめにした。きっと今何を言ってもこのにわかコンビは聞く耳持たずといったところだろう。
僕はやれやれと両手を挙げて降参の意を表すと、「日も暮れてきたし、そろそろ帰ろうか」とそう言った。
帰るといっても結局は山で、布団もなく雑魚寝をするだけということに変わりはないのだから、何処であっても変わらないような気もするが、まあこれでもいわゆる地域コミュニティーみたいなものがあるから下手に何の断りもなく一晩明かしたとなれば、少し白い目をされる。この生活にもなれたものだけど、改めて考え直すと布団が懐かしい。
まあぁ?僕にはマントがあるからね、その分だけ他のみんなよりは夜も暖かに過ごすことができるに違いないけど、だからといって布団の温もりを知っているのにそれを懐かしく思わないはずがないでしょ。
と、誰にするとでもない張り合いをしている僕はやはりまだ完全にはこの世界に馴染めていないのだろうか。
「にゃにか悩み事かにゃぁ?」
「え……?」
さっきまであっけらかんとしていたかと思った猫又少女は、僕の心を読んだかのようにそう言った。打って変わって真面目に……というわけでは無かったけど、それでも彼女は見ていないようで色々なことを見ているのだと気づいた。
――ああそうか、今回志佳を見つけたのが彼女だったのも、彼女はただの偶然だと言っていたけれど、案外真面目に見張りをしていたのかもしれない。
「いや、何でもないよ」
彼女には無用な心配をさせてしまったのかもしれない。僕の抱えているこの問題は、僕自身がどうにかする以外には解決策がないのだから。
「みゃぁぁぁ、そうかにゃ?ならまあ気にもしにゃいけど、大先輩として一つ忠告しておくにゃ……」
彼女は大あくびをそういうと、軽々と木の上に飛び上がり一言付け足した。
「心残りは早いうちに潰しておかにゃいと、後でしっぺ返しを喰らうのにゃ」
何だかたいそうなことを言われたような気もするが、僕は、「ご忠告ありがとね」と言って軽く受け流した。彼女は僕に対してそれ以上何も言わなかったが、「言うことは言ってやったからな」と、目で伝えているようではあった。
○
―――閑話特例設定資料集―――
未夜志佳
彼女は妖狐でありながら限りなく
人に近しい姿をとる。かといって
人間に肩入れするかというと、全
くそうではない。本人曰く、華飛
天のことがなければもっと力を振
るえたのに。とのことである。意
外なことに、妖狐としての齢は浅
く、まだ千ほどだとか。少々幼い
口調は、彼女が気分屋で子供っぽ
い節があるためなのかもしれない。
華飛天との関係は旧知の仲であり、
それ以上に語る必要のない仲だと
か。心が読めるのも、その旧友の
チート能力が大きく関係している
とか。決して、悟り妖怪ではない。
○
――代り映えのしない朝がやってきた。
唯一、いつもと違うことがあるとすれば、いつぞやの僕に戦いを挑んできたあの鬼が、起き抜けの僕の顔を覗き込んでいるということだろうか。
「何か予定あったっけ……?」
僕は疑問に首をかしげて、うんとこさっとこ記憶を呼び起こそうと試みる。はて、寝起きで頭が冴えないことはいいとして、今日は何かやらなければならないことは無かったと思うのだが……と、僕はやはりなんのこっちゃと困惑する。
「いや、なに、俺とまた勝負しないかってことをだな聞きに来たわけだよ」
ふぅむ、なるほど、初めから僕に何か予定があったというわけでも、それをすっぽかして危機的状況にあるというわけでも、何でもないんだな。
それが聞けて安心だ。
「ああ、それパスでー」
僕は答えもそこそこにして二度寝の姿勢に移行する。
そんな僕の様子を見てかどうだか、
「『パス』っていうのは了承の意で捉えていいんだな」
と、言葉の意味を曲解して脳筋方向へと話が進んでいく。
このまま放置していては僕の意見は完全無視で、どこまでも面倒くさいことになりそうな予感がしてきて、さすがの僕も二度寝をしている場合ではないと重たい頭を持ち上げる。
「パスっていうのはぁ、不参加の意味でぇー」
乗り掛かった舟……というか寝かかった朝で、僕はほとんどなににを考えるともなくそう解説する。
それに対して、「不参加……とは、どういうことだ?」と、これ以上ないくらいに簡潔に説明したはずだったのに、そこにどうして疑問を抱く余地があるのだろうか。
まあ、それはさておいて、
「だ・か・ら、それはパス…じゃなかった僕は勝負はしないって言ってるの」
これだけはっきり言えばどんな脳筋でも分かるだろう。
「ム……」
と、彼は分かり易くむくれている。
僕としては理解してもらえたようで何よりなのだけど、そもそもなぜそんな話になったのか、全く理解できない。そもそも全く伏線もフラグもなにもなかったというのに、なぜいきなり戦うという話になるのだろうか。
あるいは、それが鬼という存在の性なのだろうか。
だとしたら面倒くさすぎる!
そもそも僕に対して何か戦いをしようと思うのなら、それ相応の道理付けをするというのが礼儀というものではないのかと、僕は思う。
「しかし、まだあの時の決着が付いていない」
なるほど、それが道理か。しかし……
「それは別にもうよくない?」
それが本音だった。
僕としてはその事後処理的な意味でいろいろ大変な目に合いそうな予感がするし、できることなら思い出したくもない。何とかいい解決策を思いつければなぁ……家づくりにも限界がある。
「いや、俺は納得できん」
頭でっかち……それが僕の感想だった。
(こういう場合の対処って、どうするのが正解なんだろう)
正直、僕はこういうことは得意ではない。
そもそも同年代の相手ならまだしも、圧倒的な先輩格に、こうなんというか友達感覚で容赦なく接していること自体が何というか違和感でしかない。何というか前向きに生きようと決めたとはいっても、慣れないことをしているというような気がどうしても拭えない。
――まあ、いずれ慣れるだろう。
「でもなぁ……」
返事に困って口ごもると、
「一度でいい、決着をつけたら、それで十分だ」
「ふぅむ……」
一度だけで満足してくれるというなら、悪い話でもないのかなぁ……ここで断ったら、これからも何かと絡まれそうだし、それよりは一度本気で自分の実力を調べてみるのも、悪くないかもしれないよな。
自分で自分の実力を測ることができないと、どうしても後手に回ることになる。それを考えるとこれも悪い選択じゃない。と、思えてくる。
「なら「よし決まりだな!」……おいおいまだ何も言ってない」
脳筋という生き物は理解に苦しむ。しかし、彼の理解は僕の言おうとしていたことに相違ないのだから、まあ、いいか。
と、半ば諦め気味に思考を流す。
――僕はどうにも報われない気質があると思う。
しかし、いざ戦うとするならば、僕が死なないように何としてでもいろんなルールを追加しておかないと……なにせ相手は鬼なのだから、ハンデとはいわずとも、せめて命の保証はつけてほしいものだ。
「なら「よしすぐに戦おう!」……えぇ――――」
この流れ、非常によろしくない。これでは僕が何かを言う前にすべて塗り替えられてしまうじゃないか。
よし、きっと話初めの口調がいけないんだ。だったら、僕は……
「な……じゃなくて、お互い命は掛けないていうのは前提だからね!」
(おー、言えた!)
僕はとりあえず必要最低限は伝えたはずである。
「おうとも!猪の血はかけないとも(なぜそんなことをすると思ったのだろう)」
「よし!それでいい、それでいい!」
なんだかもの凄い勘違いをされているような気もするけれど、まあ命を他の意味にとらえるというほうが難しいでしょ。
「……?」
さて、他にルールの追加をしておきたいというのが本音なんだけど……
「よっし、行くか!」
どうにもそんな雰囲気ではなさそうだ。――そもそも僕とは熱気も気迫も違うしそもそもやる気もないし……よし、さっさと終わらせてゆっくりしようじゃないか。
――僕は重い腰を上げて彼の後を追った。正直に白状すると、この時僕は彼に勝てると余裕綽々で、ろくな準備運動も作戦も立てず戦いに臨んだ。初戦で僕が感じた彼の印象は、馬鹿正直に力を使うだけ。よって、隙も多いし躱しやすい。確かに力だけを比べたら、僕は圧倒的に不利かもしれない。でも、手数の大さは僕のほうが有利だ。例のマントアタック(名前はまだ未定)は封印するにしても、それ以外の妖術、飛行術、隠遁術は使い放題。そんな僕に力馬鹿が勝てるはずはないとそう踏んでいたのだ。
だからいざ戦いが始まろうとした時、僕は彼に対して、「他にルー…じゃなくて決め事の追加は?」と強者の気遣いのようなものまで発していた。
もちろん、彼はルールの追加などしてこなくて、それがまた、僕を油断だらけにしたわけだ。
まだ朝ということもあって、観客はほとんどだれもいなかった。そんな中、彼に云うところの因縁の対決が、始まったのであった。
結果はもちろん『負け』だった。
もっと具体的にいうと、開戦と同時に僕は両の手に火の玉を準備し正面から突っ込んでくるであろう彼を迎え撃つ姿勢をとった。あとは一発撃ちこむと同時に空に回避すれば事は終わる。少なくとも僕の頭の中ではそうだった。
彼は予想通り僕に突進攻撃を仕掛けてきた。
それ見たことかと僕は彼に向って火の玉を一発……見事命中。しかし彼は勢いそのまま僕に向かってまっしぐら。
あれれ?すこし威力が足りなかったかと、火力を強めてもう一発……今度も確かに彼の腹にばっちり命中。しかしそれでも彼はまっしぐら。
持ち球も尽き、さすがに不味いと冷や汗が出て、そうだ空にと僕は飛びあがる。焦りと意外さに一瞬後れを取った僕の足をね彼は捕まえ、地面に引きずりおろす。
それからはもはや語るに足らず、あべしふべしとただの乱闘。当然僕には勝機などなく、あえなく白旗降参しました……
僕は情けない負け方に屈辱を覚え、同時にもう二度と相手を下に見てぬかるようなことはしないと心に誓うのであった。
身体中がズキズキと鈍く痛んだが、それ以上に僕は恥ずかしさに身を縮めた。
「おいおい、大丈夫か?」
とね今一番話しかけてほしくない相手から慰めの言葉がかかる。それに対して僕はより一層身を縮めこむことしかできなかった。
もう今は一人にしてくれ……と、切に願い、僕は低く唸り声をあげるのだった。
そんなことがあったので、その傷が癒えた時僕はサキや志佳に稽古を申し込んだ。サキからはそんな暇はないとその場でピシャリと断られ、志佳は承諾してくれたはいいが、いざ蓋を開けて稽古を始めてみれば、なんだか彼女の遊びに付き合わされているだけのような気がしてくる。
それでも僕は現状唯一の先生である志佳に付いてその技の盗めそうなところは全て盗んでいった。
思えば、僕が母さんと稽古をしていた時も、これとに頼ったりなことをしていたような気がするので、この妖怪業界における稽古というのは、案外こういう「技は盗むもの」的なものなのかもしれない。と思いながら、僕は今日も彼女にあれやこれやと奔りまわされている。
「ねぇ、しかぁー、いい加減先生らしいことをしてくれよー」
と、僕は世間的に所謂、明後日の方向というやつに向かってそう呼びかけた。もちろん僕は空に話しかけるほど落ちぶれてはいないわけで、出来ることならちゃんと彼女の顔を見て話しをしたいのだが、いかんせん空を飛んでいる彼女を下から見上げるという行為は命を危険にさらすことと同義なために仕方なく何もない空に向かって叫ぶしかないのである。
そんなにスカートを覗かれるのが嫌なんだったら空なんか飛ばなければいいでしょ。そう言っても、彼女はそのときだけ耳が遠くなるようで、何度聞いてもどんなに大声で叫んでも、「ほへぇ?」と、耳に手を当てる動作をするのだった。そうされたら僕は、「ああ、年を取ったら僕のこうなるのか」といって返すのを一つのルーティンにしているのだけど、そうすると、「あぁん?」とヤクザのように睨んでくるのだから敵わない。
まったく、女心ってのはよく分からない。
そんなこんなで、今日も彼女に話しかけるため、僕は明後日の空に向かって声を張るのだけど、今日は珍しく彼女が地上に降りてきた。
「それじゃあ先生らしいことをしてあげる」
彼女は僕の前に立ってそういうと、「何処からでもかかってきなさい!」とでもいうようにクイッと手招きをした。
おお、これは初めてのケースだ!ようやく僕の願いが届いたのか!
と、内心舞い上がりそうになるのを抑えて、僕は彼女に向き合い格闘技の真似事のようなポーズでそれに応じた。
よーし、それじゃあ何をしようか。というより何をしてもいいのだろうか?僕は彼女を見つめて迷っていた。
すると、
「そっちから来ないんなら私から!」
と、狐火(時々普通の火の玉)を繰り出してきた。
「えっあっ!、ちょっと危ない!」
僕はそう言いながらなんとかかんとかそれを乗り切った。
――なるほどつまり何でもありなんだな。と、そう解釈した僕は、それなら心置きなく何でもできると抗戦に打って出た。
「ええぃっ!お返しだ!」
といって放ったのは大量の火の粉と葉っぱの嵐。僕の常套手段だ。とはいえ季節はまだ夏半ば、青い葉っぱは引火もせず、火力は半減。季節に左右されるのはこの技の欠点だということを思い出して、しまった!と思うよ早く、何処からともなく突然の豪雨。けれども空は晴々として、「なんだこれは!」と思わず叫ぶ。
雨はすぐに止んでもずぶ濡れになって気分最悪な僕は、ゲリラ豪雨でさえもっと優しく、傘を出す余裕くらいは与えてくれるものだと言ってこの雨に抗議をしたい気持ちになった。
「どうだ!これで少しは満足したか!」
と全く濡れていない彼女が自慢げに胸を張ってそういうのだから、きっとあの雨も彼女がやったものなのだろうけど、それはそれでなんだか腹立たしい。
「まったく、びしょびしょでいやな感じ」
と、愚痴を漏らすと、
「何言ってんの?全然濡れてないじゃん」
と、彼女は返す。
「いやいや何を言って……」
と言いながら服を見ると、あれ?どうしたのだろう濡れていない。と、先程までの不快感とともに濡れていたはずの服がすっかり乾いて元通りになっていた。
「なにしたの?」
と、僕は聞いたが、そう聞いている間に何となく事象が呑み込めてきた。
彼女の人にしか見えない見た目にすっかり忘れていたけど、そういえば彼女は狐の妖怪、妖狐じゃないか!となれば狐の得意分野といえば化かすことで、さらにもっと言うと世の中には狐の嫁入りというものがあるじゃないか。
つまり僕はまんまと彼女に化かされたということなんだろうけど、
「あの雨は悪質すぎる!」
「?」
あれは断じて狐の嫁入りなんかではない。ただの嫌がらせのいじめだ。
「学校で掃除の時間に誰かがバケツをひっくり返して、ちょうどそこに僕の頭があったくらいに気分が悪い!」
「?」
さすがにそんな経験はないが、あれが人為的なものだとわかると、途端に嫌な感じがしてくる。
そう憤慨している僕に彼女は、
「まあまあ、いいでしょそんなの」
と、いくつか頭に浮かんでいた疑問符を完全に無視してそう言った。彼女そのおおざっぱで何も考えないような性格を目の当たりにして、僕は何だが、一人熱くなっていることが急にバカらしてく思えてきて、ため息をついた。
「……それじゃあ、これからは先生らしくしなくてもいいってことだけ伝えとく」
なんだかとっても疲れたので、今日はもうやめにしよう。
そう心の中で呟いた僕に、彼女は「まったく、どうしようもないやつだなぁ」なんてことをわざとらしく言っているのであった。




