第十話 出会い
「気に入ったかしら?」
思わぬところで声を掛けられ正直なところ少しビックリしている。が、それと同時にやることができてホッとしていたりもする。
ただ、素直に安心している場合ではない。僕の姿を見て驚かないことから察するにきっと相手も人外であろう。
つまり不用意に気を起たせてはマズイということだ。
しかし……母さん以外の妖怪と出会うのは今回が初めてになるのか……それはなんだか楽しみだ。
それはそうと、声をかけられたのに放っておくのもいけないな。
振り返るとそこに居たのは見た目九、十の少女であった。
まあ、これはかなりオブラートに包んだ言い方で、実際には幼女と言ってもいいくらいであるが、あまりそういう言葉を使うのは好きではないのでこれからも滅多に使わないだろう。
ふうむ、結局言っちまってるじゃあないか!という言葉が聞こえてきたような気がするけれど、そんなもの気にするものか!(笑)
それで、彼女の容姿なのだけど、髪型はセミロングの金髪に桃色の髪飾りを着けている。服装はというと、踝まであるような長い緋のスカートに白を基調とした紬を着るという斬新なスタイルだ。見たところ普通の人間と何ら変わりないが、気配はやはり、人間のそれとは違っていた。
そ・れ・よ・り、僕ば場所を移動するだけじゃなくて時間まで移動してしまったのか?!此処に来るまではもうすっかり沈んでいたはずの太陽がどうして真上にあるんだよ、おかしいじゃないか!
ハハハ世の中摩訶不思議こともあるもんだなぁと、もはやこれくらいのことなら寛容に受け入れられるようになってきた。
「いい景色だね」
「そうでしょう?」
「うん、この景色は故意には作り出せないよ、特にこの辺りとか」
初めての会話がこれというのもおかしなものかな?だけどお世辞とか機嫌取りとかではなく心の底から綺麗だと思ったからこう言ったていうだけ。
「おー、それが分かるとはなかなかだねぇー」
彼女はこう応えた。
う~ん、なんだか子供に褒められてるみたいでパッとしないなー。妖怪である以上見た目で年を測るのは難しいのだけれど、それでもやっぱり変な感じだなぁ。
それはそうと、今僕が見ている景色が本当にそこまで美しいものなのかと疑問を持つ人が居るかもしれない。例えば日本庭園の方が自然をより美しく表しているのではないか、とかね。
確かに人に手入れされた庭園なんかも美しいけれども、でもそれは人の目によく見える様に計算されて、短い期間で完結するように作られたものなんだろうと僕は考えているんだ。
人間の寿命は短い。だから到底木々の成長を一から十まで見届けることはできない。となれば他所から運んできた美しい木々を使って、集めて、造形して……そうして即席の美しさを求める。
きっとそれは当然のことだろうと思う。
ただ、植物は何かを、誰かを楽しませるためにあるものではない。
自らが生き残ること、それだけしか求めない。
しかし生き残るということはただそこに鎮座していればいいというものではない。植物の場合は光合成により生き残るためのエネルギーを得る。だからより多くのエネルギーを得るために葉が重なる量が最低限で済むようになっているのは有名な話だ。
それは奇跡的なバランスによって成り立つ一種の法則を作り出している――ひまわりの種と円周率の関係もこれに含まれるだろう――
だからこそ自然は美しい。人の手が入れば、それだけでバランスが崩れてしまう。自然とはそんな繊細なものなのだ。
一瞬の美しさのためにそれまで数百年、数千年とかけて築き上げられたものが消える。それをどう思うかはその人の価値観によって変わる。だから一概にはいえないのだけれど、僕はなんだか悲しい気持ちや、残念な気持ちになる。
とはいえ、庭園には人の目を楽しませるものがそろっているし、それも綺麗だと思う。そこでしか見れない景気もあるし、僕はそれも好きだ。ただ、今僕が見ているような美しい景色が何処にでもあるかと聞かれれば、答えは決まっている。
かなり長くなってしまったけれど、此処の美しさっていうのはそう滅多にお目にかかれるようなものじゃない。
だからそういったものに心惹かれるのはきっと普通のことだと思う。そう云いたかったのさ。
「ところで此処は君の土地?」
「まさか、それはないでしょ」
「そうなんだ」
「まあ、分かるかな?」
彼女が何を言わんとしているかわかるような気がする……此処の景色はこのままが一番で時々見に来るくらいに留めておいたほうが良いのかもしれない。
「なんとなく、分かるような気がする」
「君とは話が合いそうだね」
「そうかな」
今世では僕は人の運がいいらしい。少なくとも前の僕よりはずっといい。
僕は前の世界での自分の姿を思い出して少し気分が下がった。
――今はそんなこと考えている場合ではないか。
「ところで」
「なあに?」
「君は一体なんの妖怪なの?」
いつも聞きそびれるからな、早めに聞いておかないと。
「人に何か聞くときはまず自分のことから話すものじゃないの?」
「そうだね、ごめん」
運はよくても人付き合いはまだまだなようだ。玄武さんとかとは特に気を使って話したりしたわけじゃなかったから自分が人見知りで、ほとんど人と話したことがなかったことをすっかり忘れていた。
「謝ることはないし、次から気をつければいいだけでしょ」
「優しいんだね」
僕がそう言うと、彼女は笑いながらこめかみの辺りをカサと掻いた。
どうやら褒められることには慣れていないらしい。
僕はなんだか彼女を無性にからかいたくなった。
とりあえず、まずは普通に、
「それじゃあ改めまして……」
ここまではいつもどおり、この後はどうしようかな――自己紹介かぁ、昔から苦手だったな――せっかくだし、ここは何か思い切ったことをしてみたいな。
今まで僕がしたことないような自己紹介……何かあるかな……そうだ、アレがいい。
僕はとある小説の有名な一節を思い出していた。
あれなら今まで一度もやったことが無いし、かなりのインパクトがありそうだ。
「吾輩は鼯鼠である、名前はまだ、ない!」
あの誰でも聞いたことがあるようなセリフをパクッ……じゃなくて参考にして柄にもないことを言ってみる。
ちょっとはカッコいいかと思って言ってみたんだけど……しゃべり終わってから気づくことってあるもんだね。
僕は今、すごく後悔している。
「なんだかギクシャクしたしゃべり方だね?」
「あはは、分かる?」
「当り前でじゃん、そのしゃべり方に慣れてないもの」
彼女にもバレバレなようだ。ああ、やってしまたな~。
やっぱり慣れないことはするもんじゃないな。後悔先に立たずとはまさにこのことか。
それじゃあ話し方をもと戻してと。
「今度は君の番だよ」
「はいはい」
と言って彼女は含み笑いをした。
あれ、僕何か変なこと言ったかな?
ともかく今度こそちゃんと教えてくれればいいけど。
「私は未夜志佳、解らないかもしれないけどこれでも狐だよ」
「き、キツネ?!」
「そうだよ」
彼女はまた含み笑いをして僕の反応を楽しんでいるようだ。
狐ってあの狐か?僕のイメージでは耳とか尻尾とかがある、少し目の端が釣り上がった姿なんだけど。……う~んでも僕だって今も耳とか隠してるじゃ…ない……か?って、あれ?隠せてない……いったいいつの間に元に戻ったんだよ。それにあの薬で増やしたはずの妖力もいつの間にか元に戻ってるじゃないか。あの薬は一過性のものだったのか!くっそぉー、もっとたくさん貰っておけばよかった。
閑話休題
彼女が狐っていうことは嘘をついている可能性もあるって事だよな。だって狐っていうのは人を騙すものだろ?少なくとも昔話なんかではそう描かれているじゃないか。
とんだ偏見である。
そういえば狐っていうのは神様の使いであって、お稲荷さまとかいってそれを祀った神社もあるとかいうのを何処かで聞いたことがある。
なんだか矛盾している気がするよな。
……そういえば前に同じことを疑問に思ってちょっと調べたことがあったっけ。たしかそのときは途中で面倒くさくなって放っぽり投げた記憶がある。とはいえ途中までは調べたから少しくらいは分かる。
たしか狐には善狐と悪狐があるんだったかな。それで「なるほどなるほど」と思って次の瞬間には「もういいや」ってなったんだったな。
思い返すとすごく飽きっぽかったんだなと思う。
そうだ!せっかく目の前に狐がいるんだから直接聞けばいいじゃないか。
僕が一人でそんなことを考えていると横から「どう?」と言われた。
なんだなんだ!急に「どう?」とか言われても困るんだけど。それにいつの間に僕の横に来た!
「急にどうしたの」
「急にって、ずっとあなたに向かって話してたじゃない」
「は?」
「え?」
やばい、全く聞こえてこなかったけど彼女はずっと僕に話してたみたいだ……
「ごめん聞いてなかった」
「ずっと黙ってるかなしっかり聞いてくれてるのかと思ったじゃん」
「ホントごめん!」
いやー、考え事も大概にしないとこういうことが起こるのか。自分の世界に入り込むのも程々にしないとな。
僕がそんな事を考えていると彼女が「まあいいけど」と言ってくれた。
ああ、優しい。
「そんなこと言っても何も出ないよ」
「あれ、口に出てた?」
「かなりね」
またか……こういうことは早めに直しておかないとあとあと後悔するきっかけとなるしなぁ。
あれ?まてよ、今の僕がこうなんだから昔の僕もこうだったんじゃ……
なるほど、どうりで誰も近づいてこなかった訳だ(笑)
「ははは……」
「なに、急に笑うとか気持ち悪いんだけど」
「いや、ちょっとね」
「変なやつ」
あ~あ、ついに言われちゃったよ……これ以上彼女の中の僕のイメージが崩れる前になんとかしないとせっかくの運を台無しにしてしまうかもしれない。
となれば、一体どうしたらいいのだ、ろ、、う?
おっと、危ない危ない。また自分の世界に入ってしまうところだった。
……あれ?彼女が、居ない――
うそ!いつの間に?!さっきまで横にいたと思ったのに!
まさしく狐に摘ままれた気分だ。
「ばあ!」
「!!」
僕が下を向いて「はぁ」とため息をついていると急に目の前にさっきの少女が現れた。
「いったい何するんだよ!!」
心臓が止まるかと思った。
「えへへ、驚いたー?」
なんだよわざとやったのか!?急に脅かされて精神が削られたじゃないか。人の心が具現化した妖怪にとってメンタルというのは命に等しいものだろ!彼女もそれをよく分かっているはずさらにまだ妖怪になって間もない僕にそんなことをするなんて……下手をしたらそのままにっていうことになっちまうかもしれないじゃないか!
あんまりにも驚いたので尋常でなく区読点無しに饒舌に言葉が飛び出してくる。が、普段しゃべりなれていない僕の喉はその言葉のすべてを塞き止めてしまった。
こうなった以上煩く言うのも癪なので、あえてすました顔をして、「それなりに」と言った。
すると、「ぶー、何それー」と、彼女もわざとらしく嫌な顔をする。
しっかし、彼女も随分と思い切ったことをしてくれるじゃないか。
また一人になったとか考えてた僕が馬鹿みたいになってくるよ。
「へぇー、そんなこと考えてたんだ」
「!!もしかして……」
「大丈夫、今度は声に出てないよ」
はぁ? 声に出てないってどういうことだよ。
「だったら……」
「……どうしてかって?」
「うん」
言葉の先を読まれた、だと!これくらいは想定内ってことか。
「それはねぇ……勘」
その答えは想定外……(苦笑)これはあれか、女の勘ってやつ?
なんか違う気がするけど……
「ったく、こうも簡単に心の内を読まれるのは気持ち悪いな」
僕は彼女から目を逸してそう言った。
僕はこのとき初めて自分の本音をそのまま口にした気がする。いつもならこういう事は考えるだけで実際に口にすることはなかったのだけど一体どうしたことか。
それより、彼女は傷ついていないだろうか。気持ち悪いって言ってしまうなんて……
はぁ、これは嫌われても仕方ないな。
僕は様子を窺おうとこっそり彼女を見る。
するとそこには微笑みながら彼女がこちらを見ていた。
あっ……これはきっと殺されるな。僕はとっさにそう思った。だが、彼女が取った行動は意外なものだった。
「ようやく素直になってくれたね」
彼女はそう言ったのだ。嫌な顔ひとつせず僕に向かって――
(どうして)
僕はそう思った。
「だって、あなたはあまりにも不器用なんだもの」
彼女はそう言うと、僕に向かって屈託のない笑顔を見せる。その笑顔を見ていたら今まで僕が心配してたことが全部馬鹿々々しくなってきた。
(人と話すのって、こんなに簡単なことだったんだ)
僕は何を怖れていたのだろう。
僕は何でこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう。
「ねえ」
「なぁに」
さっきから気になっていたことを聞こう。
「また心を読んだでしょ」
「なんのことかなー?」
しらばっくれてるけど絶対になんのことか分かってるよね。これは絶対に勘で説明できるレベルじゃないだろ、どう考えても!
もう狐じゃなくて悟り妖怪で良いんじゃないか?
「それは嫌だよ」
「やっぱり分かってんじゃないかよ!」
「あっ!」
まったく本当に改職改名するべきだと思うよ。
僕は別に心を読まれてもどうということはないんだけども。
「それなら遠慮なくあなたの心の中を見させて頂くわ」
「いや、そういう意味じゃないんだけど」
まったくどうということはないといっても、やっぱり口に出してない事まで伝わってしまうのはちょっと嫌かもしれない。
さっきまでとは意見が180度反転しているのはこれ如何に。
ただ、声を出さなくても会話がでできるって考えれば喉も乾かなくていいのかのしれないけど。
「(……呑気なやつ、羨ましい)」
「何か言った?」
「べつに」
べつにってなんだよ、気になるじゃないか!
「あんたは馬鹿だねって言ったんだよ」
バカとはなんだバカとは!だいたい人の心を勝手に読んでおいてなんだよその態度は。
「心を読まれてもいいって言ったのはあなたでしょ」
「だから言っていないって。そのことだって、そっちが勝手に心を読んだだけじゃないか!」
「分かっててそういうことを考えるってことは口にしてるのと変わらないじゃない」
「なにおぉ、だいたい……」
そんな感じのゆるーい言い争い――といっても僕の口戦一方だった気もするが――がしばらく続き、気づけばもうすっかり打ち解けて、僕は自然な会話ができるようになってきた。
家族以外の人とこんなに遠慮しないで話をしたのはこれが初めてなような気がする。
――自分で自分の言ったことの揚げ足を取るな、ら幼稚園に行っていた頃は確かに何の気兼ねなしに思ったことをすぐに口にしていたけれど、それはまだ常識もほとんど知らなかったからで――
ともかく、楽しかったのは確かだ。
「……ねえ志佳」
「なーに?」
気づけば彼女のことを名前で呼ぶようになっていた。
「今日は付いていってもいい?」
(もう日も落ちてきたし)
僕がそう言うと彼女……志佳は僕のことを品定めするかのように上から下へ、下から上へと見回した。
そして、「いいわよ」といった。
何か変な反応。僕おかしなこと言ったかな?
「……あなたってほんと馬鹿」
「何か言った?」
「……」
う~ん、何か言ってたような気がしたんだけどなー。
まあいっか。
ともかく今日の宿が見つかってよかった。
よくよく考えればどうやって夜を超えるかとか全然考えないで出てきたからな。
いやぁ、行動はもっと計画的にした方がいいってことは分かってるんだけど今回のは唐突だったから、まあ次から気をつければいいか。
次っていつだろう……
はは、もうこの時点で上手くいきそうにない(笑)
「何してるの、置いてくわよ」
あちゃー、また自分の世界に入ってたよ。
「今行くから…って何処行ったー!」
「上よ上」
上?そう言われて僕は一瞬戸惑ったが、直ぐに空を飛んでいるのかと思いつき、上を向いた。
次の瞬間、僕は火達磨になっていた。
いやいやちょっと待てよ。どうして僕が火に包まれなきゃいけないんだよ!
「ふん!」
何怒ってるんだよ。それより早くこれを消してくれ!
――ここで補足を入れさせてもらうとこのとき僕は炎に包まれたわけだが、この炎全く熱くないのである。
あとになって知ったのだが、これは狐火と言って、熱くもなければ引火性もない幻影なんだとか。狐は人を騙したりするものだからこれくらいのことは基本中の基本らしい。して狐火は狐の象徴的なものなので使えない者は居ないとかなんとか。ということで補足終了――
今までのが嘘のようにパッと炎が消える。志佳が空から降りてきて僕に、
「見てない?」
と、かなり語尾を強めに言われた。
何のことだろう?『見てない?』その言葉に何か強い執着と凄みを感じる。
とりあえず、「なんのこと?」と切り返す。
「……」
今度も志佳は僕のことを品定めするかのように上から下まで見た。
正直、またか……とも思ったがそんな反応をされる理由も気になったので僕も彼女のことを少し観察することにした。しかし一体僕が何を見たというのだろう。彼女の服装はなかなかに斬新なある意味で和洋折衷なものなのだが、上は着物で下はスカート……スカート。なるほどそういうことか。
だったら、
「見てないよ」
彼女の眼の色が変わった。
あれ?もしかしてヤバいこと言っちゃった感じ?
「いや、あの、僕は本当に……」
「消えろ」
炎再開
「今度は驚かないよ!」
『パチパチ』
え?何の音?なんだか火の粉が散ってるみたいな音だけど……
「熱っい!!服が焦げる!」
「……心配するべきはそっちじゃないだろ」
だって僕からしたら能力で大体のものは無力化できるんだもん。今気づいたんだけど……
鎮火
「ありがとう」
「疲れただけよ」
まあ、それでいいか。
しっかし、意外と感情的に行動する人なんだな。
彼女の眼の色が変わる。
「あ、ちょっと待って!その手の火消して!!」
だからそういうのが感情てki……
……色んな意味で鎮火。
「ふぅ、言動には気をつけなさい」
「は、はうぅ」
ああ、ひどい目にあった。
これd……何でもない。
しっかし、志佳も容赦ないよな。下手したらそのまま……おっとまただ。これ以上はまた地雷を踏むことにいなりかねないから止めておこう。
「ねえねえ」
「なに?」
「もう真っ暗だよ」
一度は昼に戻った太陽も今度こそしっかり沈んでいる。人工の明かりなんてものはないから夜になると星空が本当に綺麗なんだよなぁ。
いつも夜空を見るたびにそう思う。
そのうち飽きそうなもんだけどこれが意外と飽きなくて、古代の――いや現代のか?まあいいか(笑)――天文学者たちが星を読み解こうとした気持ちがわかる気がする。
僕が空ばっか見ているからか彼女から、
「置いてくわよ」
と言われた。なんかデジャブを感じるのは気のせいだろうか。
いや、きっと気のせいじゃないな。今度は気をつけないと……
「ちょっと待ってよー」
そう言って彼女を追い駆けた。
やれやれ、ようやくか。
_________
%〈鼯鼠移動中〉%
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「ねぇまだー?」
てくてくたくたく志佳の後に付いていたけど、一体いつになったら到着するんだ。このままだと朝になってしまうよ。幸いにも疲れは感じないのだけれど、やはり夜は寝たいものだ。
「目を閉じて」
「どうしてさ」
「いいからいいから」
(まったく、行動が読めないなぁ)
そう思いながらも、僕は志佳に言われた通りに目を閉じる。
僕の周りを妖力が取り囲む。
きっと彼女が何か術を使ったのだろう。
目を閉じていながらでも辺りが急に明るくなったのが分かった。心無しか気温も上がったように感じる。
一体何が起こったのだろう。
僕のそんな疑問を知ってか、彼女は、
「もう目を開けてもいいよ」
と言った。
そう言われて僕は目を開けたのだが……
……なんだこりゃ。
この光景を見たとき、僕は自分が変になったんじゃないかって思ったよね。
だって、太陽が真上にあるんだもん。
あまりにも信じられないような事が起こると、人ってパニックを通り越して冷静になるもんなんだなと、感じた。
冷静ついでに僕が都を出てきたときにもまた同じようなことが起こっていたような……と、思い出す。
うーん、志佳って僕の思っているよりもすごい妖怪だったりするのかな。かといって態度をどうこうするつもりは無いんだけどね。
まったく、
「君は一体何者なんだ」
本当に、彼女は一体何者なんだ。
「ただの狐だよ♪」
はあ、なんだかはぐらかされてるような気がする……
ここで聞き返したところできっと答えちゃくれないんだろうな。それどころかもっと意味深な返事をされて余計に馬鹿らしくなるだけだろうな。
そんなことを考えていると志佳が、「でも華飛天には敵わないけどね」と、小声で言った。
なんだ、母さんのこと知ってるのか。母さんも有名人だな。ってか志佳よりも凄いって母さんっていったい何者なんだよ……
「ほら、まだ歩くよ!」
「えー、まだ着いてなかったのかよ!」
そんな~、もうすっかり目的地に着いたと思ってたよ。
ってことでまた歩き出したわけなんだけど……
「そういえばなたまだ名前が無いのよね?」
「う、うん」
唐突にこんなことを聞かれた。
まあ一応ね、玄武さんが決めてくれた名前は八意さんに笑われちゃったし、それに玄武さんには悪いけど僕も自分の名前に関してはちゃんとしたやつにしたいし。
「そうねぇ、決めた!」
何を?きっと僕の名前だろうけど。
「それじゃあ、あなたの名前は今日から……よ(笑)」
「お断りします!」
この……に関してはまあ皆さんのご想像にお任せするとして、そろそろ本気で名前を考えないとマズイかもしれないなと思う今日の僕であった。
「だったらなんて呼べばいいのさ」
「う~ん、わからん」
「それじゃあやっぱり」
「それはダメだって」
まったく……懲りないやつ。
「まだ何も言ってないのに……」
「それじゃあさっきのとは違うのか?」
「違うよ!」
おお、すごい気迫だ、押し潰されそう(笑)
冗談はこれくらいでいいとして、さて、今度は一体どんな酷い名前を考えたのだろうか。
あ~あ、「期待で胸がはちきれしう」だよ。
「腹立つ言い方だねぇ」
「そう思うんなら初めからちゃんとした名前を言えばいいだろ」
『ゴフッ』
ついに無言で殴りかかるようになってきやがった。僕はただあたりまえのことを言っただけじゃないか……
「せっかく私があなたのために名前を考えてあげったっていうのにそんな態度じゃ教えるのやめようかしら」
「ごめんごめん、謝るから教えて」
(まあ、あまり期待してないけど)
「とぅ……」
「えっ」
なんて言った?声が小さくて聞き取れなかった。トゥー…僕の頭にはピンクのシャツを着た…おっとこれ以上はまずいか。
それより本当はなんて言おうとしたんだ?
「『とういち』、あなたの名前だよ」
よしよし、今度こそちゃんと聞き取れたぞ。
志佳は僕の名前を言った後、地面に落ちていた小枝を拾って「套逸」と漢字を書いた。
套逸かぁ、まあ悪くないんじゃないか。
そう思いながら新しい名前を自分の中で反復してみる。しばらくそうして、最終的に人からこの名前で呼ばれても特に嫌な気はしないだろうという結論に至ったので、今日からこの名前でいこうかなと思う。
しかし彼女漢字が書けたんだな、少し意外。まあ判読に時間がかかるのは相変わらずなんだけど。
さて、名前が決まったのはいいのだけれど一体いつにいなったらつくんだ。
まったく、このまま歩きっぱなしは嫌だよ。
僕がそんなことを考えていると横から、
「あ~」
という声が聞こえてきた。
刹那後、
『ストン!』
痛たたた、何?急に地面が抜けたんだけど! えっ、落とし穴?! どうしてこんなところにあるのさ?
「ごめーん。もうそんなところに来てたのすっかり忘れてたー」
彼女が上から僕のことをのぞき込んでそう言う。
僕は上まで飛んで戻って近くの石にそっと腰を下ろす。ふう、幸い?にも水は溜まっていなかったので少し土が付いただけで済んだ。その代わりというかなんというか、全身をしこたまぶつけて、すごく……痛いです。
「どうしてこんな所に落とし穴が……」
それが僕の率直な感想だった。
「あはは、この辺りからこんなの増えるから気を付けてねー」
「それ、言うの遅いよ……」
ああもう、そういう重要なことはもっと早く言ってもらわないと困るんだけど。おかげでひどい目にあったじゃないか。
「まあでもこれくらいで済んでよかったんじゃん」
「どういうこと?」
「いや、ときどきそれで反対の山まで飛んで行っちゃう奴がいるからさー」
ってことはもっと凶悪なのが他にもいっぱいあるってことかよ……いったい誰がこんなものを仕掛けてるんだ、恐ろしいなぁ。
「妖精の仕業だね」
「妖精?」
なんだかまたすごくファンタズムなものが出てきたんだけど……
「でもちょっと注意して見てれば判るから大丈夫だよ」
はぁ、そういうものかなぁ。
「まあ、あいつらいたずら好きだけど馬鹿からね」
おいおい、そんな簡単に馬鹿とか言うなよ。可哀そうじゃないか。
「だって自分で仕掛けた罠の場所を忘れてその罠にかかってるんだよ」
まあ、確かにそれは馬鹿かもしれない。でもあんまりおおっぴらに馬鹿とか、あいつ呼ばわりするもんじゃないよ。
「ほら例えばあそこ!」
「えっ、何処?」
つい反射的にそう言ったはいいものの、何のことだか分かってないんだけど……
「一か所だけ明らかに葉っぱの色が違うでしょ?」
「う、うん」
だから、何のこと?
「あそこに罠があるから」
ああ、そのことか!全く気付かなかったよ。でも確かによく見ると地面の色が変わってるな。あれなら簡単に見分けられそうだ。さっきのはそんなものがあると思ってなかったから防げなかっただけで、有ると分かっててあんなものに引っかかるはず無いじゃん。
「そんなこと言ってると自分に返ってくるよー」
「へーき、へーき!」
そう言って僕は立ち上がり、一歩前に足を出す。
(ほら、大丈夫じゃないか)
ことが起こったのはその後だった。僕がもう片方の足を前に出した途端、今度は世界が逆さまになった。まあよくある典型的な罠に足を掬われたわけだ。
彼女がゲラゲラと腹を抱えて笑っている。
最初こそ恥ずかしかったけれど、直ぐになんだか馬鹿々々しくなってきて、僕も宙ぶらりんの状態で大笑いした。そうこうしているうちにロープが切れて僕は頭から地面に落ちそうになるものの、そこは何とか体勢を立て直して四つん這いになりながらも着地した。普段なら恥ずかしさのあまり笑っていられないような状態なのだが、今は何が起きても可笑しくって、しばらくそのまま笑っていた。
笑いながら内心では、こんなに笑ったのは本当に久しぶりだなーと今の状況を存分に楽しんでいる。
「着いたよー」
彼女が僕に言う。
まあ例え彼女にそう言われなかったとしても、この辺りが目的地であることは一目瞭然なんだけどね。というのも一つの大きな平岩の上に腰掛けるようにして幾人かの鬼が酒を片手にこちらを指差して何やらいかつい顔で話をしているからである。
流石にここにきて驚きはしないけど……ちょっと怖いな、これ。
鬼……恐らくこの日本でもっともよく知られた妖怪の一つだろう。頭に角を生やしたその出で立ちは人々の恐怖の象徴として描かれていることが多いように思う。
そんなこともあってか僕は思わず身を竦めてしまった。
そのとき、一人の鬼が立ち上がりこちらに向かって歩いてきた。不覚にも僕は志佳の後ろに隠れてしまった。その姿を見るやその鬼が「随分と気の小さいやつを連れてきたな」と言うと、後ろのほうにいた鬼たちからドッと笑い声が上がった。僕は恥ずかしくなって、そろそろと志佳の後ろから出てその鬼と向き合った。
(こうしてみるとやっぱり怖いな)
「なあお前」
「は、はい」
うわ、声かけられたよ。まあ当然か。
「俺と戦え」
……
……
「……え?」




