壱
誰よりも、何よりも彼女が幸せであったらいい。
いつもそう願っていた。
それが俺の中で、ひとつの優越感になっていたことに気付きもしなかった。
彼女を大切に思っていて、それを実行できていると。
何も知らない俺は、ひとりそうやって思い上がっていた。
見えない所で傷つけていたなんて、露ほども思わなかったんだ。
すっかり秋になった季節は、心地良い日差しの日や、寒さがキツイ曇りの日を繰り返す。
日中、薄めのコートを羽織って出かけても、日が暮れればそれを後悔する程に気温が下がっていく。
朝の冷え込みが増していく中、雨の日はどこか暖かさを感じ、彼女を思い出しては胸にも熱が灯る。
夏が終わり、文化祭の準備やら本番やらで忙しく、遅くまで学校に残っている間もなかなか彼女のことを考える余裕がなかった。
それが寂しさになって、俺の心に雨を望ませた。
そうして幾つもの夜を越えて俺は今、やっとあの店の前に立っている。
「はあ…」
店に入るだけなのに緊張して息が上がってる。
木製のアンティークな扉には、小さなステンドグラスの百合が飾られている。
それを見上げては鼓動を跳ねさせ、冷たくかじかんできた指先を握り締めた。
あまり店前で突っ立っていては迷惑になると思い、意を決して取っ手を掴む。
扉を押し開くと、小さなカウベルが優しい音で来店を伝えてくれた。
「いらっしゃいませー」
少し離れた場所から店員の声が聞こえる。
と、同時に囁かな雨音に混じったオルゴールの音も耳に流れてきた。
中はこぢんまりとした様子で、棚や机に雨具が洒落っ気たっぷりに飾られていた。
傘意外にも、レインブーツだの雨用の小物だのが売られているようだった。
どっちかつうと“売っている”と言うより、“展示してある”と言う方が似合っている。
飾ってある商品の数が少ないせいだろう。
同じ商品でも、多くて5個くらいしかない。
物珍しく店内を見ていると、先に入っていた客がちょうどレジへ向かうところだった。
何気なく見ていると、客の持っていた商品を受け取った店員は、レジの奥にいる店員に同じ商品を持ってこさせた。
どうやら別室に同じ商品を保管してあるらしく、店に並べられた商品は本当に展示されていたらしい。
そうすることによって小さな空間を狭く感じさせないようにしてあるのだ。
なかなか乙だと思う。
しかし、見渡せる店内を一回りしても、レインコートだけは見当たらなかった。
そうしてうろうろしている俺を見兼ねてか、レジを終えた店員がこちらに向かってくる。
やべえ、挙動不審過ぎて怪しまれたか?
無意識に息を飲んだ。
「何かお探しですか?」
少しばかり身体を強ばらせた俺に、店員の女性は静かに問いかけてきた。
「あ、あー…」
何故か気恥ずかしくなって頭をぼりぼり掻きながら俺は答える。
「レインコートってないっすか」
それを聞いた店員は“あぁっ!”と嬉しそうに言い、店の端、入口のすぐ隣を指差した。
「あちらの階段から2階に上がりますと、レインコート売り場になります」
「? レインコートだけ別なんですか」
ただ単純に疑問に思った。
確かにレインコートは場所を取りそうだが、このレイアウトなら同じ要領で展示できるんじゃ?
店員は少し誇らしげに、けど丁寧に答える。
「当店のレインコートは特別なんです。国内に留まらず、海外のお客様からもご注文を頂くほど人気なんですよ。見ていただいたら分かると思いますので、ごゆっくりどうぞ」
にっこり言われたまま、俺は小さくお辞儀をして礼を告げると階段を上がった。
煉瓦でできた階段はとても暖かみを感じる。
ゆっくりと、少しの期待を胸に膨らませて2階へと進んだ。