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三度目の人生は、これまでで最も穏やかで、最も慎重な歩みだった。
文官試験には合格した。
だが、俺は文官として働く道を選ばなかった。
代わりに、騎士としての任務に身を置いた。
理由は単純だ。騎士の仕事には、危険が伴う。
事故や事件に巻き込まれる可能性が高い。
それは、幸福ポイントを減らすためには、ちょうどよい“不幸”だった。
王都の治安維持を担う騎士団の中で、俺は異例の昇進を果たした。
功績を重ね、ついには副団長の座に就いた。
だが、その肩書きが重くなるほど、俺は慎重になった。
「マルヴェール副団長、また誘拐事件の解決ですか。さすがです」
部下たちの称賛に、俺は笑顔で応えながらも、心の奥では別のことを考えていた。
──幸福ポイント、また減ったな。
女神エリシアの言葉が、頭から離れない。
人は幸福ポイントを使い切ると、死ぬ。
二度目の人生では、それを知らずに二十五歳で早逝した。
だから今は、幸福と不幸のバランスを意識して生きている。
騎士副団長という地位は、確かに名誉あるものだ。 だが、称賛も昇進も、幸福ポイントを大きく消費する。 俺はそれを避けるため、団長への昇進の話が出るたびに辞退した。 代わりに、あえて危険な任務に志願し、時には失敗も演出した。 それは、幸福ポイントを使い切らないための“調整”だった。
* **
そんなある日、騎士団長ハロルド・グレイから見合いの話が届いた。
紹介された女性の名を聞いた瞬間、心が震えた。
――エレナ・エヴァンス。
二度目の人生で結婚するはずだった、あの女性。
文官として出会った彼女が、今度は騎士団経由で俺の前に現れるなんて。
彼女は変わらず聡明で、穏やかな笑みを浮かべていた。
「あなたとは、初めて会う気がしませんね」
その言葉に、俺は微笑んだ。
記憶を持つのは俺だけのはずなのに、まるで彼女の魂も覚えているようだった。
──結婚生活は、穏やかだった。
彼女の笑顔は、俺の心を静かに満たしてくれた。
* **
そして、ある日の報告書に目を通したとき、俺はふと手を止めた。
外交官として活躍する二人の名前が、そこに記されていた。
――ジュリアン・ヴァルモン伯爵と、セリーヌ・ヴァルモン伯爵夫人。
一度目の人生と同じく、二人は結ばれ、伯爵家を継いだ。
だが、今回は違う。 彼らは、俺の選択によって結ばれた。
俺が幸福を手放し、彼らの未来を守ったからこそ、今の彼らがある。
セリーヌは外交の場で冷静な分析力を発揮し、 ジュリアンは誠実な交渉術で信頼を得ていた。
王国の未来を担う二人の姿は、俺にとって何よりの報いだった。
「エドガーのように、誰かのために生きたい」
そう語ったのは、ジュリアンだった。
「彼が選んでくれたこの道を、私たちも誇れるものにしたい」
そう誓ったのは、セリーヌだった。
俺が手放した恋は、王国を救う絆へと変わった。
それは、幸福と不幸の均衡を選び取った者だけが得られる“誇り”だった。
***
夜、エレナと並んで紅茶を飲みながら、俺は静かに窓の外を見つめた。
春の風が街路樹を揺らし、遠くで鐘の音が響いていた。
「……俺は、まだ生きていていいのか?」
その問いに答えるように、白銀の光が部屋を満たした。
「よくやったわね、エドガー」
女神エリシアが、再び現れた。
その姿は、以前よりもどこか柔らかく、温かみを帯びていた。
「幸福ポイントは、使い切っていない。 だけど、あなたはもう“使い方”を理解している。 そして、自分だけの幸福ではなく、人の幸福を守った」
俺は、彼女の言葉に頷いた。
「幸福も、不幸も。どちらも必要なんだな」
その言葉に、エリシアは静かに微笑んだ。
「そう。人は、どちらか一方だけでは生きられない。 あなたは、それを――三度目の人生で学んだのです」
光が薄れ、女神の姿が消える。
代わりに、あたたかな陽光が俺の頬を照らした。
──目を開けると、そこにはエレナの笑顔があった。
「おはようございます、エドガー」 「おはよう、エレナ」
彼女が入れた朝の紅茶の香りが、部屋いっぱいに広がる。
外では、小鳥たちが楽しそうにさえずっていた。
幸福と不幸の均衡を保ちながら、俺は今日も生きている。
過ぎゆく一瞬一瞬が、愛おしい。
もう、幸福ポイントの残量を気にすることはない。
それは、俺が“生き方”を理解した証だった。
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