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俺の名前はエドガー・マルヴェール。
アルセリア王国の、しがない子爵家の次男坊だ。
かつては、貴族の家に生まれたというだけで、何の根拠もなく胸を張っていた。
だが今の俺は、王都の片隅にある機械工房で、油にまみれた手で歯車を磨いている。
機械油の匂いが染みついた作業着。爪の間に入り込んだ黒い汚れ。
誰にも気づかれず、誰にも期待されず、ただ時間だけが過ぎていく。
それが、三十五歳になった俺の現実だった。
貴族の家に生まれたはずなのに、今の暮らしは平民だ。
いや、平民の方がまだましだろう。彼らには家族がいて、仲間がいて、未来がある。
俺には、何もない。
学生時代の同級生たちは、伯爵だの侯爵だのと跡取りとして、きらびやかな社交界を歩いている。
俺はといえば、昼は工房、夜は貧民街の安宿。
壁に染みが浮き、ネズミが走り回る部屋で、冷たいパンをかじりながら眠る。
朝になれば、背中の痛みとともに目を覚まし、また同じ一日が始まる。
――なあ、俺、どこで間違えたんだろうな?
* **
思い返せば、中等部の頃だった。
仲の良かった男爵家の令嬢、セリーヌ・ローレンに、俺は恋をした。
彼女は、俺の話にだけ笑顔を見せてくれた。 授業中、ふと目が合えば、恥ずかしそうに視線を逸らす。 俺が風邪で休んだ日には、わざわざノートを届けてくれたこともあった。
そんな彼女に、俺は裏庭で告白した。 夕暮れの光が差し込む中、俺は震える声で気持ちを伝えた。
セリーヌは驚いたように目を見開き、頬を赤らめながら言葉を探していた。
そのとき、クラスのおしゃべりな女子グループが、何やらヒソヒソと話しながら横を通り過ぎていった。
翌日、学園には妙な噂が広まっていた。
「セリーヌって男好きなんだって」
「誰にでも色目を使うらしいよ」
貴族社会の評判を何よりも重んじる彼女にとって、その噂は致命的だった。
彼女は、俺の告白を否定するしかなかった。
その日、いつもの様に俺と目が合ったセリーヌは、俺に背を向け、何も言わずにその場を去った。
セリーヌの姿が、今でも、俺の脳裏に焼き付いている。
それから、セリーヌは徹底的に俺を避けるようになった。
教室では誰も、俺の隣に座らなくなり、廊下を歩けば背後で笑い声が聞こえる。
「身の程知らず」
「身分を傘に令嬢に言い寄るなんて厚かましい」
俺は、クラスでも学園でも孤立した。
セリーヌも、俺に一切話しかけることはなくなった。
ただ、時折、遠くから俺を見つめるその顔に、言葉では言い表せないような表情が浮かんでいるのを見るだけだった。
あの告白した日から、俺の青春は、音もなく終わった。
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