㉜
「変なことを考えるなよ」
ダリオンに肩を掴まれ、エリシアは部屋の外へと出た。閉じ込められた時間はほんのわずかだ。ノクーへ嫁ぐ手配が整ったらしい。
泣き疲れて抵抗する気力もない。エリシアはダリオンに身を任せたまま歩き、屋敷の外へと出た。まだ頭上で輝いている太陽に思わず目を細める。
入学の日、心を弾ませてこの屋敷から出たことを思い出す。三か月前のことなのに遠い日のように感じられる。
「ほら、早くしろ」
ダリオンに馬車へと押し込められる。フローレンスの家門が入ったその馬車の周りは私兵たちで守り固められていた。
「ねえお兄様、嫁入りさせるのにこのままでいいの?」
馬車に乗り込んだダリオンに、外からアメリアが声をかける。エリシアがまだ制服のままなのを言っているようだ。
「いいんだよ。相手はノクーの変態野郎だ。囲った女の中にはメイドもいて、メイド服を着させたままらしい。むしろこのままのほうが喜ぶだろう」
エリシアを横目で見て、ダリオンがいやらしく笑う。アメリアはエリシアの席へと身を乗り出すと、楽しそうに笑った。
「ふふ。私が皇太子妃になったら、お兄様は魔法省長官になられるわ。そうしたらリクスを真っ先に戦争へ送り出してあげる。ノクーにいれば会えるかもね?」
「――っ!」
がたんと席から立ち上がり、アメリアへ怒りの表情を向ける。が、ダリオンからすぐさま殴られ、エリシアは座っていた場所へと飛ばされた。
ふう、と溜息をもらしたアメリアが言葉を続ける。
「ほんと、早いうちに退学させて良かった。その反抗的な態度はルミナリエの影響かしらね」
「安心しろアメリア。もうこいつがお前を煩わせることはない」
「そうね。じゃあね、平民」
アメリアはそう言うと、馬車の扉を閉めた。
エリシアは頬に走る痛みに耐えながら、窓にもたれかかる。窓の景色が流れていくのが目に入り、いよいよ逃げ場がないことを悟った。
祖父が他界してから覚悟してきたはずだ。それなのに逃げ出してしまいたいと思っていることに気づいて、エリシアは苦々しく笑った。
正面に座るダリオンは、腕を組み目を閉じている。彼がエリシアを引き渡す役を担うらしい。
(魔力を取り戻したリークなら大丈夫だよね)
アメリアの言葉が気にかかる。フローレンスが何か企んでいるようだが、エリシアにはもう何もできない。
(アーセル殿下やフィオナもついているもの)
リクスの周りには素晴らしい仲間がいる。だから大丈夫だと思うのに、涙が出てきた。
(そこにわたしはいなくても……)
エリシアの脳裏には、アーセルの申し出を断った日がよみがえる。
リクスが他の子と結ばれるのを、近くで見守る道を選べば良かったのだろうか。いくら考え直しても、それだけは嫌だ。リクスには幸せでいて欲しい。でもその隣にいるのが自分でないなら、遠くの地で祈っているほうがマシだ。戦争だって、皇太子やアーセル、リクスがいれば防げるはずだ。フローレンスの思い通りにはならないはず。
(もうわたしには何もできない)
魔力を失ったエリシアなど、アストラル帝国で生きる貴族にとって価値などない。
(戦争になったらノクーが負けるよね)
巻き込まれて嫁ぎ先もろとも滅んでしまうのか。エリシアにとって、リクスがいないなら生きる意味などない。だからこそ、それならそれで人生を終えるのも良いかもと思ってしまう。
ぐちゃぐちゃな感情とともに涙があふれでる。視界が歪んで窓の外も見えない。
ダリオンに悟られないよう、声だけは押し殺していると、急にがくんと椅子からずり落ちそうになった。馬車が急停止したようだ。
「何だ? どうした!」
目を開けたダリオンが窓を開け、御者に向かって叫んだ。エリシアは思考の海から我に返り、反対側の窓から外を見た。皇都の街を出たそこは、まっすぐに続く平坦な道が遠くまで見える。
「なっ……、ルミナリエ!?」
今度は扉を開けて、身を乗り出したダリオンが叫ぶ。
エリシアもダリオンの後ろから身を乗り出し、外を見た。
「シアを返してもらおうか」
馬の前に立ちふさがっているのはリクスだ。思わず叫びそうになった口を両手で覆う。ダリオンはエリシアを馬車に押し戻し、外に向かって叫んだ。
「はっ! エリシアはフローレンス家のものだ! お前に返すも、やったつもりもない!」
「シア! 迎えに来たぞ! 勝手なことしやがって! 俺はシアとしか結婚しないと言っただろう!」
ダリオンを無視して呼びかけるリクスに、エリシアも応えようとする。
「リーク……! ――むう」
が、ダリオンに口を塞がれ、魔法の蔦で手足を拘束されてしまった。
「すぐにあいつを始末してくる。そこで大人しく待ってろ」
ダリオンが馬車を降り、バンッと激しく扉を閉めた。エリシアは身体を倒すように顔を窓へと張り付ける。
「エリシアから魔力を受け取ったからと、調子に乗っているようだな。あいつの魔力量は少ない。俺たちが散々搾り取ってきたんだから知っているんだ。どうせお前が得た魔力なんて残りカス程度だろうさ!」
ダリオンが花魔法を練り上げ、構える。リクスの周りに木の根が蔓延らせ、取り囲んだ。
「リーク……!」
リクスの表情は変わらない。
「なんだ、本当にアーセルの言う通り、シアの実力に気づいていなかったんだな」
リクスが右手を上げると、取り囲んでいた木の根が光で弾けて消えた。
「なっ!? お前たち、あいつを始末しろ!」
馬車を護衛していた私兵たちにダリオンが命令を飛ばす。しかしすでに魔力を出力最大にしていたリクスが唱える。
「力を貸せ、光の精霊よ。――シャイニング・アロー!」
無数の光の剣が空中に舞う。
「うわあああああ!」
私兵たちを傷付けることなく、リクスの光の矢が彼らの服を地面に縫い留めていく。
「な、何をしているんだ! くそっ、花の精霊よ――」
ダリオンが慌てて花魔法を繰り出す。蔦がリクスを突き刺そうと伸びていった。
「遅い」
しかし、魔力を取り戻したリクスとの力は一目瞭然だった。
「なっ!? バカな!」
ダリオンが驚く間もなく、リクスは剣で蔦を薙ぎ払う。そして蔦に触れると、魔力操作でダリオンへと方向転換させた。
「うわあ!?」
自身の魔法が跳ね返ってきたのに慌ててダリオンが背中を向けて逃げようとする。
「くそっ、こうなったらあいつを盾に」
ダリオンが逃げようとした先はエリシアが乗っている馬車だ。
エリシアはこちらに向かってくるダリオンと同時に、その後ろで輝く光魔法をとらえた。
「シャイニング・アロー!」
「うわあ!?」
ダリオンは馬車にたどり着けず、魔法を避けようと姿勢を崩した。尻もちをついたダリオンに光の矢が放たれる。
「ひっ……! うわあああ!」
光の矢はダリオンの身体を除け、無数に地面に突き刺さった。大の字で地面へと縫い留められたダリオンは、恐怖から気を失ったようだ。白目をむいてガクッと脱力していた。
「シア!」
馬車の扉が開け放たれ、エリシアは駆けつけたリクスに抱きしめられた。
ぼろぼろと涙を流すエリシアの拘束を、リクスが魔法で解いてくれる。
「勝手に俺の目の前に現れたくせに、もう勝手にいなくなるな」
エリシアはリクスに横抱きにされ、馬車からおろされる。彼の心配する顔が間近に迫った。
「リーク……でも」
ためらいがちに目を伏せるエリシアに、リクスがおでこを付ける。
「俺はシアが欲しい。また俺にそんな欲を持たせておいて、シアは絶望を与えるのか?」
ふるふると首を振れば、愛おしそうにエリシアを見つめる視線が降り注いだ。
いいのかな? そうためらいながらも、リクスを好きな気持ちを止めることなんてできない。
(助けに来てくれた……)
嫌だと思った。リクス以外に嫁ぐのも、離れることさえも。
「リークもわたしと同じ気持ちなんだね」
「同じじゃない」
そう答えたリクスがふっと笑みをたたえる。
「俺の気持ちのほうがずっと大きい」
ぱちぱちと目を瞬く間に、エリシアの唇に温かいものが触れた。
今度はリクスからのキスだ。彼に身を任せ、エリシアはそっと目を閉じた。




