㉒
(あ~、リークのバカバカ!)
翌日、エリシアは教室の机の上で突っ伏していた。学園祭の準備で忙しいため、生徒たちもまばらでエリシアを気にする者などいない。今はそれが心地いい。一人でいれば泣いてしまうし、適度にがやがやとした教室に身を置くことで虚無感が薄れる。
(リークのバカ! 鈍感! 冷血漢!)
結局、昨日は練習をしなかった。訓練場を使用できる機会を無駄にしてしまったことも腹立たしい。
エリシアはあれから寮に戻って、ベッドの中で泣き続けた。おかげで目が腫れている。とても人に見せられない状態なので、こうして机に突っ伏しているわけだが。
(なによ! 迫ってきたのは殿下のほうだってば! 何であんなに怒るのよ?)
一周回ってリクスには怒りが湧いてくる。さっきから心の中ではリクスへの悪口オンパレードだ。
(あ!? もしかして、それが殿下の目的だったりして? リークからわたしを離すためにわざと……)
元凶がアーセルかもしれないと思い至り、今度は彼に腹が立った。
(それならリークが生徒会室に入ってきたタイミングの良さもわかる)
でも、アーセルの表情は嘘をついているようには見えなかった。
(そもそも、リークがわたしの話を聞かないから!!)
そしてまたリクスへの怒りに立ち戻る。さっきから一人で堂々巡りだ。
(キス……してしまった。でもリークが言ったんだからね!!)
唇に触れ、声にならない叫びを机に吸収させる。
キスと呼んでいいのかもわからない。唇と同時に自分の想いを押し付けてしまったかのようだ。
今度は自分の行動に頭を抱え、赤くなる。
(どうしてこうなったんだろう。わたしはただ、リークと思い出を作りたかっただけなのに)
想いを伝えてきたのは受け取って欲しいからじゃない。エリシアのエゴだ。キスだって、リクスとできたら……なんて、夢だけは見てきた。
――好きな人とのキス。
これから好きでもない男に嫁がされるのだ。どんな形であれ、いい思い出じゃないか。そう思う自分もいて、エリシアは辟易とした。
(もう、一緒にやってくれないかな)
エリシアの一番の目的は、幼い頃の約束を実現させることだ。フローレンス・ルミナリエをリクスとやれたら良かった。それだけで良かったはずなのに。
(わたし、リークと一緒にいて欲張りになっちゃってたのかな)
自身の欲深さに一番腹が立つ。エリシアはまた泣きそうになって歯を食いしばった。
「ちょっと」
(これからどうしたら良いんだろう)
「ちょっと?」
(リークが本当に嫌なら一人でやる?)
弱気になったエリシアは自身の思考に溺れて、呼ばれていることにも気づかない。
「エリシア!」
「えっ!?」
その凛とした声には聞き覚えがある。勢いよく顔を上げれば、エリシアの前にはフィオナが立っていた。
「名前……」
「何よ」
呆然としながらフィオナを見つめるエリシアの瞳がキラキラと輝いていく。
「名前! 初めて呼んでくれた!」
「お友達の名前くらい呼びますわよ」
興奮するエリシアに、フィオナは当然とばかりにツンとして答えた。しかし彼女の耳が赤い。それを見て、エリシアの顔はにこーっと緩められた。
「変な人ですわね。ほら、学園祭の衣装デザインができましたわよ」
フィオナは持参したデザイン画をちらりとエリシアに見せた。
「わあ!」
「採寸をさせていただきたいから、リクス様と一緒に来てくださる?」
顔を輝かせたのも束の間、エリシアは目をさっと逸らした。むりやり笑顔を作っているため、変な顔になっている。フィオナはそんなエリシアを見逃さなかった。
「何です、その顔? しかもあなた、目が腫れていますわね。リクス様と何かありました?」
「えっと、あの……」
言い淀んでいると、フィオナの顔がゴーレムのようになった。何だか懐かしい。
「わたくしが協力しているからには、学園祭は成功させてもらいますわよ? それを妨げるできごとがあったのなら包み隠さずお話しなさい。隠し事はなしですわ」
「こわい、こわい、こわい! わ、わかったよ! 話すから!」
その顔で迫られたエリシアは、思わず叫んだ。
昨日の出来事を話すのは少し憚られたが、フィオナにならと、エリシアは全てを話した。
「あなたが悪いですわね」
エリシアの話を聞いたフィオナが第一声を発すると、エリシアの頭をぽかっと殴った。
「何するの?」
容赦ないフィオナの拳は、地味に痛かった。エリシアは頭を押さえて涙目でフィオナを見た。
「まったく。アーセル殿下にも困ったものですが、誤解される状況に持ち込まれたエリシアも悪いですわ。あなた、隙だらけですものね」
「あっそうだ! フィオナ様、わたしのこと殿下に話したでしょ? もともとは――」
「あなたが悪いの」
フィオナに抗議しようとすれば、ぴしゃりと断言されてしまった。 フィオナはずいっとエリシアに顔を近付けると、反論は受け付けないといった様子で続けた。
「いいですか? リクス様は何にも興味を示さないお方だったの。特に異性のあなたが何をしていようが関係ないと思うくらいにね」
「え? リークは優しくて、人を放っておけないような……んぎゅ!」
フィオナに片手で頬を挟まれ、エリシアの口が尖る。それ以上は話せなくなってしまった。
「んみゅむう、いあ?」
「お黙んなさい」
離してほしくて訴えれば、またぴしゃりと怒られた。その態勢のまま、呆れ顔のフィオナが溜息をつくのを見る。
「あなたやっぱり引きこもりさんね。自分の気持ちばかりでなく、リクス様のお気持ちも考えてみなさい! どうしてリクス様が嫉妬なされたのか」
「……しっ、と……?」
頬を解放されたエリシアが呆然と言葉を繰り返す。すでに答えを言っている気がするが。
「ねえ、それって」
「自分でお確かめなさい! いい? リクス様と揃って来なければ、衣装は仕上げませんからね!」
「ええ~」
フィオナはプイっと明後日のほうを向いてしまった。
フィオナはリクスのことが好きだ。だからこそ、リクスに恥をかかせるようなことはしないはずだ。それなのに。
「いい? みっともない姿で舞台に上がりたくなければ、リクス様と仲直りしていらっしゃい!」
そんなふうに背中を押してくれるフィオナに、エリシアの心が温かくなる。
うだうだ考えるのは自分らしくない。行動あるのみだ。フィオナのおかげでそう思えた。
「うん。ありがとう、フィオナ」
笑って感謝を伝えれば、フィオナは照れくさそうに微笑んだ。




