㉑
「待って、リーク!」
校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下で、エリシアはやっとリクスに追いついた。全力で走ったため、多少くらりとする。リクスは一瞬エリシアに顔を向けたが、また背を向けて歩き出した。
「待ってってば!」
慌てて腕を掴む。
「!?」
エリシアに引っ張られ、かくんと後ろに身体を傾けたリクスは、足を止めたがこちらを向くことはない。
「リーク……――!?」
正面に回って顔を覗き込めば、リクスは冷ややかな目でエリシアを見た。
それは、入学式で再会したときに時が戻ってしまったかのような感覚だった。
(何で!?)
二か月と短い期間だが、リクスとは愛称で呼び合う関係に戻れたはずだ。
戸惑っていると、がやがやと生徒たちが歩いてくるのが見えて、エリシアはハッとした。
「こっち!」
慌てて死角になっている柱の後ろへとリクスを引っ張った。
せっかく二人の良好な関係が学園祭へ良い影響を与え始めているのに、喧嘩なんてしているところを見られたら大変だ。兄姉を巻き込んで、派閥にさらに亀裂が入るかもしれない。
隠れられたところで、ふう、と息をつく。リクスの腕を掴んだまま密着していることに気づけば、彼は険しい顔でエリシアの腕を払った。
「触るな」
最近は触れることを許してくれていただけに、その拒絶はエリシアを深く傷付けた。
「最初からアーセルに近付くのが目的だったか」
「何を言って……」
リクスがやっとこちらを見た。それなのに、冷たい目が、冷たい口調がエリシアの心を刺す。
先ほどのことなら誤解だ。アーセルにも話を聞けばわかるだろう。それなのに、リクスはなぜこんなにも怒りをあらわにしているのだろうか。
いつも冷静な彼らしくもなく、エリシアは戸惑った。どんなに言葉を尽くしても、今の彼には届かない気がした。そのため、口をつぐんでしまったのがいけなかったのだろう。リクスはさらに苛立ちを募らせて言った。
「俺に近付く女は、次期侯爵夫人の地位が目的ばかりだと思っていたが――。なるほど、俺の先にいるアーセル……皇族を取り込もうとするとは、さすがフローレンス家」
「……それ、本気で言っているの?」
さすがに黙ってはいられなかった。リクスと視線を交わしているはずなのに、どこか遠い。金色の目が仄暗く、エリシアなど映していないように見えた。
この人は一体わたしの何を見てきたんだろうと思えば、悔しくて泣きたくなった。
「わたしは最初からリークしか見ていない! 好きだって伝えてきたわたしの気持ちは、少しもリークに伝わっていないの?」
感情的に訴えかければ、虚ろな瞳のままリクスがエリシアに手を伸ばした。
「きゃっ!」
突然の衝撃に目を閉じたが、すぐに開ければ目の前にリクスの顔が迫っていた。エリシアはリクスに両肩を掴まれ、身体を柱に押し付けられている。
「じゃあ、俺ともキスできるか?」
「何言って……」
ドキドキとうるさい心臓は、ときめきか恐怖か。これでは、先ほどアーセルに壁へと縫い留められていた状況と一緒だ。そもそもキスなどしていないのだが。
狼狽えるエリシアを見て、リクスが渇いた笑みを浮かべた。
「魔力も失い、つまらない俺のほうが好きだって? 嘘をつくな。性格も未来も明るいあいつの方が良いに決まってるよな」
「そんなこと――」
否定しようとすれば、肩を強く柱に押し付けられた。
「俺のことが好きならできるよな?」
(したいに決まってるじゃない!)
エリシアは泣きそうになりながらも、リクスを睨んだ。そもそもアーセルとはキスなんてしていない。その誤解を解きたいのに、聞く耳を持たないのはリクスだ。
「できないよな」
自嘲気味に笑うと、リクスはエリシアから手を離した。
できないだろうと高を括っているリクスに怒りが爆発した。エリシアは立ち去ろうとするリクスに手を伸ばすと、彼のタイをガシッと掴んだ。
「――んなっ!?」
引っ張られたリクスの態勢が崩れ、身体はエリシアに向かって折れる。エリシアはタイを引き寄せ背伸びをすると、リクスに顔を寄せ――口付けた。
初めてなので、唇を押し付けているだけのような気もする。むにっと柔らかくて温かい感触が伝わるが、心は虚しいままだ。
タイを持つ手が震える。
(好き……好きだよ、リーク……。でもリークは違うんだよね。それなのにこんなこと――)
夢にまでみたリクスとのキスは、思い出を作る以上に幸せなもののはずなのに。
じわりと目の端に熱いものが溜まっていく。
そっと唇を離せば、リクスが目を丸くして固まっていた。リクスから離れると、エリシアは涙目で叫んだ。
「これがわたしの初めてよ! こんな……こんな形でするなんて……」
「おい!?」
ぼろぼろと涙を落とし始めたエリシアに、リクスがぎょっとして我に返った。
「初めてはリークが良いと思ってた! でも、こんなのってないよ!」
「シア!」
エリシアはそう叫ぶと、その場から走り去ってしまった。
伸ばしたリクスの手は宙をかき、エリシアには届かなかった。
「俺は……何を……」
所在をなくしたその手を額に押し当てると、リクスはその場で崩れ落ちた。




