表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/6

摂氏58度

独立国家サチの続き

摂氏58度。


それが、最後に測定された東京の地上気温だった。

大気は濁り、空の色はかつての青さを失って鈍いオレンジ色をしていた。


空を覆うスモッグの隙間から、太陽が燃えるように照りつける。誰もが知っていた。

“外”はもう、人間の住む場所ではない。

かつて街だった場所。


崩れた高速道路の下、黒焦げの車体と白骨化した動物の群れが転がる中、アスファルトの隙間にわずかに咲いた草花は、まもなく枯れた。


「……クソッ、もう限界だ……!」

ひとりの若者が、使い古された防護スーツの内側で叫んだ。


アオイ・シラカワ(18)。逃げ遅れた被災都市の出身。

今では使い捨ての測量員として、崩壊都市の表面温度やガス濃度を測る“生きたセンサー”のような扱いを受けていた。


「戻るぞ、もう酸素が……って、聞こえてんのか!?」

隣にいた男は、返事をしなかった。


顔を覗き込んだ瞬間、アオイは息を呑んだ。

スーツの内側が蒸気で曇り、その奥で男の顔が赤黒く腫れ上がっていた。

光熱病の初期症状だ。


「ふざけんなよ……!俺たちに何させてんだよ、クソ政府が……!」


その叫びは通信機を通して地下施設に届くが、誰も答えない。


数時間後、アオイは地下の隔離室でひとり静かに泣いた。

生き延びた罪悪感と、逃げることのできなかった絶望が、彼を押し潰していた。



地下100メートル、《第0区》司令室

かつては地下鉄の制御センターだった場所が、今は人類最後の拠点の中枢だった。


仮設の光源が天井から下がり、モニターに映るのは世界各地の壊滅状況。地球全土が、もはや災害地域だった。


その中央で立っていたのが、ハルト・アズマ(42)

元都市インフラの技術者であり、第0区を立ち上げた男。


 熱の檻(2050年)


「……地表は、もう生存可能域を完全に超えた。今後は一切の地上活動を禁止する」

そう言った彼の声は、冷静に聞こえるが、その拳は震えていた。


モニターの端に、CNNの緊急放送が流れている。

アメリカの脱出艦が火星圏へ向けて発射されたというニュースだった。

豪華な船内には、セレブや上級政治家の姿が映っていた。


「またか……」と、横にいた女がつぶやいた。

リン・タカミネ(17)。地下光源の発明者であり、元・工学高校生。


「この星を壊した奴らが、最後には逃げてくんだ。どの面下げて避難してんだよ……」

「火星でも月でも、同じだ。適応できるはずがない。所詮、地球の庇護がなきゃ生きられない体なんだ、俺たちは……」

ハルトは言いかけて、モニターに映る宇宙船の姿を見つめた。

それはまるで“責任”から逃げ出すメタファーそのものだった。


《第0区》地下広場


数百人の避難民たちが、焦げた服、汚れた顔で肩を寄せ合っていた。

水は1日250mlの配給。食料は合成タンパク。娯楽は、もうない。


「なんで……俺たちだけ、取り残されたんだ……」

ぼそっとつぶやいたのは、元コンビニ店員の男だった。

その声が、隣の老婦人に火をつけた。

「あんたねぇ、あのとき政府が何て言ってたか忘れたの? 『居住選定は公平に行われます』ってさ……何が公平よ。私たちみたいな年金暮らしの年寄りは、真っ先にリストから外されたのよ」

「俺の弟なんて、宇宙飛行士試験通ったのに、“健康不適格”って嘘つかれて落とされたよ。金がなかったから……それだけだよ!」

「金持ちたちは自分だけの脱出ロケット持ってたって話だぞ! 政府は“選別”したんだ、優良な遺伝子、金を持つ人間、利用価値のある技術者だけを救った!」


そこかしこから怒声と罵声が上がった。もはや誰も希望なんて口にしない。ただ生き延びたという事実が、皮肉のようにのしかかっていた。


ハルトの独白

「俺たちは、選ばれなかった側の人間だ」

夜、人工光が落とされたあと、ハルトはリンとケイを前にそう口にした。

「この状況を作ったのは俺たちじゃない。国連も、先進国も、企業も、誰も温暖化に本気で向き合わなかった。二酸化炭素? 環境税? そんなもの、 “都合のいい正義” だったんだよ」

「今さら……言っても仕方ないよ……」

ケイがつぶやいた。

「でも、言わなきゃダメなんだよ」

リンが鋭く言った。

「このままじゃ、 “地球に殺された” って、そう思って死んでいく人ばっかりになる。違う。 “人間が、自分たちの星を殺した” の。ちゃんと、それを言わなきゃ」

沈黙のあと、ハルトが口を開いた。

「……その言葉を、残そう。これからの世代があるかは分からないが、最後に残すべきは、事実だ」



地球は、誰のものだったのか

この地獄を引き起こしたのは、自然ではない。

人間だった。


その中でも、富と力を持ち、責任を放棄し、正義を偽り、逃げた人間たちだった。

地球は「温暖化」という名の病に冒され、いまや「死」の時間を迎えつつある。


人類が育ててきた“熱の檻”は、誰も逃げられない。

地球は、もう怒ってなどいない。


ただ、壊れかけているだけだ――。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ