『見た相手を妹だと”錯覚”する』魔眼を授かった俺は、クラスメイトを”妹”にして溺愛する
◆1.
高校生活初めての夏休みが明けた。康太がノートを取っていると、教室の開け放たれた窓から風が吹き、カーテンが揺れる。
その拍子に、隣の席の怜亜の机から消しゴムが落ちた。
(拾うか……? いや、やめとこう)
怜亜はクラスでも有名な美少女だ。黒髪ショートボブの清楚な雰囲気、長いまつ毛に透き通るような素肌。男子からの人気は高いが、誰のアプローチも受け入れず、告白はすべて断っている。
『好きじゃないのに、付き合うなんてできない』
以前、彼女が友人にそう話しているのを聞いたことがある。
(俺が話しかけても、たぶん迷惑だろうな)
そう思って、手を伸ばしかけたのを引っ込める。怜亜はすぐに気づいて、何事もなかったかのように消しゴムを拾った。
(……妹だったら、こんなに遠慮しなくていいのにな)
心の奥に、そんな願望がふと浮かんだ。
康太の胸には、言葉にできない渇望があった。
「妹がほしい! 妹さえいれば、遠慮せずにとびっきりの愛情を注げるのに!」
下校中、誰もいない裏道で叫ぶ康太。あまりに切実な願いを口にした瞬間、風が吹き抜けた。
「ククク……少年よ、力がほしいか?」
「……え?」
黒いコートにとんがり帽子、銀髪を風になびかせた美女が立っていた。まるで童話の魔女そのもの。
「見た相手を妹にする魔眼を授けよう」
「本当か!? ぜひくれ!」
康太は即答した。妹がほしい。その一心だった。
「この魔眼にはルールがある。一度に妹にできるのはひとりだけ。そして、お前の意志で解除できる」
「なるほど……?」
「だが、正確には『見た相手を妹だと“錯覚”する』魔眼。お前自身の認識が変わるのだ」
「……よくわからんが、問題ない!」
魔女が康太の額に指を当てた瞬間――
「うっ、目が、目があああああ!!」
視界が真っ白に染まり、康太は倒れ込んだ。
翌朝。
(ん……? 妹の怜亜が隣の席か)
康太は登校すると、隣の席に座る怜亜を見た。目の奥がビリッと疼く。
(そうだよな、怜亜は俺の妹。だから気さくに話しかけてもいい。何を遠慮していたんだろう?)
――康太の常識が、書き換わった。
「怜亜、おはよう!」
「……え?」
驚いた怜亜をよそに、康太は自然に笑う。
「どうした? まだ眠いの?」
「え、いや……お、おはよう?」
(なんだか戸惑ってるな……まだ寝ぼけてるのか?)
「今日、英語あるよな。ペア学習よろしくな!」
「あ、うん……?」
怜亜は混乱したように康太を見た。
(……なんか様子が変だけど、ま、いいか! 兄妹なんだから、もっと仲良くしなきゃな!)
康太は満足げに微笑んだ。
◇
(……いやいや、康太くん、どう考えても変でしょ!?)
怜亜の心の中は疑問でいっぱいだった。
入学してから今まで、一度も話しかけてこなかったのに。むしろ、人と関わるのを避けているような雰囲気だったのに。
(それが、なんで今日になって急にフレンドリーになってるの!?)
しかも、距離感がおかしい。どこか兄っぽいというか、妙に親しげで遠慮がない。まるで――昔から兄妹だったみたいな接し方をしてくる。
そんな違和感を抱えたまま英語のペア学習を終え、放課後になった。困惑しながらも康太の相手をしていたら、友人の美香が興味津々といった様子で駆け寄ってきた。
「ちょっとちょっと、二人って仲良かったっけ?」
「え? いや、別に……」
「へぇ~?」
美香はじっと康太を観察すると、おもしろそうに目を輝かせる。
「君、怜亜とそんな仲だったっけ?」
「ん? 俺の妹だけど」
「……は?」
怜亜と美香の思考が一瞬止まる。
「……えっと、康太くん? それ、どういう……?」
「ん? だから、怜亜は俺の妹だぞ」
「え、ちょ、なに言ってんの!? いつから兄妹になった!?」
怜亜は慌ててツッコむが、康太の表情は至って真剣だった。
「いや、元々だろ?」
「元々じゃないから!」
康太の常識外れの物言いに、怜亜は混乱した。
――しかし、横で話を聞いていた美香はすでに面白がっていた。
「へぇ~、康太くんって意外とノリいいじゃん!」
「……え?」
「最初クール系かと思ってたけど、話してみたら案外おもしろいね!」
美香が早くも康太と打ち解けてしまったのを見て、怜亜は肩の力が抜けた。警戒して頑なな態度をとっていた自分がバカらしく思えてくる。
「……はぁ。もういいや」
力なくため息をつきながらも、怜亜は少しだけ笑った。
そんな怜亜の横顔を見て、康太も満足げに微笑む。
(……なんで、ついてくるの!?)
驚きの連続だった一日を終え、帰宅しようとした怜亜は、当たり前のように隣を歩く康太に思わず声をかけた。
「えっと……康太くんの家、こっちだっけ?」
「まぁ、途中までは一緒かな」
「そ、そうなんだ……」
変な一日はまだ続くらしい。
……でも、もしかして。
怜亜は嫌な予感を抱く。
(もしかして、私に気があるとか……?)
康太くんは今まで話しかけてきた男たちと雰囲気が違った。だけど、もしそうなら――はっきり断らなければならない。
だから、冷たく尋ねた。
「ねぇ、康太くん。……私のこと、好きなの?」
ぴたりと足が止まる。
怜亜は視線を逸らさず、康太の答えを待った。
――すると、康太はあまりにも軽い調子で答える。
「好きだよ? そりゃあ、可愛くて仕方ないからな」
「……っ!」
怜亜は一瞬、息を呑んだ。
(……やっぱり)
少し残念な気持ちになる。康太くんは今までの男たちとは違うと思ったのに――結局、同じだったんだ。
「ごめん。私、付き合うとか無理だから」
迷いなく拒絶する。怜亜は誰かとそういう関係になる気はない。今まで、散々嫌な思いをしてきたのだから。
――だけど、康太の反応は予想と違っていた。
「は? 付き合う……?」
康太は少し引き気味に首を傾げた。
「いや、まぁ……そういうマンガとかも見ないことはないけど、アブノーマルっていうか……そりゃ、そうだろ」
「……え?」
怜亜はぽかんと康太を見た。
(なに、この反応……?)
彼は、まるで恋愛感情の「好き」とは別の意味で答えたようだった。
次の瞬間――
「ったく、危ないぞ」
「――っ!」
康太が怜亜の肩を引き寄せる。
直後、猛スピードでカーブしてきた車が横を通り過ぎた。
「……あ、ありがとう」
怜亜の胸がドキドキする。
(……本当に、何考えてるのかわからない)
康太の気持ちが、一層わからなくなった。
「そうだ、週末に肉でも食べに行こうぜ」
「え、でも……」
「怜亜、今月誕生日だっただろ? 誕生月だと半額になるステーキがあるんだよ。身分証忘れるなよ!」
「……」
康太の押しに、怜亜は頷くしかなかった。
(……この人、本当にどういうつもりなんだろう)
◇
怜亜を送り届けたあと、康太は家への帰り道をスキップでもしそうな勢いで歩いていた。
「うおおおおお! 妹がいるって、なんて幸せなんだ!!」
夜の街に響くテンション爆上がりの声。
「俺の心のピースに足りなかったのは、間違いなく妹だ!!」
そう叫びながら、ルンルンで帰宅するのだった。
◆2.
鉄板の上でジュウジュウと音を立てるステーキを挟み、康太と怜亜は向かい合って座っていた。
誕生月の特典で半額とはいえ、高校生には少し贅沢な価格帯の店だ。
ステーキの熱が少し落ち着いたころ、怜亜は思い切って本題を切り出した。
「……康太くんって、付き合う気はないんだよね?」
「ん? ないぞ」
「じゃあ、友達?」
「いや、友達ではないだろ」
「……じゃあやっぱり恋人?」
「いやいやいや!! なんでそうなる!? そういう本でも読んだのか!?」
康太は過剰なまでに否定した。
――むしろ、こっちが驚くほどに。
(付き合う気もない、友達でもない……でも、好きだって言ってる……?)
怜亜はますます混乱した。
「……あ、お肉ちょっとくれない?」
「は?」
「そのシャトーブリアン、めっちゃうまそうじゃん。代わりに俺の安い肉やるからさ」
「……もう、仕方ないな」
呆れながらも、怜亜はナイフで少し大きめにカットし、一切れを康太の皿へと移した。
(ただ優しいだけじゃなくて、遠慮もないし……ほんと、謎すぎる)
考えるのが馬鹿らしくなった怜亜は、ひとまず美味しい肉を堪能することにした。
――そして食べ終えた後、康太は何の迷いもなく会計を済ませた。
「ちょっと、私の分も払うって!」
「え? いいよ」
「いや、よくないから!」
「気にすんなって」
財布を押し返され、結局怜亜は支払わせてもらえなかった。
(……もう、なんなのこの人)
強引だけど、押しつけがましくない。どこか自然で、当たり前のように優しい。
怜亜は、康太と一緒にいることに不思議な安心感を覚え始めていた。
それから、康太と怜亜は学校でも放課後でも一緒にいる時間が増えた。
当然、周囲も気づく。
「ねえねえ、康太くんって、怜亜ちゃんのこと好きなの?」
親友の美香だけでなく、クラスの女子友達数人が興味津々で聞いてくる。
一方、康太がよくつるんでいる男子グループの方でも、二人の関係が話題になっていたらしく、ちょくちょく冷やかされるようになっていた。
それも当然だろう。
康太は遠慮もなく、堂々と怜亜に馴れ馴れしく接してくるのだから。
――しかも、かなりの頻度で褒めてくる。
「怜亜、今日も可愛いな」
「は?」
「いや、なんとなく」
「なんとなくって何!?」
まるで息をするように自然に褒めてくる。
普通なら勘違いしてもおかしくないレベルの好意。でも、それ以上の関係になろうとする気配は一切ない。
(……なんなの、この距離感)
最初は気にしないようにしていた。
だけど、次第にモヤモヤが募っていく。
康太は怜亜と話すようになってから、女子の交友関係が広がった。
最近は、クラスの女子たちからの評判も悪くない。むしろ、少し人気が出てきている。
……それなのに、どうして怜亜だけを特別扱いするのか。
もし誰かが康太に告白したら?
怜亜には、それを責める権利なんてない。
(なのに……なんで、こんなに気になるんだろう)
最初は“都合がいい”と思っていた康太のどっちつかずな態度が、いつの間にか怜亜の心をかき乱すようになっていた。
――だからか、放課後の帰り道。
怜亜は、思わずこんな言葉を口にしてしまった。
「ねえ、康太。私、好きな人ができたかも」
◆3.
「……好きな、ひと?」
康太の足が止まった。
まるで、心臓が一瞬だけ鼓動を忘れたようだった。
――いや、そんなはずはない。聞き間違いに違いない。
「おい、怜亜。もう一回言ってみ?」
確認するように問いかけるが、怜亜はニコリと微笑んだだけだった。
「好きな人ができたかも」
今度ははっきりと。
康太の中で、何かがガラガラと崩れ落ちていく音がした。
ここ数ヶ月は、まさに夢のような日々だった。
――怜亜と話すようになって、学校生活は一変した。
登校すればそこに怜亜がいる。授業の合間に怜亜と話し、放課後は当然のように一緒に帰る。休日には二人でステーキを食べに行き、他愛のない会話をして笑い合う。
そんな毎日が、ずっと続くものだと――そう、思っていたのに。
(そんな……そんなの、ありえないだろ……!?)
「お、おい怜亜!」
「ん?」
「そ、そいつ……どうせ半端なやつだろ!? 高校生の男なんて、みんなエロいことしか考えてないんだから、やめとけ!」
思わず言いがかりのような言葉が飛び出す。
怜亜は少し考えるように視線を逸らし、そして肩をすくめた。
「まあ、半端なやつ……ではあるかも」
「やっぱりそうじゃないか!! うん、やめとけ! 絶対もっといい男にしたほうが……というか、男なんて作らないでくれえええ!!」
完全に取り乱す康太。
だが――
「やーだねっ♪」
怜亜は楽しそうに笑いながら、クルリと背を向けた。
背中越しにひらひらと手を振りながら、まるで康太の狼狽を楽しんでいるかのように、そのまま軽やかに歩き去っていく。
(……ま、待て!? 何なんだ今の流れは!!)
康太はひとり、その場に立ち尽くした。
――妹は、いつか兄離れするものだ。
その現実を突きつけられた日だった。
家に帰り、自室にこもると、康太はドサッとベッドに倒れ込んだ。
(……いやいやいや、落ち着け……俺……)
心臓がまだドキドキとうるさい。
さっきの怜亜の言葉を思い出すたび、胃がキリキリと締めつけられるような感覚に襲われた。
「好きな人ができたかも」
(う、嘘だろ……? ついこの前まで、俺とステーキ食ってキャッキャしてたじゃねえか……!?)
何度思い返しても、受け入れがたい現実だった。
しかし、落ち着いて考えれば、妹に恋人ができるのは当然のことだ。
(……兄として、ここは冷静にならないとダメだ……)
深く息を吐き出し、拳を握る。
「……そうだ、俺は兄だ……兄として、妹の幸せを願うべきだ……!」
そう、自分に言い聞かせる。
――恋路を邪魔するのは、立派な兄のやることじゃない。
「よし……よし……俺は、怜亜の恋を……応援するぞ……!」
そう言い聞かせるが、心の中では叫び声が響いていた。
(……でも!! 嫌だあああああああああ!!!!)
今までの生活が、怜亜との時間が、どんどん遠ざかる未来を想像するだけで、胸が張り裂けそうになる。
妹が誰かのものになるなんて、考えたくもない。
(……でも、俺は兄だから……そんなこと、思っちゃいけないんだ……!!)
自分に言い聞かせながら、枕に顔を埋める。
しかし、どうやっても拭えないこのモヤモヤは、一体何なのだろうか――。
◆4.
週末、水族館にやってきた康太と怜亜は、イルカショーの席で並んでいた。
華麗なジャンプを決めるイルカに、観客席からは大きな歓声が上がる。
「うわっ、めっちゃ水かかった!」
「ふふっ、康太、ずぶ濡れ~」
「お前だって結構濡れてるだろ!」
二人で顔を見合わせて笑う。
怜亜はずっと、笑っていた。
それは今までで一番、心の底から楽しそうな――眩しいほどの笑顔だった。
そんな怜亜を見ているだけで、胸が満たされる。
このままずっと、こうしていたい。
――だけど、そうはいかない。
館内のカフェで休憩しているとき、康太は意を決して切り出した。
「……怜亜」
「ん?」
「……もし、本当に好きな人ができたなら、俺に反対する権利はないよな」
「え?」
怜亜は一瞬、きょとんと目を瞬かせる。
その反応を見て、康太は小さく笑った。
「ずっと考えてたんだ。お前が『好きな人がいる』って言ってから」
怜亜がカップを置く音が響く。
「俺はお前が大切だ。でも……それは、やっぱり”妹”だから」
その言葉を聞いた瞬間、怜亜の表情が凍りついた。
「……妹?」
ぽつりと呟く声は、どこか乾いていた。
その瞬間、康太は違和感を覚える。
(……なんだ? なんで、そんな顔を――)
だが、気づくよりも早く、怜亜は席を立っていた。
「怜亜?」
呼びかけるも、怜亜は何も言わず、足早に店を出ていく。
慌てて追いかけようとするが、周囲の客の視線に躊躇し、遅れた。
怜亜の姿は、すでに見えなくなっていた。
◇
トイレの鏡に映る自分の顔を見て、怜亜はぎゅっと唇を噛んだ。
(……なんで、こんなに惨めな気持ちになってるの?)
康太の言葉が、何度も頭の中でリフレインする。
”妹”
そうだった。
最初から、ずっとそうだった。
康太は、怜亜を妹としてしか見ていなかった。
(なにそれ……)
時間をかけて丁寧に仕上げたメイクも、気合を入れて選んだ服も、急に全部が馬鹿らしくなった。
自分が何を期待していたのかなんて、考えたくもない。
(ずるい……)
こんなに優しくしておいて。こんなに大切にしておいて。
そんなの、期待しちゃうに決まってるじゃん――!
でも、本当にずるいのは、自分の方だった。
康太の好意に甘えて、都合よく解釈して、ずっと曖昧な関係を続けてきた。
本当の気持ちに向き合うことなく、「仲がいいだけ」で済ませてきたのは、自分だ。
(……もう、会うのはやめよう)
そう決めた途端、涙が溢れそうになった。
◇
水族館に行った日、トイレから出た怜亜は、何も言わずにそのまま帰ってしまった。
康太は、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
(……なんで、あんな風に逃げるんだよ)
何が悪かったのか、はっきりとは分からない。
だけど、怜亜を傷つけたことだけは確かだった。
帰りの電車の中で、スマホを取り出し、メッセージを打つ。
『本当は、恋を応援してほしいわけじゃなかったのか……?』
……いや、違う。
一度消して、別の言葉を考える。
『好きな人がいるって、嘘だったのか……?』
……これも、違う。
『怜亜は、俺のことを兄だと思ってなくて――』
そこまで打ちかけたとき、指が止まった。
――まさか、そんな。
いや、でも……
(まさか、そんなはず……)
スマホの電源を落とし、天井を仰ぐ。
それでも、その考えが頭から離れない。
(もし、そうだとしたら……)
途端に、心臓が早鐘を打つ。
マグマのように熱く沸き立つ何かが、胸の奥からこみ上げてくる。
(……ああ、そうか)
康太は、自分の”罪”を自覚した。
(俺は、怜亜のことが好きなんだ……)
(本当は、妹としてじゃなくて――)
思った瞬間、全身に嫌悪感が走る。
――何が兄だ。
ずっと「妹だから」と言い聞かせて、彼女を縛り付けていたのは、自分の方じゃないか。
ただの自己満足のために、怜亜を“手放さない”ことに甘えていた。
そう気づいた瞬間、吐き気がするほどの自己嫌悪に襲われた。
(俺なんかに好かれたら、怜亜は迷惑なだけだ……)
だから、距離を置くべきなのかもしれない。
――でも、本当にそれでいいのか?
今日の水族館で、怜亜が見せたとびきりの笑顔。
俺が見たかったのは、あの笑顔だ。
(……もう、嘘にはしたくない)
(終わりになんて、したくない)
(関わらない方がいい? ふざけるな、そんなのただの言い訳だろ)
逃げて、傷つくのを恐れて、全部相手のせいにして――それで後悔しない自信があるのか?
……そんなわけ、あるはずがない。
康太は、深く息を吸い込み、スマホを開く。
――決めた。
送るメッセージは、ただひとつ。
◆5.
自宅のベッドで横になっていた怜亜は、スマホの通知音に反応して画面を覗き込んだ。
そこに表示されていたのは、たった一言のメッセージ。
『好きだ』
その瞬間、胸がぎゅっと締めつけられた。
(……また、これ)
康太はいつも「好き」と言ってくれる。それは彼にとって何の変哲もない、妹への愛情表現のひとつ。深い意味なんてない。ただ、それだけのこと。
それなのに――。
たった一言のメッセージが、怜亜の心の奥底に染み込んでいく。消そうとしても、意識のどこかに引っかかる。
(……もしかして)
ありえない、と頭を振る。でも、ほんの少しでも期待してしまった自分が恥ずかしくて、枕を抱えて顔を埋めた。
(もし、もし違ったら……?)
ありえないとわかっているのに、心のどこかが騒ぎ出す。
――会いたい。
じっとしていられなくなり、怜亜はベッドを飛び出した。スマホを握りしめ、迷いながらも玄関のドアを開ける。
行き先は、康太の家。
夜の街は静かだった。
街灯がぽつぽつと灯る道を進み、曲がり角を抜ける。人通りの少ない細道に差しかかったとき――目の前に人影が現れた。
「……怜亜!?」
その声に、怜亜は思わず立ち止まる。
「康太……?」
康太は荒い息をついて、こちらに駆け寄ってきた。
「よかった……無事で」
その言葉に、怜亜は目を瞬かせる。
「もしかして、迎えに来たの……?」
「……ああ」
康太は怜亜の手を取ると、真剣な眼差しで見つめてきた。
「俺……お前が好きだ」
怜亜の心臓が跳ねる。
「……」
「兄としてじゃない。男として……怜亜のことが好きだ」
息が詰まるほどの沈黙。鼓動だけがうるさく響く。
「でも、それは許されることじゃないし、普通じゃないかもしれない。それでも……」
康太の手が、ぎゅっと力を込めてくる。
「怜亜、愛してる。一生大切にする。だから――」
その言葉を聞いた瞬間、怜亜は思わず康太の手を振りほどいた。
――そして、そのまま彼の腕の中に飛び込んだ。
「……っ、うん!」
康太の胸に顔をうずめながら、怜亜はぎゅっと服を握る。
「でも、本当にいいのか? 俺たち……」
言いかけた康太の言葉を遮るように、怜亜は顔を上げた。
『――人を好きになるのに、許されないなんてこと、ないよ』
怜亜が言ったその瞬間、康太の脳裏に鋭い痛みが走った。
「……っ!?」
「康太!? どうしたの!?」
思わず目を押さえる。視界がぐにゃりと歪み、脳裏に浮かぶのは――
銀髪の魔女の姿。
『――"見た相手を妹にする"魔眼を授けよう』
康太の中で、すべての記憶が繋がった。
(……そうか。俺は、魔女に願って……)
自分が長年抱えていた歪んだ感情。それを無理やり”兄”という形に押し込めていた呪い。
だけど、怜亜の言葉でその呪いは――
解けた。
「康太!?」
心配そうに覗き込む怜亜を、康太は強く抱きしめた。
「……もう、離さない」
---
数日後。
「おめでとーーー!!」
盛大なクラッカーの音が鳴り響く。
「ちょっ、美香!?」
怜亜は驚いて美香を見るが、当の本人は満面の笑みを浮かべている。
「いやー、ようやく両想いになったんだから、祝わなきゃでしょ!」
どうやら、二人が付き合い始めたことは即座にバレたらしい。そして、ほぼ強制的に開かれたお祝いのホームパーティ。
「ていうか、あんたらじれったすぎ! みんなとっくに気づいてたんだからね?」
「えっ、そうなの!?」
怜亜が赤くなる。そんな姿が可愛くて、康太はつい調子に乗ってしまう。
「怜亜、愛してるぞー!」
「人前で言わないでってば!」
顔を真っ赤にする怜亜を、美香がニヤニヤと見つめる。
「ふーん、じゃあ、二人きりのときは甘え放題ってこと~?」
「もう! やめてよ!!」
康太はそんな二人のやりとりを微笑ましく見ながら、ふと、あることを考える。
(……でも、妹は妹で欲しかったなあ)
そのとき、ふと美香と目が合った。
"ピキッ"
瞳の奥が僅かに疼く。何かが起こったような、そんな気がした。
(……ま、気のせいか)
「よーし、お兄ちゃんとお姉ちゃんがたこ焼き作ってあげるから、美香は座って待ってなさい!」
「いやいや、誰がお前の妹だ!」
そんな賑やかなやりとりの中、康太は怜亜の手を握りながら、そっと呟いた。
「……怜亜、幸せにするからな」
「……うん」
怜亜がそっと微笑んだとき、康太は改めて思った。
――ずっと、この幸せが続きますように。
(END)
最後までお読みくださって、ありがとうございました。