前編
男も防犯に気をつけるべきだと中学から大学生の今に至るまで友好関係が続いている男友達が自身が襲われた経験を酒が入るたびに擦っていたのを唐突に思い出した。
その友達が襲われたのはけして彼が貧弱だったからではなくむしろ体の丈夫さで言えば僕が二人束になってかかっても中学からラグビー一筋の彼には敵わないだろう。
爽やかな男で女を取っ替え引っ替えしているという話も聞いたことがなく初めてその話を聞いたときには思わず耳を疑った。どこかで喧嘩を売ったり買ったりする質ではないのは僕がよく知っているし、神妙な面持ちで「そうか……」と言ってみるがどうにも目の前のガタイの良い男が襲われている様が想像出来なかった。
世の中には男を襲いたい男がいて、その中でもガチムチ系は大層人気が高く、受けるらしい。まあそんなことで友人はゲイに数ヶ月前から付け狙われていたのに気付かず、鍵を開けた瞬間に部屋に押し入られたということだった。
友人は最初、昔(高校のとき)に手ひどく振った元カノの今カレが今さら復讐しにきたのかと思って「お前、誰々(元カノ)の彼氏か?」と尋ねた。興奮していて鼻息の荒いゲイはとにかくズボンを下ろすことしか考えていないので話し合いにすらならない。
「ってことはお前はケツに入れられちまったんだ」
「馬鹿いうな、そのまま外に押し出して警察を呼んだに決まってんだろ」
友達は三杯目のビールをぐいと飲み、「一人暮らしは男でもオートロックじゃなきゃいけねえんだ」と念を押したいのか自分の不幸話で酔いたいのかどんぶらどんぶら船を漕ぎ、へべれけで語った。
で、僕は大学三年生にして一人暮らしをなんとなく始めるにあたり築古のオートロックマンションに数ヶ月前実家から引っ越してきた。
決して友人の経験を間に受けたわけではなく、大学とバイト先で都合のいい場所にあったのがこのマンションだっただけだ。不動産屋に一人で行き、不動産屋が勧めるままに契約した僕はろくに注意を聞いていないのでこのマンションが訳ありという話ももちろん聞いていなかった。
それが、出るのだ。
幽霊、ではない。不審者が、だ。
マンションの前に赤い自動販売機があって、僕はどうしても徹夜でレポートを書かなきゃいけないという時にはサンダルを履いて鍵と小銭を持って駄菓子屋に走る子供のようにそこまで行きエナジードリンクを買ってきてブーストすることに決めている。
ある日の夜、次の日に発表しなくてはいけないゼミ課題が連日バイト続きでなにも終わっていなくていつものようにサンダルを履き、鍵と小銭だけを持って自動販売機に買いに降りた。そしたら、自動販売機の横に赤いロングワンピースの女がトトロみたいにぬぼっと立っていた。
僕はそれを見て、マンションの扉を押したまま硬直した。そしてすぐエレベーターに乗り、二階のボタンを腱鞘炎が出来るほど叩いた。
「おい、お前とうとう僕も見ちゃったよ」
「ははーん、ってことは、ようやくオカ研に入部する気になったか」
オカ研に所属し自身も強い霊感があるという大学で知り合った友人に興奮のままに電話をかける。そいつは、かなり変人の類で、霊感があることを売りに夜な夜な廃墟や廃トンネルに行き、動画を取って遊び代を稼いでいる酔狂な人間だ。おまけに重要なことだがこういう変人はレスポンスが早い。
「前に言ってなかったか? 目が合うとまずいって」と僕は家に二つしかない貴重な小皿にアジシオの蓋を外しドバっと山盛りに盛って廊下の両端に置く。
「そりゃあまずい。霊と目が合うと自分を認識してくれたと勘違いして付き纏われるんだ」
「お前今どこにいるんだ?」
「俺は今廃墟で動画撮ってる」
「今すぐ引き返して家まで来てくれ」
「そりゃあ無理だ。すぐ帰れる距離にいない。県外に来てるんだ。明日は全休だから」
「なら、今度会った時に僕に憑いてるかどうか見てくれないか」
「ああいいよ、それじゃあ」
そう言って、廊下から風呂場全ての電気という電気を深夜に電気代を惜しむことなく付けた部屋に僕は一人取り残された。
数日後、霊視をしてもらうためにオカ研の部室を訪れた僕は衝撃の事実を知ることになる。
「残念だけど、お前の言う赤いロングスカートの女の霊はどこにもいない。お前昔から女に好かれないもんな、だけど、」
「だけどなんだよ」
「落武者の霊ならいるぜ」「やっぱお前の霊感は嘘っぱちだよ」
「じゃあ、僕が見たのはなんだっていうんだよ」と机をバンっと叩いて迫ると「そりゃあ生きてる人間だろうさ」とそいつは僕の後ろにある壁を見つめながらケラケラ笑った。
あれから女は毎日自動販売機の前に十時を過ぎるとどこからともなく現れ、日が昇り始めるまでそこにいた。彼のいう通り、女は霊なんかではなくただの人間で、つまり部屋に盛り塩は必要じゃないということだ。
噂によると女はこのマンションに住んでいる住人のストーカーらしかった。僕がここに引っ越してくる前まではごくたまにいるだけだったのに、最近は毎日いて気味が悪いと他の住民が話しているのを聞いた。