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信長 天魔王  作者: 計良 安兵衛
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信長 天魔王 1章と2章

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挿絵(By みてみん)


勝幡城(しょばたじょう)



 大永六年

 織田弾正忠信定は嫡男三郎信秀に家督を譲った。

 尾張守護の斯波氏は室町の中頃には越前、尾張、遠江三国の守護を兼任したこともある有力守護だった。しかし、応仁の乱で戦国の世になると斯波善敏の代に越前を朝倉に奪われてしまう。さらに孫の斯波義達の代には正当に補任された遠江を、お隣駿河の守護今川氏親に武力で侵略されるに至った。

 尾張ではこの弱体化した守護斯波氏の下に、守護代として北側上四郡を治める岩倉城の織田伊勢守家があり、又守護代として南側下四郡を治める清州城の織田大和守家がある。織田弾正忠家はどこかにあるかというと、この織田大和守家に仕える三奉行織田家のひとつに過ぎなかった。

 つまり尾張では斯波氏の下に多くの織田諸家があり、これらが覇を競う群雄割拠の様相が見え始めている、そんな時期なのである。


 織田弾正忠家は津島を手中に収めていたが、まだ城はなかった。津島の館では家臣への家督襲名お披露目の宴も終わり、信定はようやく数え十五歳となった信秀と正室のいぬゐの方との親子三人で感慨を語り合っていた。

 酒に顔を赤らめた信定は上機嫌でいぬゐに訊く。

「室は息子の晴れ姿を気に入ったかや?」

 やや青さを帯びた頬を上げ、いぬゐは嬉しそうに目を細めた。

「はい。家来衆の前でのお振る舞い、かほどに立派になられて。ふふっ、少し前には泥に汚れておった童が、時のたつのが不思議のようなも」

「うむ。わしも鼻が高かったわ」

 信定は信秀に顔を向けた。

「どうじゃ、信秀。これからの尾張はいかなる行方になるやと見る?」

 信定に問われて、信秀は凛々しい顔で答える。

「守護様はいよいよ弱って、縁起物の飾りになりましょう」

「おう、なかなか頼もしいことを聞いたぞ」

 信秀がますます上機嫌になったところで、いぬゐが告げた。

「殿、どうやらおなごの出番はしまいのようで。わらわは下がって休みまする」

「うん、ゆっくり休むがよい」

 控えていた侍女に手を引かれていぬゐはゆっくりと部屋を出て行った。


 それを見送ってから信秀が訊く。

「今日の母上は少しやつれて見えましたが、大丈夫でしょうか?」

「案ずるな。おなごのからだは男とは違うからの。そうか、守護は飾りか?」

「はい」

「うむ。それでお主はどうする?」

「守護様を担いで覇を唱えるはおそらく愚策。威を借る狐は慢心するもの。力に弱きところがありましょう」

「ほう。しかしその前に虎の牙を抜いておかずば自分が喰われることになるぞ」

「はい、大和守殿のような失態は避けねばなりません」


 永正十年、尾張守護の斯波義達は今川氏親から遠江を取り戻そうと、井伊直平や大河内貞綱も従え進撃した。

 この時、又守護代の織田大和守達定は遠征に不満を抱いて斯波義達に叛旗を翻したが、義達の軍は大和守達定を厳しく攻めて達定は自刃に追い込まれた。

 永正十三年に斯波義達は引馬城の大河内貞綱と共に籠城する。そこで今川氏親は坑道を掘って引馬城の水の手を絶ち、降伏させた。貞綱は討ち死にし、義達は降伏して頭を丸めて尾張へ送り返される屈辱的な大敗をした。

 自刃した達定から達勝に替わった織田大和守家は今度はまだ幼い斯波義統を擁して尾張を我が物にしようと画策してる。信秀はこれを皮肉ってみせたのである。


「お主はまだわしの問いに答えておらぬぞ」

「はい。しばらくは父上の方針に従いて力を蓄えまする」

「いつわしがお主に方針を話したかな?」

「この津島の館を見ればわかります。私はこの地に城を構えまする」

「清州から遠すぎやしまいか?」

「他家と戦うためではございません。津島湊(つしまみなと)を確実にわがものとするためでございまする」

「ははあ、お主、わしの縄張り図を盗み見たであろう」

「平手殿が何やら図面を持って殿に会うのは見ましたが、中身までは知りません」

「ほお、頼もしい限りよ。さらば勝幡の城はお主の名で建ててみやあ」

「ありがたき幸せ」

 信秀が手をついて礼を言うと、信定は大きく頷いた。

「これで跡継ぎと城は揃ったと。残るは嫁じゃが……」

 信定が言葉を継ごうとするのを、信秀は遮って言った。

「わが嫁は殿と同じく美濃土田(どた)の家から迎えたく思います」

 いぬゐの方の実家土田は東美濃にありながらも尾張にも近く縁のある微妙な土地で、実際、近江の六角征伐には尾張勢として参陣した実績があった。

 信定は声を上げて笑った。

「はは、なんとも色気づくのも早いのん。意中の姫でもおったのかや?」

 信定がからかうように見詰めると信秀は頬を赤らめて首を振った。

「意中の者などおりませぬが、母上のようなおっとりしたおなごが好みにございます」

「であろうが、お主にはいやでも先に清州の殿の娘を貰う義理があるのだで」

 信秀はびっくりして訊き返した。

「へっ、あの大和守殿の娘でございますか」

「大和守はお主に是非とも娘を貰ってくれと言ってきた、いや、命じてきたのだ。となると一奉行の身では又守護代に抗うことは容易には出来ぬでな。お主も世の倣いに逆らうてはならぬこと、わかっておろう?」

 そう言われると信秀はあからさまに落胆した。

「承知いたしました。されど、それがしは側室を沢山持ちまする」

「なんだ? それは正室にあてこする手合いかや?」

 信秀は頬を膨らませて言い返した。

「父上であってもそれは失敬なる言われよう。多くの城を落としてその城に信頼出来る主をあてるためには、多くの子が必要となりまする。それゆえです」

 真顔で言う信秀に信定は大笑いする。

「ははは、そおきょん、大したお館さまよ、やってみやあ」

 信秀は頷いてから尋ねた。

「ひとつお聞きしたいことがありまする。父上は私が当主となれば、普段はどこにおわすおつもりですか?」

「おう、言い忘れてたはそのことじゃ。お主が勝幡城に入る前に、わしは木ノ下城に入るつもりでおる」

 信秀は木ノ下城がどこにあったか思い返して、あっと口を開けた。

「あそこは木曽川の上流で、お名は忘れましたが、たしか伊勢守の家臣が築城したのではございませんか? そのようなところへ大和守家臣の父上が主になってよいものでしょうか?」

 信定はうんうんと頷いた。

「確かに木ノ下城を築いたは伊勢守配下の織田与十郎殿。しかしあそこは美濃の斎藤を牽制するために肝要な所じゃ。しかしどうも伊勢守の手駒が足らんらしい。ここは伊勢守と大和守が張り合うより尾張守護のため協力して在城し、守りを堅めねばならんということで双方の話しがついたのじゃ」

 信秀は大きく頷いて得心したようだった。

「それにな、あの城はどこかの武者が姫を探してみたいと企てておる美濃の土田城がすぐ先にあるぞ」

 信秀は頭を掻いて照れる

「あいや、そのようなことをぬかす侍がおりましたかな」

「はははっ」

 とぼける信秀をまた笑い飛ばす信定だった。



   ○



 信秀が当主となって一年たった春のこと。

 津島社、正しくは津島牛頭天王社(ごずてんのうしや)から丑寅の方角に一里と離れていない土地に念願の勝幡城が完成した。まだ天守など造る風潮もない頃なので、この勝幡城もいくつかの館と馬小屋を塀で囲って、小さな堀をめぐらして、門の上に櫓があるだけの簡素な造りである。

 とはいえそれまでの低い塀で囲んだだけの館に比べたら、防御の面でも攻撃の面でも格段に強くなったのは間違いない。

 信秀は館の縁側に立って、香り立つ新築の白木の香を吸っていた。そこへ髭をたくわえた二十歳ほど年上の家老平手政秀が通りかかった。

「政秀。父上はまだ来ぬのか?」

 信定は既に木ノ下城に移り住んでいて、今日は馬で駆けつけると文が来ていた。

「まもなく見えましょう」

「この新しき白木の香を吸われたらさぞかし父上もお喜びくださるじゃろう。城なし奉行では遠乗りするにも心細かったが、これで安心して父上の木ノ下城にも行けるのう」

「そうでございます。城を持たずばまともな戦は出来ませんゆえ。これで我ら家臣も奉公のし甲斐があるというものでございます」

「そういえば堀の外に建った政秀が屋敷もなかなかどっしりとして堅固そうじゃ」

「ははっ、お褒めに預かり光栄にございます」

「政秀の家は元々小木に城があったと聞くが」

「はい、これより小さな城がございました。しかし、主人の傍に住まねば諸事が務まりませんゆえ、皆うち揃ってこちらに来ております。先般、住まぬならば城の材料に売ってくれぬかと乞われて売ってやりました」

「そうであったか。それはちともったいなかったのう」

「時に殿、まもなく津島牛頭天王社の社家の方々が挨拶に見えますゆえ、卒なくお言葉をかけてくださりませ」

「承知しとるで。もう父上の時のような泡を吹きおうての議論も、戦を構えるようなことをしくさる用もあるまいて」

「仰せの通りでございます」

「ああ、もてなしの方は頼んだぞ」

「ご安堵くだされ。準備万端、整えてございますゆえ」


 そこへ「大殿の御着き」と声がして、赤らんだ顔の信定の馬が入って来た。

「父上、ようお越しくだされました」

「おうよ。いや参ったわ、立ち寄った生駒屋敷でのう、これより勝幡城の披露目じゃと申すと、それはめでたいと酒を飲ますのだわ」

 下馬した信定は下人に足を拭かせ引っ張られて縁側に上がった。

「ははっ、落馬でもしたら困りまするな」

「落馬はせんが、うとうとしたで道に迷いそうじゃったわ」


 まもなく津島の社家衆も十余名ほど来訪し、信定と信秀は並んで迎えては広間に上がってもらった。一番最後に並んだ大橋清兵衛重長は先年父の重一から家督を継いで四家七党四性の代表も継いでおり、弾正忠家と津島衆が戦いを構えた時の津島の総大将だったのである。

「三郎殿、勝幡城の落成おめでとうございます」

「これは禰宜殿、ようお越しくだされました。これからもよしなにお付き合いくださいますように」

「大殿、大殿が我らに約した事、三郎殿にもお守らせくださりませ」

「おうよ。これはいきなり釘を刺して来られたなあ」

 信秀が念のために聞く。

「何の約定でございますか?」

 すると信定がさらりと述べた。

「海賊、その他の賊が津島湊を荒らさんとする折りは織田弾正忠家は速やかに兵を出し津島湊を守ること、じゃったな?」

「酔っておられてはと心配しましたが、ありがとうございまする」

「ふふ、忘れはせんで」

「三郎殿も、お頼みします」


 こういう賓客もいるが、中にはただの親戚も来る。

「三郎殿、呼ばれて参りましたぞ」

「これは叔母上、ようお越しくだされました」

「今日はぎょうさん御馳走を出してちょうやあ」

「ははっ、客の中に食い意地の張った者がおると(くりや)の者に言っておきまする」

 叔母は笑って扇子を振り上げる真似をし、次いで信定にも同じことを言った。

「姉上にはかないませぬ。かしこまって候」


 上座に信秀を真ん中に、信定が並び、両脇に津島社家と親戚がずらりと並んだ。

 最初に津島社家を代表して大橋重長が祝いの言葉を述べた。

「この度は勝幡城が見事に出来上がり大いにおめでとうごさいまする。この城により織田弾正忠のお家が大きうなられて、我らの心強き守りとなりますれば嬉しいことこの上なしでございまする」

 めでたい、めでたいと声が上がる中、信秀が立ち上がった。

「集まり頂いた津島の社家の皆様、お祝いいただき、まことにありがたく思いまする。

 この城は外にある者から見ればただの城でしかないが、津島の衆からしたら牛頭天王社の軒が離れたところにあるのだと思いなして寄っていただいてもよいのじゃ。

 わしも父から聞かされております。我らは賊や狼藉者あらば、いち早く駆けつけて津島社中の皆様をお守りいたしますぞ。どうぞご安心くだされ」

 一座から拍手が起こった。場は談笑の渦となり、そこに酒と料理が次々と運び込まれると、歌や踊りもいよいよ始まって、まるで祭か祝言の宴のような賑やかさとなった。





熱田湊と海賊退治



 大永七年、勝幡城のお披露目から半年、信秀はようやく父の木ノ下城を訪れた。

 季節は稲刈りも終わって、秋晴れの柔らかな日差しである。

 城は木曽川の南岸からひと歩き陸に入った平城で広さとしては勝幡と似ている。堀が川のある北側と土田の方角の東側のみで、美濃の領地への警戒を表わしていた。


「開門、三郎信秀じゃ」

 信秀が馬廻り二名を従えて名乗ると、顔に覚えのある門番が急いで門を開けた。

「ご苦労」

 信秀が広場に入りするりと馬から飛び降りると、館から父が出て来た。

「よう来てくれたな」

「この城の善き所は父上と母上のおわすところですな」

 信秀の言葉に信定は苦笑した。

「なんじゃ、それではこの城そのものはひとつも良きところがないと聞こえるがや。まあよいわ、さ、上がれ、上がれ」


 部屋の板張りの敷物の上にあぐらをかいた信秀が従者の馬廻りに竹皮の包みを差し出させる。

「父上、日持ちのよいように鮑と蛤の干物にございます」

「おお、これは懐かしいな」

 侍女が茶を注いでまわるうちに、いぬゐの方がゆっくりと現れた。

「母上、お久しぶりにございます」

 信秀が挨拶するといぬゐも笑みを浮かべた。

「文を頂いておりましたから今日は早う目覚めましたが、最近は立つのが辛い日もあってなも」

「それはいけませぬな。医師を呼んで診せましたか?」

「ええ。薬を服しておりますから心配要らぬようで」

 そこで信定が教えてやる。

「室よ、信秀から桑名の焼き蛤ならぬ、干し蛤を貰うたぞ。あと干し鮑もな」

「まあ、それはありがたきこと。木曽川は近けれど海の幸が恋しうなりまする」

「信秀、今宵は膳に川魚が出るであろうが、川魚は味が薄うてのん」

 信定がぼやくといぬゐがやんわりと咎める。

「まあ、そのように食べる前から言われては魚とて可哀想なも」

 信秀は二人の会話が面白くてふすふすと笑った。

「で息子殿の嫁の方はいかな感じかや?」

 信秀は予定通り又守護代の大和守達勝の娘を正室に迎えていた。

「はあ、それは世間はどうなのかようわかりませぬが、ちと窮屈ですな」

「それは不思議な、嫁がそう思うでなく、信秀殿が窮屈に思うのですか?」

 いぬゐに言われて信秀は答えた。

「それは窮屈に決まっております。なにしろ上役である大和守殿の娘ですからな。あちらもそれがしを父の下っ端と見てしまうのはやむを得ないところ」

「まあ、そのように思うものでしょうか」

 何事にもおっとりした母が言うと、信秀は返しについ棘を含めた。

「母上は心根がお優しいからよいですが。あちらはそれがしに『殿は今日、我が父に伺いを立てましたか』などと、いちいち聞いてくるのですぞ」

 信定は同情した。

「それはちと煙たいのう」

「今回、こちらに参ったのは、いよいよ土田で良き側室を探そうという心構えにございます」

 信秀は強い口調で胸のうちを母にさらした。

「ふふっ、土田で嫁を探すとは大殿に似たものでしょうか」

「そのようです。母上に似た心根のおっとりした方なら気も休まります」

 信秀が言うといぬゐは微笑んだ。

「わが息子にかく言われると母は嬉しいもの。きっと佳い姫が見つかりましょう」

「母上に言っていただくと心強う思います」

 そこで信定が明かす。

「うむ、額に青筋立てた信秀一人乗り込んでも先方が何事かと怪しむゆえ、明日はわしが連れて行くつもりじゃ」

「我が父上に会いましたらよしなにお伝えくだされ」

「もちろんでございます」

 そう言った後、夕餉を楽しんだ親子であった。

 しかし、翌朝、いぬゐは床に貼りついたように臥せってしまい、その日の土田行きは立ち消えになった。



   ○



 津島社家であり禰宜でもある大橋重長は織田信定を伴って熱田社を参拝した。

 重長の礼拝姿はもちろんのこと、剣で鍛えた信定の礼拝姿も背筋がぴんと張りつめて無駄に緩むところがない美しいものであった。

 二人が社務所に声をかけると中から立ち烏帽子に紫狩衣という常装の神職が出て来た。歳はまだ四十より前と見えるが、神職を続けるうちに備わる気高い風格を帯びている。

「ようお参りいただきまして。文を頂いてお待ちしておりました。大宮司の千秋季光(せんしゆう すえみつ)でございます」

 大橋重長は恐縮して頭を下げた。

「これは口上もせぬうちから恐れ入ります。津島牛頭天王社禰宜の大橋重長でございます。こちらのお武家様は織田弾正忠家の大殿にございます」

「お参りなさる姿が凛々しうて遠目でもすぐわかり申した。どうぞこちらへ」


 二人は社務所から裏の広間に上がった。

「さあお座りください」

 真籠の敷物に座ると巫女が茶碗を運んで前に置いてくれた。

「手前は先だってこの職を引き継いだ若輩者ですが、宜しくお願い致します」

 季光が言うと、重長は返した。

「いえいえ立派なご貫禄で。さすがは大宮司様と見えます」

「此度、おいでになられたはいかようなお話でしょうかな?」

 重長は頷いて話し始めた。

「大宮司様と私は共に尊い神様をお祀りする尾張の社に仕えております」

「はい、まさにそうでございますな」

「神様は参拝する者をあちらに参った者はうちに来るなとは決して申しませぬ」

「当然でございます」

「つまり大宮司様と私は共に栄えることが出来るということになります」

「はい、そう思いますな」

「ご存知ないやもしれませぬが、私の祖母は千秋家から嫁いで来たそうです」

「おお、そうでしたか、それは堅い絆ですな」

 歯切れの良いやり取りに信定は微笑んだ。

「しかもどちらも大きな湊を抱えております。近頃は湊で組合や会合衆をなして全てを仕切るところもございますが、こちらではどのようにされてますか?」

「ええ、会衆を組んで細かな事も公平に決めております」

「なるほど。ただ湊を続けていますと、どうしても避けられぬのが、我が物顔でやって来る海賊をどう処すかということです」

 そこで季光が大きく頷いた。

「それでございますな、やはり。なんとか交渉して、怪我のないよう、荷に害がないよう、少ない金で帰ってもらおうと心がけますが、しつこい輩ですからな。それが一番の悩みです」

 重長は「どこの湊も同じですな」と頷いた。

「海賊とは、京の町に出るという盗賊と一緒に見なしてようございましょう。とするとこれは昔なら検非違使、今ならお武家の奉行が取り締まるべきと思いませぬか?」

「そうですな。しかしどの武家がかような面倒を引き受けてくれましょうや」

「なかなかそういう武家はありませぬが、我が津島湊ではこちらの織田弾正忠家殿に海賊の相手をお願いしてるのです。織田弾正忠家は尾張奉行職でもあります」

 季光は信定を見て頭を下げた。

「それはお心強いですな」

「そこでもし宜しければ熱田湊でも、この織田弾正忠家殿に海賊の対処をお頼みしてはいかがと思いまして、大殿にもご同道いただいた訳なのです」

「なるほど、話が見えました」

 信定がここで口を開いた。

「湊の方々には刃物を持った海賊にあたるのは怖かろうし、骨が折れるようですからな。わしらがまとめて面倒を見るということです。またわしらは関所は設けません。噂によると伊勢の手前に関所が数十もあるそうですが、あれがあっては往来が減りますから商売の邪魔です」

「ふうむ、だがそれは奉行の正式なお役目ではございませんな」

「それはそうですな」

「つまり只ではない。運上金を収めよということですな」

「御賢察です。しかし運上金を頂けば海賊に何度もたかられるよりは、結局かなり安くあがるという勘定です」

「ふうむ」

 そう言って季光は腕を組んだ。

「問題は織田弾正忠家殿は津島におられる訳ですね。それでは素早く熱田湊に駆けつけることは難しいのではありませぬか?」

 信定は苦笑いした。

「これは痛いところを突かれましたな。ただ、まだ他言は控えていただきたいのですが、我が織田弾正忠家はなるべく早くに熱田湊に近きところに館、もしくは城を構えたいと考えております」

「そうですか。しかしそれは今少し先でございますな」


 季光は腕組みのままなのを見て信定が物語を始めた。

「大宮司殿、今すぐ約束するかどうかはひとまず置いてくだされ。

 熱田社のご神体は日本武尊(やまとたけるのみこと)が持ちし草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)と伺ってござるが、我が織田家の先祖は越前国丹生郡織田庄にござる織田剣神社にて宮司であったそうな」

「ほう、それは厳かなるご先祖様でございますな」

「名前からしておわかり頂けるように織田剣神社のご神体も剣御子神という剣であった。それだけでわしは織田と熱田社に縁があるような気すらするのじゃが。

 少し先であっても、熱田社にあっては何卒、弾正忠家と津島社と共に力を合わせて栄えようではありませぬか。さすれば尾張の国もまた栄えるのではありますまいか?」

 信定が熱を込めて見詰めると季光は頷いた。

「それはそうやもしれませぬ。その剣御子の謂われについて教えてくだされ」

「わし如きが知らぬことも多くありますが、その昔、神功皇后が誉田別尊(ほむたわけのみこと)に王位を渡そうとしたため、忍熊皇子(おしくまのおうじ)が挙兵したそうな。すると武内宿禰が講和と称して偽し討たんとします。が、忍熊皇子は辛くも越前に逃げた。越前で民に請われて賊退治をするのですが、難渋してしまう。するとある晩、夢枕に素戔嗚(すさのお)大神が立ちて神剣を授けた。その剣によって賊は退治されたと伝わるそうじゃ」

 するとそれまで曇っていた顔の季光が喜びを見せて言った。

「それはまさに縁を感じる話ですな。

 と申しますのも我が社伝によれば景行の帝の御世、天照大神が倭姫命(やまとひめ)に神懸かりして日本武尊に『先の生まれで素戔嗚命であった時、出雲の国にて八股の大蛇(をろち)の尾の中より取り出て、我に与へしつるぎなり』と言って草薙神剣を授けるのです

 熱田のご神体は素戔嗚命のご神剣、織田剣神社のご神体は素戔嗚命が授けたご神剣、つまりは素戔嗚命様が熱田と織田の絆そのもの、我らが手を携えるのは自然な運命に感じまする」

「おお、嬉しきことを言うてくださる」

 信定はそう言って重長と頷き合った。

「先に述べましたように、熱田湊は会衆で事を運びますので、すぐに駆けつけられぬ織田弾正忠家と今、約束というわけには参らぬでしょう。

 しかし、実は海賊のことでは、ほとほと参っておるので、是非、弾正忠殿に相談に乗っていただきたいのです。その回限りということになるかとは思いますが」

 信定は大きく頷いた。

「わかり申した。詳しうお聞かせくだされ」


 季光はまず断った。

「これは熱田湊の話ではないのですが、よろしいですか?」

「構いませぬ、聞きましょう」

「熱田社では知多の辺りにも社領を持っておるのでございますが、南端の羽豆崎(はずざき)の近くにある島に海賊が巣を構えておりまして、たびたび村に現れては略奪、狼藉を繰り返すのでございます。それだけでも困りますのに、見回るべきその土地の手代までがどうやら海賊めに金を掴ませられておるのです。そのため被害にあった民が手代に訴えてもわかったと言いながら私共に報らせて来ぬのでございます」

「それはいけませぬな」

「手代については私どもで出来ますが、その海賊をなんとか懲らしめて二度と来ぬように退治して頂きたく思うのですが、いかがでございましょう?」

 訊かれて信定は胸を張った。

「まあ、わしらなら出来ると思います。大宮司殿が慌ててその話をされたからには、近々、海賊どもにちょっかい出されては困る大きな荷がありそうですな」

 季光は頷いた。

「はい、見抜かれましたな。その通りでして。実は今川の那古野家より、あ、この名は漏らさないで下され、三月後までに築城のための材木を大量に仕入れる話を請け負ったのでございます。社家にも武門の者はおりますが私どもだけではやはり」

 信定は己の目がぎららと光るのを感じたが、それを反射的に隠そうとして「ほおー」と相槌を打った。

「その代金はいかほどになりますか?」

「そうですな、ざっと城普請の材木なれば六万貫ほどになりましょう」

 重長は思わず「ええっ」と声を上げた。津島湊でも大きな取引はあるが、六万貫となるとなかなか聞いたことがない。

「ふむ。では良き策を倅と練って参ります。時に大宮司殿は馬には乗れますかな?」

「形だけは教わったことがあります。弓も引いたことはありますが」

「ただわしらの軍勢とわかるといろいろ厄介が置きます。ここは海賊仕置きの総大将に大宮司ご自身がなっていただきたいが、よろしいですかな?」

 そう聞いて季光は戸惑った。

「わ、私めが総大将でございますか?」

「いや、弓や刀を使う必要はござらぬ。わしらの軍監の合図を受けて最初にかかれと軍配を振り、仕舞いに引き上げよと号令するだけの一番楽な仕事じゃから心配はご無用。よもや海賊が近くまで攻めて来ることもありますまい」

「はあ、そういうことであれば、私にも出来ましょうな」

「よろしい。話は決まりましたな。では明後日にも倅と共に参ります」



   ○



 海賊退治の朝がやって来た。

 織田弾正忠三郎信秀の兵わずかに百余りが熱田社の庭に着いた。それで十分な筈だ。

 熱田社の大宮司季光は社務所奥の広間で信秀の馬廻り衆にまず素っ裸にされて、陣中で素早く用を足すための割褌(わりふんどし)を着けられ、鎧直垂(よろいひたたれ)と袴を着けられた。さらに、兜がずれぬよう烏帽子を被らされ、臑当、籠手、袖を着け、横から胴を着せられてゆく。

 季光は「これはきついものでござるな」などと声を上げている。

 軍監となる信秀は鎧を着けているが、戦場(いくさば)に行かない信定は平服のままである。

 兜を被ると季光も一人前の侍大将に見えた。

「はははっ、大宮司殿、なかなかの武者ぶりでおはすな」

「弾正忠殿、からかうのはご遠慮願いたい」

 さらに信秀までが軍配を差し出しながら言う。

「総大将、お似合いでございますぞ」

「ははは、我が子のような歳の三郎殿に言われるとまんざらでもございません。いや熱田社では神事で弓を射るので、若い頃にはかなり練習を重ねてございます」

「それは心強い。いっそ弾正忠家の家臣になっていただけますか?」

「それは今日、手柄を立てればにいたしましょう」

「おっ、三郎、大宮司殿は乗り気でござるぞ」

 一座は大笑いした。


 そこで信定が尋ねる。

「ところで大宮司殿、海賊への話は間違いなく付けましたかな?」

「はい、それはもう言いつけ通りにうまく申しました。

 海賊の頭領を呼びつけて、

『他でもないお主に、熱田社修復のための材木を紀州より熱田まで運んでもらいたいのだ』と言いますと、頭領はもうびっくりでございます。

 当然、『なんでうちらにそんな仕事を頼むんだ?』と怪しみます。

 そこでさも冷ややかに、

『簡単な事に気付いたのじゃ。お主らに頼めばお主ら海賊に襲われる心配がないではないか』         、

 すると頭領め、手を打って、

『あっ、なるほど、そいつは間違いねえ』

『五万貫の半金二万五千貫を今から渡すゆえ、紀州できちんと代金を払うて材木を運んで来たら残りの半金を払おう。それでも利益はお主らのふだんの稼ぎの一年分になろう。真面目に運んでくれれば、これからも時々頼むかもしれんぞ』と持ちかけました。

 すると、頭領、よだれを垂らしそうな口で、

『よし、神主の旦那、乗ったぜ。明日、うちの全ての船を出して間違いなく紀州から届けてやるぜ。こいつは海賊冥利に尽きるぜ』と承知いたしました。

 私はあまりに大殿の言う通りに話が進みますので、子分が二万五千貫をいそいそと運んで去るのを見送りながら吹き出したいのを堪えるので必死でございましたよ。あれほど痛快な交渉は初めてです」

 季光と信定は大笑いする。それに信秀が疑問を投げかけた。

「そやつらが二万五千貫を持ってそのまま逃げる心配はないのでござるか?」

「まあ、見ておれ。うまい話を何度も頼むとまで言うたのだ。悪党を真面目に働かせようとしたら、もっと大きなうまい餌をぶら下げてやることだでの」

「そうでございますか」



   ○



 海賊退治の織田軍勢は夕方には羽豆の村に着いて、漁師たちの船で海賊の島に上陸した。その浜には海賊の船が一隻も残ってない。

 ということはまともに歯向かう者はいないであろう。

「それ、かかれー」

 季光の軍配が翻り、兵たちは「おー」と声を上げ、海賊の家を一軒一軒改めては住人を外に追い出して火を放った。女童と老人しかいないわけだが、歯向かおうとする老人や噛みつきに出る童は縄で縛り上げるだけで済む戦だ。

 海賊の家を全て焼き払うと、季光は「よし勝ちじゃー」と声を上げ「えいえい、おう」の連呼が起こり、退き太鼓の中、織田勢は退却に入る。

 そこで季光が連れて来た新しい手代が、浜でしゃがみ込んで抱き合って震えている三十人余りの女童に語りかけた。

「わしは向かいの村の手代じゃ。この中で拐かされてここに来たがもう帰りたいという者はおるか? その者は村に連れて帰ってやるぞ。いたらここへ来てみよ」

 すると一人の少女が立ち上がり、女が子を連れて立ち上がった。

 どんどん立ち上がるかと思われたが、それは五人だけにとどまった。

 季光は半数以上は尾張や近国から拐かされて来たと考えていたが、海賊への慣れなのか恐怖なのか、逃げたいという者はそれだけだった。

「まあ、よいわ」

 呆気ないような勝ち戦であった。



   ○



 海賊たちは約束通り材木を積んで熱田湊に帰って来た。

 頭領も季光にまた会いにやって来たが、その顔はひどく沈んでいた。

 季光は声を励まして言ってやる。

「おお、ご苦労様でしたな。おかげで助かりましたぞ」

 しかし、頭領の声は力の抜けた「まあな」であった。

「それでは約束のもう半金を用意させます」

「ちょっと待ってくれ。あれはあんたの仕業かい?」

 そう問い詰める声までも沈んでいる。

「仕業と言われますと、何かありましたか?」

 季光はどきどきしながらしらばくれた。

「留守中に島にあったうちらの家を全部焼き払われたんだぞ」

「そ、それはまっことお気の毒な。しかし戦で家を焼かれることはどこでも起こりますことで。ちなみに私どもの仕業ではございませんよ」

「これでは安心して仕事も出来ねえ。考えてみたが同じ場所にまた家を建ててもまた留守に焼かれたらたまったもんじゃねえ」

「なるほど。そうかもしれませんな」

「それでだ。その半金二万五千貫はいらねえから、その代わりにどこか遠い所にうちらの安心出来る家を建ててくれ、頼む」

 季光は頭領の(安心出来る)という言葉に、それはこっちのせりふだと内心で返しながら、思案するように目線を宙に這わせた。

「承知しました。知り合いの伝手を頼って探してみましょう。五日後にまたここに来て頂けますか?」



   ○



 季光は信定に改めて顛末を報告していた。

「ああなると海賊も哀れなものでございますな。結局、遠江の鷲津浜という場所に空き家が数軒まとまってあるのを見つけ、それに新しい家を建てる手配をしてやりました」

 信定が笑った。

「ははは、ていよく海賊を追い払うことが出来たのう」

「全く、織田弾正忠家の策は恐るべきものですなあ。私が大殿と若殿の策の通り話すだけで、海賊があれよあれよと絡め取られてゆく様を見物出来ました」

「それはようござった」

「それでは約束の一万貫を持って来させます」

 信定は「弥太郎、宗兵衛」と従者を呼んで一万貫を運ばせた。

「仕事らしい仕事もせず申し訳ないのう」

「何の、今川那古野には七万貫と言ってありますので私どもも利益はございます」

「ああ、悔しいのう我らより先に今川が熱田社の近くに城を構えるとは。ま、いずれ我が倅殿も城を近くに建てるであろうがの」

「はい、楽しみにしております」

「それではごめんくだされ」

 信定が帰ろうとすると、季光が引き留めた。

「大殿、あれをお忘れではありませんか?」

 信定は目を瞬いて宙を見上げてみたが、忘れ物を思い出せない。

「大宮司殿、わしは何ぞ忘れたかの?」

 すると季光は咳払いして言った。

「初陣を見事勝ち戦としましたゆえ、私は織田弾正忠家に仕官いたします」

「……なっ、」

 信定は拳が入るほどに大口を開いて季光を見返した。

「ま、まことに家臣になられるおつもりかや」

「今回、海賊共の村を見て思うたのでございます。熱田社や熱田湊を守るためには私も武者になって武器も用意しておかねばならぬのです。そして仕官先は縁ある織田弾正忠家しかあり得ません」

 そこで信定は意気込む季光の手を取って言った。

「ありがたや。このお方がわが織田弾正忠家の家臣になってくださるとはのう。大宮司殿は神兵でござるぞ。他の大名に神兵のおるところなぞなかなかあろう筈もない。まさに素戔嗚大神のお導きじゃ、ありがたや、ありがたや」

 信定が涙ぐむと季光は「大殿、大袈裟がすぎましょう」と照れるが、信定はしばらく季光の手を握って離さなかった。




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