女の戦い
野球ですが、神様は出てきません
六年二組の教室、給食の時間、古屋あんり(通称ふーちん)が楽しみに最後までとっておいた海老フライを、クラスメイトで親友の中島 三月が食べてしまったことから、この出来事は始まった。
三月が言うには、最後まで残していたから、嫌いなものだと思って食べてあげたと主張。当然食べられたあんりは納得しない。
こうして二人は喧嘩状態。取っ組み合い、ではなく、口をきかない状態、というやつだ。しかしもとは親友同士の二人。気まずい状態のまま月曜日を迎えるのは避けたいと思ったのか、翌日、あんりが決着をつけるべく、三月にメールをよこしたのだ。「学校で待っている」と。
(考えるまでもなく、僕は関係ないんだけど……)
三月の双子の弟である弥生は、立ち会人として強引に姉に連れられて、小学校のグラウンドに来ていた。せっかくの土曜日、休日なのに。
寒いせいもあって、グラウンドに人の姿はほとんどなかった。弥生と、当事者の二人のみである。
「さぁ三月、謝るなら、今のうちだよ」
その一人である古屋あんりは、休みなのに体操着姿で、右手に持った金属バットを、三月に突き付けていた。
だが三月におびえる様子はない。右手に握るボールを見せつけるように応じる。
「ふんっ。そんなんでわたしを倒せると思っているわけ? ふーちんのバットがわたしに届くよりも先に、この右手の白球があんたをとらえる方が早いよ」
「試してみる?」
「とーぜん」
弥生は要約して言った。
「……つまり、野球で勝負するってことだね」
バッターボックスで、あんりがルールを説明した。
「アウトを取れば三月の勝ち。ヒット、もしくは四球などそれ以外で出塁した場合は、あたしの勝ち。それでいいよね?」
「えぇ。いいわよ」
マウンド上で三月がうなずく。
マウンドといっても、小学校のグラウンド。土が盛ってあるわけでもなく、プレート代わりの線を引いただけである。塁もルール上、一塁ベースがあるだけ。バッターボックスの方も、用具置き場から持ってきたホームベースがを置いただけ。打者のあんりはヘルメットをかぶっていないし、捕手もいない。
ちなみに、弥生は審判役をさせられた。
「よーしっ、こい」
あんりが、バットを掲げて、予告ホームランポーズを取る。けどバットの重さで手が震えているので、まるでしまらない。
三月がふっと笑って、両手を頭上に持ち上げる。軽く上げた左足を踏み込み、右手を振るった。
かしゃーん。
投じた白球がホームベース後ろのフェンスに当たった。
ボールはベースの上のまん真ん中を通った。あんりはバットを振っていない。
「えーと……、ストラーイク」
弥生がコールする。
三月はリトルリーグに入っているわけではないけど、運動神経がよく、休み時間や放課後に野球のまねごともよくやっている。彼女より速い球を投げられる児童は、男子でもそうそういないらしい。
「……むぅ」
さすがのあんりも少し驚いた様子である。それを横目に見ながら、弥生はボールを拾って、三月に投げ返した。
二球目。ボールがくいっと曲がった。カーブである。あんりは手を出せずに見送り。
「えっと、ストライク?」
正直、正確なストライクゾーンは、分からないけど、三月が自慢げで、あんりが手も足もでなかった感じなので、ストライクにしてみた。双方からのクレームはなかった。
これで2ストライクである。
「ふっふっふ。ふーちんにはカーブは高等すぎたかな?」
「ふん。見切ったのだ。次は……」
あんりが、また予告ホームランポーズを取ろうとするが、それを無視して三月は三球目を投じた。遊び球なしの三球勝負。完全に振り遅れたあんりのバットが空を切った。
三振、勝負終了。
と思ったら、あんりは、バットを放り投げ、一塁に向かってゆっくりと走り出した。
内野ゴロどころか、ファールにすらなっていないはずだけど……
同じくぼうぜんと見送る三月をよそに、一塁ベースに達したあんりが胸を張って答えた。
「どーだぁ。振り逃げっ」
「――って、そんなのアリっ? 三振したんだから、私の勝ちでしょ」
「でもでも、アウトになっていないし、一塁にも行ったよ」
「キャッチャーいないんだから、反則!」
えーと、やばい、これって審判の判断で勝負が決まる展開?
責任の重大さを心配した弥生だったが、それに関しては杞憂に終わった。
「仕方ないなぁ。今回は特別にノーカンということで。そのかわり、次からは、弥生くんが、キャッチャーやって」
「ええっ」
巻き込まれた。
けれど逃げたところで、姉の三月とは家でどうせ会うんだし、審判として見ているより、いっそ勝負に参加した方が、とばっちりは少ないかもしれない。
弥生はそう思うことにして、用具置き場からキャッチャーミットを取りに行くのであった。
……どーでもいいけど、この二人、海老フライのことなんてすっかり忘れてるんだろうなぁ。
勝負再開である。
弥生がキャッチャーミットを取りに行っている間、あんりは次なる作戦を考えていた。
さすがに、振り逃げで納得するほど、三月は甘くなかった。だがしかし、まだ手は残っているのだっ。名付けてーー
三月が一球目を投じた。
すぱんっ、と小気味よい音が響いて、弥生のミットにボールが収まった。一拍遅れて振ったバットは、当然のように空を切った。
……むぅ。
バットを振った遠心力で、身体ごと一回転する。弥生のグローブを見ると、ちゃんとボールが収まっていた。
「へぇ弥生くん、ちゃんと取れるんだねー」
容姿はそっくりでも正確は正反対の二人。運動は駄目なものだと思っていたので、少し感心した。さすが男の子。
「まぁ、ちょっと前まで、お姉ちゃんのキャッチボールに付き合わされていたし。コントロールいいから、投げられたボールを取ることぐらいはできるよ。むしろ僕は、あんりさんが振ったバットが手を離れて飛んできそうな方が、怖かったりするんだけど」
「はっはっは。御冗談を」
「どーしたの、全くタイミングが合っていないじゃん。悲しいほどの空振りね。どう? ハンデでもあげよっか?」
マウンド上で三月が、上から目線(別にマウンドは高くないけど)で提案をしてきた。あんりの計算していたとおりの展開だ。にやり。
「じゃあ、ボールをバットに当てられたら、あたしの勝ちってことで」
「……ずいぶん難易度が下がったわね」
さすがに即答はしなかったけど、三月の性格上、逃げることはないはず。
「ま、いっか。当てられるようなら、当ててみろ」
二球目。思いっきり投げられたストレート。あんりは動いた。
「かかったなっ。必殺、一人送りバント――っぁゎっ」
バントをしようとしたあんりは大きくのけぞった。
百キロ近いボールに、野球素人がバントしようと思っても、簡単に当てられるものではなかった。むしろボールが顔に近くて怖い。それが分かってて、三月はハンデを認めたのだろう。
「どーよ。あと一球よ」
「まだ一球、残っているのだ」
バットを構えるあんり。バントは危険なので諦めた。けどまだ焦りの様子は見せない。そして三球目。三月の投じた白球は、弥生のミットに収まり、あんりのバットは空を切った。
今度は振り逃げもできない。
「どーだっ。これで文句ないでしょ」
三月がマウンドで胸を張る。あんりは無視して、弥生に向かって言った。
「弥生くん、そこにボールを置いて」
「……うん」
地面に置かれたボールに、あんりはバットをこつんとぶつけた。
「どーだぁ。バットに当てたよ」
「小学生かっ!」
思わず突っ込みを入れる三月に、あんりは平然と答えた。
「小学生だよー」
「開き直るなッ」
小学生は事実だけど、さすがに高学年でやるレベルではなかったようだ。三月は納得せず、宣言した。
「もうハンデなしっ。正真正銘の真剣勝負で決着をつけるよ」
「分かったのだ」
あんりは受けてたつことにした。もう十分楽しんだので、勝負は二の次……というわけではない。
勝機はある。まだ三月はこのルールの穴に気づいていないから。
ボールを右手で弄びながら三月は思った。
まさか、あんりとスポーツ勝負でここまで手こずるとは予想外だった。だけど大丈夫。ちゃんとしたルールのもと、冷静になれば、負けるはずはない。
三月は心を落ち着けて、一球目、ストレートを投じた。空振り。ーーうしっ。
続く二球目も直球だ。本当はカーブを投げてやりたいんだけど、弥生が取れず、また振り逃げされたらたまらない。
あれ? 振り逃げって、二球目じゃできないんだっけ?
なんてことを考えつつ投げたのが失敗だった。勝負を決める三球目でもなかったのも災いした。
やや気の抜けた直球に対し、だんだんバットを振るうことに慣れてきたあんりのバットが、捉えたのだ。詰まっているが、前に飛ぶ。三月のやや左、ピッチャー返し。だが、
「させるかぁっ」
三月は、投げ終わった態勢を素早く戻して、転がってきたボールに手に収めた。
「よっしゃーっ。これで、どうだ。今度こそ……」
言いかけて三月が固まった。あんりは一塁に向かって走っていた。しかしその一塁にボールを投げようにも、人がいないし。
結局、あんりは悠々セーフ。一塁上で右手を掲げた。
「びくとりー♪」
……
…………まさかの、敗北?
いや、まだ終わったわけではない。
「納得いかない。今度は投打を逆にして勝負よ」
「わかったのだ」
あんりのことだから、難癖をつけて断るかと思ったけど、あっさり了承した。打たれても引き分けだから、と思っているのか、調子に乗っているのか。
三月は、こっそりと笑みを浮かべた。
――これで負けはなくなった。
早く家に帰ってゲームしたい。
しみじみと弥生は思った。
攻守交替し、あんりが投手、三月が打者となった。けれど弥生の役割は変わずキャッチャー兼審判である。
「ルールは一緒……いや一緒じゃ、わたしが勝つにきまってるから、もっとハンデあげよっか。さっきのふーちんみたいな、ぼてぼてのゴロはアウトでいいよ。明らかなホームランでわたしの勝ちってことで」
……そんなこと言っていいのだろうか? それとも秘策があるのだろうか。
あんりが第一球を、放り投げた。
ふわり山なりのボールは、別にスローカーブでもなんでもない。ベース手前でぽとりと落ちて、ころころとあさっての方向へ転がって行った。ボール。
なるほど――
「ほらほら。ボール、ワンよ」
「むうぅぅ」
――あんりでは、ボールがホームベースまで届かないのだ。
確かにこれじゃルールを変えたところで、四球は確定である。
二球目。あんりは投げ方を変えた。アンダースローというより、ソフトボールの投手のような投げ方だ。けれど、とってつけたフォームに加え彼女の力である。白球はあっさり地面に落ちて転がった。
これじゃあソフトボールでもなく、ボーリング……
なんて弥生が考えていたら、突如あんりが叫んだ。
「キックベースっ」
「――なっ」
三月は反射的にバットを放り投げ、転がってきたボールを右足で蹴り飛ばした。だがジャストミートせず、ファールゾーンに転がった。
「くっ――ボールが小さくて蹴りにくいっ」
「……別に、わざわざ付き合わなくてもいいと思うけど」
ファールとなったボールを拾いつつ、弥生はつぶやいた。
「売られたケンカは買う主義なのっ。それに、やっぱりフォアボールじゃ勝った気にならないもん。力の差を見せつけてやるのよ」
「はぁ……」
だが三月の気合いに反して、その後の三球はでこぼこのグラウンドのせいで、まっすぐ転がらず、ボールみっつで、四球となったのである。
勝負、引き分け。
双方とも、納得のいかない様子だった。
その結果……
「よしっ、次はPK勝負よ」
「望むところなのだっ」
「……僕、もう帰っていい?」
盛り上がる二人をしり目に、弥生はため息をつくのであった。
お読みいただき、ありがとうございました。
休日の用具入れに勝手に入られるのか、というつっこみはご容赦ください(笑)