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近づく二人


 ブラッド辺境伯領 領主館 



 新たに始まった辺境伯家での暮らしにマリアンヌは慣れずにいた。


 馬小屋で暮らしていたころとは、あまりにもかけ離れすぎていたからだ。


 幼少期の記憶はもう消えて久しい。こんなにも世話を焼かれることに慣れる日がくるのだろうかと、考えてしまう場面は数知れず。


 独り立ちには必要だと、オスカーは家庭教師までをも手配してくれていた。


 各国の最新情勢や地理、経済など、幅広く教えてもらえる。


 その授業が先ほど終わり、マリアンヌは自室に戻ったところだ。


 いまは、教えてもらった内容を整理し、書きつけに間違いがないか確認している。


(ちゃんと書けたわね。次は、ザックへの手紙ね)


 内容に取りこぼしがないと確認したマリアンヌは、近況を記した手紙をしたためはじめた。


 紙の上にペンを走らせる。


(むずかしい……)


 手紙の書き方は知っていたが、書くのは初めてだ。


 マリアンヌは書き上げたものを読み直したが、上手く書けているとは思えない。


(これ以上は、いまは書けないわね)


 マリアンヌは手紙をたたみはじめる。


 手紙は手のひらに握り込めるサイズになった。


 それより少し大きいサイズの革袋を棚から取り出し、手紙を中に入れる。


 飛び出すことがないよう、きつく口を縛ると、マリアンヌは後ろに振り返り、テーブルの上の絆鳥の籠をみた。


 籠は中で仕切られていて、扉がひとつずつ。


 片方の扉を開けると、一羽がひょこりと顔を出した。


「さあ、こっちよ」


 マリアンヌがパンのかけらをテーブルに置くと、絆鳥は籠からぬけだし、パンをつつきだす。


 夢中になっているあいだに、足に革袋をくくりつける。


 ザックとのやり取りはオスカーから許可がでている。


 むしろウェンリー子爵家の動向把握のため推奨されたほどだ。


「これならとれないわね……。さあ、いきなさい」


 部屋の窓をあけ、うながすように鳥の背をなでる。


 窓の方向にタタッと二歩加速した絆鳥は、一枚の羽をフワリと残して飛び立っていった。




 行動の制限もなく、上流階級の知識を吸収する毎日。世話を焼かれることに、いまだ慣れないマリアンヌの日々は続いている。


 せめてなにかお返しを、と考え女中たちに何か手伝えることはないか聞くが、困った顔をされるばかり。


 辺境伯家にきてから季節も変わるころ。マリアンヌはソフィアに相談をした。


「奥さまは、お館さまへご好意をお持ちと拝察致します」


 ソフィアは優雅な所作で花茶をカップに注ぐと、マリアンヌの前に差し出した。


「あの……それとお返しの件はなにか関係が」


「はっきりと申し上げますと家中のものへのお返し、これはお館さまと真の意味でご夫婦になって頂くことが一番でございます。しかしまだご好意に留まるであろうお気持ちを一足飛びにとはできません。お館さまも線を引いておられますし」


 ソフィアがいっきにまくしたてるので、マリアンヌはなんと答えてよいか困り、苦笑をこぼした。


 抱きとめてもらったあの日から、オスカーをみると胸の奥が跳ねたり息が詰まったりするのは間違いない。


 けれどそれがなんなのか、はっきりと言葉にするのは難しい。


「そこでですが。まずはお館さまとお近づき頂ければと存じます」


 オスカーは、恩人の娘であるマリアンヌに手を出さぬと態度で示しているが、家臣たちはそうはさせぬと上から下まで団結していた。


 これまで何人もの候補達が逃げ出したのだ。


 恩返しのつもりであった救出相手が、まさか呪いを無効化し、しかも、どうみても恋におちている。


 家臣たちのなかでは、これまでの暮らしぶりからも、マリアンヌに人格的な問題はないと最終判断済みだ。


 恋愛のことなどわかるはずもない人生を歩んだマリアンヌをサポートするため、ソフィアたちは動きはじめた。


「ソフィア……あ、あのね?」


「策はこうでございます」


「あっ、はい」


 ソフィアの有無を言わさぬ真剣な眼差しにマリアンヌはそう答えるしかなかった。




 ソフィアへ相談した日より二日後。


 昼下がり、マリアンヌは辺境伯邸の厩舎前にいた。


 もうそろそろ帰ってくるころだろう、と考えていると、馬蹄の音がのどかに響く。


 すると、目隠しの庭木が途切れた先に、馬に乗ったオスカーが進みでてきた。


 背に光を浴びる馬上の姿をみて、マリアンヌはほうと息をもらす。


 オスカーはマリアンヌの近くまでくると軽やかに下馬し、問いかけた。


「女中たちは……ああ、近くにはいるのか」


 オスカーが周辺を見渡すと、少しだけ離れたところに女中たちがいた。


(最近、なにかと二人きりにさせようとする)


 オスカーは、少し困ったというような顔で笑った。


「お帰りなさいませ。今日は馬のお世話のお手伝いをさせて頂きたくて」


「ありがとう。しかし世話などは……」


「慣れていますから」


 マリアンヌは馬のくつわを手慣れた様子で引き、厩舎へと誘導をはじめる。馬も嫌がる様子はない。


 ——とにかく二人の時間を作れば、自然と距離も縮まる。


 オスカーは馬の世話に熱心であり、それを手伝うことはより距離が近づくはずで、マリアンヌの経験も上手く働く。


 ソフィアの策は、うまくころがりだした。


 オスカーは何もいわずついてくる。煙たがられている様子もない。


 離れた場所で見守るソフィアは、力強くうなずいて二人を注視している。


 マリアンヌは、馬房の前につくと馬装をほどいていく。


頭絡(とうらく)は……」


 オスカーがいい切るまえに、マリアンヌは手綱を馬の首にかけ頭絡を外していた。


 既に無口をかけだしている。


「手早いな」


 オスカーは少し驚きつつも笑った顔をみせた。


 マリアンヌはオスカーの反応に嬉しくなり、思わずはにかんだ。


 実家では、こういった作業を使用人たちにみせても、褒めてはくれるが、どこか悲しい目をして見つめられたからだ。


 ロープを無口にかけて反対側を柵に結ぶ。腹帯を緩め、くらとあぶみを外す。


「今日は少し暑いので水洗いしてやろう」


 オスカーは井戸からたらいに水をくむと、マリアンヌをその場から退かせ、水をかけはじめた。


 一通りかけおわると次は、乾いた布で優しく水気を拭きとる。


 丁寧に、労いを込めた柔らかな動きだ。


「とても大切にされておられるのですね」


 気持ちよさそうに首を振る馬の顔を撫でながら、マリアンヌはオスカーをみた。


「ヴァルマーという。もう老齢だが、まだまだ走りたがる」


「ヴァルマー……風の神と同じ」


「ああ、風を切り裂いて走る姿からそう名付けたんだ。コイツに何度、戦場で助けられたことか」


「まあ、あなたすごいのね」


 オスカーの紹介にマリアンヌは、ヴァルマーの顔を撫で頬を寄せた。


 ヴァルマーは「そうだ」と言わんばかりに前脚をかつかつと鳴らす。


「君は馬が好きなのか」


「……好きですね」


「わたしもだ。呪いを受けてから人も魔物も、みなわたしを恐れたが、この馬だけはわたしを恐れなかった。コイツがいなければわたしは……」


 オスカーの独白、小さな呟きは普段なら聞き取れるような大きさではなかったが、マリアンヌの耳はハッキリと聞きとった。


「……っと、こんな話はつまらないな」


「わたしも馬だけが友達でした」


 馬は、世話をする人間には好意を見せる。


 孤立に追い込まれていたマリアンヌにとって、馬は友と呼べる存在だった。


 オスカーが味わってきた孤独、その一端。


 それにマリアンヌは共感を覚えた。


 ヴァルマーを間に、二人の視線は交差した。


「君は本当にオレが怖くないのだな……」


 オスカーの瞳がマリアンヌを遠慮がちにとらえた。


「はい。ですからもっと、オスカー様のことが知りたいと——!」

 

 途中まで話して、マリアンヌは言葉に詰まり、下を向いた。


(こ、これ以上は、は、恥ずかしい……!)


「わ、わたしも君のことはもっと知りたい……」


 自分が言ったことに恥ずかしさを感じて、うつむくマリアンヌ。


 それをフォローするように、オスカーが声をかけるが、その顔もまた赤みを帯び、熱を冷ますように上を向いている。


 その日、マリアンヌの淡い恋心はハッキリと色を帯び、オスカーの暗い視界には一筋の光がさした。


 



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