最終話
いよいよ――この日がやってきてしまった。私とエドワードは陛下の御前に呼ばれ、その場で跪く。
「エドワード、ちえ、面を上げよ」
視線を上げ、陛下のお顔を見つめた。いつもの通り鷹揚に、長い足を組んで玉座に鎮座し、アメジスト色の瞳がこちらを見据えている。
「この度は大儀であった。記念式典、そしてその後のインタビューにおいても、遺憾なく力を発揮してくれた。心より礼を言う」
「ありがたきお言葉にございます」
「このたびの功績に対し、褒美をもたらす。エドワード、前へ」
「はっ」
「そなたには、広報官長の地位を与える。新しく設置した役職だ。引き続き、皇帝直轄書記官からの情報の管理、そして余の各地での演説機会の補助業務について、そなたに任せたいと思う」
「ありがたき任を賜り、光栄にございます」
エドワードは委任状を受け取り、礼をして脇に控えた。
「次に、ちえ、そなたには……」
周囲からかすかに笑い声が聞こえる。――おそらく今回の私の報奨について、口を出した人間たちだろう。皇帝陛下の次の言葉を、今か今かと待っている様子が伺えた。陛下は目を瞑り、唇に笑みをたたえて一拍おいてから、言葉を紡いだ。
「そなたには、永遠の自由を授けよう。広報官の任を解く」
会場にどよめきが走った。途端に書記官長と後宮長が口を挟んだ。
「恐れながら陛下! ちえは今回のお役目において、優れた成果を残しました。彼女には皇妃の地位をと陛下もおっしゃっていたではありませんか。ネトピリカの法律上、機密情報を数多く握っている彼女を、外に出すことはできません!」
(うーんなるほど。そんなに私が気に入らないなら、うまくやって解雇すればいいじゃんと思っていたんだけど。与えられた地位が地位だけに、簡単には解雇できないわけね。それで後宮に押し込む算段だったのか……)
「仕方ないではないか。フラレてしまったのだから」
とぼけた顔で、飄々と陛下はそう答えた。
「フラレ……陛下になんてことを! ええい! この無礼者をひっとらえよ!」
面白いことが始まった、といったような顔をして、陛下が私に向かって言った。
「ちえ、どこまででも逃げよ。捕まるなよ」
私は陛下のその言葉に、満面の笑みで応えた。
「……陛下もお元気で! ありがとうございました」
エドワードが指を鳴らすと、天井から大きな網が落ちてきた。その場にいた書記官たちは、天井から急に落ちてきた網にがっつり捕まり、身動きがとれないでいる。網を落としたのはアンと侍女たちだった。私は協力してくれた仲間たちにお礼を言いながら、広間から思い切り駆け出した。
――舞踏会の夜、私が出した結論は、「陛下と直接話すこと」だった。憶測で行動することは最も愚かだと思ったのだ。まずは陛下の真意を確かめるべく、エドワードとシンにもついてきてもらい、陛下の執務室で、率直に陛下に質問を投げかけた。
「陛下、私をお呼びだとお聞きしました。一体どのようなご用件でしたでしょうか」
陛下はうしろの二人にチラリと視線を送り、少々気まずそうにしながら、私の質問に答えた。
「ああ……そうだ。できれば二人で話したかったのだが……。今回の報奨だが――ちえの予想を超える貢献をたたえ、余はそなたを皇妃にと考えている。そなたのような賢い女性が、余のこれからの国政を隣で支えてくれるなら、心強い。――ただ、こちらから一方的に伝えるのではなく、正式に伝える前にちえの気持ちを聞きたくてな」
ああ。やっぱり私が尊敬している陛下だ。命令すれば済むことなのに、私には立場上断る権利もないのに、ちゃんと、私の話を聞いてくれる。こっそり逃げずに、直接話に来て本当によかった。
「陛下……私、城の外でやりたいことがあるんです。この国ではない、別の場所で」
私の言葉を聞いて、少し寂しげな色を浮かべた陛下だったが、すぐに真面目な顔になり、言葉を継いだ。
「……それは、ここではできないことなのか」
私の表情を見て、その意志がゆるぎないものであることを悟ったのだろう。少し残念な顔をした陛下に向けて、私は正直に自分の気持ちを打ち明けた。
「私、以前居た国で、仕事で失敗ばかりしていたんです。人からどう見られるかばかり気にして、真摯に仕事に向き合えていなくて。……自分のトラウマを理由に逃げていたんです。
逃げるようにこの国へ来て、さまざまな人と出会って、成長させてもらって……ここまで来ることができました。だから……もう一度、自分の国で挑戦してきたいんです。『使えないやつ』のレッテルをはられたまま、逃げ続けたくなくて。だから……ごめんなさい」
私の言葉を聞いた陛下は、天井を仰ぎ、小さくため息をついたあと、再び私の瞳を見つめた。
「……うむ、そなたの気持ちはわかった。余の言葉は忘れてくれていい。どこへでも行って、そして、思い切り生きてこい。
……余は武官として長くすごしてきた。それゆえ、命の危険に合うこともあった。悔いを残したまま、死ぬ同胞の涙を見たこともある。果たせぬ思いを抱えたまま死ぬことほど、辛いことはない。お前が悔いのないよう、生きたいように生きよ。この度は大義であった。この国に立ち寄ることがあれば……また、一緒に酒を飲もう。ただ……最後まで仕事はやり遂げてもらおう」
「うむ、なんとかスタートダッシュはうまくいったようだなあ」
ちえの逃げた先を、陛下は嬉しそうに眺めていた。
「何をおっしゃいますか! すぐにひっ捕らえねば。三ヶ月の契約期間を終えずに、外に機密情報を持ち出す行為は犯罪です。捕まえたら即刻斬首の刑に処しましょう」
書記官長は意気揚々と持論を述べている。俺は陛下のそばに控えながら、ため息をついた。
「ところで書記官長。ちえが広報官として頭角を現し始めた頃から、これまで何度か、ちえの飲み物に毒物が入れられていたことがあってな。出どころを調べると――誰と、誰にあたったか、知りたいか?」
書記官長は、その言葉にピクリ、と反応した。陛下はニヤリと笑って続けた。
「後宮長は、自分のところの娘を、ちえの補佐官として、何度も推薦してきていたな。広報という仕事を、皇帝に娘を近づけるために都合のいい仕事だと考えたのか――。
ちえが今は必要ないと言ったのを、根に持っていたとも聞いている。極めつけにお前たち二人は、余が取り決めた報奨の内容を、否定し、余が称賛に値すると判断した人間を、捕らえて殺せと申した。不敬罪というのは、こういう時のためにあるものだと思わんか?」
書記官長と後宮長は、縮み上がり、その場にひれ伏した。陛下はその場に居た書記官たちを見渡し、続けた。
「どうも我が組織は、出世欲のために、他者を蹴落とし、上のものに真実を伝えず媚びへつらうのを良しとする嫌な空気がある。余は、国民の生活の質を向上させるという目的を達成するためには――この腐った組織から一度生まれ変わらせる必要があると思っている。 ――他者を陥れる余裕があるのであれば、その余裕を、目の前の仕事に向けよ。やるべきことは山ほどある」
蛇に睨まれたカエルのような顔をしていた皇帝に睨まれた書記官たちを見て、俺はひそかに頬をゆるめた。これから始まる新しい時代を感じ、俺は清々しい気持ちになった。本当に、俺はこの陛下の近くで仕事を続けられることが、幸せだと思った。
「エドワードよ。お前は見送りに行ってきたらどうだ。……お前も、自分の気持ちをはっきり伝えてきたほうがいいのではないか」
そばに控える自分に向けて、そう小声で気遣いを見せた我が主君に対し、俺は晴れやかな笑顔で返した。
「ありがとうございます。でも、俺ももうスッパリ、振られてしまったんです。ですから見送りは……彼に任せることにします」
陛下はその言葉を聞き、目を丸くした後、「そうか」と苦笑いをした。
王城の中を爆走し、事前に下調べしたルートを走りながら出口へ向かった。まだ衛兵が後ろから五・六人追いかけてくるのがちらりと見える。
(えー! 陛下、書記官長と後宮長をとっ捕まえたら、もう誰も追いかけて来ないはずっていってたじゃない! もしかして、もう追いかけないで良いっていう指示、あの人たちに伝わってない? それともうまくいかなかったとか?)
王城の庭園をジグザグに抜けながら、ぎりぎりのところでなんとか追手をかわしていく。御前会議が開かれている場所から目標地点までは、一キロほど。走り続ける体力が持つかが心配だったが、頑張るしかない。
走りながら、植木の枝をちぎってはうしろに投げ、ちぎってはうしろに投げしながら、なんとか……地上に続く、門扉のあたりが見えてきた。
階段は、紋章の入ったアイテムがないと使用することが出来ない。ゴタゴタの収拾を待ってから正式な手続きを踏んで王城を出ようとすれば、いつここから出してもらえるかわからないという陛下の助言から、強行突破することにしたが。逃亡手段を用意しているというのがシンというところに、一抹の不安を覚えていた。
「ちえ、こっちだ! 捕まれー!」
シンが用意していたのは……なんとパラグライダーだった。
「シン……それ、ほんとにだいじょうぶ?!」
彼に駆け寄りながら、不安な気持ちをそのまま叫んだ。
「昔趣味でやっててよ。自作したわけだが。ま、なんとかなんだろ」
なんて器用なやつだ。でも安全性は大丈夫なのだろうか。だが、うしろから追っ手が迫ってきているし、安全性への懸念は一旦捨てて、シンが握るパラグライダーを私も思い切り掴んだ。
「絶対離すなよ! 離したら死ぬからな!」
「うわああああ」
シンと一緒に、勢いよく空へ飛び出る。飛び出した際、左からの風に煽られ、体勢を崩しかけたが、シンがすかさず立て直した。雲の中に入ったのか、目の前が真っ白になった。雲の粒子が頬に触れ、冷たさを感じる。ほんの数秒後には、雲海を抜けたのか、急に視界がひらけた。
そこには、絵画のような、夢のような風景が広がっていた。
「うわあ……」
思わず声が漏れ出た。ネトピリカを空中から見て、改めて本当に、本当に美しい国だと思った。青々とした緑の森、キラキラと輝く運河に浮かぶ帆船、そして、サファイアを散りばめたような青い海。この世界についた時、海から見た風景を今度は空から見下ろしている。この国で出会った、たくさんの素敵な人々の顔が思い出され、別れの寂しさが押し寄せてきた。
「シン……。シンは本当にこっちに残るの?」
「なんだよ、寂しいのかよ。――お前に触発されて始めた事業、投げ出してちえと一緒に行くわけには行かねえだろ。それに。お前もどうしてもいくんだろ」
「……うん。三年間思い切りやってきてみる。この世界でやってきたこと思い切りぶつけて。『落ちこぼれ広報コンサル』の汚名を返上してくるよ。そしたらさ――」
「そしたら?」
「お嫁さん兼観光事業の広報担当として雇ってくれる?」
「あったりまえだろ!」
頬を寄せ合いながら、二人でクスクス笑った。次に会うことができるのは、私が後悔を晴らしたあとの少し先の未来。楽しかった思い出を思い返し、少し寂しさを残しながら、私たちは青空の下で口付けを交わした。
エルメのほったて小屋がある砂浜へ着地すると、そこにはテルメトス一家と、エルメが待っていた。私の姿を見るなり、目に涙をいっぱいためたテトラとアドラが私を抱きしめた。
「あんたはもう! 急に居なくなって! 心配したんだから――でも無事でよかったよおおおお」
テトラはグシャグシャに泣きながら、私に向かって叫んだ。
「そうよ、みんな心配で。私も旦那もテトラも、仕事が手につかなくて……。でも本当に無事で良かった」
懐かしい顔ぶれを瞳に映すと、私も涙が止まらなくなった。
「ほんとに、ほんとに……ご心配をおかけしました。でもテルメトスで学ばせていただいたことが、たくさん役に立ったんですよ! 本当に、みなさんと逢えてよかった」
一歩下がって様子を見ていたアルフレドが声をかけてくれる。
「ちえ、シンから聞いたけど、本当に自分の国へ帰っちゃうの? ずっとうちに住んでくれてもいいんだよ? ようやく王城から開放されたんだし。もう少しゆっくりしていっても……」
アルフレドの言葉に、会心の笑みを浮かべ、そして迷いなく応える。
「勢いが大事って、誰かさんに言われたので!」
その言葉を聞いて、シンが吹き出した。
「……またそのうち顔だします。エルメさんも……色々ありがとうございました」
「どうせシンは貰い手がねえからよ。たぶんずっと待ってると思うんだよな。はええとこ、やることやって戻ってきて、貰いにきてやってくれよ。こいつが干からびたワカメみてえになる前によ」
「だから……ジジイ……そういう話はやめろって……」
あいかわらず真顔でシンをおちょくるエルメを見て、この世界へきた初日の自分が思い起された。あんなに人と接することにおびえていた自分が、こんなに変わることができたのは、こうして自分を支えてくれた暖かな人たちがいたから。そして、自分の力で踏み出す勇気。
(きっと、今の私なら大丈夫)
「――皆さん、また会いましょう! どうかそれまで、お元気で」
最後は笑顔で――シンとともに、光の航路へ向かった。まったく不安がないといったらうそになるが、心はあたたかな希望に満ち溢れている。自分が学んできたことを反芻しながら、決意も新たに私は拳に力を込めた。
半年間行方不明だった黒瀬ちえが、突然故郷の桟橋で発見された。
以前とは別人と思えるほど明るく、前向きになった彼女は、元いた会社に復帰し、破竹の勢いで実績を上げた。その後、三年でディレクターにまで上り詰めた彼女は、「結婚するので退社します」と会社に伝え、姿を消した。どこの誰と結婚するのか、どこに住むのかということは一切口にしなかったが、彼女は一部の親しい同僚には、こう説明していたという。
「次はね、夫と、幻の国の観光事業のPRに取り組むんです。面白そうでしょ?」
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最後までお読みいただきありがとうございました!
ピッコマで電子版限定SSが公開されていますので、もしよろしければそちらもご覧くださいませ(単話で読めます)。エドワードとシン、ちえのその後の物語を描いています☆




