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私が、皇帝陛下の……

 突然の修羅場の中に飛び込んできた「皇帝陛下の呼び出し」という言葉に、理解が追いつかない。あっけにとられたのは私だけではなく、その場に居たエドワードもシンも目を見開いている。


 舞踏会中に一書記官を、しかもドレスを着ているとわかっている書記官を、皇帝が呼び出すことは考えられない。私は今日の職務をすべて終えているし、今このときに想定される呼び出しの内容が、まったく考えつかなかった。


「ちえ、とりあえず行ってください。俺もあとから行きます。大丈夫です、この男をボコボコにしてブタ箱に打ち込むことは、残念ながらできないようなので、ご安心を」


「おい! ――ったく、皇帝陛下のお呼びとあれば仕方ないな……またあとでな」


 私はエドワードに会釈し、シンに「ごめんね」のポーズをしながら、とりあえずアンに続いた。


 お行儀が悪いのはわかっていたが、何しろドレスに慣れていないので、両腕ですそを抱えながら小走りでついていく。


「アン、ちなみに用件は聞いている? 場合によっては、一回ドレス脱いで、必要な資料を持って御前に行かないといけないかと思って」


 急ぎながら、しかし侍女としての優雅さは保ちながら私を先導するアンは、振り向いて私の問いに答える。


「書類等は特に聞き及んでおりません。ただ、そのままの格好でお連れするように、とは言われています」


「うーん、そうかあ」


 陛下の立ち位置から一番近いであろう裏口から会場に入り、目立たないようにアンが誘導してくれた。


 人目につく場所に来るタイミングでスカートのすそをおろし、手近にあった姿見で身なりを確認する。ホールに入ると、すぐに私に気づいた陛下に声をかけられた。


「おお、ちえ、来たか」


 陛下は演説のときとは装いを変えており、昼間肩までたらしていた長髪は、うしろにまとめられている。白い詰襟の上着には、金糸で若草模様の刺繍が施されており、陛下の美しい顔立ちを浮き立たせていた。


 西洋の王子様が来ているような衣装に似ているが、刺繍の柄からどことなくエスニックな香りのする、不思議な衣装だ。


 上座側のダンスホールは、使われている絨毯もカーテンも超一級品であることがひと目見てわかる。その場にいるご婦人方も皆、気品があり、豪勢なドレスを来ていた。まるで歩く宝石のよう。


 皇帝が指示して用意させたものということを考えれば、私のドレスも見劣りはしないのだが、来ている本人がまずい。できることならこの空間からは一刻も早く出たい。


「へ……陛下。一体どんなご用件でしょうか」


「面白いことを言うな。ダンスホールに立った男女がすることなど、一つしかないではないか」


「……あの……来賓の皆様へのご挨拶は……」


「もう済ませた! そなたと踊りたかったからな!」


「うわっ……え……陛下……お待ち下さい!」


 陛下は私の言葉を最後まで聞かず、ホールのセンターまで引っ張っていかれた。曲が始まると、緊張は最高潮に達した。


(さっきダンスを覚えたばかりのペーペーがセンターはきついですう…!)


 泣きべそをかく手前の私を見て、陛下は豪快に笑う。


「大丈夫だ。先ほど楽団に、初心者でも踊りやすい曲を頼んでおいた。あとは、余に体をあずけて楽しむが良い」


 私のとまどいなど無視するように、軽快な音楽が始まる。陛下は私の腰を抱き、ゆっくりと踊り始めた。陛下のお顔が近い。緊張は最高潮に達し、意識はホワイトアウト寸前だ。いっそこのまま溶けて消えてしまえたらと、心から願った。


 皇帝陛下と踊っているという心理的重圧が、足を動かせば動かすほど、重たくなっている気がする。ガチガチになりながらも、なんとかステップをこなしている私の様子を見て、陛下は気遣いがちに口を開く。


「そんなに堅くならなくても良かろう。リラックス、リラックス」


(いや、ステップ間違えるのも怖いのですが、周りのご婦人方の氷のような目線が恐ろしくて、とてもリラックスできません……)


 陛下はまもなく三十路だが、まだ独身だ。もともと第四皇子で継承権から遠く、武術に長けていたため、武官として各地に派遣されていた期間が長い。そのため、即位前も結婚する機会がなかったらしい。


 見目麗しく、人当たりもよく、しかも皇帝という優良物件のため、他国の閣僚の娘や、貴族の娘などにこぞって狙われているということがよくわかった。


 そんな陛下が、会も終盤に差し掛かったところで、急にどこの馬の骨ともわからぬ書記官と踊り始めたのだ。


(そりゃー見るよね。針のむしろだよね。わかります)


 陛下が踊り終えて満足すると、ほかのご婦人方が陛下に話しかけてくるその隙を狙って、その場をなんとか抜け出した。





「これは……まずいことになったかもしれません」


 ちえの踊る様子をこっそりホールの下手で見守っていたエドワードが、ボソッと呟いた。


「おい、まずいことっていうのは、一体なんなんだよ」


 衛兵の仕事をしているふうを装いながら、ちえの様子を伺っていたシンが答える。


「いや、一般的には、大変めでたいことではあるんですが……ちえ本人と、俺とあなたにとっては、最悪の状況かもしれません。まあ、俺も、ちえを陛下に推薦した時点で、その懸念はあったんですが。まさか本当にこうなってしまうとは……」


「勿体ぶってねえで、さっさと言えよ! 俺はお前のそういうところが気に食わねえんだよ」


「おや、奇遇ですね。俺もあなたのそういうガーガー怒るところが大嫌いです。――つまり」


 眉間に皺を寄せているシンに向きなおし、エドワードが口を開いた。


「皇帝陛下は……ちえを皇妃にするつもりなのかもしれません」


「……はああああ?!」


 大声で叫びかけたシンの口を閉じるべく、エドワードは思い切りシンの口に平手で蓋をした。





 舞踏会は、私がセンターで踊らされるという公開処刑を除いてつつがなく終わり、片付けを行う侍女たちが慌ただしく働いていた。しかし、相変わらずアンだけが、再び「ちえ様ー!」と私を探し回っている。また陛下が私を呼んでいるのだろうか。


 探されている私はというと、とても気まずい組み合わせ――エドワードと、シンと、二階の会議室のベランダに、グラス片手に隠れていた。


「……で、なんでお前もいるんだよ……。気を使えよ。仲睦まじい恋人同士の間に陣取りやがって」


「俺が今出ていけば、アンに『ちえ様はどこですか?!』って問いただされるじゃないですか。言ってもいいんですか? 居場所。どこの馬ともわからぬ衛兵とイチャイチャしていますって」


「ちょ……ふたりともやめてくださいってば。……というかなぜ、私はまた陛下に探されているの? で、なぜ私たちはここに隠れているの?」


 再び呼び出しがかかったということがわかった直後、この二人によってこの場所に隔離されたのだ。シンはともかく、エドワードが陛下の命令を無視して私を引き止めるなんていうのはかなりおかしな状況だ。


 私に疑問をぶつけられたエドワードとシンは、お互いに目を見合わせ、それぞれ深いため息をついた。


「ちえは、玉の輿に乗りたいですか」


「タマノコシ……? いえ、特には……今は仕事が楽しいですし、結婚とかは、まだちょっと……」


 その言葉を聞いてダメージを受けたのはシンだった。「まじかよ」と顔に書いてある。


「あ、ごめん。でも正直に言うと、そんな感じかなあ……」


「ちえ、おそらく陛下は……あなたへの報奨として、皇妃の地位を与えようと思っているのではないかと……」


「……コウヒ?」


(ん? 皇妃ってあの……え、ちょっと待って!)


 皇妃という言葉の意味が頭の中でつながるまで、しばらくかかった。が、つながった瞬間、両手で口を押さえ、小さな悲鳴を上げた。


「明後日のインタビューの翌日、御前会議がありますよね。そのときに今回の功績に対する報奨を言い渡す、と聞いていますが。……おそらく、それより前に、あなたに事前に報奨の内容を伝えようとしているのでは……」


 開いた口が塞がらない。むしろ顎が落っこちそうだ。


「この……女性としての魅力が皆無の私がですか……? 皇妃?」


「それをあなたに惚れた男たちの前で言いますか、あなたは」


 確かに、信じたくはないが、そう考えると辻褄が合う。普通皇帝陛下が書記官にドレスを贈ったりしないし、上座のダンスホールでダンスに誘ったりしない。よくよく聞くと、陛下が自らダンスに誘った女性は、私だけだったらしい。


(……そりゃ、針のむしろになるわけだ)


 憎悪の塊を視線にこめたような令嬢たちの視線を思い出し、私はひとり、納得したように深くうなずいた。


「陛下が自ら、たった一人、あなただけをダンスに誘ったということは、あなたが皇妃候補であることを対外的に示したも同然です」


「……なんでちえが選ばれたんだ……?」


 シンと同じく、私も理由が気になった。私はただただ、目の前の仕事を頑張っていただけで、皇帝に気があるようなアピールもしたことはない。というか、話すことだけでも恐れ多くて、そんな考えが掠めたことさえなかった。


「……陛下は、今回のプロジェクトにおいて、ちえとの会話を大変楽しまれておいででした。もともと、書記官との対話を重視するタイプの方なのですが、出世欲が強い人間の多い書記官たちは、陛下に対してほとんど本音を見せず、歯の浮くようなお世辞ばかりを繰り返しています。そんな中、ただプロジェクトの成功のために、ときには陛下に対しても言いたいことを言うちえは、新鮮だったのでしょう。横で見ていた俺は肝が冷えましたけど」


 シンが思わず目をむいてこちらを見た。


「……お前すげーな……ほんと、はじめのころのコミュ障を絵に描いたようなやつとは思えねえ……。ほんと、大したやつだわ」


「あとは……ネガティブな考え方をするなら……。ちえをよく思っていない書記官は、大勢居ます。突然現れて今の地位をかっさらっていったんですから。もしかしたら、書記官長と誰かが結託して、ちえの報奨について『是非彼女の功績に最大限の栄誉を』なんて表向きは言い、陛下にちえを娶るよう進言した者たちがいたのかもしれません。


それなら彼女を正当な理由で書記官組織から追い出せますし。それに陛下にとっても、自分を支える賢妃が居てくれることは、行政の安定が図れるまでの、望まない縁談の縁談よけになります。時期が来たら、然るべき身分の妃を後宮に入れたって良いわけですし」


 テオが言っていた「女であるがゆえの望まぬ結果」というのはこれのことだったのか、と腑に落ちた。


 確かに、平民が陛下の皇妃になれる機会など奇跡のようなものだ。一生この豪勢な王城で、しかもあんなに素敵な陛下のそばに一生いられるとなれば、普通に考えれば、今世紀最大の報奨と言っても過言ではないかもしれない。


 だが、それを望まぬ人間にとっては、一生かごの鳥のような生活を言い渡されるようなものだ。


「ちえ……お前はどうしたい。陛下が皇妃になれと言えば、お前は断れない。――残念ながらこの世界ではな。逃げたいなら、逃してやる。俺と一緒に隣国に逃げたって良い。お前の気持ちを聞かせてくれ……」


 悲痛な面持ちでシンは言った。隣にいるエドワードは、なんと言ったらよいかわからない様子だった。


 私がここでシンと逃げれば、シンは一生追われる身になるかもしれない。エドワードは功績に免じて処分が軽くなったとしても、出世は難しいかもしれないし、解雇されるかもしれない。彼らに迷惑はかけたくない。しばらく考え――考えに考えた結果。ふたりの目をまっすぐ見つめ、口を開いた。


「私は……」

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