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ようやく


 徐々に届く要約書類を、翻訳機を使って片っ端から読み漁っていた。


 しかし、エドワードが手配してくれたこの翻訳機はすごい。トレース台のような形をしているその機械の上に書類を載せると、瞬く間に文字が使用者の母国語に書き換えられるのだ。台から下ろせばまた、元の言語に戻る。


 テルメトスにいたころも、これがあればもっと楽に仕事ができたのに、 と思ったのだが。どうやら特別なルートで入手してくれたもので、一般的には出回っていないらしい。


 結局徹夜までは行かなかったが、睡眠時間は極限まで削られ、キーメッセージにまとめきるまでに四日ほど費やした。


 なんだかんだ、読みすすめると、いくらA4にまとめられていようと、報告書を上げた当人に聞かないとわからないことが出てきたりして、担当者に内容の確認をしたり、進捗を加えたほうが良さそうな内容については聞き取りをしたりして時間をくった。


「で……できたあああああ……」


 ああでもない、こうでもないと、朝から晩までエドワードと意見を交わしていたので、若干声がかすれていた。徹夜仕事には慣れているという彼にも、さすがに疲れの色が見えている。


「なんとかまとまりましたね。陛下との打ち合わせまでには、あと一日ありますから、今晩はしっかり睡眠をとって、明日見直しをした上で打ち合わせに臨みましょう……」


「そうですねえ……見直し大事。陛下の初演説ですもんね……」


 自分が書いた原稿を何度も見直す。翻訳機を使いながら、ネトピリカ語で書いたものだ。論理の破綻はないように見えるが、もう一度はっきりとした意識のときに見直しをしたほうがいい。


 だが、今の自分ができるものとしては最高の出来だと思っている。満足げに口角を上げたあと、どっとこれまでの疲れが押し寄せてきた。


「ちえ……あなたいつもそこでそうやって寝落ちそうになるんですから、早く部屋に戻ってください」


 かろうじてそこまでエドワードの声を聞き終えて、私は意識を手放した。







「ちえ、おーい。起きてくださーい。ここは僕の仕事部屋で、あなたの部屋じゃないですよー」


 困った。書類の中には機密文書も多いため、書類をまとめる作業は俺の執務室でやっていた。ちえがうつらうつらすることはよくあったが、ここまで爆睡してしまうのは初めてだ。


 まあ、力尽きてしまう気持ちはわかる。ようやく演説原稿のもととなる書類が完成したのだ。彼女はこの国の人間ではないし、正規の書記官試験を通ってここに来たわけでもない。


 つまり、この国の各地の地名や特産物、産業などに関する知識も皆無なのだ。そんな状態の人間が、たとえ要約資料だったとしても、一度読んで中身を理解できるわけがない。


 この四日間、辞書と翻訳機を活用し、ときには俺に質問し、必死に書類を読み込む姿を見てきた。出会ったときは、まともに他人と意思疎通するのも難しい様子だった彼女が、ここまで積極的に自分と議論を交わせるようになるとは思わなかった。正直頭が下がる思いだ。


 ほぼ誘拐のような状態でここに、俺の手で連れてこられ、望まぬ、誰もがやりたがらぬ責任のある仕事に、全身全霊をかけて取り組んでいる。


 たぬきの巣窟のようなこの場所で、腐らず、めげず、到着した二日目に強姦未遂の事件まであったにも関わらず、なんとか演説のベースとなる資料を形作るまでに至った。


 真っ直ぐに仕事に取り組み、ときには目をキラキラさせて働く姿を見て――心から彼女と働くことを、楽しんでいる自分がいた。


「やっぱり、俺の目に狂いはなかった。このまま、ずっとここに居てくれればな……」


 彼女の、二十七にしてはあどけない寝顔を見ながら、一人つぶやいていた。なにか楽しい夢を見たのか、ふふふ、と笑う無防備な彼女の笑顔を見て――魔が、差したのかもしれない。気づくと俺は、ちえのやわらかな唇に、自分のそれを重ねていた。


 ちえは、まだ起きない。一度してしまうと止められず、二度、三度と唇にキスをした。


「ん……」


 彼女の口から吐息が漏れたのを聞き、とっさに飛びのいた。


しばらく時間をおいてから、そっと近づいて起きていないことを確認し、ホッと胸をなでおろす。再び彼女の寝顔を覗き込みながら、真っ白でやわらかなその頬を、手の甲でそっと撫でた。


「ちえが、俺を好きになってくれればいいのに」


 自分の口からもれ出た言葉にはっとして、そして、苦笑いをした。この日俺は初めて、気づかないように蓋をしていた自分の彼女への気持ちを自覚したのだった。






「ちえ、資料が整ったということだったが、説明してくれるか」


「はい、よろこんで!」


 意気込みすぎて、どこかの居酒屋のような返答をしてしまった。ちらりとエドワードを見ると、微笑をうかべながら頷いてくれる。今日は陛下へ、私たちが考えたキーメッセージ案を説明することになっている。


私はこの数日間の努力の結晶であるこの案を模造紙大の紙に書いたものを壁に貼り出し、説明を始めた。


「まず、今回メインとなるメッセージですが、『ネトピリカ国民の生活の質を、一段上のステージへ引き上げること』が良いのではないかと思っています」


 陛下はまるでいたずらを画策する子どものような顔で、楽しそうに私が話す様子を見ている。


「して、なぜそのメッセージを選んだのか。余に説明せよ」


「はい。私は今回のお話を頂いた際、エドワードから貴国の近代〜現代までの歴史について教わりましたが、陛下の二代前までは、大きな戦争をされていたそうですね。そのため先代の皇帝陛下は、経済の復興に尽力されたとか。今のネトピリカは、先代のご尽力もあり、平和を取り戻しています。しかし、現段階では『あるレベルまで復興しただけ』に過ぎない」


「その通りだ」


「それで陛下は、各地に派遣されている皇帝直轄の書記官に指示を出し、各地域別の行政機関の動きとは別に、各地の民衆の教育レベルや、ライフラインの状況、病院の設置状況ほか、様々な状況について調べさせた――。陛下の目指されていることを要約すると、『ネトピリカ国民の生活の質を、一段上のステージに引き上げること』ではないかと思ったのです」


 ここまで言い終えて、私は陛下の様子を伺う。豪奢な椅子に優雅に腰掛ける陛下は、腕を組み、満足げに微笑んだ。


「流石だな。ちえが言うように、余は各地の状況を調べ、国民の生活がより良くなるような方法を考えようとしていた。だが、それをどう表現したらよいのかはわからなかったのだ。――それで、そのメッセージをサポートするための三つのポイントとして、何を話せばいいのだ」


「いろいろな施策をされていますが、その中でも具体的に話が進んでいるものに絞ってポイントに挙げたほうがいいと思っています。一つは――『医療体制の整備』です。陛下は各地の病院の分布を調べ、住民の数に対し医療機関が行渡っていない地域に向けて、病院建設の指示や、医師の養成機関の設立を指示されています。ここを一つのポイントとして上げるのが良いかと。医療体制の整備は、国民生活の質に直結する部分ですし、民衆の心を掴むには重要なポイントになると思っています」


 すかさずエドワードが補足した。


「特に病院が少ない地域や、定期的に疫病が流行る地域など、問題のある地域をピックアップして資料にしていますので、演説原稿に肉付けする際にそちらを一例として使用できるかと」


「そして二つ目――『教育体制の整備』です。言い換えれば、ネトピリカの未来を支える人財の育成、ですね。ネトピリカの識字率は、七十五パーセントです、悪い数字ではありませんが、将来的なことを考えると、百パーセント近くまで引き上げたい。そのために進めている各地域に一つ、初等教育・高等教育の学校整備を進めていらっしゃいますね。また、大人で文字の読み書きができない方々に対しても、私塾の設立を進めようとしていると聞いています。現状各地域一つずつで進められていますが、さらに将来的なビジョンとして、どこまでを目指しているかも含めてお話いただくのが良いかと思います」


 陛下はニヤニヤしながら、こちらを眺めている。つまらないときはすぐ仏頂面になるタイプの人なので、好意的に聞いてくれているのだと受け取った。


「そして最後に『ライフラインの整備』。いまだ水道が通っていないエリアが、国民が住んでいる地域だけで計算しても三十パーセントほどあるそうですね。特に山間部に多い。またすでに水道管を敷設してある場所でも、一部水道管が老朽化している地域があり、地盤沈下が起こっていると。陛下が進められている、水道管の敷設・取替事業の計画について、順序立ててお話しいただくと良いと思います」


 ここまで話して、呼吸を整える。はじめは震えていた声も、話を続けていくうちに、少しずつ落ち着いてきたような気がする。こんなふうに自分がつっかえずに人前で、しかもこの国の最高権力者の前で話すことができているということには、感慨深いものがある。


「また、オーラを使う公共機器についても、かなり古い時代のものを使われている地域がありますね。古い時代の機械は、オーラのエネルギー効率が悪いため、人間の寿命を縮めます。こちらも取替を進めているということですので、お話しいただくのが良いかと思います」


 ひととおり話し終えて、安堵からか自然と笑みが漏れた。エドワードも横で小さなため息をついていたので、彼も同じ気持ちだったのだろう。


「……この短い期間の間によくぞまとめた。ちえはこの国の教育は受けていないのだったな。そんな中よくそこまで我が国のことを理解し、書面にまとめるまでやり遂げた。称賛に値する。……またエドワード、そなたもよく働いた。細かい部分では手を入れるべきところはあるが、おおむね方針としてはいいだろう」


「ありがたきお言葉にございます」


 エドワードと私はその場で礼をとった。だが、まだ伝えなければいけないことがある。


「あの……あと少しだけ」


「ハハハ。余が先走ってしまったか。これは失礼した。よいよい、続けよ。余はあとは、何をしたら良いのだ」


「あとはですね……陛下のような尊いお方だからこそ、実践することでより、民衆の心を掴むことができるテクニックがあります」


「なんだなんだ? 気になる言い方だな」


 これはエドワードにも話していない内容だったので、彼も関心を持ったような表情を見せた。私は二人に、具体例を挙げながら、そのテクニックについて話した。


「……なるほど。それは確かに、陛下が言うからこそ効果のある言葉ですね」


 エドワードが頷いた。


「なるほどなるほど。よし、それに関しては余のほうで内容を考えてみよう」


 その日は、「前祝いだ!」と言う陛下に連れられ、三人で陛下の応接室で酒をのみ、恐れ多くも楽しい晩餐を過ごした。あとは、出来上がったキーメッセージに従い、陛下に肉付けした原稿を自身の手で作ってもらった上で、それをベースに練習を繰り返すだけだ。


(……まずは演説、演説後の翌々日にインタビューだから、インタビューの対策は演説が終わってからやろう)


 飲みながらも仕事モードが抜けない私は、そんなことを考えながら、ほろ酔い気分でその日は眠りについた。

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