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訪問者

 

 陛下との初回の打ち合わせを終え、自室に戻ったが、あまりの疲れにベッドに突っ伏した。


「これは……きついぞ……」


 とりあえず取りまとめられた書類が届くまでは三日ある。エドワードが、過去の異世界転移者が開発したという翻訳機器を入手してくれたので、とりあえずそれでまず、届いた書類を私とエドワードで読み、キーメッセージに落とし込むことになった。


 ただ、どんなに要約しようとも、山は山。ネトピリカは二十地域に行政単位が分けられているが、各地域の担当領域別に報告書が出てきている。さらにエドワードのような皇帝直轄書記官がいて、それぞれがまた独自の報告書を書いているのだ。


(行政単位がすさまじく多い国じゃなくてよかった……。日本みたいに四十七都道府県あったらもっと大変なことになってたな。それにほとんど人が住んでいない地域もあるから、情報量の多い場所は限られている)


 読まなくてはならない報告書の量を考えると、数日間徹夜作業になることは容易に想像できた。そのあと陛下からの意見をもらいながら、演説原稿の内容を固める作業が発生する。


 のこり一ヶ月弱という期限が、憎たらしく思えた。


(でも……結構面白いと思っている自分もいるのよね。この仕事。なかなか経験できることではないし)


 この仕事が面白いと思える要素の一つには、陛下のお人柄にもある。エドワードと三人で話してみると、事前情報の「不敬があれば首が飛ぶ!」みたいな印象はまったくなく、むしろ気さくで、他人の意見を自分の糧にしようという意識のある方だった。


(陛下いい人だし、なんとか成功させてあげたいな……)


 ベッドの上で足をバタバタさせながらそんなことを考えていると、部屋のドアをロナルドる音が聞こえた。


「ちえ様、お届けものでございます」


 扉を開けると、そこにはメガネをかけたアジア系の青年が立っていた。


「お忙しいところ失礼いたします。ヤマネコ便のお届けに参りました。大型の荷物になりますので、お部屋の中までお運びしてもよろしいでしょうか」


「あ……はい。どうぞ」


(大体お届けものって、侍女が中身を検分してから持ってきてる気がするけど。いったい何の荷物だろう)


 青年は、台車に乗せたままの大きな箱を部屋の中央に置き、サインをもらって部屋を出ようとした。すると伝え忘れていたことに気づいたように、最後に小声でこう付け足した。


「ちえ様、コチラの製品、ナマモノ、且つレンタル品になりますので、箱は捨てずにお願いします。明朝また、取りに伺います――」


(ナマモノでレンタル品ってどういうこと……? まさか……!)


 先日の馬小屋事件が脳裏に蘇り、背中がひやりとした。また何か嫌がらせを仕掛けられたのではないか。ダッシュで部屋の奥にある掃除用具入れのところまで走り、デッキブラシを手にし、抜き足差し足で箱に近づいた。


 ガタガタ、と木箱の中から音が聞こえた。なんとなく息遣いも聞こえる気がする。やっぱりまた、ケダモノ野郎が中に入っているのだろうか。


 前回みたいなことがあったときのためにと、エドワードとの連絡用のタクトを持たされていた。緑色の制服のポケットに手を突っ込み、タクトを取り出そうとした――その瞬間。


 木箱から勢いよく、何者かが飛び出す。恐怖のあまり、手に握っていたデッキブラシを、思い切り脳天めがけて振り下ろした。


「いやあああああああ」


「いてっ、うわっ、きたねえな! おい、やめろ、俺だって」


 思い切りデッキブラシでバシバシ叩いてしまったあと。声に心当たりを感じて振り被った腕を空中で止めた。木箱から飛び出したのは、ケダモノ――ではなく、シンだった。


「お前はー! 心配してきてやったのに、デッキブラシを振り回すやつがあるか!」


 シンの姿を見て、私はその場にへたり込んだ。


「なんだぁ。シンかあ……私はてっきり…」


 ボロボロと涙が溢れた。一旦持ち直しはしたが、先日の恐怖は相当なものだった。また同じような目に合うのかもしれないと思った瞬間、恐怖がぶり返してきたのだった。


「おいおい、なんだあ〜とはなんだ! ていうか、大丈夫かよ。あいつに変なことされたのか?」


 思わずシンにしがみつき、しゃくりあげた。


「ううう……話したくない。でも怖い目にはあった。でも、大丈夫」


 さすがにあんなこと、話せるはずがない。メソメソと泣く私を見て、自分の事のように悲痛な表情をするシンが口を開いた。


「大丈夫じゃないだろうが……。今日は、お前が無事かどうか確かめに来たんだ。書記官に着任した者は、三ヶ月すれば外出できるというのは知ってたんだけどな……。ちえの場合は強引にこの職務のために連れ去られた形だったし。どういう扱いになっているか心配でこっそり会いに来たんだ。――辛いなら、俺と一緒に逃げるか?」


「え……」


 シンはいつもほしい言葉をくれる。優しい言葉をかけてくれ、励ましてくれる。


 いま、私が押し付けられている仕事は、つらくて、しんどくて、超ド級の重圧もかかっているブラック案件だ。やりがいを見出しつつあるが、本音を言えば、逃げ出したい気持ちもある。


 でも、乗りかかった船を、ここで投げ出したら。私は「仕事を途中で投げ出したやつ」になってしまう。それに陛下の式典を途中で投げ出すことで、私を逃したシンにも害が及ぶかもしれない。


「ごめん……シン……今は、行けない……」


 絞り出すような声で、そう答えた。私をきつく抱きしめていたシンの手から、少し力が抜ける。シンの顔を見ようと、顔をあげようとすると、また、グッと力を込められた。そして、あきらめたような大きなため息をついて、彼は言った。


「……そう言うと思ったよ。お前は。なんだかんだ負けず嫌いだもんなあ。よし! 頑張ってみろ。もしだめで、危険な状態になったとしても、俺が必ず助けてやる。まあ、ちえのことだからうまくやると思うけどな」


 困ったような顔でニッと笑ったあと、シンは、自分のポケットから私のタクトを取り出し、私の手に握らせた。


「何かあったらこれで連絡しろ。いいか……絶対に無茶はするなよ」


「ありがとう、頑張ってみる」


 涙をいっぱいためながら笑った私の唇に、彼の唇が、吸い寄せられるように触れた。最後に別れた港での時間を取り戻すように、何度も、何度も。大きな手が、私の体を持ち上げ、ベッドへ連れ去る。愛おしそうに、私の体を這う、彼の手のひらを、今度は拒むことはなかった。



 

 ――体がだるい。窓からうっすらと差し込む光を感じ、ゆっくりと目を開いた。まだ薄暗い様子を見るに、太陽が水平線から顔を出して、間もない頃のようだった。


 寝返りをうつと、そこにはまだぐっすり眠っている、シンの顔があった。だらしなく口を開いていても、美しい顔は美しいものだと思った。起きているときは気がつかなかったが、マッチ棒でものせられそうな長いまつげをしている。


(はああ。ついに経験してしまった……。なんてこと……)


 昨日の出来事を思い出し、全身から湯気が登った。まだ、シンの唇や手の感触が体に残っている気がする。


「ひやあああ……」


「何一人で悲鳴上げてんだよ」


 寝ていたと思った人物の口が急に声を発したので、心臓が飛び出るかとおもった。


「ちょ……起きてた……?」


 私の目を見て、いままでに見たことのないような満たされた表情をしたシンが、私の体を優しく抱き寄せる。彼の体温の高さやかたくて引き締まった胸板にどぎまぎしながら、遠慮がちに彼の胸に顔をうずめる。


「……ふは」


「なっ、なによう」


「いや、どんなに追いかけてもつかまらない小動物が、ようやく懐いた感じだなって」


 その言葉が何を意味しているのか要領を得ず、上目遣いに見つめると、おでこにそっとキスをされた。


「ちえから俺に何かしてくれたのは、今のが初めてだ」


 そう言うと、シンは大きな体で私を上から覆うように上にのり、深い深いキスをする。昨日あれだけのことをしておきながら、会えなかった時間をたしかめるように、ゆっくりと、時間をかけて。恥ずかしさに顔を背けると、少し不満な顔をしたが、愛しむように私の頭をなでて、ベッドから起き上がった。


「さて、名残惜しいがそろそろ帰る準備をしねえとな。仲間が朝イチのヤマネコ便で迎えに来る」


 シンに乱された髪の毛を整えながら、私は聞いた。


「ところでヤマネコ便て、何なの?」


「海産物の出荷で利用してる宅配業者だよ。王城にも配達してるって言うんで、ちょっと協力してもらったんだ。普段出入りしている業者だけあって、楽々中には入れたぜ」


 王城の警備大丈夫か、と叫びたくなった。今回は中身がシンだったから良かったものの、次回から気をつけようと心に誓った。デッキブラシは手の届くところにおいておいたほうがいいのかもしれない。


 手早く身支度を終えたシンは、朝一のヤマネコ便が到着すると同時に、再び大きな木箱の中に納まり、


「じゃあ、またな。連絡よこせよ」


 そう言い残して、ビジネススマイルがまぶしいヤマネコ便の青年とともに去っていった。


(うーん。なんかもうちょっとマシな方法なかったのかな。箱に入って出ていく様がちょっとシュール……)

 

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