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エドワードの過去


「……俺はね、貧しい下町の出なんです」


 エリート書記官の、意外な告白に思わず顔を上げた。


「母はね、どこかの富豪の愛人だったみたいなんですが。まあ、父は最低な男で。母に限らず、若い女をとっかえひっかえしていたらしいです。見捨てられて、行き着いた場所が住み込みの掃除婦で。それだけでは稼げず、売春みたいなこともやっていたみたいですけど」


 エドワードは、ここではない、どこか遠くを見るような眼差しで、私の部屋の窓を見た。


「なんとか初等教育までは出してもらえたんですが、母が体を壊しまして。これ以上頼れないと思い、書記官を養成する高等機関である、少年書記学院に入ったんです」


 聞けば通常この世界では、六歳から十五歳まで学校で初等教育を受けた後、カレッジという高等教育機関に進み、二十歳で卒業して社会に出るらしい。だが、カレッジの費用を捻出できない者で勉学を続けたい者が、働きながら勉強ができる、書記官養成機関「少年書記学院」に入るらしい。


「少年書記学院を出ても、カレッジで高等教育まで受けてから書記官試験を受けたエリートたちとは雲泥の差が給与に付きます。俺は母の治療費を稼ぐために、なりふり構わず努力して実績を残し、そうしたエリートを差し置いてどんどん出世しました。――ただそこから、俺に対する壮絶ないやがらせが始まったんです」


 彼の悲痛な表情から、それが嘘偽りない、本当の話であることが伝わった。


「本当に、思い出したくもない、尊厳を傷つけられるようなひどい行いもされました。だけど、母に少しでもいい思いをさせたい。これまで頑張ってきた母を、ねぎらってやりたい。そういう思いでなんとか耐えて、ここまで来たんです――ですが」


 私の手を握っていたエドワードの両手に、グッと力が入る。


「――半年前に、母は自ら命を絶ちました。『もう息子の重荷になるのは申し訳ない』という手紙を残して」


 淡々とした言葉で語る彼の様子が、逆に悲しみに打ちひしがれた彼の心の内を物語っているようだった。ふう、とため息をつくと、エドワードは続きを話し始める。


「ここでもし、俺が悲しみのあまり仕事をやめて、ダラダラ過ごしたら、本当に母は『息子の重荷』だったことになってしまいます。……俺はね、実力を最大限発揮して、目一杯出世して、自分が死んだ後に、天国で母に『あなたは俺の重荷なんかじゃなかった、成長の原動力だったんだ』って伝えることなんですよ」


 エドワードの心の傷を想って、涙が溢れ出た。気づくと私はエドワードを抱きしめ、彼の背中を撫でていた。


「でもね、母の死後、初めからそう思えたわけじゃないんです。俺を今の場所に引き戻してくれたのは……ちえ、あなただったんです」


「え…私ですか?」


 ここで自分の名前が出てきたことに、驚いた。私が一体この話にどう関わってくるのか。


「あなたに出会う前はね、いろんな女をとっかえひっかえして、仕事もサボって遊び歩いていて。母の死を受け止め切れなくて、生きる意味を見失って自暴自棄になっていたんですね。あなたに声をかけたのは単なる偶然だったのですが、あなたが異世界出身者であることに気づき、面白半分で調べ始めました。


正直はじめのうちは、大して見込みのない人間だと思いましたよ。でもね、不器用ですが、一生懸命で。周りを巻き込みながら、物事を動かし、どんどん成長していくあなたを見ているうちに。自分もこのままではだめだと思うようになったんです」



 頭をポリポリと掻きながら、エドワードは続けた。


「あなたを出世の道具にしたのは事実ですが、それは『あなたならやれる』と思ったからと。ちえと……汚い手を使わず、真摯に、自分のもてるすべての力を使って頑張るあなたと、一緒に働いてみたいと思ったからなんです。焦りもあって、強引に連れてきてしまったので、言い訳みたいですけど…」


 エドワードの背中に回した腕をほどき、彼の瞳を真正面から見つめた。


「本当に……?」


「今更あなたに嘘をついたって仕方ありませんよ。運命共同体なんですから。――ですから。卑怯な奴らに負けないでください。あなたのことは俺が全力で守ります。むしろ今日は――一人にしてしまい申し訳ありませんでした」


 ――率直に言えば、まだ、彼のことを信用しきったわけではない。先程受けた恐怖が、まだ消えたわけでもない。ただ心の内を話してくれたことで、もう少しだけ――彼と一緒に歩んでみようという、前向きな気持ちが灯った。


(ここで泣いて返ったら……一生ここで受けた辱めをトラウマに生きていくことになる。でも、ここで踏ん張って、きちんと皇帝陛下の広報官として成功を収められたら? きっとそれは、通過点で起こった辛い出来事の一つになる)


私は拳を握りしめ、力強く決意した。


(未来の自分が後悔しないために――前を向こう)




悪夢のような先日の出来事のトラウマを引きずりつつも、何とか折れずに今、私は陛下の待つ会議室の扉の前に立っている。まずは相手を理解するところから。そう自分に言い聞かせながら、隣に並ぶエドワードと目を合わせる。


「大丈夫です。ちょっと失言をしたからといって、斬首を命じるような裁量の狭い方ではありません。ただ、たとえ先方がフランクに出てきたとしても、皇帝は皇帝ですから。礼儀は尽くすように」


「わ……わかりました……」


 まるでロボットのような私の動きを見て、エドワードは苦笑いをしながら扉をノックした。


「入れ」


 心地よい包容力のある低音の声に、入室を許可された。室内にいた侍女が、私たちのために重厚な扉をゆっくりと開く。


「来たか。――ちえ、そんなに固まることはない。そなたの身の安全は保障されている。もう少しリラックスしてもらわねば、余まで緊張してきてしまうではないか」


 陛下はそう言って破顔した。そして、クスクスと笑い始めた。どうやら私のカクカクとした動きが面白かったらしい。


 雑談もそこそこに――というか雑談をしていたのはエドワードと陛下だけだったが――早速第一段階として、現状把握のため、陛下に即位式典で読む予定だという演説をしてもらったのだが。


(ぶっちゃけて言っていいなら……長い! 長過ぎる! すでに三十分くらい話を聞いてるけど、まとまりないし、話の要点がわかりづらすぎる。まるで学生時代の話の下手な校長先生の話を聞いているようだわ。しかも、まだ終りが見えないし……)


最高難度のブラック案件が、いかに難しいかを身にしみて感じた。相手は皇帝なわけで、これは確かに、確固たる改善策なくぶった切るのは厳しい、が、明確に改善しなければいけない事案ではある。専門知識を持った人間を必要としていた理由が良くわかった。


(これは果たして、どこから突っ込むべきか……)


 エドワードにも何度も訴えたが、私は業界歴数十年のベテランコンサルタントではない。きちんと指導ができるかといえば、確実に役不足だ。皇帝の演説なんていう大それた内容を、作り上げる実力は私にはない。


でも今、この世界に、広報の専門家は一人しかいない。もちうるすべての知識を持って、やってみるしかないのだ。


気になった点のメモを取りながら、どう話をすべきか必死に悩んでいた。話を聞く中で問題点は見えてきたが、それを率直に伝えていいものか迷っていたのだ。皇帝陛下が自分の話の下手さを自覚しているなら、下手に褒めたら(かん)に障るだろう。


 いろいろと思考をめぐらす中で、ふと、テトラとシンの顔が浮かんだ。――そうだ。私が今考えなくちゃならないのは、「自分がどうみられるか」じゃない。「目の前の相手のために、全力を尽くすこと」だ。


メモを取っている、色味を失っていた私の手のひらに、血色が戻ってきた。――これまで自分が異世界でやってきたことを信じ、思い切って真正面からぶつかってみることにした。


「……陛下。陛下。ありがとうございます。そこまでで一旦終わりにしましょう。うーんとですね、僭越ながら率直に申し上げます。話が長くて分かりづらいです」


 その言葉を聞いた、私のうしろに控えているエドワードの氷のような眼差しがまるで見えるようだった。

「ちえ……陛下の御前ですよ」


 危機を感じたエドワードが私の前に割って入った。でも――本気でいい演説を作り上げるためには、こちらも本気で向かっていかなければならない。


「よい、エドワード。まずは話を聞こう。ちえ、発言を許す」


「ありがとうございます。陛下の話は伝えたいメッセージが見えないのです。最も伝えたいメッセージを一つに絞って、それを補助するポイントを三つにまとめましょう。そして、それらのポイントの根拠となる、具体的な話をいくつか用意します」


 これは、エドワードにも説明した、キーメッセージの作成だ。これを作ることで、まず話の構造がわかりやすくなる。今回は一方的に陛下が話す演説のスタイルなので、まずメインメッセージを話したあと、三つのポイント、そしてそれに紐づく具体的なストーリーを紹介するかたちにするのが良い。


「これでだいぶ改善されますが……あとはフラッギングというテクニックがあります」


「フラッギング? 聞いたことのない言葉だな」


「『私がこれから実践することは三つある、それは……』など、これから話す内容がいくつあるかを先にいうテクニックです。これにより、相手は話の長さを予想して聞くことができるため、聞き手側のストレス軽減になります。結果として、聞き手がよりメッセージを受け取りやすくなります」


 皇帝陛下ともなれば、話す内容を五分にまとめる、ということはできない。国のリーダーとして触れるべき内容がたくさんあるからだ。それであれば、聞く相手に極力ストレスを与えないよう、話の構造と伝え方をよりわかりやすく必要がある。


「とりあえず、今日はこのキーメッセージづくりに専念しましょう。次回からは作ったキーメッセージをもとに、実際に演説の練習をしていただきながら、さらなる肉付けを行っていきます」


 やり方として、こちらが原稿をすべて作ってしまうという方法もある。だがそれだと、「原稿を読んでいる感」が全面に出てしまう。せっかくの初心表明演説なのだから、陛下のカラーを出したい。それで今回は、一緒に作っていく形式をとることにしたのだ。


「ふむ……だが、正直どこをポイントにすればよいのか、余も判断できずに困っているのだ。この報告書の山を見てくれるか」


 陛下は、会議室に隣接している、陛下の執務室に私とエドワードを通してくれた。


「これが、余が一日に受け取る報告書の山だ」


 木製の重厚な机の上に、うず高く積まれた報告書の山を見て、ぎょっとした。


「これ……ぜーんぶ読んでるんですか?」


「うむ。極力各地の状況を把握しておきたいからな。だが……情報が多すぎるがゆえに、細部に気を取られてしまい、どうしても話が長くなってしまうのだ」


 これは……話が長くなる原因が、ほかのところにもある気がした。


 私の今の読解力では読むのに時間がかかってしまうため、エドワードに報告書の構成を説明してもらったが――それぞれの報告書は、分厚く、結論が最後にまとめられており、すべて読みきらないと全体が把握できない作りになっていたのだ。


「エドワードさん、これ、報告書の作成元の人たちに、A4一、二枚の要約版の作成を依頼しましょう」


「……A4とは……?」


「……あ。えーと、この報告書の紙一枚分のサイズのことです。陛下のように組織のトップに立つ人は、ただでさえ扱う情報量が多いのです。ですから、部下側は、極力提出する情報をまとめることが必要です」


 分厚い報告書を手に取り、パラパラとめくりながら続ける。


「陛下が優秀な方かつ努力家であるがために、なんとか全部読めているということですが、ふつうこんな『全部読めば最後にすべて把握できる』みたいな報告書、読みきれません。要点も把握しづらいですし。ですから、紙一枚に情報を要約して、細かい説明は添付文書で解説する形にするんです」


 その話を聞いて、ふむ、とエドワードは顎に手を当てた。


「より各地の詳細を陛下に伝えようという書記官の努力が、裏目に出ていたんですね。わかりました。では、書記官たちへの指示は、こちらでなんとかします。三日で出し直させますので」


 エドワードの発言を聞きながら、ほかの報告書も手にとってみる。中にはすでに私が言ったのに近い形式のものもあるが、やはり大半ははじめに見たのと似たような報告書が多かった。


(ううん……なんか、一部はわざとわかりづらい報告書を出している気がするんだよな……。全部が全部じゃないけど。陛下はもともと、デスクワークが苦手って聞いているし、こういうものだと思い込んでいるみたいだけど。それともこれがこの国のビジネス文書の書き方なのかな……)


 珍しいものを見るように、ずっと私の行動を観察していた陛下が、フッと笑った。


「エドワード、これは、想像以上の人物のようだな。単なる話し方の指導に収まるかと思いきや、書記官組織の情報共有書面にまで手を付けおったぞ。ちえ、自由にやるがいい。今後の働きも楽しみにしている」


「ありがとうございます。私ができることは微々たることですが、陛下の初舞台のために、しっかりとちえをサポートしていきます」


 先ほどまでの私を射殺さんばかりの視線はどこへいったのか。今はこれ以上ないくらいにご機嫌な微笑をたたえて、エドワードはそう言った。そして彼はこれ以降、私の無遠慮な発言を止めることはなくなった。


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