エドワードの相談事
アルフレドは、テオの提案を二つ返事で承諾した。自分の作ったパンが、全国的に有名な美食家の目に留まったとあって、喜びを隠しきれない様子だった。
(異世界転移者ってバレた時はどうなるかと思ったけど、とりあえず、アルフレドさんが喜んでくれてよかった!)
ビトレスク・タイムズとファッション誌の記者にはお礼のメールを送りつつ、テオに次回のアポ調整のメールを送った。自分の部屋に戻り、荷物を置いた後、ふぅ、とため息をついた。人見知りが直ったわけではないので、やはり慣れない人と話すのは精神的に負荷がかかる。
やはりどうしても、自分が説明した内容に対する、相手の表情・感情の動きに注目してしまい、それに過敏に反応する癖はなかなか治らない。対人コミュニケーションが苦手、というのは生来の気質なのだ。部屋に帰ってくると、どっと疲れが出た。
(……テオのカフェの件が進むとすると、忙しくなるなぁ。エドワードのテキストにも返答しなきゃ。今週を逃すと、時間作れなくなるかもだし)
あと回しにしていたエドワードへの返信を打ち始めた。だいぶ待たせてしまって申し訳ないが、仕事に夢中で、なんとなく連絡する気にならなかったのだ。
「えーと、今週末なら大丈夫です、と……しかし、私に相談事ってなんだろう。私が答えられるような悩みだといいのだけど」
約束の日、エドワードは十四時頃にやってきた。
「こんにちは。クロワッサンはもう売り切れてしまいましたか?」
今日は勤務日ではないらしく、白いワイシャツにラフな紺青のロングパンツを履いている。
「あら、エドワードさん。この間はありがとうございました! いらっしゃると聞いていたので、特別にひとつだけ、とっておきましたよ。いつも開店二時間で売り切れちゃうもので」
他の客がいないのを確認し、アドラが紙袋を手渡した。
「それはすごいですね。お気遣いありがとうございます。他のお客様に申し訳ないので、次回は俺も並ぶようにしますよ」
恐縮しつつ、紙袋を受け取ったエドワードが、こちらを向いた。
「ちえ、今日はお時間をいただけるということで、本当に感謝しています。困ったことになりまして。ランチしながらで良いので、聞いてもらえると助かります。さ、行きましょうか」
優雅に差し出された手を、握るかどうか迷ったが、会釈をして辞しつつ、一緒に店の外へ出た。エドワードが予約していた店は、個室のレストランだった。高級感のある佇まいに、急に緊張がはしる。
(個室……ってことは、他人に聞かれたくない話なのかな)
あたりを伺いながら、エドワードが引いてくれた椅子に座った。メニューはかろうじて読むことができたが、単語の意味がわからず、注文はエドワードにお願いすることにした。
(そろそろ本格的に文字を勉強しないと、仕事に支障が出てくるな……あとでテトラに子ども用のテキストでも見繕ってもらおう)
「この間はすみませんでした。無理なお願いをして困らせてしまったようで。報酬の話をされようとしていたので、それをお断りするために……まあ、してくれたら良いなという希望もありましたけど」
エドワードは、フフ、とキザっぽく笑った。私がオドオドしているのを、店のお手伝いのお礼を要求されるのではないかと、ビクビクしているのではないかと捉えたようだ。
「あ、えーと。また何か別の形でお礼をさせていただければ……」
「今日お食事に付き合って頂けたので、それでチャラにしましょう。楽しい時間をいただいたということで」
その言葉を聞いて、ほっとした。私との食事がお礼に値するとは到底思えないが、そういうことにしておこう。
「それでね、ご相談の件ですが……実は俺、インタビューを受けることになって……」
「わあ、そうなんですね! それは記事が楽しみですね」
テルメトスの手伝いをしてくれている様子を見て、エドワードが仕事のできる人であろうことは察せられた。先読みして次々テキパキと動くエドワードを見て、その仕事ぶりに感動すら覚えた。きっとアルフレドは、エドワードをスカウトしたかったに違いない。インタビュー依頼を受けるぐらいの、注目の若手であるという点においては、疑う余地もなかった。
「どんなインタビューなんですか?」
「フロントラインという雑誌なんですが、ビトレスクにおける公共事業について語る内容で依頼がきています」
聞けばエドワードは今回、ビトレスクにおける公共事業の視察で王城から派遣されているのだという。
今回のエドワードのインタビューを通じて、新皇帝がビトレスクにおける公共事業をきちんとした計画に則って進めており、順調に進行している旨を民衆に印象付けたいのだという。
「ただ、俺はあまり説明が上手くなくて。アルフレドさんのインタビュー原稿をちえが作ったという話を聞いて、俺のこの件もお手伝いいただけないかなと」
「王城関連のインタビュー案件ですか?!」
まさかの依頼に、とっさに大声がでてしまった。顔をこわばらせる私に、困った顔をしたエドワードが「大丈夫ですか」と問いかけてきた。自分が作った書類に目を留めてくれたことは嬉しいが、まさか王城関係の相談事だとは。想定していなかった話の大きさに、気づけば手が震えている。
「すみません、急でしたよね。でも、俺にはちえしかもう頼る先がないんです……。」
潤んだ瞳で上目遣いをするエドワードは、後光が差したかと思うほど眩しい。中性的な顔立ちの彼の弱り果てたような表情は、なんとなく庇護欲を掻き立てる。これはずるい。両手で腕組みをしながら、うーんうーんと考えに考えたが。
(あれだけ収穫祭の実績に貢献してくれた相手のお願いを、無下に断ることなんてできないし――)
「わ、私でよければ……」
「本当ですか? ありがとうございます!」
ガシッと両手で手を握られ、もう逃げられないと観念した。その時ふと、テオの言葉を思い出した。
『その知識、活用方法次第で、かなり上まで登れるよ――それこそ、国の中枢とかね。まあ、キミは女だから――望まない結果を引き寄せることもあるだろうけド』
エドワードの願いを承諾してしまったことをちょっぴり後悔しつつ、望まない結果にならないことだけを心から祈った。
「……おい、なあ……」
緑色の制服を着た金色の短髪の書記官――ロナルドは、上官である人物の、ただならぬ様子が気にかかっていた。
上官の名前はエドワード。上官といっても、王城からこの地に期間限定で派遣されている超エリートだ。地方官であるロナルドとは格が違う。エドワードが派遣されている期間、彼の一切の補佐業務はロナルドの仕事だった。
「なんだよぉ。どうしたんだよ」
栗毛色の、肩まである長髪の男――エリックは、同僚の小声の呼びかけにけだるそうに反応した。
「エドさん、すごい難しい顔して書類とにらめっこしてるんだけどさ、たまーにニヤって笑うの。あれ、なんだと思う?」
ロナルドの言葉に、書類を仕上げながら、エリックはめんどうくさそうに答えた。
「なんだよ、そんなことかよ、本人に聞いてみろよ、どうしたんですかあ〜って」
「バカ、聞けるかよ。あの人めちゃくちゃとっつきづらいじゃん。しかしうーん、なんだろな。……もしかして女関係? 恋煩い?」
エリックはあきれたような顔をして返答する。
「はぁ〜? 恋煩い〜? あの女を使い捨ての道具みたいに利用する人が? お前も知ってるだろ、あの人に遊ばれてポイ捨てされた女の数を。そんなわけねえだろ。口を閉じろ仕事しろ」
ロナルドは不満げな顔をして答えた。
「なんかさ。この間唐突にパン屋の手伝い頼まれたじゃん? 一応業務時間扱いにしてくれたけど。あのとき、ほら、ちえっていたろ。あの子とさーちょっと親密な感じしなかった? 職権乱用して手伝うくらいだから、本気なのかなーなんて」
「……いや、普通の子だったろ。可もなく不可もなく。今までエドさんがちぎっては投げちぎっては投げしてた女達って、もうちょっと綺麗系の、美人な子が多くなかったか?」
「だからこそだよ! すごい性格よさそうだったじゃん! 俺さーテトラと付き合い始めたんだけど、彼女もエドさんがアプローチしてるの何度も見てるっていうんだよ。あれかな、本物の愛に目覚めたってやつ?」
それまでロナルドの顔も見ようとしなかったエリックが、ロナルドのほうを振り返ったと思うと、一瞬止まり、おそるおそる口を開いた。
「おい……後ろ……」
「は?」
ロナルドがゆっくりと振り返ると、そこには満面の笑みを讃えたエドワードが立っていた。
「ロナルドくん。とっても暇なようだね。キミには、ここと、ここと、ここの調査をお願いしようかな――ここのところ雨が多くて、土砂崩れがおきると困るから、危ないところがないか、確認してきてね」
「えっ、ちょっ、これ一日で回れる距離じゃあ……」
「トルシェでまわるとオーラが尽きちゃいそうだから、馬で行って来るといいよ。飛ばせばなんとかなるだろ?」
(鬼……!)
ロナルドは観念して、涙目になりながらトボトボと執務室の外へ歩いていった。エドワードはロナルドのうしろ姿を目で追ったあと、大きなため息をついて自席に戻った。
(見られていたか……気を引き締めないと)
エドワードはデスクに置かれたコーヒーを口に含みながら、考えを巡らせる。
先日の個室ランチの後、インタビュー準備の名目で、就業後にちえと二・三度夕食をともにした。
「よ……よろしくおねがいします」
「こちらこそ、お時間をいただきましてありがとうございます。よろしくお願いします」
あいかわらずちえは、自分に慣れてはくれないらしい。彼女がこうしてオドオドしている様子を見ていると、とても他の優れた異世界転移者のように、特殊なスキルを持っているようには見えない。
だがもし、この間の、アルフレドのためにやっていたことのように――、公に向けて発言する人間が、的確に、効果的に伝えたいメッセージを民衆に伝えることのできる人材になれるように、指導する力があるなら――新たな皇帝陛下のサポートをする人財になりうる可能性がある。
民衆に対する新皇帝の初お披露目の機会が間近に迫っているが、未だ諸々問題が多く、話すべき内容をまとめられていない。ちえがもしコミュニケーション分野のプロフェッショナルであるのであれば、是非彼女の手を借りたかった。
今回のインタビュー話は、そのジャッジをするためのフェイクだ。実際には、そんなインタビューの話は受けていない。
ちえはまず、今回のインタビューで最も伝えたいメッセージや、話すことできる範囲での公共事業に関する情報他、回答案を作成する上で必要となる情報を聞きたいようだった。
「あの……本来は、もうちょっとベテランの人がやる仕事なんです、これ……。私も知識としては勉強していますが、ちゃんとできるかは怪しいところなので……。本当に、参考程度に聞いていただければ……」
「わかりました。まあ、とにかく続けてください」
ちえが緊張しないよう、穏やかな笑顔をつくり、先へ進めるよう促した。すると彼女は何やらノートにいろいろ書き始めた。自国語を見せたくないのか、何を書いたのかは見せてくれなかったが、俺のノートに、次のような内容を書くよう指示した。
キーメッセージ:新皇帝は民の声を重視しながら、適切に各地の状況・課題を把握し、公共事業施策を進めている
ポイント①皇帝は、民の声を聞き、理解することに全力を注いでいる
・皇帝は、各地に総計二十名の王城直轄の書記官を派遣、毎月各地の状況報告をするよう指示している
・各地で毎月書記官による集会を実施、そこで直接民の要望を聞く機会を作っている
ポイント②皇帝は、住みやすいまちづくりのために、公共事業に注力している
・書記官による調査から、住環境の整備が一番の要望事項であると把握している
・歴代皇帝の中で最大額を公共事業に投資
・翌年までに最も要望の多かった各地の公共事業について着手予定
ポイント③公共事業実施後の評価について、オープンに情報を受け付けている
・公共事業を行った地域に対し、タクトにテキストでアンケート調査を配信、民の声を吸い上げている
・満足度が六十パーセント以下の地域については、書記官による追加調査を実施している
ちえは、一つ一つ言葉を確かめるように、でもどうにか理解してもらおうと必死の形相で説明をした。
「まず、インタビューで、最も伝えたいメッセージをキーメッセージに落とし込みます。で、そのキーメッセージを補助する、三つのポイントを書き加えます」
「三つだけですか? いろいろ伝えられる情報はあるのですが」
俺は思わず質問した。伝える情報は多いほうがいいのではないだろうか。
「報告書等と違って、メディアは取材で聞いた情報を切り取って使います。その場合、情報が多すぎると、どこを切り取られるかわからず、思うような記事にならない場合があるんです。だから、必要最低限の且つ、重要なポイントに絞って、繰り返し、繰り返し伝えます」
ちえは、ふう、と息継ぎをして、言葉を続けた。一生懸命に説明しようとする様子が、なんだか健気で可愛らしい。
「それに、人間の脳が一度に把握できる情報は、諸説ありますが三つから四つと言われています。そういう意味でも、三つに絞る、ということには意義があります。さらに、ポイントを伝えるだけでは、信憑性が足りないので根拠となる情報を付け加えます。いま、内容としてはこういうものという例としてざっくり私が考えたことを入れていますが。より具体的な情報をエドワードのほうで入れ込んでいただくといいと思います。」
なるほど。この形だと情報が整理されていて見やすい。確かにこれが取材時に頭にあれば、答えやすいかもしれない。
「……記者は……ネトピリカの記者がどうかはわかりませんが。基本的に行政機関のあら捜しをします。『本当にちゃんと実行されているんですか?』とか、意地悪な質問が来ても、『ご心配されるのは最もだと思います、しかし〜』と、いなすような言葉を使って、どうにかこのキーメッセージとポイントに結びつけてください。ネガティブな質問で本音を引き出して、批判的な記事を書こうとしている場合があるので。この、どんな質問が来ても、キーメッセージに戻ってくる技術のことを、ブリッジングといいます」
質問に真正面から答えない、というのは面白いテクニックだと思った。これ以外にも、良い記事に導くための取材対応のテクニックを、淡々と、しかしわかりやすく、ちえは教えてくれた。
「あとは練習あるのみです。何度かお時間頂いているので、複数回、取材応対のシミュレーションをしてみましょう。私が記者役をやります。……繰り返しになっちゃいますが、これももっとベテランの人とか、記者経験者がいればいいんですけど。これを今できるのは、多分この国では私しかいないので……」
申し訳無さそうにちえは言った。
「とんでもない。ちえ先生に教えていただけて光栄です。本当に、すごい。初めてこんなレクチャーを受けました」
これは心からの言葉だった。期待はしていたが、思っていた以上の知識を彼女は持っていた。
この知識を――ちえを、話下手の皇帝の指導者に推薦できれば――そして、民衆により効果的に皇帝の言葉を届けることができるようになれば――。ちえを推薦した報奨として、もう一・二階級、いや、書記官長の地位を得ることだって不可能ではないかもしれない。
そう考えると、ニヤケが止まらなくなった。
(ロナルドの言う通り……またにやけてんなあ…。マジでエドさん本物の愛に目覚めた感じ……?)
執務室では、ロナルドの疑いを引き継いだエリックによる、不思議な勘違いが現在進行系で起きていた。




