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舞い込んできたチャンス

 勢いで変な誘い方をしてしまったが、どうやらそれがツボにハマったらしい。


「ハハ! 君、面白いネ……。そして、パンか。うん、悪くなイ。ただね、この格好見る通り今日はムリだネ。予定も詰まっているし。明後日なら空いているからいいヨ。二時に来テ。ただし、三十分だけネ」


 テオは、ポケットから手のひらサイズのノートを取り出して、自分の住所と、タクトの番号を書き、私に渡してくれた。そのあとは手早く荷物をまとめて、私の帰路の護衛にと角刈りのマッチョマンを一人残し、嵐のように去っていった。テオのおかげで無事テルメトスに着いた私は、事の顛末を聞いたテトラに号泣され、アドラとアルフレドにも悲痛な表情をさせてしまった。


(テオが言ってくれたことが本当なら、たぶん安心だけど……しばらくは裏口からは出かけないでおこう)


 翌々日。もらった住所を頼りに、テオの屋敷へ向かった。テトラが、「ついて行こうか?」と心配して言ってくれたが、ギリギリの人数で回しているお店から、若者が同時に二人も抜けてしまうわけにもいかない。明るいうちに帰ってくるという約束で送り出してもらった。


 先日幸運にも知り合うことができたテオは、様々なグルメ雑誌で連載を持っている売れっ子美食家である。電話で門前払いを受けたうちの一人だったが、なぜだか私の名前に興味を惹かれたようだった。まさに不幸中の幸い。大物を釣り上げた喜びで、誘拐の恐怖の記憶は思ったより早く遠ざかった。


 彼とのアポで達成したいのは、テオに商品を気に入ってもらい、テオが持つ連載や、講演会などで、テルメトスのパンについて話してもらえるように仕向けることだ。


 B級グルメから高級フルコースまで、数多くの食品を日々口にし、舌が肥えているであろう彼に気に入ってもらうことは、かなりハードルが高い。しかし商品には絶対の自信がある。試食してもらう価値はあると思っていた。


「三十分くらい歩いたから、もうそろそろつくでしょ……。はあ、思ったより遠かったなあ。いい運動にはなったけど」


 テオの屋敷は、ビトレスクの外れにある。その屋敷は――王城までとは行かないが、小さな城レベルの大きさはある、宮殿ふうの建物だった。


(うわー。有名有名とは聞いていたけど、ここまでお金持ちなのね。これは、気に入ってもらえれば宣伝効果は大きいなあ)


 終わりが見えないレンガの外壁を目で追っていくと、木造の大きな門があるのが見えた。門前に立つ守衛らしき人物に、アポがある旨を伝えると、中に入れてくれた。


 守衛は西洋の騎士を思わせる鉄製の鎧を着ていたが、中の使用人の女性たちは赤いチャイナドレスを着ている。使用人は西洋の顔立ちの人もいたが、圧倒的にアジア人が多いように思う。私を案内してくれた女性も、美しい黒髪を一つに束ねたアジア人の女性だった。奥へ奥へと案内されている間、この間のように急に囚われたりしないかと不安になったが、無事絨毯のひかれた長い回廊の突き当たりにある、テオの執務室らしき場所にたどり着いた。


「失礼しまス、ご主人様。お客様をおツレしましタ」


 この間も思ったが、若干訛りがあるような感じがする。この国にも方言があるのだろうか。


「入ってイイ」


 テオの応答を聞いたあと、使用人に促されて中へ入る。


「失礼いたします。本日はお時間をいただきましてありがとうございます」


 だだっ広い部屋の中には、壁という壁に様々な雑誌や本、新聞が収納されていた。よく見るとほとんどの本から付箋が出ているのが見える。もしかしたら、自分が書いた記事をマークしているのかもしれない。部屋の奥にマホガニーのような材質の、重厚な雰囲気を持った焦げ茶色の木製のデスクがあり、そこにこの家の主人――テオが鎮座していた。


「……ニイハオ、黒瀬ちえ。よく来たネ。そこのソファに座っテ」


(…ん? ニイハオ? 中国語? なんでこの人、中国の言葉が話せるんだろう? 服装も中華ふうだし)


 デスクの目の前に置かれた、黒い革張りのソファセットは、ものすごく高そうだ。ゆっくりとソファに近づき、遠慮がちにそっと腰掛けた。中国語の謎に関心を持っていかれたが、まずはパンを試食してもらうことに集中したかったので、それはあとから詮索することにする。先日の様子からかなり時間にはシビアな人だというのは明白なので、無駄話で時間をとりたくはない。


「失礼します。素敵なソファですね。ご案内頂いた方のドレスも、可愛らしくて素敵でした」


(とりあえず、褒めて、立てつつ、空気が和んだところで本題に入ろう……。)


「僕の故郷の民族衣装なんだよ――まあ現代では着ル機会なんか、そんなないけどネ」


 ――思わず、ピクッと反応してしまった。


(僕の故郷の……?)


 私の反応を注意深く観察し、立ち上がってゆっくりとこちらに向かいながら、テオは言った。


「キミは知っているんだろう。黒瀬ちえ。僕の故郷の名前ヲ。黒瀬ちえ、いかにも日本人の名前ダ……」


「ど……どうして、それを……?」


「あ、やっぱり図星?」


 しまった、と思ったときには、時すでに遅し。いつの間にか私の背後に来たテオは、いたずらっぽい笑みを浮かべ、ネズミを捕らえた猫のように、私の顔覗き込んでいた。


「……ハハハハハハ!無問題(モウマンタイ)! ダイジョーブ、キミをどこかに売るつもりはナイよ、同志よ」


「あ……ってことはやっぱり」


「そうだヨ。僕はね、中国出身なの。テオ・ヤンが本名。ちなみにウチの使用人の中にも、同郷のやつが何人かいるヨ。キミね、気をつけナ。日本人の名前、この世界でほとんど聞かなイ。聞くやつが聞けば、この世界のやつじゃないってスグわかる。僕みたいな異世界転移者なら、一発だネ」


 テオは、私の向かい側のソファに、どっかりと腰を落とした。


「すごく日本語が流暢で……驚きました」


「ああ……、君は知らないのカ。この国ハ多民族国家だろウ? 大昔に開発されタシステムで、この国ノ海域に入るト、自動的に言葉が翻訳されルようになってるんだヨ。若干の訛りとかは残るけどネ。今の僕みたいに意識しテ自国語を使おうとすれバ、そう聞こえるけド。まあ時間もないし、とりあえずキミの提案を聞くとしよウ。で、なんの御用?」


 同じ異世界転移者という話を聞き、正直本題を放り投げたい気持ちでいっぱいだったが、ぐっとこらえて話を本流に戻した。相手の機嫌は損ねないようにしたい。


 私はテルメトスパン店の概要と、歴史、そして商品ラインナップ、そして注目商品として、「究極のクロワッサン」を改めて紹介した。紙箱からパンを取り出し、さっとお皿に取り出す。


「……ウン、見た目は悪くないね。とっても丁寧に作られている。ドレドレ……」


 サクッ、という音が、広く静かな執務室に響き渡る。


「これ、どこのバター使ってル?」


「ユトレイト牧場のバターです。皇帝御用達の。高級ホテルにも卸している……」


「知ってる知ってる。僕を誰だと思っているノ。なるほどねエ、これは確かに美味しい。バターの風味が活きているシ、なにしろ触感がいい。職人のこだわりを感じるねエ」


 しばらくクロワッサンを眺めた後、残りを口に含み、テオはメモを取り始めた。ちらっと文字を見たが、中国語ではなくネトピリカ語だった。記事を書くくらいだから、勉強したのだろう。


「うん、取り上げてあげてもいいヨ、連載記事で。その代わリと言ってはなんだけド」


 一体どんな無茶苦茶な要求をしてくるのかと一瞬構えた。


「これさ、今度僕がプロデュースするカフェで、出してもいい? もちろん、テルメトスのブランド名はだすかラさ」


 思ってもいなかった提案に、思わず飛び上がった。


「本当ですか! ええ、それはもう是非! ただ、私には決定権がないので、一旦持ち帰らせてください。今度、オーナーと一緒に、お打ち合わせをさせていただければ」


「ウン、よろしく頼むよ。ちょうどね、店で出せるパンの候補を探してたんだケド。なかなか納得行くパンを作れる職人がいなくてネ。ほんと、いいところに来てくれタ」


 満足げなビジネススマイルを浮かべたあと、壁掛け時計のほうに目をやったと思うと、テオはコチラに向き直った。


「さて、あと残り十五分。せっかくだかラ、少し話をしよウ。キミ、日本では何をやってたの。営業かなにカ?」


(すごい切り替え方だなあ……。しかも、なんだか面接みたいになっちゃった……。シンからは異世界の話はするなと言われているけど――相手も異世界転移者だし、大丈夫だよね)


「広報を……」


「広報? 広報か。僕はね、ここに来る前もフードライターをしていてネ。広報の人たちとも、仕事したことあるヨ。それでパン屋の売り込みを、僕にしているわけダ」


 納得した様子で、テオは長い足を組んだ。


「じゃあこういう商品の売り込みだけじゃなくテ、社長とか役員とかノ、インタビュー原稿書いたり、インタビューの訓練をしたりとか、そういうのもやってル?」


「原稿は書いていますが……メディアトレーニングは、講師はしたことないです。ただ、知識として何をしなければならないか、というのはわかっています」


 なるほどなるほど……と言いながら、テオはいたずらな笑みを浮かべた。


「所変われば文明も違ウ、文化も違うし使われている技術も違う。つまリ僕たち異世界転移者が持っている知識や技術は、この国の人がもっていない宝になる可能性があるんだヨ。『美食家』っていう肩書も、仕事も、この国にはなかったノ。僕はね、前職のフードライターのスキルがネ、ここでは活きるんじゃないかと思っテ、試してみたら、ここまで成り上がれたんだヨ」


 使用人が持ってきた紅茶をすすりながら、テオは続けた。


「広報という概念もなかっただロ。そのスキルは、活用方法次第で、かなり上まで登れるよ――それこそ、国の中枢とかね。まあ、キミは女だから――ちょっと、望まない結果を引き寄せることもあるだろうけド。男だったら最高の出世の武器になるんだけどネエ」


 この人は何を言っているのだろうか。国の中枢? 女ならではの苦難が待っている? 残念ながら私の頭では理解が追いつかない。


「うーん、私は今の仕事、やりがいを持ってやっていますし。これ以上は望んでないんです。でも、そうかあ。そうやって能力を活かされている転移者の方々もいるんですね」


「そうだヨ。でもねぇ、スキルを発揮したことデ、みんながみんな幸せになれたわけではないけどネエ……まあ、キミが今の仕事を気に入っていて、平穏無事に暮らしたいなラ――異世界から来たことハ、隠しておいたほうがいいよ。絶対にネ」


 そこへ、ボーン、ボーン、とタイムリミットを告げる掛け時計の鐘がなった。


「さ、ピッタリ時間だ。僕は次のアポがあるから、出かけなければならなイ。ついでだから送ってくヨ」


 せっかく異世界転移者に出会えたのだから、トルシェの中でも話を聞きたいと思い、のせてもらうことにした。だがしかし、用意された乗り物はトルシェではなく、主人の席と使用人の席が別立てになっている馬車のようなものだった。さらに使用人側の席に乗せられたため、それ以上話すことは叶わなかった。


(なんて予定に正確な人なんだ……一分も余分な時間をあたえてくれなかった。これはアルフレドさんとのアポは、気をつけないと……。あの人よく予定に遅れるからなあ)


 いろいろな情報を一気に得てしまった今日は、なんだかいつもの二倍以上に疲れた。今日は早く寝よう、と心に決め、馬車で相席してくれた使用人と御者にお礼を言い、テルメトス前でおろしてもらった。


 テオは、次のアポの書類を今チェックしているから、と言い、別れの挨拶には降りてこず、馬車の窓からひらひらと手を降っていた。


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