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ヘッドハンティング

 石造の道路は、まっ平ではなくでこぼこしているため、トルシェはガタンガタンと上下に揺れる。荷台に乗せられた私はそのたびに体を叩きつけられ、鈍い痛みを味わっていた。


(どこに連れてくつもりかわからないけど、とりあえず早く目的地に着いて……)


 苦痛に表情を歪めながらそう願っていたのが通じたのか、思ったより短い時間でトルシェは停車した。運ばれていた時間を考えるに、そこまで遠くに運ばれたわけではないらしい。おそらくビトレスクからは出ていないだろう。


 私を連れ去った男二人組は、麻布で私を包み込むようにして、身長の低い方の男が私を担ぐ。麻布の隙間からこっそりあたりを伺うと、どうやらビトレスクの中でも、比較的近代的な建物が立ち並ぶエリアのようだ。私はそのうちの一つの、おそらく二十階建てくらいあるだろう背の高い建物の、裏口に連れて行かれた。


 ネトピリカでは初めて見る、エレベーターのような乗り物に入った。どうやら個室内の台座に手をかざして、オーラの力で昇降するタイプのものらしい。


(おお……すごい。こんなものまでオーラで動かすのか。複数のグループが利用する場合はどうするのかな……)


 新たな発見を前に、連れ去られた恐怖も一瞬忘れて興奮している間に、私達をのせたエレベーターらしき装置が最上階に着いた。ようやく肩から下ろされて、自力で立たせてもらえた私は、猿ぐつわと縄も解いてもらえた。


 腕はヒリヒリするし、先ほどまで荷台に打ち付けられていたせいで体も痛い。確実にどこか痣になっていそうだ。拘束を解いてもらえたことで少し心に余裕は出てきたが、ここから生きて返してもらえる可能性に気をやって、恐怖で体温が一気に失われたような感覚に陥る。


 案内された扉は、同じ階の他の扉とは違い、高級感のある重厚な作りをしていた。印象だけで言うなら「社長室」っぽい部屋だ。男の一人が扉を開ける。その先にいたのは――高級品を全身に纏ったようないでたちの、四十代くらいの恰幅の良い男だった。


「やあ、手荒な真似をして悪かったね。君がテルメトス立て直しの立役者……と噂では聞いているが。間違いないかね?」


 テカテカと光る額に髪をなでつけながら、革張りの椅子にふんぞり返った男はそう言った。鼻の下に申しわけ程度にくっついたちょび髭が、大きな顔を強調している。


「はあ……立役者かどうかはわかりませんけど……」


 この男は誰で、いったいどうしてこんなことを聞いてくるのだろう。何が目的なのか、皆目検討がつかない。


「僕はアンジュを展開する企業『メルト』代表のポールだ。君の今回の収穫祭の働きに興味を持ってね。どうだい、ウチで仕事をしてみないかい」


 その言葉を聞いて、嫌な情報が頭の中を駆け巡った。競合企業についてはある程度調べている。新興企業であるメルトは、代表によるトップダウンの経営方針を採っており、時流を掴んだ優れた決断力と、アイデアを形にするスピードの速さでのし上がってきた会社だと聞いている。


 ただ、この企業については、マフィアとつながっているという黒いうわさがあった。社長に逆らった社員が姿を消したとか、競合企業に脅迫を行ったとか。


 自分の左右に並んだいかつい男たちの人相を改めて見て、その噂は嘘ではなかったのだと確信した。私を誘拐する手際の良さを考えても、絶対にカタギの人間ではないことは明白だった。


 私が黙っているのを見て、若干苛ついたのか、机の上に置かれた肉肉しい指を、カタン、カタンと鳴らしながらポールはまくしたてるように言葉を続ける。


「テルメトスより良い条件で引き取るよ。どうせ田舎のパン屋だろ? 大した給料はもらってないよね。今の給与の三倍出そう。どうだ?」


 いわゆるヘッドハンティングというところか。元いた世界でも、専門職である広報担当者というのは、実はよくこういう話が舞い込んでくる。


 役職が上がれば上がるほど、業界と企業規模によってはとんでもなく高待遇のポジションだってある、実力があれば結構夢のような職種だったりするのだ。


 今回の話は、高い給与と成長企業での機会を求める人間にとっては素晴らしいオファーかもしれない。


 でも、私はあくまで「落ちこぼれ広報コンサルタント」。ようやく今、その落ちこぼれが、周囲の人々のお陰で、初めて「仕事人」として、生まれ変わる糸口を見つけたに過ぎない。まだまだ今の場所でチャレンジしたいことがあるし、大好きなお店のためにやりたいこともたくさんある。


 そのため、どんなに好条件であろうと、ヘッドハンティングのオファーを受けようという意思は一ミリもなかった。……なにより、自分が心から愛し、できうる力をもって支えたいと思っている店を、「田舎のパン屋」と揶揄(やゆ)するような会社では、働きたいとは思えない。


「ありがたいお話ですが……私は今の仕事が好きなので、辞退させていただきます」


 複数の男たちに睨まれながら答えを求められる状況で、普段だったらどもってしまうところだが、ちょっと怒っていたこともあって、強い口調で即答した。私の回答を聞いて、目を細めたポールは、もはや私に興味を失ったような表情になる。


「ああ、そう。じゃあしょうがないねえ、せっかく生き残るチャンスだったのに。――僕がなんで、君をこんな形で呼び出したかわかるかい? 君が首を縦に振らなかった場合、即始末しようと思っていたからだよ。急に姿を消して行方不明になったことになれば、足はつかないから。競合店の優秀な芽は早めに摘んでおかないとね……。お前ら、この女、適当な場所で殺して、捨てといて」


「ひ…!」


 ポールの合図を受けて、左右から両腕を掴まれた。そのままズルズルと引きづられ、部屋に用意されていた麻袋に放り込まれそうになる。――一か八か、私は思い切って賭けに出た。


 一瞬の隙をついて、部屋の本棚にあった黄金のオブジェを手に握り――マフィア二人組の急所を思い切り打った。


(や……やった……)


 男性が急所を打たれたときの痛みはわからないが、やはり相当痛いらしい。屈強な男二人はその場にひっくり返り悶絶している。ポールの怒鳴り声を背中に受けながら、私は廊下に飛び出した。先ほど連れてこられた道をたどりながら、一目散にエレベーターらしきもののところへダッシュする。見様見真似で台座に手をかざし、扉を閉めた。


「お願い……! 早く動いて!」


 なんとかうまく操作できたのか、降下が始まる。ホッとしたのもつかの間、一階に到着して扉が開くと、正面に位置した階段から、メルトのマフィアらしき二人組が降りてきた。先程の男たちとは別の顔だ。人相が悪いのは変わらないが。


(そうだよねー! 何人もいる可能性もあるよね!)


 私は正面玄関へ向けて、渾身の脚力を発揮してダッシュした。学生時代、かけっこではいつもビリ尻だったが、やはり人間は生死がかかると力を発揮するものらしい。凄まじい勢いで地面を蹴りながら走り抜ける私のタイムは、今なら五十メートル六秒台くらいには達しているだろう。


 何かを叫びながら追ってくる男たちをまこうと、人の多い大通りのほうへ向かう。いくら非常事態で脚力が強化されようと、体力がいつまでももつわけではない。じわじわと距離を詰められ、涙目になりながら、すがる思いで目の前のレストランに――勢いに任せて飛び込もうと……したのだが。


 うっかりテラスのテーブル席に足を引っ掛け、その場に転倒してしまった。


 倒れながら、どこかにつまろうとした私の手がテーブルクロスを掴む。すると転倒の勢いでテーブルクロスに乗っていた食事は吹っ飛び、席にかけていた男の頭の上に――スープ皿がかぶった。


 凄まじい音を立てながら、物理的被害を周囲に撒き散らした私の様子に、追いかけてきた男二人も一瞬唖然としてこちらを見ていた。が、我に返った二人組が、私を連行しようと手を伸ばそうとした――その時。


「ちょっと待っテ。これはどういうことかナ?」


 スープ皿をかぶった男が、黒ずくめの二人組に声をかけた。長いツヤツヤした黒髪を後ろに束ねた華奢なその男は、アジアふうの顔立ちをしていて、なんと詰め襟のチャイナ服を着ていた。


(え、チャイナ服? 何者?)


 不機嫌そうな様子で男たちをにらみつけるチャイナ服男は、早口でまくし立てた。


「一体どういうことかって聞いてんノ。昼間カラ年若い女性を追い回しテ。しかも僕の折角のランチを台無しにしてくれタ。次の予定が詰まってルんだよ。どうシてくれるんだ! 僕は予定を狂わされるのがいっちばん嫌なんだヨ。ていうか君ら、みたことアルね? メルトのところのごろつきカ?」


 言い当てられたことで動揺した男たちに、さらに追い討ちをかけるように続ける。


「ランチ代、メルト宛に請求させてもらウからね。自警団にも通報しておク。で……君は君で、一体誰なノ」


 急に矛先がこちらに向いたので、即座に言葉が出なかった私に、「誰なのって聞いてルの」と重ねて問いかけてくる。


「黒瀬……黒瀬ちえです」


 そう答えると、どうしたことか、それまで険しかった男の顔が、みるみるうちに明るくなる。


「ほうほうほう! 黒瀬ちえ、黒瀬ちえというのカ、君は。なるほどなるほド。ねえ、メルトのゴロツキたち、この子は僕が引き取るっテ、君らのボスに伝えナ。手を出したラ、タダじゃおかないヨ。わかったらサッサと行きナ。シッシッ」


 いつの間にか、チャイナ服男の周囲には、屈強なボディーガードらしき男たちが勢揃いしていた。ムキムキ男の群衆というのは、なかなかに暑苦しい。その熱気に押されてか、苦虫を潰したような顔でメルトの手下たちは撤退していった。


 お礼を言おうと男のほうに顔をむけ、まじまじと男の顔の造形を確認した私は――彼の正体に気づいた。


「も……もしかして、美食家のテオさん?!」


「おや、僕のことを知っているのカ。どうして?」


「私、あなたにどうしてもお会いしたかったんです……! 究極の……究極のパンを、食べてみたいと思いませんか?」

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