シンの秘密
「残念だけど、この働きではいい評価はあげられないねえ……」
気づくと私は、以前勤めていた会社の会議室にいた。テーブルを隔てて向かい側の席に座る上司から、人事考課の結果を言い渡されている。
「一生懸命リサーチはしてくれるし、書くプランは悪くない。ただ、異様に自信がないせいで、ちゃんとやっているのに、クライアントに伝わらないんだよ。相手に強く出られると、自分のプランすぐ変えちゃうし」
全くそのとおりだったので、何も言い訳できない。本当はちゃんと、なぜそのプランを出したのか、相手にわかるように、話したかった。自分は自分なりに、相手のことを考えに考えて、プランを作って、そして提案しているのだと。
でも――今思えば、「わかったつもり」だったのかもしれない。
本当に、きちんと納得行くまでリサーチしたのか?
本当に、真摯にクライアントの要望を理解しようとしていたのか?
本当に、考え抜いた末でのプランだったのか――?
改めて考えてみると、私はやり切っていなかったのかもしれない。走りきっていなかったのかもしれない。そう思ったら、涙が出てきた。
「見栄えのいいプラン」ばかり作って、本当にクライアントの意図を汲んだ提案はできていなかったのかもしれない。相手の話をきちんときいて、真心をこめてプランを作って、相手のことを考えた説明ができていたら。こんなに失敗続きじゃなかったかもしれない。私が担当をはずされていたのは、「あがり症」が原因なんじゃなくて。投げやりな態度が、相手に伝わってしまっていたからなのかも。
新卒採用のとき、一生懸命対策して、希望の会社で内定をもらえたとき。人見知りなりに、あがり症なりに、顔を真っ赤にしながらも、私は伝えたいことを――自分の情熱を形にして出しきっていた。うまくやろうと必死で、自分をよく見せたいという気持ちばかりで、私は一番大事なことを見失っていた。
――もっと全力で、相手の立場になって考えて、ベストを尽くしてやってみよう。なりふり構わず、走ってみよう。そうすれば――きっと、きっと誇れる自分になれそうな気がする。
まどろみの中で、ゆっくりと、記憶が戻ってくる。
(あれ、私、会社にいたんじゃなかったんだっけ。そうだ……実家に帰ったんだっけ。長期休みを利用して)
パン屋でアルバイトする夢を見ていた気がする。日本では見たことない文字の看板で、あたたかい家族が経営するパン屋。いろいろ経験させてもらえたおかげで、新しい一歩を歩ませてもらえた。
(ありがたい夢だったなあ――)
ふふっ、と笑みがこぼれた。すると、遠くのほうで誰か呼ぶ声がする。
「……おい……ちえ……」
(誰だろう。思い出せない……)
「……おい……おい、大丈夫か」
それが男の声であると気づき、カッと目が開いた。
(え? なんで実家に見知らぬ男?)
ぼんやりと天井を映した瞳が、それが実家の天井ではないことを脳に届けるまで、一拍あった。
「えっ!」
視線を脇に移すと、私の手を握って心配そうに佇む、シンがいた。そのまま時計に目を移すと、すでに二十二時を回っている。
「えっ、なんでシン? え、どうして? 私なんで、ベッドにいるの?」
「お前、屋上で倒れたんだよ。ちょうど俺が到着したとき、椅子から落ちて地面に倒れて」
私の体調を気遣ってか、めずらしく声が小さいシンを見て、私はまた笑いがこみ上げてきた。
「あはは……。シンが小さい声で喋ってる。なんかおかしいね。あはは……。――グスン、あれ、おかしいな……ヒック」
突然泣き始めた私を見て、シンはびっくりしたようだ。かつての私のように、おどおどしている。
「え、おい大丈夫か。どっか苦しいのか? 誰か人呼んでくるか?」
困り顔のシンを見て、悪いなあと思いつつ、涙が止まらない。
「ううん……グスン。違うの……。あのね、ちょっと……。私、初めてちゃんと、仕事を納得行くまで、やりきれたの。……ヒック」
シンが不思議そうな顔をしながら、でも、一生懸命に私の言葉の意図を汲み取ろうとしてくれている。
「……ちゃんとね、オドオドせずに……ヒクッ、自分が考えた企画を……話せたの。きちんと納得してもらえて……信じてもらえて、実行させてもらえた……。私がこれまで、あがって話せなかったこととか、上手にコミュニケーションがとれないの……グスン。頑張りきれてなかったからかも。だから――自信がないから、うまくできなかったのかもって」
涙でボロボロの顔を見られるのは恥ずかしかったが、シンならいいか、という気持ちにもなった。
「……自分の甘さに気づいた……。でも、テルメトスのおかげで変われそう。なんか、いろいろやり切って、安心したら、涙が出てきて……ごめん」
そう言い切る前に、シンが大きな両腕で、私の体を抱きしめていた。余計に安心して、ボロボロ、ボロボロと涙がこぼれた。シンの抱擁は、暖かくて、優しくて。これまでの私の苦しみがゆっくりと溶かされていく。
「お前、頑張ったよ。初めて会った日とは大違いだ。もうお前は、どこに行っても大丈夫だ。俺が保証する」
ごつごつした手で、ゆっくり、慈しむように私の髪をなでてくれた。シンの手を、こんなふうに、心地よいと思うようになるなんて、思わなかった。
「実はさ」
私の頭をなでていた手をとめて、シンは衝撃の事実を口にした。
「俺もさ……日本から来たんだ」
はじめは唐突過ぎて、何を言われたのかわからなかった。でもようやく言葉の中身をできたところで。私の心臓は止まりかけ、涙なんて吹き飛んでしまった。
「ええっ……ええええええ! なにそれ! なんでそんな大事なこといわなかったの!」
ここ最近でトップクラスに驚きのニュースに、目を白黒させてしまう。でも、思い起こせば思い当たることが山程あった。
異世界から来た人間は多くはない、と言いながら、私が自分の国の話をしても、一度も驚きを見せなかったし、質問もしてこなかった。ネトピリカの技術を説明するときも、妙にたとえが上手で、私にわかるように噛み砕いて説明するのが上手だった。あれは、そういうことだったのか。
「俺、日本では証券マンやってたのよ」
「ぜんっぜん似合わないね」
日焼けした肌にいつものアラブふうの衣装が似合いすぎて、金融系営業マンのイメージとはほぼ遠い。
「うるせえなあ。ネトピリカで今の仕事する前は色白だったし、ビシッとしたスーツ着てたんだよ!」
抱きかかえられたままなので、表情は見えないが、不満げな声でムッとしているのはわかった。
「それで……どうしてネトピリカへ?」
「俺が勤めていたのはそこそこ大きな証券会社でさ。担当エリアのお客様んとこに、金融商品の営業をしてまわってたわけよ。調子がいいときはよかったんだけどな」
私は、証券の話とシンのイメージのミスマッチさに、眉間にシワを寄せながら、興味深く彼の話に耳を傾けた。
「うまくいかないこともあるわけよ。……それで、どうしても売上が目標金額に行かなかった俺は……得にならない高額な金融商品を、ご高齢のお客様に売りつけてたんだ」
「それって……」
「相談センターとかに駆け込まれたら、俺は終わりだったと思う。でもそのお客様、すげえ俺に感謝してくれたんだ。あんまりよく商品の中身わかってなくて。……罪悪感でいっぱいだった」
悲痛な声で過去を語るシンの大きな背中を、無意識になでていた。
「先輩たちは、売上を達成すればそれでいいって考え方で。それ以降も、支店の売上が達成できなそうにないとき……。同じやり口でやってこいって言われてな。何人も騙した。そうやって騙して売上達成するたびに、『よくやった』って言われるわけ」
シンは私をぐっと抱きしめた。とても辛い記憶だったというのが、彼の震える手の感触から感じ取れる。
「何もかも嫌になってさ。罪悪感に苛まれて。でも、大手企業に就職したことを親も喜んでて。俺は、辞める勇気が持てなかった。それで……あの桟橋から飛び降りて、自殺しようとしたんだ」
今の明るくて、ぶっきらぼうなシンからは想像できない過去に、驚きを隠せなかった。シンは、私を抱きしめていた両腕を緩め、両手を私の頬に当てた。漆黒の瞳はまっすぐこちらを見ている。
「そしたら偶然光の航路の海流に飲まれて、ジジイのほったて小屋の目の前に打ち上げられてさ。それから――まあ、紆余曲折あってな。立ち直れたわけよ。だから、お前を桟橋で拾ったとき、他人事とは思えなくて。……なんとか立ち直ってくれて、本当によかった」
いつもの豪快な笑いとは違う、優しい微笑をたたえたシンの表情になんだか落ち着かなくなりつつも。彼の笑顔につ
られて、私も笑う。
「……私を見つけてくれて、……助けてくれて、ありがとう。過去にひどいことをしたことは消えないかもしれないけど……私は、シンに救われたよ」
私の手を握るシンの手に、少しだけ力が加わる。握られた私の手を眺めながら、彼は続けた。
「逆境を乗り越えて、自分を変えていくことっていうのはさ、他人に手とり足取りやってもらってちゃあ、絶対に実現できねえ。自分の体験から言ってもな。――だから、なるべく俺も、お前のことには手を出すまいと思ってたんだ。でも、本当にお前は頑張った」
右手の親指の腹で、彼は私の頬をなでる。
「ま、まだまだ先は長いがな。でも、俺はお前を応援してるよ」
へへへ、と照れくさいような、嬉しいような、なんとも言えない気持ちになって、頬がほころんだ。変わった自分を、ちゃんとシンに見てもらえたことが、嬉しかった。この世界にひっぱりこんでくれた彼に。
すると唐突に、シンが――私の唇に自分のそれを軽く重ね、離して言った。
「俺さ、なんか、うまく言えねえけど――。その……お前が好きみたいだ。その、ちっさい体で、がむしゃらに頑張る姿が」
あまりに突然の出来事で、身動きが取れなかった。心臓の鼓動がバクバクと駆け上がり、顔からは火が噴出している気がする。ドラマのワンシーンみたいな追い込みに、私は大分混乱していた。
「ちょ……ちょっと!」
ニヤリと笑ったシンは、構わず、二度、三度……と小鳥がついばむような口づけを続けてきた。
(待って待って待ってー!)
私の戸惑いを楽しむように、シンは意地悪な笑みを浮かべて言う。
「……照れてる顔もかわいい」
(わああ! お気持ちは大変嬉しいですが! 今この部屋ではやめてぇー! ていうかどこまでする気?! ていうかあなた、私の意志聞いていませんよね? 同意がなければ警察に突き出せるんですからねー!)
そんな頭の中の大混乱は、声には出ていなかったが、両手でバタバタベッドを叩く音が、彼女の耳に入ったらしい。
「不純異性交遊はんたーい!」
と叫びながら、誰かがドアを思い切りぶち開けた。
「こらあああ、シン! 病み上がりのちえに何やってんの! このどスケベ野郎! もー! 看病させてほしいって言ってきたときも、なーんか怪しいなあと思って張ってたのよ。案の定、苦しむちえの、反抗しているらしき物音が聞こえたから!」
どこから持ち出したのか、テトラは両手でしっかり掴んだ箒で、シンの顔をバシバシはらった。
「いでででで! 何すんだコラ! ちょっとくらいいいだろうが! 恋人なんだから!」
その言葉を聞いて、私は止まった。
「ん……? 恋人? ちょっと待って、ちょっと待って」
怪訝な顔で硬直する私の顔を見て、シンも固まった。
「え、お前今、俺のこと受け入れたよな……?」
「え、告白とかされてないんで……恋人……なの?」
恋愛偏差値ゼロパーセントの私とシンの間には、知らぬ間にミスコミュニケーションが発生していたらしい。
「ああ……そうか…なるほど。でも、あれだよな、両思いってことで……間違いないよな?」
「ちょっと考えさせてください」
「まじかよ! だって、お前、いい感じの雰囲気だったし。お前も俺のこと好き! みたいな雰囲気だしてたよな?」
「いや、うーん、えーと。ちょっと、まだ、いろいろ自分の中で処理が追いついてなくて……どうしたらいいのかわからない……かな」
がっくりとうなだれるシンを、可哀想なものを見るような目でテトラが見ていた。
正直、シンに対して好意は持っているが、これがほんとに恋なのか、まだよくわからない。このまま流されて、付き合ってしまっていいのかどうかの判断が今はできなかった。恋愛に不慣れなために、相手の勢いに押されて、熱に浮かされて、適当な気持ちで付き合うのは、誠実ではない。
「とりあえず……お友達からということで」
「オトモダチ」
そう繰り返したシンは、今日はリビングのソファを借りる、と言って、もはや哀れみから沈黙を貫いていたテトラに付き添われ、二階のリビングへとぼとぼと降りていった。




