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今晩、お時間ください

(一体、なんだったの……)


 空が陰り始め、夕方に向かっていく街並みは、私の動揺とは反対にいつも通りの表情を見せていた。まだ感触の残る唇に触れた。ドクン、ドクンとうるさく鳴る身の内の音に、なんとか蓋をしようとする。


 シンには感謝している。あの時のシンの誘いに乗っていなければ、きっと日本で同じ失敗を繰り返し、未だに(くすぶ)っていたに違いない。


 自分を表現する勇気を――人の目を気にせず、がむしゃらに目の前のことに、一生懸命に取り組めるようになったのは、間違いなく彼のおかげだ。だから、変わった自分を、変わった自分が生み出す成果を見て欲しかった。それで、「変わった自分を見に来てね!」という意味の誘いをしたのだけど。


(――で、それで、なんでキス?!)


 頭の中は大混乱だ。「勢いで生きているタイプ」であることを考えると。


(もしかして。あの人、私のことを? いやまさか、そんな)


 ここまで考えて、思考を止めた。というか、いったんなかったことにした。いまこれ以上考えても無駄だ。いま彼の行動一つに、振り回されてはいけない。今はやるべきことに集中せねば。


(今日のキスのことは……収穫祭が終わったら聞こう)


 そう心に決めて、早足にテルメトスへ向かった。かなり長い昼休みになってしまった。


 テルメトスに戻ると、「待ってました」とばかりにテトラに捕まった。


「ちょっとアンタ! どーいうことよ! なんなの? いつの間に両手にイケメン?」


 お客さんが居ないのをいいことに、質問攻めにしてくる。


「いやー、ははは。強いて言えば、テトラのメイク講座効果……かな?」


 テトラは、「でも私はモテてない!!」とおかんむりだ。今度いい人を紹介するという約束をムリヤリさせられ、なんとか手を離してもらえた。紹介するといっても、男性の知りないなんて、シンとエドワードしかいないのだが。


「ねぇ、ところでテトラ、この時間帯、以前はもっと混んでいたよね……? こんなにゆったり私語なんかできなかったよね?」


 我に帰ったテトラは、店内を見渡した。そろそろ帰宅時間に差し掛かるこの時間は、ちらほらとお客さんが増えてくる時間である。しかし、ほとんど客が入ってこないのだ。


「やっぱり、何かしら手を打たないといけないなぁ」


 そう言いながら、工場でパンを焼いていたアルフレドが店舗に入ってきた。昨日よりもさらに客数が減っているのは確かだ。今朝まで「看板娘が増えたから大丈夫!」と、冗談をかましていたが、ジワジワと減っていくお客の流れに、不安は拭えないらしい。


「それなんですが、今夜、ちょっとだけお時間をいただけませんか。お話したい案があるんです」


 

 お店を閉めた後、アルフレド、アドラ、テトラの三人に、二階のダイニングに集まってもらった。ソワソワと、落ち着かない私を尻目に、三人はなんだか楽しそうだ。何が始まるのかと、ワクワクしている様子だった。私は徹夜で作った、手書きの資料を手元に置く。


(やっぱり相手がテルメトスの人たちでも、「提案」ってなると緊張するなあ)


 でも、この状況を何とかしたい。今はもう、「自分がどう見られるか」なんていう思考はどこかへ消えていた。大好きなこの店のために、自分が今できることをしたい。そう考えると、自然とあがり症の症状は収まっていった。深呼吸の後、私は覚悟を決めて、話し始める。


「実は私、以前いた国で、お店のプロデュースをする仕事をしていまして……」


 正確には、お店のプロデュースではなく、企業のPR戦略立案なのだが、こう言った方がわかりやすいのではないかと思った。テルメトスの売り上げを上げるためには、さまざまな策が必要になる。まずは一家に、その策に納得して、協力してもらう必要があるのだ。そのためには、信頼を勝ち取るための多少のハッタリも大事だ。


「一応その道のプロとして、ご飯を食べていたんです」


 テトラがまず口を開いた。


「えー! そんな仕事もあるのね! カッコイイじゃない! ……ん?でもアンタ、記憶がないんじゃなかったっけ? 前の国の」


(しまった。そういう設定だった!)


 心の中で動揺したが、それを悟られてはプランの信憑性も下がってしまう。私は、真面目な顔をキープした。


「実は……ここでお仕事をさせていただいていたら、少しずつなんですが、思い出してきたんです。それで、もしかしたらこの知識が、お役に立てるのではないかと思って」


 これまで広報コンサルとして働いていた時にはやったことのない、かなり思い切ったハッタリをかましていたが。ここは異世界と割り切って、勢いで行くことにした。


(実際は、高頻度でクライアントに担当替え要求されいてる、ペーペーですけどね!)


 自分の心の声に、自分でダメージを受けつつ、いまだけ女優になったつもりで、言葉を紡いだ。直属の先輩だって「あんた仕事はできるのに、あがり症と自信のなさで損している」と言っていた。今はその言葉を信じ、自分が考えたプランを信じて突き進むのだ。


「そうだったのねぇ。何はともあれ、記憶が戻って良かったわ。それで、どうすればお客さんが戻ってくるのかしら?」


 アドラが話を本流に戻してくれた。


「まずは、これを食べてみてください」


 今日の夕方前、お店に戻る前にアンジュに立ち寄って購入してきたパン三種を、それぞれ三人の前に出した。


「これがアンジュの看板メニュー二つと、オーソドックスなバゲットです」


 アルフレドがまず、パン職人らしい手つきで、生地の硬さを確かめ、香りを嗅いだ。そして外観の確認が終わると、一口かじって食感や風味を確かめた。


「……うーん、このチーズのパンは、確かに見た目はオシャレだしインパクトもあるけど、結構重たい感じだし、味はうちのパンのがいいと思うんだけどな。いかにも商業的な、奇をてらった感じもあって、私はあまり好きなパンじゃないねえ」


 アルフレドに続き、アドラも感想を口にする。


「このバゲットはいまいちね。悪くないけど、個性がないわ。カリカリ感の中にもちっとした感じがあって、小麦の風味が強いうちのパンのほうが断然美味しいわ」


「あたしはこのイチゴとクリームがのってるクロワッサン? これは可愛くて美味しくて好きかも〜。見た目のオシャレさって大事よね。うちのパン、どことなくダサいもの」


 テトラの「ダサい」という辛辣なストレートパンチに、「ウッ」とアルフレドが胸を押さえた。


「そうなんです。アンジュのパンは、商業的な、見た目とインパクトに重点を置いた注力商品に売り上げを頼っているんです。その証拠に、オーソドックスでシンプルなパンのクオリティが低い。それにより、コストを抑える効果もあるんでしょうね」


 三人の反応を確かめながら、私は続ける。


「つまり、私たちが持つ、相手に負けない要素の一つは味、品質なんです。厳選された材料と水、妥協のない味。どれも相手にはないものです」


 アルフレドが何か言いたそうな表情だったが、とりあえず最後まで聞いてもらいたかったので、そのまま続けることにした。


「もう一つ、私たちには強みがあります。それは百年も続く伝統と歴史です。アルフレドさん、うちで出しているクロワッサンって、百年続くレシピなんですよね?」


 アルフレドがうなずいた。


「ああ、そうだよ。創業者がパンの修行を各地でしていた時に外国で学んだパンで、創業時からあるものなんだ。ネトピリカではうちが初めて持ち込んだと言われているよ。お客さんの好みの変化に応じて、マイナーチェンジはしているけど、基本的な部分は変わっていないな。未だに一番の人気メニューだ」


「噂好きのご婦人のお客様に聞いたんですが、アンジュは城下の新興食品メーカーが始めた新規ビジネスで、まだブランドを立ち上げて三年ほどしかたっていないそうです」


 テトラが感心したような口調で答えた。


「引っ込み思案なアンタが、最近よく女性のお客さんに熱心に話しかけてるなぁと思ったら、書き込み調査をしてたのね? 一体どうしたんだろうと思ってたのよ」


 見られていたか、と思わず頭を掻いた。

 人に話しかけるのは苦手なので、かなり挙動不審になっていたとは思う。だが、噂好きなご婦人方は、自分が持っている情報を話すのが楽しいようで、初めは怪訝そうな顔をしていたものの、嬉々としてさまざまな情報を教えてくれた。最後にはすっかり仲良くなってしまった常連さんもいた。


「相手が持っていない伝統と歴史は、使い方一つで大きな武器になります。これが私たちの二つ目の強みです」


 ここまでずっと抱えてきたであろう疑問を、ここにきてアルフレドが吐き出した。


「でもちえ、それって、私たちがこれまでも持っていた強みだし、それを持ってもアンジュにお客さんを取られているんだよ? 今更その強みを使ってどうにかなるものでもないだろ?」


 待っていました、とばかりに私は答えた。


「大事なのは、その強みをどうやって人々に認知してもらい、集客につなげるかなんですよ」

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