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猛獣ふたたび?

 

 やってしまった。


(調子に乗って完徹するなんて)


 部屋の北側の窓から差し込む光を見て、夜が明けたことを認識した。窓から顔を出すと、頭上にはまだほの白い空が広がっている。日差しが目にささるように痛い。


 首を部屋の中に戻し、気だるい体を引きずりながら、制服に着替え、廊下に備え付けの洗面台で顔を洗う。鏡に映った自分の顔は、あからさまに「疲れています」という顔だ。このままいつものすっぴんメイクをしては、お客様の前に出るには憚られる。


 いつもは時短優先で軽くしかしないのだが、流石に今日はきちんと化粧をすることにしたのだが。出来上がった顔を見て苦笑した。いつもよりちょっとしっかり目に、のつもりだったのだが、思ったより隠しきれない感じの疲れの色だったので、バッチリメイクになってしまった。


(私もアラサーだもんね……。テトラにも言われるけど、のんびりしていたら独身街道まっしぐらだなぁ。もうちょっと身だしなみに気を使わないと)


 鏡の前の自分を覗き込み、完成した自分の顔を右から、左から眺めた。


(今後はちゃんとメイクをするか。女捨てるには早いものね)


 長い髪を後ろに縛り、一階に降りると、すでにアルフレドが仕込みを始めていた。


「アルフレドさん、おはようございます」


 振り返りざまに、おはよう、と言いかけて、アルフレドは固まった。


「えっ! なに、どうしたの?」


 しまった、ちょっと化粧が濃かっただろうか。


「あっ、すいません! ちょっと、今朝は顔色が悪かったもので、ちょっと濃いめに化粧を……」


 そこへアドラも降りてきた。私の顔を見るなり、こちらも、「まあ!」と感嘆の声を上げた。そんなに厚化粧だっただろうか。


「ちえ、あなた、とーっても素敵よ! そのほうがいいわ。まえから、この子は化粧映えする顔なんじゃないかなぁと、思ってたのよ!」


「そんなに変わります……?」


 予想していなかった反応に、お世辞ではないかと、疑いの色をあらわに聞き返した。


「ほんとほんと! 素敵だよ。いや〜、看板娘がニ人に増えたら、売上も戻ってきちゃうかもなぁ」


 アルフレドも答えた。一体、これまではどんな分類だったのだろうか。加えて、素顔が地味と言われているようなものなので、複雑な心境ではあったが。


「私の顔一つで売り上げが戻るとは思えませんが……お客さん商売だし、今後は身だしなみももうちょっと気をつけるようにしますね」


 逆に今までの、ほぼベースメイクオンリーのすっぴんメイクははまずかったなと、ちょっぴり反省した。


 アドラは、「あたしも若作りメイクにトライしてみるわ! そしたら看板娘が三人になるしね!」と笑っていた。それは、流石にちょっと……というアルフレドの余計なひと言に、アドラの鉄拳が炸裂したのを横目に見つつ、私は朝の掃除に取り掛かかり始めた。

 



 ――お昼の戦場のような忙しさが落ち着いた頃。パン棚の整理をしていると、なんとなく外からの視線を感じる。視線の方向に顔をやってギョッとした。窓の外にいたのは、エドワードだったのだ。こちらに向かって手を振っている。


(ゲッ! なんでバレたの?)


 思わず顔が引きつった。昨日と変わらず、緑の制服を(まと)い、爽やかな笑顔で颯爽と店内に入ってきた。


(……あ。もしかしてしっかりお化粧しちゃったから? 今日だけはいつものすっぴんのままでいるべきだったか……)


「ちえ、こんにちは。遅めのランチを取ろうと思って、この辺の通りを歩いていたら、君の姿が見えたんです。いやぁ、奇遇ですね」


 エドワードは、手慣れた手つきで私の手を取り、手の甲にキスをする。私の顔は、一瞬でカッと熱くなった。鏡は見られないが、腕の赤みから、まるで茹で蛸のようになっていることは想像に難くない。


 助けを求めようとカウンターのほうを見たが、そこにいたテトラは「誰? 誰? ずるーい! 私もイケメンとお近づきになりた〜い!」と、叫びたいのを客前なので我慢しているような顔をしていた。


(……わかりやすすぎる。っていうか、助けてよ!)


「そんなに怯えないでください。もし、休憩がまだでしたら、あなたの時間を少しいただけませんか」


 ニッコリと微笑むエドワードが、言葉をつづけようとしたその時。横から出てきた大男が、片手チョップでエドワードの手を叩き落とした。


「わりい、お役人さん。先約があるんだ。アルフレドさん、ちょっとちえ、借りるわ」


 そう言って、強引に私の肩を抱いて店の外に連れ出したのは、シンだった。

 

 泣き顔を見られて以来、ずっと会う機会がなかった。久しぶりにシンに会えたので、しばらく肩を抱かれたまま、じっとその姿を見つめていた。


 相変わらず大きな身体と、栗毛色の短髪。印象的な切れ長の目に、スッと通った鼻筋。私の肩に回された手はよく日に焼けていて、エドワードの手よりもさらに大きかった。なんだか記憶にあるより、だいぶかっこよく感じるのは、気のせいだろうか。


「……大丈夫か」 


 それまで押し黙ったまま歩いていたシンが、重い口を開いた。


「え……あ、はい……。大丈夫です」


 久しぶりすぎて、敬語になってしまう。以前はもうちょっと気軽に話せていた気がしたのに。でも、彼に対する緊張感は、お客さんにクレームを受けたときや、プレゼンの前の緊張感とはまた違う。


(なんだろう、昔仲良かったいとこのお兄ちゃんに久々に会って、仲良くしたいけど恥ずかしいみたいな、そんな感じ……?)


 広場につき、ようやく歩みを止めたシンが、こちらへ振り返った。


「久しぶりだな」


 どんな顔をして顔を上げていいか分からず、美しい紋様が刻まれたレンガが敷き詰められている、広場の地面を見ながら答えた。


「ほんと、久しぶり。元気だった?」


 広場まで歩いている間に冷えていた肌に、再び赤みが戻ってきた。気づくと、肩を抱いていた大きな手は、私の手を握っていた。


「俺が元気ねえわけねえだろ! まあ、あれだ、お前が……元気でやってるか、また気になってよ」


 照れ臭そうにそう言うシンの言葉に、フフフ、と笑いがもれた。


「って言うか誰だよあの男は! まったく、お前がぼやぼやしてるからだぞ! しっかりしろ!」


 以前のように大声でギャーギャーいうシンを見たら、懐かしさで胸が暖かくなった。

 この世界で唯一、自分がここに来ることになったきっかけや、異世界の人間であることを知っている人ということもあって、一緒にいるとちょっとした安心感がある。


 そんなに長い期間会わなかったわけではないのだが、最後に会ったのが、遠い昔のような感じがした。


「いやぁ、なぜか、ナンパにあってしまって。撒いたつもりだったんだけど。居場所がバレてしまったみたい」


 ようやく顔を上げて、苦笑いをした。思いがけず、シンは真面目な顔をしていた。


「……こないだは、慰めてくれてありがと」


「ああ……。もう大丈夫なのかよ」


「うん、もう平気。仕事は楽しくやっているよ。おかげさまで。やりがいもあるし。今、ちょっとお店の売り上げが落ちちゃって大変なとこなんだけど……踏ん張りどころなの。初めて、自分にしかできない仕事ができているの、今」


 真っ直ぐ彼に向けた眼差しには、以前のような、弱々しさはなかった。するとシンは、そっと、自分の右のてのひらを、私の頬にあてた。


「お前、なんだか……綺麗になったな」


 エルメの家に止めてもらったときのように、指の背で頬を撫でられた。


「最後に見た、お前の頼りなげな、弱々しい様子が気になってな。余裕ができたら、ずっと見にこようと思ってたんだ」


 頬を緩め、少年のような無邪気さを含んだ微笑を見せたシンの顔に、ドキッとした。


「ちょっと過保護だったかもな。でも、俺がこの世界に連れてきちまった責任みたいなものは感じててな。困ったことがあれば相談に乗るから。忘れんなよ」


 シンはそっと、頬に当てた手を下ろした。


(そんなに心配してくれてたのか)


 確かに、シンの前で泣いてしまった日は、最後までしなびた状態で別れた記憶がある。転職先を世話した身としては、きっと心配をかけてしまっただろう。


 日々の仕事に一生懸命なりすぎて、シンのことを思い出す暇がなかったが、陰ながら自分のことを応援してくれていた人がいたことに、心から感謝した。


 私は両手で、シンの手を包んだ。


「今、大きなチャレンジをしようとしていて。他人から見たらきっと小さな挑戦なんだけど……ダメな自分に勝つために、大事な挑戦なの。まだいろいろ考えているところで、詳しくは話せないけど、再来月の収穫祭に色々企画しているから、絶対……絶対見にきて」


 シンはいつもの通り、ニカッと笑った。


「すごいなあ、お前は。こんな短い期間に、随分と成長しやがって。……俺も、頑張んなきゃな」

 すると何を思ったか――私の両手からシンの手が引き抜かれた瞬間、大きな片腕で腰を思い切り引き寄せられた。


(えっ)


 気づくと目の前に――シンのまぶたと、長いまつ毛が見えた。私の唇には、彼の厚くて、形の良い唇が触れていた。


「んんんー!」


 パッと腕を離したシンは、私から離れ、背を向けた。


「収穫祭な! 覚えとくよ。ま、あんま無理はするなよ。……またな」

 

 シンは、そのまま一度も振り返らぬまま、早足で広場の向こうの通りに消えていった。


(えっ、今の、なに……どういうこと?)


 私はどうして良いか分からず、その場に根を張ったようにしばらく動けなかった。

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