勝算
帰宅ラッシュを迎える時間のバタバタを捌き切ったのち、片付けを終えた私は、自分の部屋の机の前に座り、ノートを開いた。
「とりあえず、今日確認した情報を踏まえて、SWOT分析をしてみよう」
夕方の仕事が忙しかったお陰で、イケメン貴族の手の感触は、だいぶ消えてきた。今はそんなことに構っている場合ではないのだ。
SWOT分析とは、競合や市場トレンドといった、自社を取り巻く外部環境と、自社の資産やブランド力、さらには価格や品質といった内部環境をプラス面、マイナス面に分けて、状況分析するためのフレームワークだ。戦略を作る際に役立つ。
ノート上に正方形を描き、十字で区切って「自社の強み」「弱み」「外部からの脅威」「チャンスとなりうる機会」とそれぞれのマスに書き入れていく。今回の調査を元に、分析した結果はこうだ。
〈テルメトスパン店のSWOT分析〉
強み
- 百年も続く歴史(来月の末で百周年らしい)
- 素材の味にこだわった旨味
- 全てのパンにおいて品質が高く、妥協がない
- 常連が多い
弱み
- パンに奇抜さや面白みがない(オーソドックスなものが多い)
- 店の中が外から見えづらく、新規入店を呼び込みにくい
- 店構えがダサい。統一感がない
- 他店に比べて、若干値段が高め
脅威
- 流行を意識したお洒落で都会的なパン屋の近隣への出店
- ネトピリカのパン業界全体の低価格化路線
機会
- 再来月の末で百周年を迎える
- 再来月の中旬にビトレスクの収穫祭がある
- アンジュのパンは目を引くものが多く、おいしいものも有るが、パンの味においてはテルメトスに勝てない
書き出した内容を見て、この中で何が活かせるか、要素組み合わせることで生まれるチャンスがないかを考えた。
「テルメトスらしさを失っては意味がないし……やっぱり路線としては、歴史ある伝統の味と品質を全面に押し出したほうがいいよね……」
SWOT分析を活用しながら、今度は今回のPR戦略の目的を書いていく。
『テルメトスパン店の揺るがないブランド力の醸成による、顧客の奪還』
シンプルイズベストだ。
流行りのSNS映えするパン屋に勝つには――昔からある地元のおいしいパン屋から、百年の歴史を持ち、こだわりの高い品質を誇る老舗店へ、「イメージを作り替える」ことができれば――。
(リブランディング作戦、これしかない!)
勝算が見えてきた。まずは、目的を実現する、戦略とアクションを整理しよう。祭りという機会は生かしたいし、スケジュールを考えると、急いで企画を詰めなければならない。企画書が詰められたら、テルメトス一家に、納得してもらえるような説明をしよう。
元の世界で仕事をしていた時は、顧客からのプレッシャーに押し潰れそうになりながら、痛む胃を薬で誤魔化しながら企画書を書いていた。
本当にその企画はうまくいくのか、あなたはプロとして自信があるのか、またその企画を実現する能力があるのか――突き詰められるたびに、顧客の意見に流され、戦略がブレブレになっていた。そんな失敗を繰り返していた。
しかし今はそんな悲壮感はない。大好きな人たちのために、お店のために、勝てる方法を、これまでの経験や知識を全て投入して、全力で探したい。
私の心は今、使命感と、心地よい高揚感と、自分の経験を大好きな人たちのために活かせることの喜びに満ちていた。




