テラスでの試食
私に声をかけてきた貴公子は、エドワードと名乗った。
競合店の視察が本音なので、ほとんど「はぁ」と「そうなんですね」と「なるほど」しか発さない私との話を盛り上げようとしてか、自分から色々話してくれた。
本来お城で書記官をしているという彼は、ビトレスクの視察に派遣されていて、この地に三ヶ月ほど留まる予定なのだそうだ。
書記官という仕事は、日本でいうところの公務員らしい。具体的に何をしているかはわからないが、胸にある勲章らしきものの数を見るに、おそらく高位の書記官なのだろう。緑の制服に、色とりどりのメダルが光る。
「本当に、あなたみたいなお美しい方にお付き合いいただけて光栄です。お好きなものを幾つでもお取りくださいね」
……という歯の浮くようなお世辞を受け流しつつ、生クリームとイチゴのクロワッサン、イチオシのとろけるチーズパンと、バゲットをお願いした。
流石に三つ全部は食べられないので、全部エドワードと半分ずつ分け合う形にする。バゲットは一切れずつ分け合い、残りは食べ切れる気がしないので、エドワードにもらってもらうことに。
二人で行くと、複数種類を少しずつ味わえるのでありがたい。本当は店にある商品を全部試食したいくらいなのだが、それは胃袋的に厳しいので断念した。
「なるほどなるほど……」
おおよそ、お茶に来た女子とは思えないリアクションが思わず出てしまい、ハッとして口を塞ぐ。だが、テルメトスの命運がかかった偵察なので、エドワードには悪いが今はパンに集中させてもらおう。
一つ目に食べた生クリームといちごのクロワッサンは、しつこいかと思いきや、クロワッサン自体が軽い口当たりになっていて、あまり重たさを感じない。中に入っている生クリームも甘さを抑えてあり、いちごの酸味が全体をうまくまとめていた。
とろけるチーズパンは、リッチな口当たりで、チーズの風味に深みがあり、これも美味しかったが、正直全部食べ切れるかというと、かなり重たい感じだった。インパクト勝負の商品なのかも知れない。
バゲットは、正直イマイチで、テルメトスで出しているもののほうが、数倍美味しかった。鞄に入れていたメモ帳に気づいたことを書いていく。味の感想はもちろん、店構え、ブランディング、客層、商品の特徴――とにかく、広報戦略に使えそうな情報を片っ端から書き込んでいった。
「……まるで食の評論家が批評するような手つきでパンを食べるんですね……」
エドワードには、若干引き気味に言われてしまった。
「ハハハ、まぁ……」
ふと、「評論家」という言葉が引っかかった。ついつい自分で分析することに夢中になってしまっていたが、せっかく二人で食べているのだ。
他の人の意見もほしい。ただ、質問をしようと彼の目を見つめると、なんだか無性に緊張してきた。だってこの人、テレビに出ているようなアイドルと肩を並べられるくらい、めちゃくちゃ綺麗なのだ。
「おや、ようやく俺に興味持ってくれましたか。そんなに改まって、どうしたんですか」
小首をかしげる彼の仕草は、多分そのへんの女子なら瞬殺されるような攻撃力だったと思う。美貌に可愛さまで加わって無敵状態だ。私は殺られる直前で目を伏せ、なんとか難を逃れた。問いかけを受け流しながら、パンに気が向いていたときは平気だったのだが。
そのまま、テーブルの端に全集中し、美青年と話していることを必死で頭から消そうとしながら、おずおずとたずねた。
「パン……おいしいですか……」
「……」
気まずい沈黙が流れた。質問力テストがあったとしたら、確実に零点をたたき出していたと思う。
エドワードも、まさかこんなに改まってパンが美味しいか聞かれるとは思っていなかったのか、動きが止まっている。無限にも思える空白の時間が流れた後、彼は弾けたように笑い始めた。
「……ハハハ! 俺に関しては目もくれず、ひたすらパンのことばかりだなんて、新鮮だなあ。俺から感想聞くのでも良いけど、こういうのは女の子に聞くほうがいろいろわかるんじゃないかな。メモ帳持って何やら色々書いているところを見ると、リサーチか何かなんですよね。――ちょっと待っていてください」
するとエドワードは、椅子の背に手をかけ、くるりとうしろを振り返り、うしろの席の女性二人組に話しかけている。他の客の会話の声でさえぎられて、彼が何を聞いているかは聞こえなかったが、話しかけられた女性たちは一様に顔を赤らめ、質問されたことに一つ一つ丁寧に答えてくれていた。
一組目が終わると、こちらに笑顔を向けてから、もう一度店内に入ったと思うと、ミルクティーを二つ持って戻ってきた。どうするのか見ていると、今度は少し離れた席に居た女性二人組に声を掛けている。飲み物を差し入れながら、座席に座り、再び雑談をしている。
そして少しすると、女性たちに丁寧に挨拶をして戻ってきた。
「色々聞いて来ましたから、今から言うこと、メモに取ってくださいね。えーとまずは……」
彼が話す内容を聞きながら、私は急いでペンを走らせた。いまテルメトスから離れ始めている女性客たちの意見は貴重な情報だ。
人見知りの私ではとてもできない芸当をやってくれた彼には、感謝の気持ちでいっぱいだった。その一方で、彼が話しかけた女性たちがいる方角からは、氷のような視線をビシビシと感じていたが。
この時エドワードから見えないようにメモを取っていたのだが――そのメモを盗み見る、彼の鋭い視線に、私はこのとき気づかなかった。
ひととおり欲しい情報は得たので、エドワードにお礼を言い、そそくさと身支度を始めると、私が帰ろうとしたのを察知したのか、彼はすっと私の手の上に自分の手を重ねてきた。
「え……! ちょっと」
「ちょっと待ってください。せっかく出会えたんですから、少し歩きませんか。俺はもう少し、あなたのことが知りたい」
重ねられたエドワードの手のひらは、中性的な顔立ちに似合わず、私の手を包み込むには十分な大きさで。急にラッシュをかけられた私は動揺を隠せない。
(あわわ……)
加えて畳みかけるように、エドワードはくっきりと刻まれた二重の、大きなエメラルドグリーンの瞳で、熱っぽい視線を私に向けた。イケメンの上目遣いほどずるいものはない。
生まれて初めてのナンパに引き続き、口説き文句を囁かれた私のHPは、もはやゼロに近かった。ただ、敵情視察を手伝ってくれた手前、無下にするのもためらわれる。
そんな葛藤の中で揺れ動く私の動揺を捉えたのか、エドワードは美しい瞳をこちらに向けたまま、重ねた左手の親指の腹で、反応を確かめるように私の手の甲を撫でた。
「だめかな……」
(ひぇー!)
感じたことのないゾワゾワが体を襲った。未知の体験の数々と、体に芽生えた火照りは、私の頭をショートさせるのに十分な要素だった。
「しっ……失礼しましゅ!」
代金をテーブルの上に叩きつけるように置き、ものすごい勢いで席から跳ね上がった私は、ダッシュでその場を離れた。
大声且つ、大々的に噛みながら別れの言葉を放ち、その場から消えるようにいなくなってしまったので、残されたエドワードは大層恥ずかしい思いをしたに違いない。
心の中で合掌しながら、テルメトスパン屋の裏口へ駆け込んだ。あまりにものすごい勢いで飛び込んだので、裏口の近くで作業していたテトラが驚いて飛び上がった。
「ちょっと……あんた……一体どうしたのよ……。猛獣に襲われたような顔して……」
ゼエゼエと息を切らしながら、答えた。
「襲われまではしてないけど、猫の皮を被った猛獣に爪は立てられたかも……」
眉を顰めて不思議そうな顔をする彼女に、今日の手助けのお礼だけいい、呼吸を整えながら私は部屋へ戻っていった。
――逃げられてしまった。しかも見たことのない速さで。
取り残されたエドワードは、しばらくその場に立ち尽くしていた。周りの客の視線が痛かったので、すぐさまその場を離れたが、歩きながら、最後の彼女の慌てようを思い出し、笑いが止まらなくなった。
「ハハハ! ダメだ、腹が捩れそうだ……」
(この辺であまり見かけない雰囲気の女性だったから、興味本位で声をかけてみたのだけど。思わぬ衝撃を喰らわせてくれた)
ビトレスクでの仕事は順調すぎて、少し暇を持て余していたところだった彼は、退屈しのぎにナンパでもしようかと、たまたま目に入った女性に声をかけたのだが。
「思わぬ収穫があったな」
紳士的で穏やかな顔立ちのエドワードだが、ただ優しくて穏やかな男がこれほどの勲章を得られるはずがない。鋭い目つきで、彼女の去った方向に視線をやった。
(あのパン屋を検分するような不自然な様子を見るに、大方ライバル店で働いている女性だろう。単なるパン好きがあそこまでしないだろうし。あっちの方角にあるのは……テルメトスパン店か)
彼女の慌てる様が目に浮かび、再び、クッ、と笑いが漏れたが、通行人の目を気にして、平然を装いながらエドワードはその場を離れた。




