お客さんが減っている?
私がこのお店にやってきてからひと月がたった頃。店には最近、重苦しい雰囲気が漂っていた。
「ハアア……」
アルフレドの口から、深いため息が漏れた。
「どうしたんですか……? なんだか、お顔が暗いようですが……」
なんとなく事情は察していたのだが、ため息の理由を聞いて欲しそうな顔をしていたので、空気を読んで聞いてみた。
「ちえ、君もなんとなーく察しているかと思うが……。売り上げがどんどん落ちているんだよ……」
アルフレドは、いじけたようにパンの生地をねじりながら答えた。
「そうねえ、一時的なものだと良いのだけど……」
アドラも続けてため息をついている。私が来た当初、テルメトスはビトレスク一番の人気店だった。創業から百年と歴史もあり、常連客も多い。だが、ここ最近、明らかに来店客が減っているのだ。その理由は明らかだった。
「一つ向こうの通りのアンジュのせいですよね……」
ちょうどいまから二週間前、アンジュという新しいパン屋ができたのだ。店舗ができる前からチラシを街中に配布しており、「城下町の人気店がついにビトレスクに上陸! 城下名物、とろけるチーズパンをぜひご賞味ください」という、キャッチーな宣伝文句が書かれていた。
特に流行に敏感な若い女性や主婦層が、ここ一・二週間でごっそりアンジュに持っていかれている感覚だ。それに釣られて、男性客も少しずつではあるが流れている。
「このままお客さんを取られ続けるのは悔しいわよねぇ。どうしたものかしら……。新商品は投入しているけど、あまり振るわないし……」
テトラも困り顔だ。テルメトスの主人は、どちらかというと職人気質で、商品に対するこだわりはすごいのだが、あまり宣伝活動には力を入れていない。こういう状況になって、どういう対抗策を打ち出したらいいのかわからないようだった。
(お世話になっているお店だし、なんとか助けてあげたいな……)
前職の広報代理店では、商品や自社のPRに課題を抱える、様々な企業のための、PR企画を請け負っていた。
パン屋のPRをやったことはないが、企画を練り上げるプロセスに、そう違いはない。
日本にいた時は、「本当に君のプランはうまくいくのか」と疑問を投げかけられると挙動不審になってしまい、企画案に対する質問にまともに答えられず、却下されるというパターンを繰り返していたが――テルメトスの人たちになら、自信を持って、ちゃんと自分のプランを伝えられるかもしれない。
それに、私自身、テルメトスのパンが大好きになっていたので、なんとかこのパンを残すために、出来ることはしたかった。
(テルメトスのために、私の知識が役立つなら)
「アルフレドさん、明日、少しの間だけ、仕事を抜けてもいいでしょうか。少し、相手を偵察してきたいんです」
アルフレドが珍しいものを見るように私の顔を見つめた。
「全然構わないけど、偵察してどうするの」
愚痴を聞いて欲しかっただけで、解決策は求めていなかったらしく、アルフレドは意外な顔をしている。
「……うまくいくかはわからないですが、考えがあるんです。もしかしたら、お客さん、取り戻せるかも」
お世話になってから今まで、自分から何かをやらせて欲しいと言ったのは初めてだ。
「えっ、何か案があるのかい?」
「ちょっとだけお時間いただければ……打開策が見つかるかもしれません」
今の時点で勝算があるわけではない。でも、広報代理店時代、きちんと調査をして分析をすれば、現状を改善するための、何かしらの手がかりは見つけることができた。
(うじうじして、ただ見守ってるだけじゃ自分も、現状も変えられない。できるかわからなくても、とにかくやってみなきゃ……)
翌日のランチタイムが終わり、店が落ち着いた頃。日が陰るまでという約束で、休憩をもらって外へ出た。
目立たないよう、「いかにもこの辺に住んでいそうな女子」ファッションを身に纏いアンジュへ向かう。普段はスッピンなのだが、競合店の従業員としてチェックされていた可能性も考え、変装用にテトラにメイクをお願いした。
(あまり目立たないメイクってお願いしたのだけど……だいぶ盛ってますねえ、これは)
鏡を見て自分のあまりの変わりように苦笑いした。目の大きさはだいぶ変わっている気がするし、マイナス五歳くらい若返っている気がする。
「これはやり過ぎでは……」
と、弱々しくテトラに抗議をしたものの。
「今時はこれくらいが普通なのよ! っていうかちえ、地味すぎ。化粧しなさすぎ。もうちょっと年頃の女性らしく、着飾った方がいいわよ? そのほうが、出会いも向こうからやってきたりするんだからね!」
別にモテたいわけではないのだが。とりあえず今回は折れて、そのまま出かけることにした。
通り一つ隔てたアンジュは、全面ガラス張りの店舗で、テルメトスに比べると、よりカジュアルで都会的なイメージの店だった。
店の外装は黒を基調としてまとめられており、クールなイメージ。文字は読めないが、看板やポップ、ショーウィンドウに使われているフォントは統一されていて且つ、洗練されたイメージのものが使われている。
(うーん、さすが、都会から来た店って感じ)
店舗の外にはイートインスペースとしてテラスがあり、お茶をしているマダムたちの姿が見える。
(パンもSNS映えしそうな、おしゃれなものが多い! とくにこの、クロワッサンに切りこみを入れて、中に生クリームとフレッシュなイチゴをトッピングしたパン、可愛いし美味しそう。名物のとろけるチーズパンも、四種のチーズを使っているのね。ビジュアルもいいなぁ)
確かにこれは人気が出るかもしれない。オーソドックスで、素材の旨みで勝負するテルメトスにはない斬新さと、ファッション性がある。
まさにご婦人方が惹かれそうなお店だ。テラスで食べているお客さんもいい広告塔になっているのだろう。
(私もテラスで食べてみよう。味も確認したいし)
店舗に入ろうと歩き出した瞬間、トントン、と誰かに肩を叩かれて飛び上がった。とっさに振り返ると、そこには金髪の、中性的な美しい顔立ちをした貴公子が立っていた。
(誰……?)
「驚かせてしまってすみません。怪しいものではないのです」
「あ……はい」
怪しいとは思わないが、いったい私に何の用だろうか。警戒から、ついつい険しい顔をしてしまう。
「俺、甘いものに目がなくて。新しい、デザートパンのおいしいお店ができたって聞いて、来てみたいなと思っていたんですけど……女性客が多くて。入るの躊躇しちゃってて」
(うーん、確かに。男性は入りづらいかも。女性客かカップルが多い感じだものね)
あごに手を当てて、男性の言葉に納得しつつ、素朴に感じた疑問を投げかけた。
「それで……あの、どうして私に声をおかけになったんでしょうか」
「もし良かったらなんですが、俺と一緒にお茶しませんか?」
キザっぽい中にも、少年のような無邪気さが見え隠れする笑顔に、思いがけずドキッとしてしまう。
(もしかして、これってナンパ?)
いきなり見知らぬ男性とお茶、というのは、なかなかハードルが高かったが。正直自分も一人では入りづらいなと思っていたので、これはある意味渡りに船だった。いつもだったら、即効逃げているところだが、今はありがたくこのお誘いを利用させていただこう。
「……私でよければ」
顔は強張っていたが、かろうじて笑顔を作ることができた。お店の中だし、危ないこともないだろう。
「よかった! では、参りましょう」
男性は、まるで花が咲いたかのような笑顔を浮かべ、優雅に片手を差し出した。差し出されたその手に躊躇しつつも、自分の左手を預ける。こんなふうに男性にお茶に誘われるのも初めてで、それを受けるのもはじめてだ。
(あれだけ人と関わることを躊躇していたのに、私だいぶ冒険しているなあ)
麗しい男性に手を引かれながら、少しずつ変わり始めている自分の行動に、こっそり苦笑した。




