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初めての試練

「だからさあ、俺は、その態度に腹が立つって言ってんの! 一体どうしてくれるんだよ、ええ?」


 男性客の、大きな声が店内に響き渡る。店内に居た客が一斉にこちらを振り向き、その視線が私とその客に集まっているのを見て――私はいつもの「あがり症」を発動してしまった。


「あ……あの、申しわけございません」


「謝ってほしいんじゃねえんだよ! どうするつもりかって言ってんの」


「はい……申しわけありません」


 男はカウンターに勢いよく手を突き、私の顔面をにらみつける。


「だから、謝られても困るんだよ! こっちは新店オープンのガーデンパーティ用の軽食としてここのパンを頼んだんだ。間に合わないと大変なんだよ。ボーっと突っ立ってねえで、なんとかしろよ」


 私の隣にいるテトラは、こちらの様子をちらちら見つつも、会計に人が並んでいるためにフォローができずにいる。そうこうしているうちに、店の奥からアドラが出てきてくれて、怒っている客を引き取ってくれた。


「お客様、こちらの不手際があったようで、申しわけありません。私のほうで対応しますので、こちらへどうぞ」


 アドラは客をカウンターから引き離し、店の奥側で客の言い分を伺うようだった。


 店内が混雑し始めていたため、私はテトラのとなりのカウンターを開け、震える手で会計を手伝う。しかし先程の動揺が尾を引いているのか、おつりの計算を間違えたり、商品を落としたり、明らかにサイズの合わない袋を使用して入れ直しを発生させてしまうなど、失敗が相次いだ。


 先程のやり取りを見ていた客たちは、私の失敗を、困ったような、憐れむような表情で見守ってくれていたが、それによって罪悪感が倍増し、なかなか気持ちを立て直すことができなかった。

 

「お店落ち着いたし、少し外の空気吸ってきたら? ちえ、顔真っ白よ」


 テトラにそう言われて、遅めのお昼を外で取ってくるよう促された。まるでお通夜のような顔をして接客していたであろう私を気遣っての言葉だとはわかっているのだが、「今のお前じゃ使いものにならない」と判を押されたような気持ちになって、さらに落ち込んでいる自分がいる。


 店舗を出て、行く当てもなくふらふらと街をさまよう。とても食事をする気にはなれない。この街にシンとやってきた日、キラキラと輝いて見えた石畳の風景が、今は無機質で冷たいものに見える。


(情けない。接客にも慣れてきて、もう大丈夫だって思ってたのに……)


 自分の目下の課題であったあがり症だったが、パン屋の業務は基本ルーティーンということもあり、日常の接客業務については問題なく行えていた。だがやはり、自分に対して注目が集まるような事態に陥り、プレッシャーをかけられると、頭が真っ白になり、赤面してしまうのは変わらなかったのだ。


 整えられた街角に植えられた街路樹に背中を預ける。人目もはばからず、ぽろぽろと涙がこぼれた。とめられなくなった涙を、ぬぐうわけでもなく、ただひたすらに垂れ流し続けた。


(やっぱり私、変われないのかもしれない)


 ――するとどこからともなく、聞き覚えのある、大きな声が聞こえてきた。


「おい、お前なに泣いてんだよ。あー、あー。きたねえ顔しやがって、ほれ、これでも使え」


 顔を上げると、目の前にいたのは、茶色い短髪の大男――シンだった。日を後ろに背負っているせいか、前に見たときよりも明るい茶髪に見える。


 目の前に差し出されていたのは、ゴワゴワのタオル。涙でぐちゃぐちゃになっている顔を見られたことが恥ずかしくて、短くお礼の言葉を述べたあとに、即座に借りたタオルで顔をおさえる。タオルで顔を隠したまま、視線だけをシンに向けて、私は聞いた。


「え……。何でここに?」


「海産物の売り込みだよ。ついでに、お前の顔見とこうと思って。どうしたんだよ、何があったんだよ」


 ぶっきらぼうだが、心底心配している様子でそう聞かれた。自分が手間のかかる子どものように扱われていることが、さらに恥ずかしさを増す。私は今日の失敗の経緯を、ざっくりとシンに説明した。するとシンは、なんだそんなことかといった感じで、大きくため息をついた。


「いいか? お前はすべての物事に対して、百点満点をとろうとしてんだよ。で、極端に言えば、百点を取らなければ、周囲の人間からつまはじきにされると思ってる」


「え……」


「つまりな、何事も、失敗なく完璧にやりたいって意識が根底にあるんだよ。だから失敗が怖くなる。そしてさらに、周りは自分の失敗を許さないだろうと思いこんでんだな。失敗したって、またもう一度トライすればいいんだよ。今日みたいな失敗だって、ただ次から気をつければいいだけじゃねえか」


「でも……」


 周囲に迷惑をかけるのは避けたいし、できる限り完璧を目指したい。そう考えてしまうのはだめなのだろうか。


「うーん。今のお前には、何を言っても暖簾に腕押しかもな……。とりあえず、テトラにでもお前の気持ちを話してみろ。あいつはお前とは正反対のタイプだからな。うまい気持ちの切り替え方を教えてくれるかもしれねえ」


 そう言うと、シンは冷え切った私の両手を、自分の大きな手で包み込んだ。


「大丈夫だ。そんなに突き詰めるな。俺も、テルメトスの一家も、お前の味方なんだからな。失敗ばかりに目を向けないで、次どうしたらしいかを、周りの人間と一緒に考えればいいんだよ。一人で変わろうとしなくたっていいんだ」


 途中から、なんだかまるで自分に言い聞かせるように、シンは話していた。私の手を包む大きな手は暖かくて、力強い。かたくなな心はまだほころぶ気配を見せなかったが、涙はいつのまにか止まっていた。


「ありがとう……」


 今は、そう応えるのが精一杯だった。


 顔をタオルでもう一度拭き、心を落ち着けたあと、シンに連れられてテルメトスへ戻った。ひととおり泣いて発散したせいか、少しはすっきりしたのかもしれない。休憩時間以降は、なんとか落ち着いて仕事をすることができた。

 


 閉店後、夕食を終えた私は、食後の雑談もそこそこに部屋に戻った。シンはああ言ったが、この心のもやもやを、テトラに話す気にはまだなれない。部屋のドアによっかかりながらため息をついていると、ロナルドる音が背中に響いた。今は人と話したい気分ではなかったが、しぶしぶドアを開くと――そこに立っていたのは、テトラだった。


「あー、やっぱり! 一人で落ち込んでたわね。もー、ちょっと付き合いなさい」


 そう言ってテトラは、私の腕を掴み、自分の部屋へと強引に引っ張っていく。


「えっ、ちょ……」


 反抗は許さん、という表情で睨みつけられ、怯んだ私を彼女は自分の部屋へと押し込んだ。なんだかこの国に来てから、いろんな人に腕を引っ張られている気がする。一体どうするつもりなのだろう。


(店に迷惑をかけたことで怒られるとか……?)


 テトラの部屋は、私の部屋よりも少し大きいくらいのサイズだった。いつもはつらつとしていて元気いっぱいの彼女らしく、部屋はビタミンカラーを差し色としている。おそらく通常は壁際に置かれているであろう机をベッド横に引き出して、向かい合って座れるよう、机をはさんでひとつずつ椅子が設置されていた。


(コレは……まるで取調室のような配置だなあ……やっぱり怒られるのかしら)


「座って待ってて。逃げたら承知しないから」


「……はい」


 アドラとアルフレドを呼びに行ったのだろうか。無一文、身一つで放り出される自分を想像し、血の気が引いた。まさか働き初めて二週間でクビになるなんて。


(どうしよう、ここを放り出されたら行くところがない)


 絶望的な未来を想像していたところへ、右手にデキャンタ、左手にワイングラスを二つ引っ掛けたテトラが入ってきた。


「……なんでそんなこの世の終わりみたいな顔してんの。しかも立ったまま。ほら、さっさとすわんなさいよ」


 お酒を持って現れたテトラに、促されるままに椅子に座り、目の前にトポトポと赤い液体を注がれる。


「とりあえず、今日はお疲れ様ってことで、かんぱーい!」


 グラスを天井に向けて突き上げ、ごくごくとジュースのごとく赤ワインを飲み干したテトラは、二杯目をすでに注いでいる。彼女はなかなかの酒豪のようだ。私は彼女がしたように、自分の手元にグラスを引き寄せ、控えめに上に上げた後、口にワインを含んだ。


「……おいしい」


「そうでしょ。これ、あたしのお気に入り。安いけど美味しいのよ。コスパ最強のワインね」


 アルコールが入り、気が緩んだのかもしれない。私はぽつりぽつりと、今日の出来事に対する懺悔(ざんげ)のような、愚痴のような話を、テトラに漏らしていった。


「大量注文の品の受け取りだったのよね。うっかり商品を床に落としちゃって。よくよく考えれば、ちょうど焼き上がりの時間帯だったから、工房に行って新しいのもらってくれば済む話だったのに……。怒鳴られて、どうしたら良いか頭が真っ白になっちゃって……。お客さんにもテトラたちにも、迷惑かけちゃった。一度謝ったらすぐさま、代替品の手配をすべきだったのに」


 テトラは私の話を、目をつぶってウンウン、と聞いている。眠っているのか、黙って聞いているのかわからない様子だったが、私はそのままアルコールの力を借りて、思うままに自分の心の内を吐露していく。


「私、人にどう見られているかを、異常に気にしちゃうきらいがあって。さっきも、たくさんの人の目が自分に向けられている気がして、ちゃんとできてないことを責められているような気持ちになって……それでいつも真っ白になっちゃうんだよね。情けない」


 それまで目をつぶって聞いていたテトラが、カッと目を見開いた。完全に目が座っている。大丈夫だろうか。


「あのねえ、ちえは、気にしすぎ。自分が思うほど、相手はあんたのこと見てないわよ。周りの目を気にして、自分の実力を発揮できないなんて、もったいないと思わない? 私あんたとまだ二週間しか仕事してないけど、本当によくやっていると思う。自分なりに色々考えて、うちのパン屋の助けに少しでもなれるようにって思ってくれてるのわかるもの。ちえが来てから、店の中、ピッカピカになったしね!」


(自分が思うほど、相手は私のことを見てない、か。本当にそうなのかなあ)


 そう思う一方、私なりに努力していたことを認めてくれていたことが密かに嬉しかった。掃除が行き届いていない雰囲気を、ここに来た初日から感じていたので、「これは今すぐ、自分が役立てることだ」と思って、早めに業務を始めて隅々まで掃除するようにしていたのだ。


 眉間にシワを寄せ、ワインを口に運んでいたテトラは、私の腕を再びガッツリと掴んだ。


「ちえは、仕事ができないわけじゃない。ただ、ちょっとテンパりやすいだけ。今日みたいな事があったら、まず、相手を観察してみなさいよ。相手の表情とか、発している言葉の内容、声のトーンとかさ。『自分がどう見られているか』を気にするからあがっちゃうんだったら、目の前の相手が何に怒ってるか、何に困っているかを読み取って、それを対処することに集中すれば、あがらなくて済むんじゃないの? すぐには難しいかもしんないけど、要は訓練だと思うんだよね」


 テトラの言うことは的を射ていた。確かに、私はあがっている時、自分のことしか頭にない。


(目の前の相手に集中する、か……)


 意表を突かれたような私の表情を認め、にやりと笑ったテトラは、二割ほどしか中身が残っていない私のグラスに、デキャンタの残りを注いだ。


「それとね、そんなに『良い子ちゃん』でいようなんて思わなくていいから。なんっか、遠慮がちなのよね。あたし達へのちえの態度。まあ、まだ出会って二週間だし? 仕方ないかもしれないけど。もうちょっと思ったこと口にしてくれても、嫌いになったりしないから。――と言っても、遠慮はするだろうから、しばらく日曜の私の晩酌に付き合いなさい! 酒は人間関係の潤滑剤よ!」


「二本目を取ってくるわ!」と言って勢いよく階段を駆け下りていった彼女が、うっかり階段から落ちないか心配になり、あとをついていった。


 なんだか、若いのに言っていることが飲みニケーション推進派のおじさんみたいだな、と思ったら、笑いが止まらなくなくなっていた。私が笑っているのを見て、つられたのか、テトラもその場で笑い始めた。


(……この世界に来ることができて、シンやテトラに出会えてよかった)


 暗い気持ちは吹き飛び、テトラの気遣いに感謝しながら、その日は夜更けまで彼女の晩酌に付き合った。

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