098 契約(コントラット)
「近づくなガニィ! このガキがどうなってもいいガニィ!?」
ギグくんを脇に抱えたガニンガーが威嚇してくる。
「無駄なことはよせ! チチンガーよ!」
ガニンガーだよ!
「落ち着けぃ! なぜそのように荒ぶるのか!? 話せばわかーる!!」
わかるか! オッサン、ガニンガーの死体を踏み潰したまま言うことかよ!
「うるさいガニィ! そこの男を俺に近づけるなガニィ!」
「え? アタシに言う?」
確かにアタシが一番、エスドエムに近いけど。
「しかたない。あの子供には犠牲になってもらって…」
「おかしいでしょ! それがギルドマスターの言うことか!」
「しかしこのままでは解決せん…」
「いけません! 逃げますわ!」
アイジャールさんが叫ぶ。
「ガニィ! 大将軍に報告ガニィ!!」
他のガニンガーたちも一斉に逃げ出す。あんな見た目なのに逃げ足が早い!
「クソ! ギグくんを助けなきゃ!」
「うーん、我輩に任せろ!」
「任せられるか! ギグくんごと叩き潰す気だろ!?」
「男の子なら乳に潰されるのは本望なはずだ!」
「そんなわけあるか!」
こんなやり取りをしている間に、ギグくんを連れたガニンガーは跳躍して干潟の方に走って行く。
「く、クソッ!」
「にゃ! 追いかけるにゃ!」
──
恐怖に身体が強張る。
抵抗しなければ…
敵を振り払って逃げなきゃ…
そうしなければいけないことは、頭ではわかっているのに、身体がまったく言うことをきかない。
僕はなにもできない。
そういえば、ガットランドでもそうだった。
大好きなお姉ちゃんが…鳥の魔物に殺された時も、僕はなにもできなかったんだ。
あんなにお姉ちゃんは苦しそうな悲鳴を上げていたのに、僕はなにもしなかった。
強いレンジャーになって仇を討つ…そんなことは夢のまた夢なんだと、僕は大陸に来た初日に思い知らされる。
「う、ううっ…」
「ガニガニガニ! ベソかいて泣くぐらいなら、戦闘員と一緒になって前に立つなんて愚かなことはしないことガニなぁ!」
そうだ。敵の言っていることが正しい。
僕みたいなお荷物が、レディーさんやウィルテさんの邪魔をするなんて……
僕さえいなければ、彼女たちはきっと簡単に敵を倒していたはずだ。
「どうやらお仲間はついて来れない様ガニィ! このまま人気のないところへ行って、お前の柔らかそうな脳をチュルチュルしてやるガニィ!!」
こんな奴に殺されるくらいなら…
僕は舌を震える歯で挟む。
力が入らない。でも、運ばれる振動を利用してなら舌を噛み切ることぐらいは……
──自ら命を断つとは、なんとも無価値な──
え? いま声が……
敵? でも、声の調子が全然違う。
──少年。生に対する執着こそが、人間を最も高い有価値たらしめるのです──
気のせいじゃない。
どこからか僕に話し掛けてくる声が聞こえる。
──恨みなさい。怒りなさい。憎しみなさい。それら激しい感情こそが、命の真価なのですから──
なにを言っているのかはわからない。
けれど、その声は僕になにかをさせようとしているのだけはわかった。
「……僕はどうすれば?」
──契約を──
このまま待っていても、敵に殺されて食べられるだけ…
なら……
僕は手を伸ばす。
──ペルフェット!──
僕の腰のポーチから何か黒い物が飛び出した。
「ガニッ?!」
僕を捕まえていた敵はビックリしたようで立ち止まる。
「蛇? いや、単なるスライム…ガニか?」
それは確かにスライムだった。
蛇みたいな形で色が黒っぽいけれど、スライムは液体生物だから形はある程度自由に変えられる。
でも、なんでそんなものが僕のポーチに?
「子供騙しにも程があるガニ! たかがスライム! そんなんでどうするガニィ?」
僕が何かをしたと思っている敵はそんなことを言う。
けれど、その通りだ。スライムは討伐ランクの低い魔物。とてもこの状況を変えるなんてできはしない。
「ひと思いに叩き潰してやるガニィ!」
──暗闇の刈入れ──
「ガ…ニ?」
スライムの後ろで何かが手招きした気配があった。
敵は眼をギョロンと動かすと、仰向けにひっくり返る。
「うあッ!」
僕は投げ出されて、濡れた地面にベチャッと倒れ込んだ。
僕を抱えていた敵は……倒れたままピクリとも動かない。
もしかして…死んだ?
「……君は?」




