073 黒き鴉は両刀の夢を見るか③
「……買おう」
思わずそう呟いてしまい、リュウベイは慌てて自分の口を押さえた。
(拙者は何をッ!)
「ウヒヒッ! 毎度あり〜!」
店主はカウンターからゴソゴソと紙袋を持ってきて、本を入れ出す。
リュウベイは「やっぱいらん」と言いそうになって思いとどまった。
(こ、これも……学びやもしれん)
何を学ぶのか自分で言っててよく分からなかったが、リュウベイは未だ収まらぬ胸の高鳴りを隠すかのように両腕を組む。
(しかし、他に客が居らんでよか……ん?)
店の中にはリュウベイと店主しかいないように思われたが、本棚の奥にカーテンで仕切られた、こじんまりとしたスペースがあり、そこで何かが動くような音が聞こえてきていた。
(従業員の休憩室か? こんな商品を置くところに?)
リュウベイは不思議に思ったが、そもそも異国人の店だ。自分の預かり知らぬ文化的な事情もあるのだろうとそれ以上は考えなかった。
「ビニール袋に入れると有料になるんじゃけど、どーするぅ?」
「“びにーる”? ……いや、いらん。本の表紙が隠れていればよい」
仮にそのまま渡されたとしても懐にしまえばよいかとリュウベイは思った。
さすがに剥き出しで持って帰るには抵抗がある。
「いくらだ?」
「ほーい。それじゃ、3,000円じゃーい」
「3,000……“えん”? 3,000Eじゃなく?」
「“イー”? なんじゃそれ?」
逆に問い返され、リュウベイは困惑した。イークルで商売しているのに、その町で使われている通貨を知らないことがあるのだろうか、と。
「あ! ほうじゃ! 消費税のことすっかーり忘れておったわーい! 今の消費税率が50%じゃから…改めて、税込みで4,500円じゃーい!」
「“ショウヒゼイ”? なんだそれは……? なんでそんなもので値段が極端に変わるのだ?」
「ワシじゃないわーい! お国が決めたことじゃーい!」
「国? イークルにそんな制度はないはずだが……」
店主の言っている意味が、リュウベイにはさっぱり理解できなかった。
「お! ほうじゃ! “イート・イン”するぅ? 軽減税率で、50%が60%増しになるんじゃけれど、ここで消費しちゃうー?」
「??? さっきから何をわけのわからぬことを……」
ガダタンッ!!
大きな物音が響いたことに、リュウベイはビクッと肩を震わせる。
音がしたのは、本棚の奥にあったカーテンの例の小部屋だ。
「ドュゥフフゥッ! アッー!! キャミーちゃん! キャミーちゃん! ドュゥフフゥッ! アッー!!」
そんな笑い声や絶叫と共に、小部屋がガタガタと物凄い勢いで揺れ、中から「うッ……!!」を最後の一言にしてピタリと止まる。
そして、しばしの静寂。
「な、なんだ……」
シャーッ!!
と、勢い良くカーテンが開かれたかと思うと、巨漢がノソノソと姿を現した。
(町の人間? それにしては服装が……)
店主もそうだが、巨漢も変わった服を着ていた。上等な生地であるのにシンプルなデザインであるのに加え、妙に小綺麗なのだ。
巨漢は小脇に本を挟み、なぜかやり遂げたようなキリリッとした顔をしている。
「……ありがとう。サイコーだったよ」
「ほーい」
巨漢は店主に本を渡す。
「『ロマキャてへ☆』の新刊がでたら、すぐに教えてくれ。またイート・インしに来る」
「わかったわーい! 毎度あり〜!」
2人はサムズアップし合い、巨漢の方は店を出ていった。
隣を巨漢が通り過ぎる時、奇妙な海産物系の不快な臭いが漂ったので、リュウベイは思わず顔をしかめる。
「ほれ。空いたぞ。どうする?」
店主はニカッと笑うと、あの小部屋を指差す。
実際に目に見えるわけではないが、リュウベイにはあそこは何か取り返しのつかないもので汚染されているようにしか見えなかった。
「……いや、いい。このまま持ち帰る。その“えん”という単位の金は生憎と持ち合わせがない。これで頼む」
リュウベイは懐から大金貨を出して店主に手渡す。
店主は何を思ったのか、しばらく大金貨をしげしげと眺め、それから口に入れて噛んだ。
「なんじゃこりゃー!!」
「なッ!? 10万Eで足りないのか!?」
“円”とやらは、リュウベイが考えているより貨幣価値が高いのかと驚く。
「¥じゃーい! ¥で払わんかーい! ……は!? まさか金が無い?! ということは、万引き犯か! ワシの店から盗む気だったんじゃな!!」
(なんだ、この店主は! イカれてるのか!?)
烈火の如く怒り狂う店主に、歴戦の猛者であるリュウベイも危機感を覚える。
「待て! 先ほども言ったように、貴様が言う通貨の持ち合わせがないだけだ! 換金所を通したりして支払えんのか?」
「換金所など知るか! どうしてもと言うのなら物々交換じゃーい!」
「ぶ、物々交換だと?」
店主はリュウベイの全身をジロジロと見やり、そして刀のところで視線を止めた。
「な! ふざけるな! これは拙者の命より大事な名刀“ゴマサバ”だぞ! 交換などできるものか!!」
「ウヒヒ。美味そうな名前じゃな! ますます欲しくなったわーい!」
「美味そう!? ふざけたことを抜かすな! 誰もが恐れる深海の魔獣の名から取った銘だぞ!」
「……なら、本はやらんもーん」
店主は紙袋に包まれた本を背中に隠して舌を出す。
「ぐ、ぐぐッ……! お、おのれ。ど、どうしてもか?」
「どうしてもじゃー!!」
リュウベイは、唇を血が滲むほどに噛みしめた──。
──
フラフラと幽鬼の如くリュウベイは店を出る。
入る時にあったはずの愛刀は、腰から無くなっていた。
「……拙者は…いったい……何をした」
つい先程のやり取りが、まったく霧がかかったようにおぼろげで思い出せない。
リュウベイは、外から店をもう一度見やろうと首を動かして、驚愕に固まる。
「な、なん……だとッ」
驚くべきことに、さっきまで自分のいたはずの古書店が嘘のように消えてしまっていた。
「お、おかしい。拙者は今出てきたばかりのはずだぞ……」
辺りを見回すが、目の前にあったのは単なる空き屋だ。
扉は経年劣化で朽ちて半壊しており、隙間から中を覗き見ると、蜘蛛の巣と埃だけが溜まった、まったくのがらんどうであったのだ。
「拙者は夢でも見ていたのか?」
しかし、そう呟いたリュウベイの手に握られた本は、その古書店が紛れもなく存在していたことを示していたのであった……。
──
それから、1週間後……
朝早く、リュウベイは起床すると、お手製の祭壇に飾ってあるBL本に手を合わせる。
その本は手垢がベットリと付くほどに繰り返し読み込み、今では登場人物の会話内容をそらんじることができるほどだ。
今やリュウベイは覚醒していた。
今ならば、恥ずかしさも完璧に消えている。
自分の気持ちの正体は“愛”だったのだと断言できる。
朝方に怒張している件の生理現象もまた、“愛”の表現のひとつだと思えばむしろ愛おしいぐらいだ。
戦いしか知らなかった男の顔は、いまや血色よく活き活きと輝いており、あの敵を威嚇するだけの三白眼は、彼の持つBL本の登場人物のように宝石の如くキラキラと力強く輝いていた。
ざっくばらんに伸びるがままに放置していた傷んだ髪も、今ではゆるふわパーマをかけ、ちょっと高い高級なオイルを使い、たっぷり艷やかな光沢がある。
服にだって最近は気を遣っている。端にフリルをつけてみたり、かわいい系のワンポイントを胸元にデコレーションしてみたりしている。
そう。繰り返すが、リュウベイは覚醒したのだ。
「……告白の時は来た」
リュウベイは拳を握り締める。
刀を握りしめていた無骨な手は、今や爪に赤いマニキュアが塗りたくられていた。
残念ながら、あの古書店とは再び出会うことはできず、さらなるBL本を手に入れることは叶わなかったが、それでも数多くの恋愛小説などを読み耽り、恋愛の機微を熟知したリュウベイに死角はなかった。
そう。彼は“その道”をついに極めることに成功したといって過言ではあるまい。
「……フィーリー・ハイオン。待っていろよ」
リュウベイはスッと立つ。
そして、朝日が輝く町へと出て行った。
そう。最愛の人に出逢うために────
……ちなみに余談だが、フィーリーはイークルの町をすでに去った後であった。
そして、それから数年の紆余曲折を経て、イークル初のBL作家として、リュウベイは後の世に伝説として語り継がれるぐらいにブレイクすることになるのだが、それもまた別の話である。




