072 黒き鴉は両刀の夢を見るか②
冒険者ギルドから山のように手紙は来ていたが、リュウベイはとても顔を出す気にはなれなかった。
気晴らしにでもと思って町中に繰り出すと、襲撃によって破壊された建物を修復する人々でざわついている。
中には魔物への対策が甘い町長たちを批判する者や、町長の息子が首謀者ということで町長にこそ責任があるのだから罰すべきだという者……そんな明らかに活動家と思しき集団もいたが、特にリュウベイの気を惹くようなものではなかった。
「……つまらん。力なき者の声など無力だ」
かつては自分よりランクの低い冒険者を嘲り放った言葉だが、今では自分で言っていて白々しく感じられてならない。
ふと、この光景を見たらフィーリーは何と思うのだろう……そんなことを考えてしまい、リュウベイは首を横に振る。
「……フッ。あの男は拙者とは違う。それこそ雲上人。凡人の悩みなど皆無に違いない」
それは本音だった。虚飾も何もないリュウベイの本心だ。
剣士として劣っていることに、悔しい気持ちがないわけでもない。しかし、それにもまさってリュウベイが心苦しいのは、フィーリーと“同じ強者の領域”、“同じ強者の視点”に立てていないことそのものに対する部分だ。
「……そうだ。この感情は“憧れ”だ。あの男のように強くなりたい。こんな気持ちになったのは、まだ幼かった童の頃以来だろう」
吐露した感情から、リュウベイは自分の気持ちを整理分析する。
「ならば拙者がやることはひとつ。天武不動流をさらなる高みへ昇華させることに他ならんッ」
リュウベイは愛刀ゴマサバの柄を強く握る(愛刀マサバは折れてしまったので、予備としてあった2本目の刀である)。
強くなる。
絶対に強くなる。
そして、次にフィーリーと出会った時に、刮目した彼から、「リュウベイ。腕を上げましたね」と声を掛けられる自分の姿を夢想して、彼は鼻息を荒くした。
「……む? ここは? 本屋か?」
途中、見慣れない店を見つけ、リュウベイは思わず足を止めてしまった。
リュウベイはそれほど買い物に出るわけではないが、それでも生活必需品を購入するのに商店は利用する。
さすがに町に存在するすべての施設を知っているわけではないが、それでも大通りにある店くらいはほぼ覚えているつもりだ。
「……混乱に乗じての居抜きか?」
さらなる魔物による被害を恐れ、夜逃げした者も少なからずいるだろう。命あっての物種と、二束三文で店を売り払った可能性もある。
しかしながら、目端の利く者であれば、ピンチをチャンスと見る者もいるのが、これまた商売の世界というものだ。
「……“ホワイティウッド古書店”。つまり古本を扱う店か。
フム。もしかしたら珍しい武術書を扱ってるやも知れぬ。面白い」
リュウベイは本を読むタイプではなかったが、ただひたすら修行したり、魔物と戦うだけではとてもフィーリーの強さの領域には辿りつけない。新たな視野が必要だとは気づいていたのだ。
「御免!」
店内に入ると、かなり綺麗に整頓された本棚が並び立つ。
「外から見たより随分と広いな……」
「ほーい! いらっしゃーい♡」
奥に店主らしき老人がいた。
爆発したような、見事に豊かな白髪頭だ。
緑のエプロンをペンペンと叩くと、リュウベイに向かって走り寄って来た。
「おや! ウヒヒッ! お侍さんじゃ〜い!」
「“オサムライ”? ……聞かぬ名だが、誰かと勘違いしておるのか?」
「ほえ? 刀を持っとるからてっきりそうだと。まあ、ええわーい。今日はどんな品をお探しなんじゃい?」
奇妙な老人だと思いつつ、リュウベイは顎に手を当てる。
「この店に剣技などの本はないか? あれば拝見したい」
「剣技? ほー。もしかしてアレかのぉ、お互いに剣を抜いたり刺したりするアレ?」
「抜いたり刺したりする? ……まあ、そういう言い方もすることがあるかもな」
目の前の老人はどう見ても異国人だ。おそらく、言葉が上手く伝わらないのだろうとリュウベイは深くは考えなかった。
「それならこっちじゃ。……ほれ、あの棚が丸々それ系の本じゃーい」
「フム。こんなにあるものなのか? ……BL?」
本棚のプレートを見て、リュウベイは小首を傾げる。
「……『破廉恥野獣参上につき』、『激しいアイツに身も心も壊される』、『日焼けした胸元にトキメキフェスティバル』……随分と物騒なタイトルばかりだな。格闘家向けのものか?」
武術書はその門派の者だけに伝わるよう、隠語を使うケースがままにある。
リュウベイは秘伝書のような掘り出し物がないかと目を光らせる。
「……ん? 『両刀使いは小悪魔ダーリン』! これだ! まさしく剣士向けの秘伝書に相違あるまい!」
リュウベイはニヤリと笑い、本棚から本を抜いて表紙を見やって、ポロリと落ちてしまうんではないかというくらいに目を見開く。
「な、な、なんだこれはッッッ!?」
彼が驚くのも無理はなかった。
そこには胸元をはだけた美男子たちが、互いの胸元をまさぐっており、背景には大量の薔薇の花が散らされたイラストが描かれていたのだからして。
「これのどこが剣技の本だ! 下賤な猥褻本ではないか!」
「ほえ? じゃってぇ〜」
店主は指を自分のツバで充分に湿らせてから、1冊の本を手にとってページを勢い良くめくる。
否応なしに、めくっているページの一部が目に入ってくる。
リュウベイはてっきり文字だけの本だと思っていたのだが、彼の幼い頃に読んだ絵本などよりも、事細かなイラストがページ一面に展開していた。
「ほれ! 『僕と君の抜き差しならぬ関係』のここを見んかーい!」
「う、うぐッ! お、男同士……だと!」
リュウベイは後ずさる。
そのページには男同士で組んずほぐれつがあからさまに描かれていたからだ!
しかも股間部分が生々しく、ナニがドウなってドコに入っているのかも事細かに描写されているのである!
「ほれ! 見てみぃ! 互いの“刀”を刺しあっとるじゃろ!」
「こ、これはそういう意味では……」
話には聞いたことはある。しかし、リュウベイは女の方が好きだ。このような世界にはまったく耐性がなかったのであったのだ。
「ほれほれ!」
「や、やめろ! そんなもの拙者に近づけ……」
「よう見んかい! この青髪と黒髪を!」
「誰がそんなもの……ん!?」
ふと、描写されていた青髪の青年がフィーリーに、黒髪の青年がリュウベイ自身に重なって見えたのに、リュウベイは目を擦る。
「馬鹿なッ。拙者は……何を愚かなことを考え……」
「ほーれい!」
「グッ!」
リュウベイは胸の高鳴りを抑えられない。
こんなことは、今まで生きてきて初めてのことであった。
意識しないようにしよう……そう考える度に、強く意識してしまう自分がいた。
キツく閉じたはずの目がうっすら開き、背けたはずの顔がわずかに戻る。
たった2ページではあったが、そこにはリュウベイが思っていたような、ただの卑猥な描写があったわけではない。
懊悩、葛藤、そして情愛。長く熾烈な厳しい戦いの果てに、ようやく結ばれた2人……そんな“物語”が凝縮されて描かれていたのである。
(う、美しい……)
リュウベイは思わず目頭が熱くなるのを感じた。
「…………買おう」




