066 引き際の交渉
「アタシらの負け! アンタの勝ちだ!」
この言葉を聞いた“マイザー・チーム”は怒ったような顔をした。せっかく助けに来たのに何を言ってるんだ……と、そう思ってるのがよく分かる。
ウィルテとフィーリーはアタシに何か考えがあると思っているのか、表情は変えていない。
「……降伏すると?」
オクルスは動きを止め、顔についた目だけがジロッとアタシを見る。
「降伏はしない! アンタが退くからだ!」
アタシがそう言うと、オクルスは目を細めた。
「勝利者である私が退く? 意味が分かりませんね」
「アンタはもう限界なんだろ? 手下の目玉蛇をさっさと出したいのに、それができないでいる!」
「目玉蛇? ……サクリフィシオのことですか? そうですね、さっきから貴方たちを血祭りに上げたくて、やたら血の気が多くなっているのは確かです」
本体のオクルスはまったく動いていないのに、さっきから触手だけがビタビタとのたうち回っている。今にも飛びかかって来そうだ。
「この子たちを出さないのは、戦力を分散するメリットが現時点でないからです。状態異常を得意としたスライムを残していましたからね。回復する術を持つ貴方たちを相手にするには些か不利となります」
オクルスは、シェイミーの持つ薬を見やる。やっぱり、状態異常を回復する薬も持ってるって理解してたんだ。
「上手く立ち回っているつもりだったのでしょうが逆ですよ。ただ無駄に延命しただけのこと。魔力もアイテムも尽きた時に、こちらはサクリフィシオを放って終わりです。貴方たちだけじゃなく、この街もね」
「……いや、アンタはそんなことしない。アタシと魔剣ユーデスが無事である限りね」
オクルスは何も答えない。
正解……正解だよね? 合っててよ。
「アンタは魔剣ユーデスを怖れている! アンタの核に刺さったら、ハイ・リッチーと同じ結末になるんじゃないかとね!」
「……そうなる前に、貴女を倒してしまえばいいだけのこと」
そう。そうなんだよ……。
けど、ユーデスが無言の圧をかけてくる。ここで押し切れって。
「アタシを倒すには、アンタ自身が近づいてこなきゃ無理だろ? それは願ってもない機会だね。アンタのその1つ目を全力で突いてやる!」
今持てるだけの魔力をユーデスにと流す。見た目以上の威力はないけど、ハッタリにはなるハズ。
「……この目が、私の本体だという確信はあるのですか?」
アタシを惑わすように、触手の目をこちらに向ける。もちろん、やろうと思えば自分と擬態を入れ替えるなんて簡単にできてしまうんだろう。
「さあね! もちろん賭けだよ! でもどんなに可能性が低くてもアタシはやる! 絶対にアンタの“核”を貫いてやるッ!」
「……」
「アンタはそんなリスクを冒すタイプには見えない! だからここは退くしかないんだ!」
「……」
「違うか!? 答えろ!!」
しばらく沈黙が続く。
あーもう、アタシには耐えられない。
ゲロっちゃいそう。
こういう雰囲気、マジで苦手だよ……
胃がキリキリする。
「……シヒヒ。確かに、命まで懸ける賭けに旨味は感じませんね」
オクルスは笑うと、伸ばしていた触手を元に戻した。
「なかなか、どうして見事な洞察力です。そうですね。今回のところは“私の勝利”に免じて、退くとしましょうか」
よ、よかった……。
まさか、こんな話が通用するとは思ってなかったよ。
「ちなみに今のは魔剣ユーデスの入れ知恵ですかね?」
「え?」
なんで?
アタシがユーデスに小声でアドバイスしてもらっていたのに気づかれた?
「そ、そんなわけない! アタシの考えだ!」
「そうですかね?」
「なんだよ……」
「同じなんですよ。私はリスクを冒すタイプには見えないと貴女は仰った。逆に、私も思ったんですよ。貴女もこのように交渉するようなタイプには見えない、とね」
オクルスは意味深な目を向けてくる。
でも、もう戦う気はなさそうだ。
「それでは。バンビーナに、その他の皆様。またのご利用を……」
帽子を被り直すと、オクルスは空気に溶けるようにして消えた。
アタシは全身から力が抜けて、その場に座り込んでしまう。
「……逃しちゃった」
「あれが最善だったよ。今の私たちじゃ勝てなかった。……相手が“戦士”じゃなく、“商人”だからこそ退いたんだ」
ユーデスの言うことはよく分かる。仮に無事に剣を突き刺せたとして、アイツを倒せる自信はない
「でも、デモスソードの情報も……」
「ヤツは諦めたわけじゃない。これからも私とレディーを狙って来る。それこそ、次は万全の状態で襲い掛かってくるはずだ。デモスソードのことは、その時に聞き出せばいい」
アタシはユーデスをギュッと掴む。戦っていた時の握力はもう無い。
「……次は勝てる?」
「ああ。私たちは前座のリビングアーマーとも戦っていたんだ。本調子じゃなかったのはこちらも同じだよ」
ユーデスは、アタシの身体の事は言わない。
「……アタシは」
「レディー。大丈夫。私はいつも君の味方だ。
は私の命の続く限り、君を守ると誓ったんだからね」
色んな感情が流れてきて、アタシは思わず泣き出しそうになる。
「……ありがとう。ユーデス」
──
オクルスは尖塔の影に降り立つと、よろめいて片膝を付く。
「……ダメージはそうでもありませんが、“魔力を吸い取る力”というのはなかなかに卑怯ですね」
「それでも軽く潰せたでしょ? なんで素直に言うこと聞くのぉ?」
気配は感じていたが、横に立つ透明化の魔法を使っている魔族の少女が尋ねる。
魔力の流れを特殊な感覚器官で捉えられるオクルスには、それは赤い空間の歪みのように視えていた。
「……再評価したんですよ。この島よりも“彼女は価値”があるとね」
「魔剣ユーデス? あと、レディー・ラマハイムだっけ?」
オクルスが何も答えないと、それを是として受け取った少女が鋭い牙を剥き出しにして笑う。
「……オクルスがやんねぇのなら、オレが今からでもアイツら皆殺しにして、その魔剣を奪ってきてやんよぉ!」
殺気を漲らせるのに、オクルスはその圧を手で払う仕草をした。
「お止しなさい。フェイフェン」
フェイフェンと呼ばれた少女はピクッと三角耳を動かす。
「……私が退いたのはもうひとつ理由があります」
オクルスはそう言うと、口を開いてペッと何かを吐き出す。
「なぁに、それ?」
それはクシャクシャに丸められたゴミにしか見えない物だった。
フェイフェンはしゃがみこんでクンクンとニオイを嗅ぐ。
「……私宛の手紙ですよ」
「手紙ぃ? そんなモンがどうして体ん中に?」
「私に切りつける際、体内に押し込んだんでしょう。自己再生するのを見越してね。器用なことをするものです」
オクルスはそう言うと、丸まった紙を開く。
「……やはりそうでしたか」
「あ? なんだよ! ひとりだけ分かった顔しないで! オレにも教えろ!」
そうやって興奮するあまり、フェイフェンの透明化が解けかかる。ところどころ白い体毛に覆われているのが背景に映る。
「……彼らの中に、我ら魔族に与する者がいたんですよ」
「え? オレたちの仲間ってこと?」
「ええ。そうです。……これは面白くなりそうだ」




