139話 天魔城シャドウパンデモニウム
この世界のどこかにあると、まことしやかに囁かれている天魔城シャドウパンデモニウム。
禍々しい闇のエネルギーに包まれた、邪悪な城が黒雲の上に鎮座していた。
紫電が轟く雲海を眺め、長椅子に座った軍魔司令パパチチイヤンは上質なエキストラクトの入ったグラスを傾ける。
「……ククク、予定通りだな。我ら魔族が全てを支配する時代が、もう目の前に訪れようとしている」
リヴァンティズに派遣した六魔王は順調に各地の支配を進めている。
東方ガットランドはすでに鳥人王が落したとの報を受けていた。
「このままいけば、ルンボロボンボ様が復活する前に人類を滅ぼしてしまうことも可能やも知れん」
真魔王ブロゼブブから称賛を賜ることを想像し、パパチチイヤンはニヤリと笑った。
「パパチチイヤン様!!」
「なんだ。騒々しいぞ」
部下の悪魔が血相を変えて私室に入ってくるのに、パパチチイヤンは不快感を顕にする。
「豚人王ペチペチ・トンペチーノ様が討死されました!!」
「え?」
パパチチイヤンの顔が固まる。
しばらくそのまま動かず止まり、やがてゆっくりとグラスをテーブルに置いてから、鼻の付け根を揉んだ。
「死んだ? トンペチーノが?」
「は、はい」
「なんで?」
パパチチイヤンの問い掛けに、部下は返答に詰まる。
「こ、コルダールへ攻め入り…そこで討ち果てられたと…」
「なんでよ?」
真顔で聞かれ、部下は「自分、報告を受けただけなんで…」とはとても言えなかった。
「いや、なんでよ。だって魔獣ライーを付けてたじゃん。あそこは色々ヤベーから、搦め手で攻め落とす手筈だったじゃん。魔獣ライーはどったの?」
「……と、トンペチーノ様が始末された、と」
「はぁーー? なんでよ!?」
部下はハンケチでおでこの冷や汗を拭く。
「そもそも、なんでトンペチーノは攻め入ったの? そんな必要なくない? なくなくない?」
半ば血走った眼で聞かれ、部下は視線を逸した。
「オークの軍勢も全滅し……」
「はあああーん!?」
パパチチイヤンが怒った声を上げてテーブルを叩く。ガタンとグラスがひっくり返り、中身が漏れ、マントを濡らして「あ! ちきしょう!」と天を仰ぐ。
「……はー。馬鹿だ、馬鹿だとは思っていたけれど、ここまでとは。で、倒したのは誰? やっぱりエスドエムっていう魔法使いか?」
「いえ、それが無名の人間の女レンジャーだった様で…」
「え? 無名のヤツにやられたの? ヤバくね? ヤバタニエンじゃね?」
「は、はい。ヤバタニエン…です」
「いや、お前全然わかってねーだろ。これ…はー、頭が痛いわ。なんてことしてくれたんだか」
「……」
「ブロゼブブ軍の恥だなぁ。まったく余計なことしてくれてさぁ。魔獣ライーはウチの社員じゃなかったからどうでもいいけど、幹部のトンペチーノが死んだのはなぁ…。うーん。
はぁー、それにしても、これ落ちるかなぁ」
染みになった部分をナプキンでポンポンしながらパパチチイヤンはため息をつく。
「ひょ、漂白剤を使えば…」
「馬鹿。黒いマントなんだから斑になっちゃうだろ。柄物には漂白剤使っちゃいけないの」
「そ、そうでしたね…」
「……とりあえず、お葬式だな」
「え? 葬式?」
部下が驚いた顔をするのに、パパチチイヤンは怪訝そうにした。
「常識だろ。魔王軍の幹部が死んだんだからさ。方々に弔電だしといて」
「は、はい…」
──
『故 豚人王ペチペチ・トンペチーノ』と書かれた立て看板、そして花束に囲まれたトンペチーノの遺影画が壇上に飾られる。
「……いくら覇権を争ってるからってさ、デモスソードもブローケンも来ないなんてなくね? なくなくなくね?」
正装したパパチチイヤンはボソボソと他の幹部に不満を漏らしていた。
デモスソードやブローケンに手紙でトンペチーノの訃報を伝えたのに、葬儀への出席を拒否したからだ。
「魔族が死んでんだよ。そこはさ、形だけでもちゃんとするのが…」
「パパチチイヤン様。悪魔僧がお見えになられました」
「あ、はいはい」
部下が呼びに来るのに、パパチチイヤンは立ち上がり玄関にまで迎えに出る。
「御足労いただき、ありがとうございます」
「この度は、とんだことになりましたな」
「ええ。本当に。…さ、どうぞどうぞ」
法衣を身に纏った高齢の魔族がプルプルと震えて、パパチチイヤンに手を引かれ壇上前へと案内される。
「心を込めて、ゴメーフクを上げさせて頂きます」
「よろしくお願いします」
僧は手を合わせると、奇妙な棒で側の弾力のありそうなスライムを殴り始める。
ポク! ポク! ポク! ティーン!!
“ティーン”の部分は、弾力のあるスライムの隣に居た金属っぽいスライムを殴ったことによるものだ。
ポク! ポク! ポク! ティーン!!
「ダイマンナー! ダイマンナー!」
叩く音に合わせて、悪魔僧が唱えだす。
ポク! ポク! ポク! ティーン!!
「ダイマンナー! ダイマンナー!」
ポク! ポク! ポク! ティーン!!
「パパチチイヤン様。こ、これは…」
部下が小声でパパチチイヤンに尋ねる。
「……お前。ホント、最近の若い悪魔は物を知らんな。これが魔界の神アルブス・アルボル様が定められた葬式の作法というものだ。ほら、これを持て」
パパチチイヤンは懐から、球が幾つも連なったアクセサリーのようなものを取り出す。
「?」
「“ジュズー”というアイテムだ。これをなんかジャラジャラさせて、トンペチーノの邪悪な魂を悪魔界に送ってやるんだ」
「は、はあ…」
部下はパパチチイヤンや幹部たちと一緒に、僧の呪文に合わせてジュズーを一心不乱にジャラジャラさせた。
「えー、そうしましたら、喪主パパチチイヤン様から一言お願いします」
司会にそう言われ、パパチチイヤンは頭を下げて前にへと出る。
「えー、いまご紹介に預かりました、軍魔司令パパチチイヤンです。この度は、お忙しい中、我が部下トンペチーノのためにお集まり下さりまことにありがとうございます」
パパチチイヤンが頭を下げると、参列していた魔物たちも頭を下げる。
「思い返せば、トンペチーノは馬鹿でした。私の作戦も理解できず、足し算すら怪しいそんな大馬鹿者でした…」
葬式だというのに、あまりにもの上司の言い草に場の空気が若干悪くなる。
「…散々、迷惑を掛けられましたとも。そんな思い出しかでてきません」
少しの間、パパチチイヤンは溜める。魔物たちの注意を充分に惹きつけてから、ようやく口を開いた。
「……しかし、面倒を掛けられたからこそ可愛いかった。手間の掛かる子ほど可愛いと申します。そう、私にとっては愛情を沢山注いだ、まるで我が子のような存在。そんな魔物が、私にとってのペチペチ・トンペチーノという部下でした」
パパチチイヤンは遠い目をする。
心打たれた魔物たちは、パパチチイヤンとトンペチーノの間に上司と部下という関係以上のものを感じた。
「彼を豚人王として推薦したのは私です。彼の可能性を信じたからこそ、そういった役職につけ、西方アナハイムの攻略戦に送り出しました。その判断に今でも狂いはなかったと私は信じております」
後半の部分、パパチチイヤンの声が震える。
「ですが、ですがッ! ッ…その決断が結局、彼を死に追いやってしまったッ…」
パパチチイヤンは嗚咽を漏らし、それを見て鳥人王が思わず貰い泣きをしてしまう。
「悔やんでも悔やみきれません! この件は言い逃れできないでしょう。全責任は私にこそ…」
「オーイオイオイオイ!!」
感動的な話を続けようとした最中、ちょうど良い場面で絶叫のような泣き声が響く。
「んだよいいとこで…」と小声で愚痴り、パパチチイヤンが何事かと振り返ると、遺影の下の棺桶(トンペチーノは粉雪みたいになってしまったので遺体はない)の前で号泣している魔物の姿があった。
「こーんのバカタレがぁ!!」
その魔物は棺桶を拳で殴りつける。
「オメェ! これからだっつー時になして死んじまっただぁ! このボケサクがぁぁ!!」
葬儀スタッフが対処しようと動き出すのを、パパチチイヤンは片手で制する。
「……悔しいですな。その気持ちよくわかりますとも」
パパチチイヤンは、泣き喚いている魔物の肩にそっと触れる。
ハッと振り返った魔物は、明らかに猿獣人系の魔物であり、牛乳瓶の底のような眼鏡を掛けていた。
「…こいつはスンマセンだ。感極まっちまって」
「うんうん」
「まったく! コイツはホントどうしようもねぇヤツでしただ!」
「うんうん」
「田舎から出て、有名になってやるだって息巻いてただのに…こんなことさなっちまって! オラはオラは…」
「うんうん」
パパチチイヤンも鼻を啜り、そしてハンケチを差し出す。
「これは親切に。ども…んだら、遠慮なく…ブビイイイイィ!! はぁー、ブブブブブビビビビィィィ!!!」
牛乳瓶眼鏡はハンケチで遠慮なく鼻をかみ、デロデロになったそれをパパチチイヤンに返す。
パパチチイヤンは指先でそれを受け取り、そのまま部下に投げるように手渡した。
「オラはずっと言ってきたですだ。“死んじまったらなんもなんね。生きてこそだ”ってね…そんだにもかかわらず、こんな姿になって帰えって来やがってからに…」
鳥人王が自分の膝を握って男泣きし、会場が悲しみの渦に包まれた。
「生前、トンペチーノとは深いご関係にあったんですな」
涙に眼を腫らしたパパチチイヤンがそう言うと、牛乳瓶はキョトンとした。
「いや、生きてる時は会ったこともねぇですだ」
「……は?」
パパチチイヤンが首を傾げる。
「え? いや、いま、アナタ、ずっと言ってきたって…」
「?」
今度は牛乳瓶が首を傾げる。
「いや、“死んでしまってはなんにもならないと”…そうトンペチーノに言っていたんでは?」
牛乳瓶は「ああー」と頷く。
「はーはー。そら、オラの口癖ですわ。よぉく、若いモンに会うとそう言い聞かせてますだ」
「……え? なら、トンペチーノとのご関係は?」
「まったくの赤の他人ですわ」
「……」
パパチチイヤンは思考が停止しそうなった。
「えっと、では、なんでアナタはこの葬儀に…」
「おー、そうだしたそうだした! すっかり肝心のことさぁ忘れてたべさ!」
牛乳瓶は頷くと、懐から取り出した名刺を差し出す。
「……“ドクター・ベンザー”?」
小汚い字…明らかに自分で書いた手作り感あふれるグシャグシャの名刺を見て、パパチチイヤンは頬をひくつかせる。
「この近所に住んでる魔物だっぺ。趣味で発明をやっとるモンで、地元じゃ発明王だなんて呼ばれることも…いやはや、照れるっぺな!」
ベンザーは勝手に頬を赤く染めて、「イヤだわぁ」なんて言って、パパチチイヤンの二の腕をバシバシ叩く。
「は、はぁ…」
「んで、なんやら葬式やってるって集まってるちゅーんで、こういうのは参加することに意義があるちゅーもんで、オラさも来たんだっぺ。これもなにかの縁ちゅーことで、今後トモヨロジグちゅーとこですわ!」
「は、はぁ…」
握手を求められ、それに応えるパパチチイヤン。
「したら、葬式の続きといきますか……
オーイオイオイ! なして死んだぁ! この親不孝モンがぁ! バカタレーー!!」
ベンザーは先程のように棺桶を殴りつけて泣き喚く。
やがて、このドクター・ベンザーが六魔王軍の一角となるのであるが、それはまた別の話である。